出発前日、出発後の寄り道
朝から続く雨を窓越しに眺めながら、ライラはカイやサウラと一緒に、宿の部屋でサンドイッチや串焼きを食べていた。炭酸を使った果実水も出してある。
カイやサウラはゆるいシャツとズボン、ライラにいたってはノースリーブのワンピースだけ、装飾品も外してあった。明日に備えゆっくり休むつもりで、ラフな格好のまま寛ぐ。
「明日の出発までには、晴れるといいな……」
「雨だったら、行くなってことじゃねえ?」
「ああ、天候も予兆の一種、みたいな話ですか?」
「延期したほうがいいってこと? うーん、まだ時間はあるけど……リュナは雨でも行きたがると思う。ずっと楽しみにしてたし、予定決めてからずっと尻尾揺らしてるでしょ?」
「だねえ……飛ぶのおいちゃんなんだけどなあ……」
ライラたちは、エルフの双子と遊ぶと言って出かけたリュナの姿を思い浮かべた。食事も、双子と一緒に食べるからと、ライラたちと一緒に食べずに出ていったのだ。
リュナは出発前に双子と会いたいとは言ったが、離れるのが名残惜しいわけではない。行くこと自体はものすごく楽しみにしていて、はりきって準備していた。
準備と言っても、ほとんどの荷物はライラが収納していて、リュナは自分の夏服や装備を確認するくらいだったけれど。
「お、ヨシュカがそろそろ着くって」
「私に連絡くれてもいいのに……」
「スネるなよ。嬢ちゃんは念話石も収納しちまってるだろ」
「あっ……」
「疑問だったんですけど、カイさんはどうやって連絡をとりあっているんですか?」
「嬢ちゃんが九頭龍のじーさんたちと連絡とれるのと同じようなもんだ。あいつらだって外部に念話石ぶら下げておけるような図体してねえだろ。男同士の秘密も共有し放題ってわけ」
適当に答えたカイが立ち上がると、部屋の扉を叩く音がした。
カイは誰かを問うこともなく扉を開け、ヨシュカを迎え入れる。
「外まで迎えに来てくれても良かったのに」
「雨だから、つい」
「部屋の外……せめて宿の入口まで出てくるだけでも、ってことだよ」
「受付には伝えてあっただろ?」
「ああ。……四人部屋って聞いたけど、リュナちゃんが誰かと一緒にベッド使うのか?」
「おいちゃんがグライフと部屋代わってもらうから、リュナ連れてく、っつーかついてくる」
「相変わらず懐かれてるね」
ヨシュカも軽装になって、椅子に座った。
ライラがヨシュカの分も果実水を出す。
「お父様も何か食べる?」
「同じものをもらおうかな。ああ、そうだ。今日の飲み会は俺も参加していいの?」
「うん。間に合ったら紹介するって、伝えてあるから」
「場所は?」
「下の食堂で集まることになってるの。部屋だと、ちょっと、明日が心配で……」
目が泳いだライラを見て、サウラは苦笑いした。
「他人の目があったほうが、まだマシですよね」
同じく苦笑いになったカイも、フェリーツィタスとソフィアを思い浮かべて、溜息を吐く。
「ヨシュカがいても、遠慮するかわかんねえしな……」
海を渡る前に、部屋で意識が沈みかねない。
無事に部屋へ戻れることを祈っておいた。
夕方になり、グライフたちの部屋に声をかけて、食堂へ下りる。
席を確保してすぐに、フェリーツィタスとソフィアがリュナを連れて入ってきた。
初めに麦酒九つと、果実水一つを注文する。料理はお任せにしておいた。
「ライラのお父様ってだけあって、整ってるわね」
「でも、もっと小柄だと思ってたわ」
「意外と怖い人来たらどうしようか、っていうのも考えたけど」
「ソフィア、フェリ、それくらいにして……」
ライラが戸惑っている間に、テーブルへ麦酒と果実水が並ぶ。
「まずは飲もうか」
「出会いを祝して?」
「んー、無事に帰ってくることを祈って?」
