セイレーンの贈り物
美しさが恐ろしくも感じられるほど真っ赤だった海は、翌日の昼には淡いピンク色になっていた。夕日のせいではなく、実際に海が赤く染まるのは、毎年起こることだと冒険者ギルドで教えてもらった。
ピンク色まで落ち着けば、海に入っても良くなるという。
冒険者ギルドに依頼の達成報告と納品は済ませた。今の海は、淡いピンク色だ。ということは。
「思いっきり泳げるっ!」
「泳ぐ! なのです!」
ライラたちは、日時の指定がなかった渡し舟のチケットを使い、王都から少し離れた小島へ来ている。小さな島もインディーシア王都の一部ではあるのだが、定住する住民といえば宿の従業員くらいの島だ。
砂浜に並ぶログハウスのような宿は、個室というか戸建てになっていて、部屋ごとに建物が違う。
島に着いてすぐ、六人で泊まれる部屋を確保して、水着に着替えていた。
「昼食が先じゃなくて良かったの?」
声をかけたヨシュカに、ライラは笑顔を返す。
「今から捕ってくる!」
リュナと手を繋いで、海へ向かって走り出した。
海には、他にも水着で遊ぶ者や、依頼で来たらしい冒険者の姿もある。彼らの邪魔にならないよう飛び込み、砂浜から離れたところまで泳ぐ。
アクアに任せて、リュナの周囲の海水を操ってもらっていた。ライラは自分で結界や水魔法を使っている。
海水が淡いピンク色になっているとはいえ、濁りがないので、すぐに魚や貝が見つかった。海底にはサンゴを連想させる形の枝が生えていて、色とりどりに輝いていた。硬い品種は宝石としても使われる素材だ。
網を出して魚や貝を放り込み、折れていた枝も少し拾っておく。
捕り過ぎる必要はないと、海面へ顔を出した時、周囲の雰囲気が変わった。
『ライラ様っ!』
セイレーンが現れ、ライラに抱きつく。それをライラは無抵抗で受け止めた。
「ふう。海上だとこちらのほうが聞こえやすいですよね」
「どっちでも大丈夫だよ」
顔を上げた後は声を出して会話するセイレーン。
「今日は贈り物を届けにきました。だっていただいたお礼が……その、私たちはライラ様を運んだだけなのに、貰い過ぎですよ」
アキツキシマで助けてもらったお礼を、神獣に頼んで送ってもらっていたけれど、セイレーンにとっては貰い過ぎだと感じられたらしい。
「でも、ありがたくいただいちゃったので、贈り物のお返しです」
「ありがとう。でも、どうしてここにいるのがわかったの?」
「私たちは、海のどこにでもいて、どこにもいない。子どもたちと違って、もっと精霊に近いものですよ。海が感じていることを聞くことができるのです」
ライラの気配を聞いて、急いで会いに来た。
「アキツキシマでの一件は、助けるのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」
「ううん、気にしないで。助けてくれて、ありがとう。あの時は直接お礼言えなくてごめんね」
「ライラ様こそ気にしないでください」
竜の影がなければもっと早く、と言いそうになって、セイレーンは言葉を隠す。悲しんでいたことを知っているのに、今この場で音に出したくない。
「そうだ! 私の他にもう一人、そろそろ来るはず……」
いくら海を早く移動できるとは言っても、準備の時間は必要だ。もう一人のセイレーンは、食事中なのに慌てて呼び出されていた。
「あう! や、やめろ、なのですっ!」
急に焦りだしたリュナを見ると、海中から抱きつかれて持ち上げられている。
「おまたせしましたぁー。あぁーちっちゃい、かわいーい」
のんびりした声で嬉しそうにはしゃいでいるのは、もう一人のセイレーンだ。腰に大きな袋を下げているのに、全く沈む様子も見せず海面に座った。
「ライラ様には果物のお届けですぅー。海中で採れたぁー青い果実ですよぉー」
ライラは大きな袋を受け取り、うっかり手を離して沈まないよう、そのまま収納しておく。魚や貝の入った網は掴んだままなので、収納しないと両手が塞がってしまう。
