精霊の届け物
騒ぎの中にサウラも放り込んで、翡翠は穏やかな笑みのまま溜息を漏らした。
「鳥の子も厄介なことになっているね。まあ、あのままでも――」
「どうして、考えを変える気になったのですか」
一人だけ翡翠の側に残されたカイが、俯いたまま声を絞り出す。
「ライラの幸せを望む気持ちは、変わっていないよ。欲しい答えを返すなら……この世界を楽しんでいるみたいだから、少しでも長く留まらせてあげたいって思った、かな。途中で記憶が戻っても、子がいれば、すぐ役目に戻るなんて言えないよね」
「そちらが本音ですか……」
「癒えたところで連れ去っても良かった。役目は、休んでいる間に後任が引き継いでいるから、心配ないって、そう言い聞かせて閉じ込める。甘やかして、慰める。どれだけ長い時間でも、ね。けれど、今を、幸せそうに過ごしているのを見て、あの笑顔を見続けるのも悪くないと思えたよ」
カイと話しているようでいて、翡翠の視線はカイに向いていない。
「君も初めは子を許していなかった。いつ戻ることになってもいいように、離れる時にあの子が悲しまないように」
「子を持たなくても、幸せに暮らすことはできるはずです」
「憧れていたのに? ……欠落した感情があっても、全ての種族を愛し、全ての生命を愛する想いに、嘘はない。だから私は何とかなると思っているよ。それに……今の君なら、反対しないと思ったのだけれど」
やっとカイに向けられた視線は、痛みを錯覚するほど強いものだ。
カイは顔を上げただけで、何も言えなかった。
「肯定したと受け取っておくよ。私からの贈り物を一つ……裏切れないと信じているからね」
翡翠の手に現れた光が、カイを貫く。
「――っ、先に、何をするか、教えてください」
「ああ、ごめんね。拒絶されると困るから。新しい『名前』は気に入ってくれたかな」
穏やかさを取り戻した瞳と、それに似合った微笑みを見せる翡翠。
「まさか……そこまでして……。そうですね、気に入ったかどうかは別として……感謝します」
「煌星の首輪が、煩わしかっただけだよ」
立ち上がった翡翠が離れる前に、カイはその場に倒れた。
「おや? 思ったより馴染むのに時間がかかりそうだね。ゆっくり眠ると良い」
竜の姿に戻っていくカイを、翡翠が巣穴の端っこに放り投げる。丁寧に運ばなくても大丈夫だと思っているからだが、最初から丁寧に運ぶつもりもない。
「さて、先に酒盛りでも始めようか」
昼食も夕食も、宴会もひっくるめて、時間の許す限り酒で交流を深めようと翡翠が提案する。
酒と聞いて、青のも噴水をとめ、遊びを終わらせた。
ライラは水着姿のまま、水が突然消えたことで落下するリュナを受け止めながら、草の上に着地する。
「リュナ、大丈夫?」
「しゅ、修行に、なった、なのですっ……」
リュナはぐったりしているが、満足そうだ。
「今乾かすからね」
「ライラさん、オレもお願いできますか……」
噴水に打ち上げられながらも着替える余裕があったライラと違い、サウラは疲れていた。リュナほどぐったりしていないけれど、疲れた顔からかなり大変だったことがわかる。
「水にあれこれ混ぜてくださったのは、どちら様ですか?」
「修行と聞こえたものだから」
「治しながらだったから、平気だよね」
やりすぎたかと反省する赤のと、治したはずなのにと首を傾げる白の。
黄のは無言で頭を下げた。パチパチ鳴る音は、焦っているらしい。サウラを怒らせてもかまわないが、ライラに怒られるのは困る。
「たまに落ちてきた岩は……」
「それは僕。ごめんね、咥えて投げていただけで、力は使ってないから。暗闇は影の子を怖がらせてしまうかもって思って」
黒のが苦笑いして、なるべくサウラに、というか連れている精霊に近寄らないよう気遣う。
水遊びに加わらなかった茶のや灰のは、これまで剣を確認することに熱中していた。
「つい改良してしまったんじゃが、大丈夫かのお」
「頑丈になっただけじゃ」
「いや、飾りを竜結晶に交換してしまったんじゃが」
「何しとるんじゃ、まったく」
「茶のこそ、何かしとったじゃろ」
「あれは、草原でも森でも狩りがしやすいように、必要なんじゃ」
「よほど気に入ったようじゃのお。まあ、こやつは剣を丁寧に扱っとるからな」
剣の状態を見て、日頃の扱いに満足したらしく、灰のも嬉しそうに笑っていた。
グライフは剣を受け取り、礼儀正しく頭を下げる。
「ありがとうございます」
「なに、斬った植物や大地がちょっとばかし言うことをきくだけじゃ」
「竜結晶に魔力を溜めておけるからのお。魔力はそこから使うといい」
「本当にいただいても――」
「気にすることはない、悪用したら没収するだけじゃからのお」
「ほれ、そんなことより酒盛りじゃ!」
最初に剣のメンテナンスを頼まれた灰のだけでなく、茶のも出来栄えに満足したようで、すでに一仕事終えた後の酒へ意識が向いている。
着替えたライラが酒の用意をしているところへ頭を向け、待ちきれないといった表情で目を輝かせた。
「食べ物はどう――」
いきなり現れた精霊が、希望を聞こうと上げたライラの顔に落ちる。
『ごめ、ごめんなさい、です』
小さな狐の姿をした精霊は、必死に謝っていた。僅かに透けた金色の毛並みと、尻尾の先が空気へ溶けるように消えている狐には、見覚えがあった。リーベの工場で出会った精霊だ。
ライラは顔から精霊を離し、優しく手で包む。
「どうしたの?」
『ごめんなさいです。あの、その、ごめんなさいなのです』
空間の精霊と言えばいいのか、その存在のはっきりしない精霊は、ぷるぷる震えている。
『らいらさまのさがしもの、だめ、だめになって』
「見つからなかったの? 怒らないから気にしないで」
『ちが、ちがいます。すこし、なくなっちゃったから、ごめんなさいです』
心底申し訳なさそうに、取り出したものを差し出す精霊。出てきたのは、探していたリュナの荷物、薬草の情報が書かれた紙だった。
一部が欠けて、全て読むことはできなくなっている。
『みつかったけど、わたせなくて』
精霊たちの間で、探している物の情報は伝わっていた。忘れっぽい者や、気まぐれな者もいたが、ふとした時に見つければ集めていた。やっと集まったけれど、渡せる状態ではなかった。
ちゃんと謝らないと、と覚悟を決めて、運べる精霊が代表でやって来たらしい。
『どうしてきえたかは、わからなかったです』
「責めたりしないから安心して、わからなくて大丈夫」
荷物が見つかっただけでも、ライラは感謝している。全て見つかれば理想だが、持ち物の一部ですらも戻らなかったかもしれないのだ。
「届けてくれてありがとう。お礼がしたいんだけど」
『もら、もらえないです』
「魔力水でいいかな。他にも協力してくれた子たちを知っていたら、こっちの結晶を分けてね」
『ほわ……ほんわかして、きもちいいです』
ライラの出した水を飲まされた精霊は、渡された結晶を大切にしまって頭を下げる。
『おそくなって、ごめんなさいでした。あの、ありがとうです』
「私こそ、ありがとう。お願い覚えていてくれて、嬉しかった」
『また、またいつでも、がんばるです』
嬉しそうな笑顔で消えていく精霊を見送る。
「か、感謝してやるから! なのですっ」
自分の荷物が届けられたことを見ていたリュナは、最後に精霊へ声をかけて手を振った。