「とりあえず、グラクオーレ!」
ジョッキを高く上げてから、飲み始める。今日は一気に飲んだりしない。
「改めて、俺がヨシュカ。いつもライラが世話になって……って、ええと」
ヨシュカは挨拶しようとして言葉に迷い、隣の席へ視線を向ける。
「君がグライフだよね、特にライラがお世話になって……」
「いえ……」
「こんなに自然に椅子にしてるなんて思わなくて、本当にごめんね……」
グライフはヨシュカの右隣で、ライラを抱えて座っている。一番付き合いの短いサウラも慣れてしまい、誰も止めなかった。
カイもリュナを抱えて座っているので、八人がけのテーブルで足りていた。
「あたしもライラの隣がいい、っていうか、あたしがライラを抱えたい」
「私もよ。ねえ、ライラとヨシュカさんが並ぶのはわかるけど、せめてサウラは私たちに席を譲りなさいよ」
「嫌です。明日ライラさんが立てなくなったらどうするんですか」
「そ、そこまでのこと、親の前でしないわよ」
「したいけど」
「本音を隠すこともしてください……」
夏野菜サラダとローストディアが運ばれ、言い合いが中断される。
サウラは手際良く、ライラとヨシュカの皿に料理を取り分けた。
「あ、もうグライフさんはライラさんと同じ皿でいいですよね。持ち替える手間もいらないし」
フォークだけ二本にしておき、サウラは自分の食べる分を盛り始める。
ヨシュカの左隣では、カイがリュナに野菜を盛っていた。
「今日も野菜食えー」
「肉がいい、なのです……」
「ねえ、カイ。俺も慣れたほうがいい? それとも怒るべき?」
「ソレに関しては、怒るなら嬢ちゃんね」
すぐに諦め、気にせずヨシュカもライラの世話を焼くことにした。
ライラはグライフに抱えられ、サウラとヨシュカに両側から世話されるという状況になる。
向かい合わせに座って眺めるだけの、フェリーツィタスとソフィアは、最初こそ悔しそうにしていたけれど諦めた。
「正面から見てるのも悪くないわね」
「癒やされるわ……あ、もぐもぐしてるの可愛い」
「っ……お願いだから、じっと見ないで……」
「その反応もカワイイ」
「食べちゃいたい」
「た、食べないで……?」
フェリーツィタスとソフィアはテーブルを叩き、顔を伏せて短い呻き声を上げる。
「ちょ、リュナがびっくりするから、握り拳で叩くのやめてくんねえ?」
「オレもびっくりしたっす……」
女性二人の横でビクビクするアドラーを放置して、ノルベルトは前にいるリュナへ肉を渡していた。
「肉感謝、なのです」
「あ、おい、勝手に乗せるなよ」
「獣人はやっぱり肉だよな」
「なー! 肉最高、なのですー」
「あーもう、両方食え」
追加でコロッケと冷製パスタが運ばれてくる。酒の肴というより、夕食になるものが中心だ。
全て大皿なので、食べたい量を調整できる。
「あ、野菜の肉巻きなら、両方一気にいける?」
「食ってやってもいい、なのです……」
「ファティマさーん、肉巻き追加で」
どんどんリュナの胃袋に収まっていくから、目に留まった品も注文した。
「おいちゃん火酒ねー」
「酒は控えるんじゃなかったのか?」
「量は控えるよ?」
さっそく明日が不安になる。
心配されたライラも、女将におすすめを聞き、果実酒を頼もうとしていた。
「数は少ないけど、カリンとチェリーがおすすめだよ。飲むなら今のうちだね」
「両方ってダメかな……ロックで」
「もっと飲む時だってあるじゃないか」
女将は笑いながら注文を受ける。
「あたしは白ワイン」
「一本で持ってきてくれる? 私も飲むわ」
「酒を控える理由、忘れてないよな」
ノルベルトだけは、焦って止めていた。
「あたしたちは行かないもの」
「もう気にすんな。寝坊したらその時考える。どうせ寄り道もするつもりだしなあ」
