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花火と雨と

 花火が上がる時間の少し前から、ライラたちは無人島へ来ていた。町から見えるくらい近い、小さな島だ。海上で打ち上げられる花火を、町と反対側から見ることができる。

 小さな島には神社があり、神獣の許可を得て島に入っている。混雑していない特等席のようなものだ。ヨシュカは「こんな時くらい使えるものは使わないと」と黒い笑顔をしていて、カイも止めなかった。

 今は町側の浜辺で、バーベキューを用意しながら、花火が上がる時間を待っていた。

 浴衣のまま浜辺を歩くのは慣れないが、まだ着替えるのがもったいないと名残惜しそうにするライラを見て、女性陣全員が着替えに反対した。動きやすい甚平を選んだ男性陣四人が、バーベキューを焼く係になっている。


「アド、そっち焦げてる」

「ごめんっす」

「一度に焼き過ぎじゃねえかあ?」


 ノルベルトはじっくり野菜を焼き、アドラーとベルンハルトが肉や魚を焼いていた。ベルホルトは、ライラが出した材料を使い、教えてもらったやり方で焼きそばを作っている。網だけでなく鉄板まで用意されていた準備の良さには驚いたが、美味しいものが食べられるなら文句などない。


「塩焼きそばより、匂いがいいな」

「黒ソース自体には慣れがあるだろうからね」


 ベルホルトの横から、ヨシュカも鉄板を覗き込んで香りを確かめる。懐かしさもあって食欲を誘う香りに、ライラもつられて近寄ってきた。


「いい匂い……」


 つまみ食いしそうになるのを堪えて、焼き上がったものからテーブルへ運ぶ。


「ん? 嬢ちゃん、それ何?」

「切ったキャベツが余ったから、トマトとごま油であえて、塩コショウしただけ……さっぱりしたものも、あったほうがいいかなって」

「良かったなリュナ、野菜もあって。しっかり食えよー」

「肉がいい、なのです……」


 カイは先にリュナの取り皿へ野菜を乗せつつ、酒を近くに並べて確保した。香りの強い麦酒の他に、町で買ったばかりの梅酒や柚子酒もある。シンプルな米酒で気に入る品がなかったことは残念だが、アキツキシマでもエルフ米の栽培が始まるという情報を得たので、今後に期待だ。