「あとから来て私より先に渡すなんて……」
先に来ていたセイレーンは、少し悔しそうにしてから、そっと指輪を取り出した。
「ライラ様、私からはこの指輪を。涙の結晶が使われていて、水中でも呼吸ができるようになります。以前のようなことがあった時に……お役に立てれば嬉しいです。海の竜神様にお会いしたい時、神殿に入る許可証にもなっています」
「今度は私が貰い過ぎなんじゃ……」
「いえ、そんなことはありません。気になるなら、最初に海へ落としたお詫びだと思ってください」
それにしても貰い過ぎでは、と思ったけれど、断ろうとすると悲しむので受け取っておいた。気持ちのこもった贈り物自体は嬉しいので、貰い過ぎではないかという迷い以外に、断る理由はない。
「もし竜結晶との相性が悪かった場合は、どちらかだけを身に着けるようにしてくださいね」
「うん、わかった」
網をセイレーンに預け、貰った指輪を試しにはめると、竜結晶の指輪とは相性が悪いようだ。腕輪の竜結晶は、精霊石にもなっているおかげか、特に悪い感覚は起こらない。とりあえず竜結晶の指輪だけを収納して、海に顔をつけてみた。
「すごいっ、息できる!」
楽しくなったライラは、二度、三度と、顔をつけたり出したりして笑った。
「ふふっ、ライラ様に喜んでいただけて、嬉しいです」
セイレーンたちも、嬉しそうに微笑んでライラを見ていた。
それから砂浜の近くまで一緒に泳ぎ、途中で拾った貝は網に入れた。
短い時間でも一緒に泳げて満足したセイレーンたちは、砂浜で待っていたカイたちには手だけ振って帰っていった。
帰り際に歌が響いて、僅かに空気と海面を揺らす。
「耳を塞げ!」
カイが真剣な声で叫び、ヨシュカとサウラはすぐに反応した。
少し遅れただけでリュナもレンも慌てて耳を押さえる。
しかし、ライラだけは耳を塞ごうとしても手に力が入らず、立っているのがやっとの様子だった。
「最初から狙いはライラか……」
空気の揺れを感じなくなったため、ヨシュカは耳を塞ぐのをやめてライラに駆け寄る。
「おと……さま……」
ライラは自分で魔力が抑えられない異常を自覚して、心配するヨシュカが触れるのを拒んだ。思わず手を伸ばしてしまったが、ライラのほうから触れることもためらう。
震えるライラの手を見て、ヨシュカがいつもとの違いに気付く。
「……ライラ、九頭龍様から貰った指輪に交換できる? 治癒と再生の力が付与されていたはずだから、内側から癒やして……魔力異常を抑えやすくなるかもしれない」
できるだけ落ち着いて声をかけ、少しでも状況が改善するように考える。ライラの体調は、魔素の歪みに影響された時と似ていた。
指輪を外していたせいとは断言できないものの、今まで以上に体内が荒れている。
「収納を使うのが辛いかもしれないけど、お願い。無理なら、せめて海に関わるものを外して」
初めに体調を崩したのも海の上、次も海中での戦闘後、それから海竜のなわばりで、いつも関わっているのは海だった。
いや、いつも関わっていたのは、セイレーンだ。
歌声で直接干渉してきたのは初めてでも、海の魔素を歪みやすくしたのはセイレーンの力。さすがにアキツキシマの一件はセイレーンたちだけのせいではないけれど。
あちらこちらで、海竜のなわばりにちょっかいを出し、罠としてしかけておくだけでいい。強い魔力を放ち、歪ませるのは、魔物を討伐する者だから。
セイレーンに関わるものを外して。直接そうは言わないが、先程聞いた歌声の影響は減らせるだろう。
「ライラ、お願い」
ヨシュカの声が遠くなる。ライラの耳には音がうまく聞こえない。
体の中が、焼けるように熱く、凍りそうなほど冷たく、吹き飛びそうなほど軽く、足が沈むほど重く、感覚が定まらない。魔力を制御しようとしても、思い通りにならない力が荒れていた。
「指輪をとればいいのか?」
レンがライラの背後に立ち、ヨシュカへ問いかける。