「寄り道しないで早く帰ってきなさいよ!」
「海渡る前に休憩くらいさせて!?」
ゆったり飲みとはほど遠い騒がしさだが、しんみり見送られるより良い。
賑やかな時間は、奇跡的にいつもより早く部屋へ戻れるまで続いた。
次の日、ライラたちは竜の大陸に向けて出発した。けれど、真っ直ぐ向かうつもりではない。途中で寄り道する予定だ。
ケルミスに立ち寄り、酒を買い足す。以前飲んで気に入った酒を再び探して、見つけては買って収納していった。
夕方にはレラの営む料理屋へ行って、日本の味に一番近いであろう和食を堪能する。
タイミング良くマキリにも会えた。
「マキリさんは、いろんな食材集めてるんでしたよね? 魔国の珍しい食材があるんですけど、食べてみますか?」
「いいのかい? 魔国にはなかなか行けないからね。まだ手に入れたことないものもあるんだよ」
マキリは魔国の魚やメロカ、ブルーベアの肉を受け取って、さっそくレラに預ける。
受け取ったレラは相変わらず似合う整った着物姿で、嬉しそうにはしゃぐマキリへ温かい目を返す。老いていても可愛らしい仕草を残し、優しく食材を抱えた。
「こんなにいただいていいのかしら。お礼になるようなものがないのだけど……そうだ、今日のお代はいらないわ」
「そういうつもりじゃ、あの、ちゃんと払わせてください」
「いいのよ、私がそうしたいの。……ふふっ、困った顔をさせたいわけじゃないのだけど。気になるなら、新しい甘味の試食に協力してもらっていいかしら。食後に用意するから、その分のお腹、あけておいてね」
レラは笑顔で調理場に入っていく。
「えっと、いいのかな、私が得してばかりじゃ……」
「気にしなくていいんだよ。レラがいいって言ってるんだ。それにね、あたしだってリヴァイアサンの件でも感謝してるんだよ。こっちがいくら礼したって、まだ足りないさ。それと……エルフ米、あたしらからすれば日本の米に近い品種か、それを復活させるのに協力した天族って、ライラのことだろ?」
「どうして知って――」
「食材に関しては調べてるからね。本格的な流通は秋からって話だけど、農業ギルドで耳にしたのさ。これで炊き込みにする必要のない、白米が味わえるんだ。感謝しないほうがおかしいだろ。薄くてぱさついてもいいなら、今までも食えないことはなかったけどね。ああ、米酒の味が良くなることにも期待してるんだよ」
ライラたちのテーブルに同席して、マキリが持っていた酒瓶を開ける。このまま居座って、一緒に飲むつもりらしい。
「そうそう、さっきの肉だけどね、時間があるなら知ってる調理法を教えてくれないか。今度はいつまで滞在するつもりなんだい?」
「今日一泊だけで、明日には――」
「宿はもう決めちまったのかい? まだならうちに来て、作ってくれてもいいんだけどね」
「え、うちって――」
「ここの上にも部屋が残してあるんだけどね。弟子もいるから別のとこに家借りてんのさ。こっちで寝ることもあれば、あっちで寝ることもある。遠出する時はテントだから、あたしは寝れればどこだっていいけどね。ああ、あいつらが騒がしいかもしれないけど、気にしないでやっとくれ」
「ま、待ってください。あの、宿はもう――」
「残念だね。まあいつでもいいから遊びにおいで。留守じゃなけりゃ、ライラのことはいつだって歓迎するよ」
なかなか最後まで喋らせてもらえないライラ。
酒を注いだマキリが、気にせず飲みながら話を続けた。
「泊まっても変なことしないよう、あの馬鹿には言い聞かせておくからね」
「は、はい」
「料理の手本は諦めるけど、教えるだけ教えてってくれると助かるね。ちょっと汚いけど紙ならいくらか持ってるからさ。ああ、ライラよりも、そっちの黒い子に聞いたほうが早いかい?」
