ダンジョン一泊
二人一組での追いかけっこを終えて、十六階層の洞窟のような空間に戻ってきた。遅くなった昼食後の軽い運動、と言って始めたはずが、かなり疲れている。
「本気の十四階層が、こんなに大変だったなんて……。レン、大丈夫?」
「なんだあれは、前に来た時は、なかった」
「ああ、たぶんだけど、時空の欠片……レンの中にあったあの光が、無効化してただけかな?」
地面に、ヨシュカとレンが腰を下ろす。サウラはカイと、ライラはリュナと組んでいた。
全員分の果実水を出した後、タスクがヨシュカにそっと声をかける。
「お疲れ様です。……ヨシュカさん、どうでした?」
「いろいろ確認できたのは良かったけど、精神的に疲れてる時にやることじゃないね……」
タスクとヨシュカは『追いかけっこ』と皆へ説明したけれど、内容は、十個の袋を奪い合うために追いかけ合い、時には逃げて、最後に一番多く袋を持っていた二人組が勝ちという、わりとこの顔ぶれで行うには激しい遊びになった。
サウラが疲れた顔で果実水を飲み、ヨシュカとタスクを見る。
「食後の軽い運動じゃなかったんですか……いえ、オレもうっかり本気で逃げましたけど」
「ちなみに、一人が追いかけて他全員で逃げる、捕まったら攻守交代で、最後に追いかける側だった一人が負け、っていうやり方も……」
「ライラさんから逃げられる気がしない……捕まえるのも難しいですね……」
弱気な声を絞り出すサウラは、ヨシュカの話を聞きながらうなだれた。
隣ではカイが、ぐったりしていても満足そうなリュナを抱えて、すでに三杯目となる果実水を一気飲みしている。
「楽し、修行、なる、なのです」
「リュナさんって、どんどん強くなっていませんか」
「おいちゃんもびっくりだわー。まあ、バテるのは早いけど」
アルテンで出会った時点で、山の中へ飛ばされてきたと話していたのに、疲れていても怪我をしている様子はなかった。運良く魔物に出会わなかったわけではなく、討伐して、他の冒険者へ街までの案内料代わりに譲ったほどだ。
「将来悪い男に狙われる心配はねえな」
「八歳相手に成人後の心配って早くないですか……」
「リュナが納得する獲物貢げるやつを想像できねえけど」
「……そっちは今から心配しておいたほうが良さそうですね」
魔国でも、魔獣人が女性を奪い合う時に、贈る獲物の大きさで競うことがあるらしいと聞く。どちらの男性が上か以前に、リュナ本人に勝てるのだろうか。
「逆に弱っちいの連れてきて、養うとか言い出したら、おいちゃん泣いちゃう」
「お父さん目線っ……」
「強えやつ、いい、なのですっ」
ぐったりしながらカイとサウラの話を聞いていたらしく、リュナが顔を上げて拳を握った。
「嬢ちゃんのせいで、大型ワイバーンとか要求したらどーすんの」
「え、私のせいって?」
着替えを終えたライラが振り返り、カイを見て首を傾げる。ゆったりしたシャツが肩からずり落ち、きょとんとしていた。
「あー、求婚で相手が貢ぐ獲物の話。リュナはもう陸の大型も任せられるし、嬢ちゃんがアレコレ食わせるから……」
「……珍しさとか、味が強いお肉で、がんばってもらう?」
「味が強いっていうのは」
「味付けの濃さじゃなくて、リュナがたまに言う『強い肉』って表現に当てはまりそうな……」
「基準がわかんねえなあ……」
「リュナさんの将来は、本人と求婚相手に任せるとして、今日の夕食をどうするか考えませんか?」
先の心配で頭を悩ませるカイとライラを、サウラが止める。心配だが、今考えても答えが出る気がしない。
「食事の前に、水浴びしたい気もしますけど……」
「試したいものがあるんです!」
タスクが笑顔で食いついた。浮かべる半透明の板を増やして、楽しそうにしている。
急に、嫌な予感がした。
「待っ――」
「あ、すみません」
