インディーシア
青く澄んだ海では、たくさんの海人族が泳いで働いていた。港なので船の行き来もあるが、難なく避けて移動している。今まで行った港のある町でも、同じように海で働く者はいたけれど、ここインディーシア王都では特に多い。
海に面した市場へ入ると、海中から戻ったばかりの海人族が、水浸しのまま店で商品を追加していたりする。当人たちの気質も、商売の規制も、大雑把なようだ。
市場は、わかりやすく新鮮な海の幸はもちろん、多くの派手な果実も売られていた。
昼食の時間をとっくに過ぎているおかげで、どこの店も少し落ち着いた頃合いだった。神殿に行くという目的があるけれど、途中で見かけた店には寄ってみる。
「お父様たちに一つ聞いてもいい?」
「……何かな」
「どうして、派手な……ううん、えっと……アロハシャツ? なの?」
「入口で渡されて、断れなかったからだよ」
正しくアロハシャツかどうかもわからない、派手な色と柄のシャツを着せられている三人。あと、リュナはシャツではなく、何か派手な布を巻かれていた。
ライラが果実を買っている間に、服の上から着ただけだ。
「ライラの分も買ってあるけど」
「いつの間に……」
「嫌なら着なくてもいいから」
「着るっ」
「……興味あったんじゃないか」
笑うヨシュカから布を受け取り、ライラは楽しそうに着替え始める。ライラの場合、服の上に巻いてから、内側の服だけ収納できたので、巻いただけではなく着替えだった。外ではあるけれど、脱ぐ必要がなかったせいで、壁際に寄るだけで済む。
「できたっ」
「首の結び目、曲がってるよ」
「えっ、あれ? 直して……」
体に巻いて、首の後ろで結んだだけの布は、ワンピースっぽく見える。
しっかりと結び直してもらって、満足そうに笑ったライラは、リュナの手を引いて次の店へ足を向けた。
「マンゴー美味しそう」
「たぴおかほしい、なのです」
「何味がいい?」
飲み物専門の屋台を前に、どれにしようか迷ってしまう。きついピンク色の皮で水色のトゲが生えた果実に、マンゴーと名がついていることには首を傾げるが。美味しそうなので問題ない。タピオカだって作られたものではなく、密集して実る小粒の果実だった。
「マンゴースムージーを一つ。あと、タピオカ入りアイスチャイ、甘めで」
「待って、甘めにしなくて大丈夫だよ」
ヨシュカが慌てて注文を止め、甘めにしないよう訂正する。
「あと、俺たちもマンゴースムージーにするから、三つ追加で」
注文を受けた屋台の女性が、魔導具を使って目の前で作り始めた。
「ねえ、お父様。甘めにしなくていいって、どうして?」
「元からかなり甘いんだ。試しに飲んでみて決めたほうがいい」
「甘いならいい、なのですっ」
先に受け取ったリュナは、嬉しそうに尻尾を揺らして一口飲む。感想も出なかったが、目がきらきらしたので、好みだったようだ。
ライラたちも完成したスムージーを受け取って、飲みながら歩く。
「冷たくって美味しい」
ただ、甘酸っぱいと感じる時点で、味もマンゴーではなかった。全く違うというより、似ている味もするけれど別の果実も混ざっている味だ。マンゴーとオレンジ、リンゴあたりをまとめて味わえるといったところか。
からっとした暑さとはいえ、暑いものは暑い。喉を通る冷たさが心地良かった。
神殿に到着してすぐ、ライラたちは神獣と対面していた。
「現インディーシア担当、神獣シェティーニャです。お気軽に『シェティ』と呼んでください、ライラ様。無事に竜結晶を届けてくださって、ありがとうございます」
前足が四本、後ろ足が二本の、大きな獣だ。ふわっふわの体毛が生えている。全体は白いが、たてがみは一部炎のように赤く染められていた。
頭上には飾り羽がぴょこぴょこ動いていて、気になる。
大きさの違う二対の瞳は、小さいほうだけ開き、ライラを見つめていた。
「神殿内に部屋を用意しましたので、滞在中は自由に使ってください」
シェティーニャは女性の姿へ変化して、ゆっくりとライラに歩み寄る。
「今夜は、食事や湯浴みなど、ご一緒させてい――」
「待ってください」
「男神が何しれっと……いや女神でも心配だけど」
ライラが返事をするよりも早く、シェティーニャが言いきるよりも先に、ヨシュカとカイが止めに入った。
「男神でも女神でもありますから、問題ありません」
「どっちにしろ心配だって」
神獣の器は女性に近いが、神としてのシェティーニャは、世界によって認識が全く違うという。
「器が女性なので、今は女神です」
「あの、私は気にしませんけど……。特に人化してない時は、性別関係ないです」
「すぐ戻ります、人化やめるのでぜひ二人であれやこれや、ああ、その前にとりあえず思う存分モフっていただいて」