 運び終えて、全員が席についたところで、海上から小さく爆発音が聞こえる。花火の前に上がる、音だけの合図だった。


「いいタイミングだったね。そろそろ花火が始まるよ」

「じゃあこっちも始めっか。グラクオーレ!」

「グラクオーレ! って、おい、肉ばっか独占しようとするな」

「早いもの勝ち? なのです!」

「足りなかったらまた焼くっす!」


 ちゃんと花火を見る気があるのか不安になるほど、飲み食いを始めた直後から騒がしい。


「ライラの作ったサラダ、美味しいわね」

「混ぜただけで、簡単に作れるよ」

「ごま油? って、アキツキシマで買ったの?」

「うん。お肉屋さんにあったやつ」

「来る前に寄ったお店ね。屋台と違って空いてたから、もっとゆっくり見ておけば良かったわ」


 バーベキューの準備で買い物した時のことを思い出し、ソフィアはルクヴェルへ戻る前にもう一度寄る時間があるか考える。


「そういえば、ソフィアたちはいつまで滞在する予定だったの?」

「予定では今夜まで、明日の朝には出発だったんだけど……」

「けど?」

「港が混むから、一週間くらいまでなら自由に滞在していいって、こっちに来てから言われたのよね」


 フェリーツィタスも祭りの混雑を思い出しながら、溜息を吐く。夏祭りが賑やかなのは楽しいけれど、帰りの港が同じくらい混雑していると思うと、憂鬱になった。


「……今から帰りの心配するのはやめましょ。思いっきり楽しまなくちゃ」


 浴衣に合わせた巾着へ収納鞄を仕込んでいたらしく、自前の火酒を取り出して本格的に飲み始めた。


「ねえ、サウラ。ちょっと氷出してくれる?」

「あ、ついでに、暑いから冷風も」

「……フェリさんとソフィアさんは、オレを何だと思ってるんですか」


 サウラは肩を落としながら、氷を出して、冷たい風を僅かに起こす。わざとらしく呆れた顔を見せたって、効果はない。


「快適、快適っと」

「この扇子っていうの、可愛いし便利だけど……食べる間は使えないものね」


 帯に差した扇子を一旦抜いて、すぐに戻した。小物として気に入ってはいるけれど、両手は酒と串を持つのに忙しいのだ。

 そうこうしている間に、本番の花火が打ち上がった。

 豪快な音を聞いて、驚いたリュナが耳と尻尾を硬直させる。二度、三度と、続くうちにすぐ警戒を解き、目をキラキラさせて尻尾を振った。

 赤や青、緑、色とりどりの花が空に咲き、見る者たちの目を楽しませる。

 発光の後、空で色を変化させる花火もあった。

 一瞬で大きく弾けて広がり、ゆるやかに海へ落ちていく光。鮮やかで、激しくて、なのに儚い。

 暫くの間、食べることも忘れて、夜空を彩る花火に見惚れていた。







 終盤にさしかかり、同時に何色も詰め込んだ大きな光の粒たちが空を埋める。輝きは海にも映って、黒いキャンバスに一瞬だけ鮮やかな色を添えた。

 眉を下げたヨシュカが、ライラの横に立って頭を撫でる。


「……良かったね」

「うん」


 前世では、近所の祭りに行くことも遠慮していた。ライラにとって、花火大会はテレビで見るものだった。行きたいけれど、周りの人が楽しめなくなっちゃうのは悲しいから、部屋で見られるだけで満足しているから、そう笑って、泣いていた。花火が始まれば、白い髪も、車椅子も、誰も気にしないでくれるよ、そう伝えても首を横に振るだけで。もっと幼い頃には、一度だけ夏祭りへ連れ出したことがあったけれど。周囲の視線を感じ取って、帰ると言って泣き出してしまった。悲しむだけで、辛さを誰のせいにもしなかった。連れて行ったことを、悲しませたことを、後悔した。それから、行きたいというわがままも言わなくなってしまった。