止める間もなく、地面からモップみたいな何かが生えてきた。他にも、水や泡を飛ばしてくる板がある。
リュナを庇ったカイと、ライラは逃げられたが、サウラは間に合わなかった。
ヨシュカとレンも、突然だったせいで巻き込まれている。
洗車機に生身で放り込まれたような状態だ。
「あ、お湯にしたほうが良いですかー?」
もう水かお湯かといった問題ではない気がするが。
吐き出された三人は、水と泡まみれで地面に転がされる。
「まだ改良が必要ですね」
「タスク……顔はやめて、息できない。あと、服着たまま擦られても困る」
「洗濯機のイメージだと溺れるかなって思いまして」
「さっきのでも溺れてるようなものなんだけど……」
「ヨシュカさんもタスクさんも、真面目に改善点を考えないでください」
サウラは立ち上がって、ぐちゃぐちゃになった服を脱ごうとする。むせて言葉もないレンは、泡が目に入って泣きそうになっていた。
「大丈夫……?」
濡れた三人にライラが近寄り、魔法で洗浄し直した。残った水分も乾燥させる。
「ああ、助かりました……ありがとうございます」
落ち着いたところで、夕食の準備をする。準備といっても本格的に料理するわけではなく、取り出すだけだ。
用意してあったテントの近くに、タスクが椅子代わりの丸太を並べる。
「テーブルと椅子も出せるんですけど、やっぱり野宿といえばこれですよねー」
「それ、昼食の時も言ってなかった?」
「ダンジョンになっても冒険者気分が味わえるなんて」
「聞いてないね……」
嬉しそうなタスクに任せて、野外気分を味わうための焚き火を囲む。洞窟内は涼しく設定されているため、暑くはない。
「レンさん、苦手なものがあったら遠慮なく言ってくださーい」
「たぶん問題ない。昼食も美味かった」
「生タマネギも平気なんですねー」
「本来は食べない食材なのか?」
「いえ、そういうわけでは……。食材としては、私たちも普通に食べるものですから。体質に合わない犬猫……種族もいるので、心配だっただけです」
料理の他に、タスクがサボテン酒を出す。ライラは火酒や果実入りの米酒を置いた。
「冒険者がたまに、願掛けとかお供え? とか言って置いていくんですけど、神棚にカップ酒を置く感覚なんでしょうか」
「もしかして名物のお菓子も?」
「はい。まあ、複製してもダンジョン内に常設できないので、私の食生活が潤うだけなんですけど……。お礼に通り道の罠を減らしたり、果実を増やすくらいしか……」
「実際にご利益みたいなことに……」
ダンジョン事情を聞きながら、グラスに酒を注いで飲んでいく。
「やっぱりサボテン酒いいですね」
「プーシャトを出る前に買っておこうかな」
「……明日はギルドに行くのが先だからね」
サウラとライラが飲みすぎないか心配しつつ、ヨシュカも酒に逃げる。
「明日にならなければ良いのにとも思うけど」
「お父様っ、次はこっちの果実酒!」
「次!?」
「サボテン酒はサウラさんの胃に……」
「あ、もっと出せますよ」
「タスク待って、強い酒だから、水みたいに出さないで」
「カイさんなんて瓶から飲んでますから、大丈夫じゃないですかー?」
タスクに言われてカイを見れば、喉が焼けると言いながらも楽しそうに瓶を傾けていた。
「私もサボテン酒好きですよ」
「もしかしてタスクもお酒強い?」
「強い弱いの前に、ダンジョンってお酒に酔えるのか……あ、魔力酔いはしましたね。しないと思っていたのに……ってことは、お酒も大量に飲めば酔ったり……?」
「試さないほうが良いと思う」
「ですよね。すみません、楽しくなってつい。昔は飲み会とか苦手だったんですけど……。こうしてみなさんと飲めたのは嬉しいです」
にこにこ笑って、出さないでと言われたばかりのサボテン酒をいくつも出す。酔わないせいで、どれくらい強い酒なのか他との違いがわかっていない。味の違いならわかるけれど。
