青い石
ライラはレンの胸元に耳をあて、もう一つの声を聞こうとする。
『お、おい。二人って、どういうことだ?』
「レンさんの中から、別の声が聞こえたので……」
『心の声を聞ける能力か?』
「いえ、レンさんとは別の、うーん、精霊とも違うような……何か、違う意思を持った別の存在です。さっき気付いたんですけど……」
『心当たりがない』
レンが自分の中にいる誰かを庇ったり、隠しているといった雰囲気ではない。
この場で、言語以外も変換されて聞き取れるのはライラだけだ。
ヨシュカはこめかみを押さえて、静かに息を吐く。呼びかける前に、管理者から声をかけられた。
『ヨシュカ。もう彼に耳飾りを渡してかまいません。正式に一時保護が決まりました。それと……』
注文の多い上司に対して頷きを返し、笑顔を作った。
「話の途中で悪いんだけど、やっと許可が下りたから……レンにこの耳飾りを身に着けてほしい。ここにいる全員分の数はないから、レンがこっちの言語に対応してくれると助かる」
『お前も話せたのか?』
「……これが耳飾りに付与された力だよ。言語にしか対応していないけど……ああ、他の効果はないから、話せるようになるだけ」
レンはヨシュカから耳飾りを受け取り、左耳の付け根に装着した。長い体毛に隠れて見えなくなる。
「これでいいか?」
「……今の声、タスクとサウラも伝わってる? リュナちゃんは……いきなりでびっくりしてるみたいだから、わかったってことだよね」
反応を見て、耳飾りの効果が正常なことを確かめる。レンにも皆の声が理解できるようになった。
「許可が下りたうちに渡したかっただけだから、話を戻すけど……レンは元の世界に帰る気がある?」
「……帰りたいと言えば、帰す術があるのか?」
「どこの世界なのか特定できたら。……でも、元の時間に帰れるわけじゃない」
「未練はあるけど、元の世界に戻っても居場所がない。正直、どうしたらいいかわからない」
殺されてたまるものかと転移石に望みをかけた。僅かでも逃れられる可能性があるならと思った。けれど、追手がないと知り落ち着いた今になって、すでに奪われた同族たちのことを考えると、自分だけが生き残っていて良いのかという考えも出てくる。
「帰れとは言わないんだな」
「そうだね。特定できるとは限らないし……レンのいた世界がわかっても、強制送還は今のところ考えてないかな。レンのことは神殿で保護するから、そこでゆっくり考えても良い。神獣様に相談することもできる。場所は、この街じゃなくて……エクレールっていう別の国。レンがカーバンクルやフェンリルに近い――」
「待て、まさか害獣だと思われていたのか?」
「ええと、どう翻訳されてるかわからないけど、同じ名前でも別の種族だと思って。どっちも聖獣とか幻獣とか……これも伝わるのかな。とにかく、レンの体質的に……種族的に、エクレールの神獣様に保護してもらうことになる。衣食住の心配はないよ」
「そこまで世話になるわけには……」
「ただ世話するってわけじゃない。保護ではあるけど、今はまだ自由に行動してほしくないっていうのもある。この世界のことを知らないから、最初に襲ってきた時みたいな間違いがあったら困るんだ」
「ああ、そうだな……悪かった。一方的に世話になるより、監視目的だと言われたほうが、気が楽になる」
「知識の違いが原因だから、レンが誰かを無差別に襲うとは疑ってない。もし俺たちがレンの種族を悪しき者と教えられて育っていたら、先に攻撃したのはこちらだったかもしれない」
「……お前、ちょっとうさんくさいけど、優しいんだな」
「そんなことないよ」
ヨシュカは気まずさをごまかし、困ったように頬を掻いて笑い返した。
「ところで、ライラのほうは話し終わった?」
「声が小さくて……欠片がどうこうって……あ」
顔を上げたライラが、青い石の入った小瓶を取り出す。
「これのことかな?」
瓶の蓋を開けて取り出すと、レンの中から光が溢れて、石へ移った。
青い石がさらさらと崩れ、中に残されていた言葉をレンに伝える。
全てを伝え終えた光は、満足そうにして消えた。
「今のは……」
「……レンさんが使った転移石の、いえ、転移石を使った時に通る『通り道の一部』みたいです。本来は同じ世界の中だけで移動するはずの転移で、世界の外側へレンさんを運んだって言ってました」
「助けてくれたってことか……」
レンは拳を握って、心を決める。
「ありがとう。この先何があっても、必ず生きるよ」
光も青い石も消え、伝わる先がなくても、小さく声にして想いを返した。
「……どうして、ライラが持っていたんだ?」
「えっと……」
「青い石のことなら、俺が買ったからだよ。果実水の店で石を渡した覚えは?」