「一緒に見れて、本当に良かった」


 画面越しではない輝きを、誰に遠慮することもなく。


「ライラ……その、言いにくくて、言ってなかったんだけど……花火が終わったら、すぐに、避難しないといけないから、動けるようにしておいて」

「えっ?」


 できることなら、花火を見た後も、ゆっくり過ごしたかった。

 しかし、余韻に浸る時間はない。

 親子のやりとりを邪魔しないよう、おとなしく聞いていただけの、他の皆も表情を強張らせた。


「おい……避難って……」

「花火の発色には、魔鉱石も使われていてね」

「んっ?」

「終わる頃には、特殊な雨が降るんだ。ああ、ほら、今は空を見ないともったいないよ」

「いや、え、気になってそれどころじゃねえけど?」


 ベルホルト兄弟が、そっくりな顔に同じような眉間のシワを作る。

 最後を飾る、盛大な花火を、複雑な表情で見上げた。


「町に戻るのは間に合わないだろうから、カイで雨宿りでもする?」

「竜に戻るのはかまわねえけど……っつーか、勝手に戻りそうだしなあ」


 ヨシュカもカイも困った顔をして、ライラと目が合わせられない。


「雨は三十分くらいで止むはずだから、その後なら町に戻れるよ」


 手っ取り早く収納魔法に詰め込んで、テーブルやバーベキューセットを乗っている物ごと片付ける。洗うなど、本格的な片付けは、後回しだ。


「先に言えなくて、ごめんね……。いざとなったら、こっちの神社に宿泊する許可もとってあるから……」


 申し訳なさそうに頬を掻くヨシュカ。

 詳しい話を聞く前に、空で唸り声のような不穏な音が鳴り始める。


「続きは移動しながら。とりあえず急ごう」


 皆で島の神社を目指そうとした。

 直後、浜辺が揺れて、海からも嫌な音が響く。


「っ――こんな時に」

「何、あれ……」

「クラーケン、って、知ってる?」

「知ってるけど知りたくなかったわよ!」


 冷静さを忘れて、ソフィアが叫んだ。


「このままじゃ、花火を打ち上げてた船が危ないわ」

「さっさと雨について教えて。浴びても問題ないなら、丸焼きにしてくるから」


 フェリーツィタスは浴衣の裾をはだけさせ、いつでも動けるよう身構える。

 慌ててヨシュカが止めた。


「特殊な雨っていうのは、魔力を溶かすんだ。相手にするのはまずい」

「浴びるのも危険ってこと?」

「いや、体内魔力は大丈夫。魔法を使っても、雨に触れるとすぐに消える、魔素が濃い雨に溶かされる、って説明でいいかな。獣化もできない、だからカイも……浴びると人化できない」


 避難すれば問題ないと思っていた。油断していた。


「飛ぶのも……翼だけで飛べるなら大丈夫だけど、魔力を使って飛ぶことはできない。近接だけで、クラーケンの対処なんて……おすすめできないかな」


 戸惑っている間に雨が降り始め、あっという間に体を濡らす。青い大粒の豪雨は、暑さの中でも心地良いとは言えない。


「雨が止むのを待つしか……ああ、カイが泳いで行ってくるのは?」

「冗談言ってる場合かよ。今は逃げるか……」


 竜に戻りつつある体で、皆から距離をとろうとする。


「わりと本気なんだけどね。それくらいしか――っ、行かないで!」


 まだ行く気にもなっていないカイが、引き止められたことに首を傾げ、視線の先を見て青褪めた。

 ソフィアとフェリーツィタスも、悲鳴すら上げられなかった。

 海に飛び込んだライラを、誰も止められなかったのだ。

 クラーケンの本体は離れているのに、足の先が海から飛び出し、砂浜を叩いていく。焦って追いかけようにも、考えなしに飛び込める状況ではない。


「少なくとも、こっちに気を引いてるうちは、逃げられる、か……?」


 どこから来るかわからない足を避けながら、拾った石で殴りつける。


「魔力強化は内側ならいけるっす」

「ヨシュカさん! 武器出して!」


 アドラーは珍しく真剣な顔だったが、口調はなるべく軽く、落ち込まないようにしていた。並ぶノルベルトも一緒だ。

 ソフィアが引きつる頬を叩いて、避けることに集中する。ライラなら、笑って戻ってこられると信じて。


「あたしの荷物はライラに預けてた……魔法使えないなら、石でもいいわ」

「作り帯に入ってる針金、刺さりそうよ?」

「壊しても怒られない?」


 着崩れた時点で、なるようにしかならないと判断した。口では怒られることを心配しているが、ソフィアもフェリーツィタスも、ためらいなく針金を引き抜いて伸ばす。

 他のエルフたちは、協力して精霊魔法を使った。魔法の効果はすぐに消えてしまうが、風で一瞬だけ雨を遮り、海水で砂を巻き上げる。足を弾く直後に消えてしまっても、防ぐくらいならできた。