「ライラの手首を掴んでおけ。早く」
返答を待たずに、レンはライラの背に軽く爪を立てた。
倒れそうになったライラの体を、ヨシュカが受け止める。触れることを迷う間もなく、肩を掴んで支えるしかなかった。身をよじって逃げようとするので、レンに言われた手首を掴み直す。
逃げようとしたところで動きは弱く、ほとんど抵抗もないが、離せば倒れてしまいそうだ。
ヨシュカが支えたことを確認して、レンが爪に力を入れた。
「ライラ、聞こえるか、翼を出せ」
痛みで意識をひきつけ、耳元ではっきり伝える。
「動かすのは辛いだろうけど、無理にでも翼を出せ、翼だ」
ライラはかけられる言葉の一部を拾い、口唇を噛んで、白い翼を外に出した。
吹き出した風と翼が、レンの体を叩く。
身構えていたレンは、後方に倒れただけで受け身をとり、再びライラの背後に立った。
「少しは楽になったか?」
「あ……うん」
「今のうちに指輪をとれ。念のため他のものはつけるな。交換させる罠かもしれない」
レンはセイレーンのことを知らない。知らないからこそ、ただ害されたと思っている。手を振って帰っていったのだから知人だろうとは思っても、こうして害されたのなら、知人だからこそ行動を先読みして罠をはることもできるのだ。
「翼を出して魔力が安定してきたなら、もう一つの力は個別に意識したほうがいい。循環させるにしろ、元の場所に押し込めるにしろ、楽になると思う方向に制御するんだ」
指輪だけでなく、全ての装飾品をアイテムボックスに放り込んでおき、意識して深呼吸するライラ。
「もう、一つ……」
なんとなく思い当たるものはあった。神獣と似た気配のする力だ。初めて神獣と会う前は、魔力の一部だと思っていた。種族が違うから魔力の性質も違うと、違和感も覚えずに。神獣と会ってからは、疑問に思う前に天族が神獣と近いと聞いて、勝手に納得していた。近いから、似ている部分があるのだと。他の天族と会っても、同じように混ざっていたので、やっぱり種族的なものだと思っただけだった。
体内で荒れていた力は、思っていたよりすんなり制御できて、おとなしくなる。魔力異常もなくなり、ほっと安堵の溜息を吐く。
「レンさん、ありがとうございます。お父様も、心配かけてごめんなさい」
「治って良かった。レンはどうして……」
「妖精種の中でもごく一部だけが持つ力に似たものを感じた。違う種族だとはわかっているけど……それでも、似ているなら、同じ対処法で治るかもしれないと思って」
うまくいって良かったと、胸をなでおろす。
「妖精種は、翅を隠している時に力の循環が悪くなると、体調を崩す。ライラの場合は隠しているわけじゃないけど、出した時に力を放出する先が増えることは変わらない気がした。名称の違いなだけで、オレの魔力は魔力と同じもの、あ……聖なる力の源? と魔力は同じものだと聞いていたから、神気も同じものかもしれない」
「っ……基本的には、どれも元は星命力……大気中や体内に存在する力を、この世界では魔力って呼んでるから、たぶん同じものってだけだけど。ああ、地球でも、霊感とか、神通力とか、超能力とか、まあいろんな名称が存在したくらいだからね。実際同じものもあれば、別のものもある……。この世界で神気って翻訳されるものなら、天族だから持っていてもおかしくない。ライラの場合は混血だから、力の扱い方が違ったのかもしれないね」
ヨシュカはごまかしてしまったが、封じきれない神気が漏れていたことは知っていた。天族が神気を持っていることも事実だけれど。
「その……気付けなくてごめんね」
「ううん。私もよくわからなかったから……でも、これで今度からは大丈夫だねっ。もう苦いお薬飲まなくて済むっ!」
「ライラが喜ぶのはそこなんだ……」
すっかり元通りになったライラは、昼食の準備にとりかかる。
網のまま放置してしまった魚や貝を持って、宿についている調理場へ向かった。