「ああ……。金の代わりになりそうなものが、宝石しかなかったから……ただの宝石だと思っていたから、渡してしまった。仲間の言葉が聞けたのは、持っていてくれたからだ、ありがとう」
「処分……いや、加工したり、何かする前に、そのまま残しておくって言ったのはライラだから。感謝するならライラに」
「ああ、本当にありがとう。心から感謝している」
苦しがらないよう気を遣いながら、レンがライラを抱きしめる腕に力をこめる。
「ねえ、そろそろ娘を離してくれないかな? ライラも、声を聞く必要がなくなったなら、離れて。レンに逃げる気はないみたいだし……」
「さっきまで辛そうだったから、心配で……」
「もふもふだけど成人男性ってこと忘れないで」
「ちが、も、もふもふだからじゃなくて……」
「本当に心配だったのもわかってる。……ただ、そのままだと何もできないから。離れて、食事の用意をしよう」
実際、誰かから腹の音が響いている。ヨシュカは眉尻を下げた笑みで溜息を吐いた。
「タスクにお願いなんだけど、今日はダンジョンに泊まっても大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ。個別に部屋を用意しますか?」
「そこまでは……ここでテントかな」
「楽しそうですね。私もこっちで一緒に寝ます」
「……そういえば、ダンジョンマスターも睡眠って必要なの?」
「眠れないことはないですよ」
洞窟のような空間を見渡して、半透明の板を出した。
「魔物は喚ばなければ入ってこないので……ちょっと飾り付け程度に木とか並べて……」
「魔力の無駄遣い」
「一緒に野宿とか、冒険者気分を味わえるチャンスなんです。許してください」
「許すもなにも、タスクの自由だから怒らないけど……」
「ヨシュカさんも欲しいものがあったら言ってくださいねー」
楽しそうにダンジョンを操作するタスクの前に、ライラから離れたレンが立って頭を下げる。
「貴方がホロの主か。二度も荒らして悪かった。言葉が伝わるようになった今、自分の言葉で謝罪したい」
「気にしないでください。まあでも、本当に焦りましたけど。このラグドール野郎って罵りたいくらいには怖かったです」
「どういう意味かわからない……」
「タスク、翻訳されても通じない罵声は……罵声なのかな、一応やめてあげて……」
「もふもふだから許しますけどね!」
「そういえばこっちにもいた……」
空気が重くならないよう気を遣っているのもわかるが、本心でもあるだろうなと思う。
「あ、一度目はどうしてここに来たんですか?」
「まだ逃げることしか考えていなかったから、匿ってもらおうと……。言葉の通じない異国だと思っていて、ホロの主なら言葉の壁がないと思っていた。街と共存するホロなら、善の主だと期待して……」
「まあ、言葉さえわかれば匿ったと思いますけど……。よく街に入れましたね」
「門番が何を言っているかはわからなかった。肩を叩かれ、慰められていることはなんとなく……」
「それって……砂漠で身分証とかまで全部失った冒険者と間違われたんじゃ……」
ぼろぼろで血のついたマント、傷付いた防具、武器は手放していないものの荷物はない。砂漠を何事もなく通ってきた後には見えなかった。
「ま、まあ、砂漠で干からびなくて良かったです。でも、街で騒ぎを起こしたのって、大丈夫なんでしょうか……」
「だからここに泊めてってお願いしたんだ。俺たち以外に被害がなければ、冒険者同士の問題だと勘違いされて、ギルドに情報が集まると思う。暴れたって話だけじゃなく、他に被害がなかったってところまで、ギルド側で確認してもらった後で謝りに行ったほうが、落ち着いて話せるかなって」
「ヨシュカさん……自分で説明するのが面倒だったんですか?」
「違うよ、今日はもう疲れたから、お説教されるなら明日がいい……あ」
「あの……明日までと言わず何日遊んでいってもかまいませんよ」
タスクが良い笑顔で、新しい罠を半透明の板に映す。新しいと言っても、基本的にはタライが多い。
「また別の機会に遊びに来るよ。こっちの王都ギルドで依頼も受けてるし……レンを送って……ああ、そっちは別の誰かに頼めるかもしれないけど。そうだ、レン、今のうちにサウラにもちゃんと謝っておいてね」
よりにもよって特殊な瞳を持つサウラ相手に、洗脳を疑ったのだ。サウラ本人がどう思っているかは別として、心配していた。
「それは……本当に悪かったと思っている。自分も害獣扱いされて良い気はしなかった」
「だから害獣じゃないって……実際に見れば違う種族ってわかるかもしれないけど、もし外見まで似てても害獣扱いしないでね……」
少し不安になりながら、ヨシュカが溜息を吐く。
「もう勝手な判断で剣を抜いたりしない」
レンはサウラに歩み寄り、改めて謝罪した。