「水みたいに出さないでって……」
「すみません、喜ばれると出したくなるじゃないですか……」
「飲みきれなかったら、おいちゃんが持ち帰るから」
「……俺も飲む」
「あ、氷追加しますね。サウラくんとライラさんも……レンさん!?」
レンが座ったままぐったりしていることに気付いて、タスクは出したばかりの氷を落とした。
ライラとヨシュカがとっさに回復魔法を使ってしまっても、反応がない。
肩を叩こうとした瞬間、ぱっと顔を上げた。
「ああ、もう耐性がついたから、大丈夫だ」
「耐性って……毒じゃないんだから、あれ? 毒だったりする?」
「違う。毒じゃなくて、強すぎる薬の感覚と言えばいいのか……強い聖水に近い」
大丈夫だと安心させるために、レンはグラスを手にして一気に飲む。
「慣れたから、もう問題ない」
味も気に入ったので、自分から次を注いだ。
ぐったりしていたとは思えない早さで飲み進める。
「ライラの気に入ってる品もあれば、飲んでみたい」
「えっと、米酒の……柚子梅酒とか、白ワインとかっ」
問題ないならとことん飲もうと、ライラのペースも早くなった。
二時間後には、疲れと満腹感でリュナが寝落ちた。
タスクが、リュナを布団に運んで寝かせ、空き瓶を片付ける。
「盛り上がってますね……」
「タスク……水もらえる……?」
「ヨシュカさんも先に休みますか?」
「眠くはない、っていうか、娘を放置して寝れない」
酔ったライラがレンにくっついて離れず、カイが引き剥がそうと頑張っていた。頑張るといっても、力ずくで引っ張るわけにはいかない。強引に力を込めれば、ライラが無事でも服が無事じゃない。
「頼むから離れて、レンが気絶する前に、お願い。おい、サウラも手伝え」
「もふもふって良いですよね。ああ、自分がなりたいって意味で」
「サウラくんも、もふもふの良さに気付いてくれたのかと……」
「なんでもいいから手伝って!?」
ふらっと立ち上がったサウラが、ライラの横に座り直して、そのままくっついた。
「もう諦めてオレも混ざることにします」
「諦めないで!?」
「こうしていると、確かにもふもふも良いものかもしれません……」
「わかってくれましたか!」
「タスクもとめてくんねえかな!?」
「どちらかというと、私も混ざりたいのを我慢しているのですが」
もふもふだけど成人男性と自分に言い聞かせて、タスクは見ているだけにしている。
タスクの隣で、ヨシュカも諦め気味になりながら水を飲む。
「カイ、もう少し好きにさせておこう。レンも気を失ってないみたいだから……」
「オレは気絶しないといけないのか?」
「ううん、しないほうが良いけど……え? もしかして、酔ってるだけで、影響されてない……? ずっと無抵抗だからてっきり……」
「ん? 何の話だ?」
「うちの娘が迷惑かけてごめんねって」
ヨシュカが目を逸らすと、二人の間を抜け出したライラが、正面から抱きついた。
近くで見上げる瞳が、急に涙を浮かべる。
「おとーさま、ごめんなさい」
「……どうしたの?」
「私、めーわく、かけてる」
「ごめんね、俺の言い方が悪かった。気にしなくていいよ」
「くっつくの、おとーさまにも、めーわく?」
「そんなことない。俺は嬉しいから」
「よかった」
溜めていた涙を零して、目元を緩めて微笑む。
震えもなくなり、ためらいの残っていた腕から力が抜ける。
「いやじゃなくて、よかった。さみしかったの。娘だって、私にじゃなくて、おとーさまがじぶんに言ってるのも……」
うとうとして頬を寄せるライラを、ヨシュカが抱え直した。
「……嫌になることなんてないから。安心して。しかたなく言い聞かせてるわけじゃないよ。そういうところも鈍いと良かったんだけど……不安にさせてごめんね」
眠気に任せて、起こしてしまわないように運ぶ。
リュナの隣に寝かせて、そっと頭を撫でた。