「ちょ、取り繕うのやめないでくれる!?」
「カイ様、邪魔しないでください」
せっかくの美貌を自ら捨てるほど、崩れた笑顔を浮かべて転がるシェティーニャ。ライラの側で獣に戻り、ためらいなく腹を見せる。
「はっ、背中のほうが良かったでしょうか」
「いえ……撫でてもいいんですか?」
「それはもう思いっきりどうぞ。ライラ様の好きなだけ。撫でるというか乗っても何しても!」
「お言葉に甘えて」
ライラは全身で、柔らかい毛並みに飛び込んだ。やっぱりだめなどと言われる前に、もふもふしておく。シェティーニャにはだめと言うつもりが欠片もないけれど。
「こ、ここが天国っ」
「いえ、神界でもありませんが、ああ、もう何でもかまわないです」
全身が極上の柔らかさに包まれ、ほんのり温かい。神殿内は涼しくなっていたため、温かさが気持ち良かった。
「もふ、もふー」
「腕も触りますか?」
「ぎゅっとしてください」
「喜んで!」
体の大きさがかなり違うので、前足のうち二本で、優しく抱きしめる。
「幸せです」
「私もですっ」
今までで一番と言っても良い毛並みを楽しみ、包まれたまま寝返りを打ってみたりした。
ライラが遊んでいる間に、リュナはカイと夜ご飯が何か予想を始める。ヨシュカとサウラも、終わるまで待つしかないと諦めた。
「オレもモフモフになりたい」
「それ、他のことで困るようになるんじゃ……」
「神獣じゃなかったら剥ぎ取ってコートにでも」
「ああ、服ね……」
転がる毛玉を見ていると、満足したらしいライラが出てくる。
床に着地した直後、体に巻いていた布がはらりと落ちた。
「あ、緩んでたみたい」
「ライラ様はどこもモフモフしてないですね」
「そうなんです。翼ならありますけど」
ふわりと白い翼が広がり、同時に甘い香りも広がった。爽やかな花のような、惹きつける香り。
甘くて、懐かしくて、優しくて、心が解けて。
体が溶かされる錯覚に陥る。
真っ先に動いたのはカイだった。
「ライ――っ嬢ちゃん! 服着て、服!」
気絶したリュナを抱え上げながら、ライラを急かす。
「リュナは寝ただけ、心配すんな」
心配して近寄ろうとするライラを止めて、露骨にごまかしてとにかく服を着させる。
呼吸を忘れていたヨシュカとサウラも動き出した。
「酔ってないのにね……」
シェティーニャが土下座しているのは、見なかったことにした。
落ち着いた後、食事の準備ができたからと案内された部屋で、夕食をとる。
「わざわざ着替えたの?」
「うん。夜宴の正装だって、シェティ様が持ってきてくれたの。踊り子みたいでかわいいよね」
「俺は断ったよ。正装しなくて良いって言われたし、装飾品が多くて大変だから」
ライラが着ている正装も装飾品が多い。色は派手なものを避け、淡い青色と緑色の組み合わせで、刺繍は白い糸が使われている。宝石を散りばめた銀細工の装飾品が、薄い布に擦れて涼しげな音を立てていた。
ヨシュカは青い服だけ借りていたけれど、正装はしていない。カイも、髪を整えて一つにまとめるくらいはしていたが、同じように服だけで装飾品は避けた。
断りきれなかったサウラは、しっかり着せ替えられている。
リュナは子供用の衣装だけ着せられ、尻尾のところに穴をあけてもらっていた。綺麗な装飾品に憧れるよりも、目の前の料理しか見えていないようだ。
最後に現れたシェティーニャは人化していて、赤色と黄色の髪に合わせた、豪華な衣装を身に着けている。
「全てに感謝を。サテリオール」
乾杯すると、音楽と踊りが始まった。
並ぶ料理に手を伸ばし、興味を惹かれるものから口に運ぶ。
香草漬けの肉は焼き加減も絶妙で、鼻に抜ける香ばしい匂いが次への食欲を刺激した。真っ赤な葉野菜に包んで食べても美味しい。
何色も混ざった豆の煮物は、疲労回復に効果があるという。
細長い黄色の茎や、緑色のもやしに似た野菜などを、まとめて炒めた料理は、魔力回復に効果があった。
「紫のマッシュポテトも美味しい」
「ライラ様、それは大粒の豆から作っているのですよ。海底で採れる豆です」
酒を注ぎ足しながら、食材のことを教えてくれる。
野菜は畑に限らず、豆以外にも海底で採れるものがあるのだ。
紫の大きな豆だったり、キャベツのようにシャキシャキした葉野菜だったりと、ライラが覚えていた海藻とは違う。
「果実もあります。カテラクといって……ああ、果実酒ならご用意できますが、飲んでみますか?」
「はい。気になります」
嬉しくなってついそわそわしてしまった。酒というだけで好きなのだから、嬉しくないわけがない。
期待している間に運ばれてきて、今日のうちに飲むことができた。