 足に気を取られている間に、シーサーペントが近付いてくる。

 暗い波でわかりにくかったが、水柱が上がって接近に気付いた。


「次から次へと……」


 舌打ちしたベルホルト兄弟は、足の一部を拳で裂いて弾き飛ばしながら、シーサーペントを睨む。

 なぜかシーサーペントも焦っているような、落ち着きがない様子で唸り声を上げている。

 グライフが足を防いで盾になり、その後ろでサウラが弓を構えた。

 連続で放たれた矢が、シーサーペントの目や首に刺さっていく。


「付与しても、届くまでに消されるとか……」


 不満を漏らすけれど、射る手は止めない。


「討伐は無理でも、せめて追い払えれば」

「何か、町に向かう理由でもあるのか……」

「理由? ……クラーケンより危険な何かから逃げてる、とかだったら、どうにもなりませんよ」

「クラーケンがいるにも関わらず現れたくらいだから、可能性は――」

「ああ、クラーケンも逃げ出すような『何か』……いたみたいですね……」


 放った矢の先で、暗い海が一つの塊になって動いた。

 グライフはとっさに、剣を砂浜に差して魔力を放った。魔法は消されてしまうが、魔素や魔力自体は濃くなっている地形そのものを動かすならどうか、と。

 結晶内の魔力全てを使った、賭けだった。

 分厚く盛り上がった壁が津波をくい止め、崩れていく。


「……その剣、ライラさんに預けてなくて良かったですね」

「ああ……」


 壁はすぐに崩れてしまったけれど、一度止められただけでも助かった。

 もう一度波が来る前にと身構え直したところで、海中に数えきれないほどの光が走った。







 ライラが海中に飛び込んだすぐ後、周囲の海水をアクアが押し広げて空間を作った。結界も張って、二重に、海水そのものも含めれば三重に雨を防ぐ。雨の直撃は受けなくなったが、じわじわ結界が溶かされ、修復し続けなければ消えてしまいそうだ。これ以上海水に雨が混ざれば、防御にならないどころか危険が増す。

 防いでいられるうちに討伐したいと、クラーケンの気配を探った。

 光も広がらない暗い海中で、気配を頼りに移動する。

 すごい早さでクラーケンの足が横を通り、水流に巻き込まれた。

 体勢を立て直して剣を抜こうとした時、他の気配に気付く。シーサーペントもいることに驚いたが、それだけではない。もっと大きな『何か』が向かってきていた。


『アクア、私の中から離れないで。隠れて、出てきちゃだめだからね』


 剣は抜かずに、杖を取り出して構える。

 真っ直ぐ、大きな気配が近付いてくる方向を見て、魔力を込めた。

 暗くて黒い、悲しげな瞳に光を失った、竜だったものが襲いかかってくる。

 ライラは杖に噛みつかせて、竜の姿をした『何か』を全身で受け止めた。


『もう、大丈夫。今……終わらせるから……』


 行き場のない涙を海に落としながら、誰の耳にも聞こえない咆哮を、ライラだけが聞いている。

 全てが溶かされる前に、浄化できるよう。全力で浄化の光を放った。

 射抜くような直線が無数に広がり、少しずつ溶けてゆらめく。包み込む炎にも見える光は、温かく、静かに『何か』の存在を焼き尽くした。

 消えていく竜の咆哮に混ざって、感謝の言葉が残される。


『私は……何も……お礼を言ってもらえるような……』


 心が苦しくて、痛い。

 竜だったものにとっては救いでも、本当に救えたのかわからなくなる。

 ただ消すことしかできなかった。


『あぶないの!』


 アクアの声にはっとして身構えるが、叩きつけられた足の勢いを止めきれない。

 勢いのまま、クラーケンの足に杖が刺さった。ライラは力を振り絞り、体内に向けて雷を流す。

 動きが止まったところで杖をしまい、剣を抜いて頭らしき部分を狙った。

 悲しむ暇も与えられず、残った力でクラーケンを倒した。

 解体は諦めて、触れたところからクラーケンを収納する。


『そうだ、早く、戻らないと……』

『はやくなの』


 焦るアクアの声を聞きながら、ライラは意識を失ってしまった。もう魔力が残っていない。


『はやく、たすけてなの』


 アクアが急かしていたのは、海に暮らすセイレーンたちだった。


『遅くなってごめんなさい』

『私たちが、ライラ様を運ぶわ』


 セイレーンたちは、以前ライラの記憶を戻そうとしたことを反省していた。このまま連れ去るようなことはしない。本音を言えば連れ帰ってしまいたいけれど、攫うために来たわけではなかった。アクアを含む精霊たちの呼び声を聞き、雨に襲われるアキツキシマからクラーケンを引き離すために来たのだ。島に近付けば魔法が使えなくなるが、ただ泳ぐことはできる。

 シーサーペントを追い払い、島の浜辺までライラを送り届けて、海底へ帰っていった。




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