急に視線を向けられたサウラは、食べる手を止めて少し悩む。
「……同じ調味料を用意するより、こちらにあるもので……ああ、この肉ジャガに入れてみても合いそうです。ミソで煮込みにしてもいいと思いますよ。ライラさんが渡した肉なら、下処理は特にいら――」
「それくらいなら書いとく必要もなくていいね。今夜か明日にでも食べてみるよ。作るのはレラだけどね」
マキリは満足そうに笑って、グラスの酒を一気に飲み干した。
「酔って忘れたりしませんよね……」
「マキリさんお酒強いから大丈夫、だと思う……」
食べ終わっていた皿を除けて、念のため紙に書いておくことにする。
書いた紙はレラに渡すつもりで、声をかけようと顔を上げた。
ちょうど目が合ったレラの手には、デザートが乗った盆があった。
「ふふっ、楽しそうだけど、何を書いていたの?」
「渡した食材の調理法を教えてって言われたので、今のうちに書いておこうと思って……サウラさんが合いそうな日本食を考えてくれたんです」
「あら、こちらの料理に使えるなんて、嬉しいわ。ありがとう」
レラはサウラに向けて微笑んでから、丁寧にテーブルへ皿を並べる。
「試食した感想もお願いね。旬のバナナを使ってみたの。焼きバナナのバニラアイス添えは、好みの量で黒蜜ときな粉をかけてね。それと、こっちは青柚子の氷菓子。皮は柚子胡椒に使っているのよ。今年のは特に香りが良かったから、調味料以外にも使ってみたくて」
ライラたちは、並んだデザートをさっそく食べてみた。
加熱されたバナナは甘さが際立って濃いが、バニラアイスの冷たさでサッパリ食べられる。黒蜜は香りが強く、甘さに少し癖があるのに、きな粉の味を消すこと無く味に一体感があった。
「美味しいっ……」
「懐かしい味がするな。この黒蜜、今までで一番美味しいかも」
「甘さが強いのに、暑くても食べやすいですね。しっかり食事をした後でも、濃厚だから味で負けないし……これだけで食べても満足感があると思います」
ライラとヨシュカ、サウラが味わっている間に、リュナは一皿完食していた。青柚子の氷菓子、シャーベットにも手を出す。
「シャリシャリうめえ、なのです」
「おいちゃんの分まで食べようとしないで」
盗られる前にカイは皿を持ち上げた。大きめの一口を食べると、爽やかさが心地良く鼻を通る。
「たしかにうめえな……」
シャリシャリ感が細かく、硬すぎないので滑らかに感じた。
「青柚子の風味と清涼感が強いから、食後の口内がすっきりしますね。日中の暑い時間帯にも欲しくなる味です。どちらも違った理由で、食事にも合いますし、単品でも満足できる……。食事処で扱うにはとてもいいんじゃないでしょうか。甘味の専門店とは違った状況で食べる品ですから……味は専門店並に美味しいですけど」
サウラの好みは氷菓子だったのか、青柚子のシャーベットを続けて口に運んでいる。
食べる様子を見て、レラが嬉しそうに笑った。
「両方とも出してみようかしら」
「試食は建前で、すでに店で出されていると言われても信じますよ。他の料理を食べること前提の、味と量のバランス。でも、食事時以外の時間帯に軽く休むつもりで店に入って食べても、物足りない味じゃない。……あ、一応、あくまで好みの問題、ですけど」
途中で恥ずかしくなり、サウラは目を伏せる。
「偉そうにすみません、しっかり答えないと、と思って……」
「褒めてくれたんだもの、嬉しいわ。これで、自信を持って出せるかしら」
「……とても、美味しいです」
「一番の褒め言葉ね」
優しい表情で言葉を受け取ったレラを、マキリは静かに見ていた。普段の口数が嘘のように、おとなしく口を挟まず、料理を褒められたレラ本人と同じくらい嬉しそうに。