刀完成
秘湯巡りから数日。ライラは村でやることがなくなった。
手伝った薪割りも、薬草集めも、保管場所が埋まったので終わり。屋根や壁の修復も、生活魔導具の修理も、今は残っていない。
縁側に座って庭を見ながら、のんびりと冷たい緑茶を飲む。
付き添うサウラは、気に入ったカキ氷を食べている。三杯目に手を伸ばしたところだ。
「この練乳、売ってほしいんですけどね……」
食べ放題なのに売ってもらえないとはどういうことか、と落ち込んでいた。
「ルクヴェルにも、似たようなミルクソースはありますから」
「はい……」
励ましていると、乱暴な足音が近付いてくる。
「カイさんが戻ってくるには早いですよね?」
体を動かしたいというリュナに引っ張られ、カイは魔物狩りに付き添っているはずだ。
「ライラちゃん、怪我治して!」
「コシロウさんでしたか。そんな掠り傷、治さなくてもいいでしょう。塩でも塗りますか?」
「にーちゃんは相変わらず塩対応だな。真顔で追い返すのやめてくんねえ?」
サウラに雑な対応をされても、コシロウは一切めげずに、ずかずか歩み寄る。
「何度目ですか」
「わかんねえ」
コシロウがサウラの質問を聞き流して、ライラに向けて手を出す。
「今度は手の甲ですね。小さな怪我でも、続くと心配になります。気を付けてください」
「わかった。ライラちゃんが言うなら気を付ける」
ライラに回復魔法をかけられながら、わかっていない笑顔で返事をするコシロウ。
「わざと怪我してるんじゃないですよね?」
「あれだ、うっかりだよ、うっかり」
睨むサウラと、心配するライラの間へ、どかっと腰を下ろした。
「にーちゃんの気にしすぎだって」
治ったばかりの手で、サウラの背をバシバシ強めに叩く。
「コシロウ、お前また来ていたのか」
サイゾウが呆れた顔で庭に入ってきた。縁側に座る三人へ近寄り、呆れた視線をコシロウに向ける。
「サイゾウこそ、また来てるじゃねえか」
「母上に用事があったからだ。それに、ゲンノスケから任されている。いつでも対応できるようにしておくのは、当然だろう」
「ああ、ライラさんにはオレがいますから、二人とも帰っていいですよ」
手にした食べかけのカキ氷が溶けない笑顔で、サウラはにこやかに追い返す。
簡単に帰る二人ではないので、効果はなかったが。
「サウラさん、落ち着いてください。お二人もお茶どうぞ」
いつの間にか二つ湯呑みを追加して、冷たい緑茶を注いだライラが、サイゾウにも縁側に上がって休むよう促した。
「ありがたい」
「ちょーど喉乾いてたんだよな」
遠慮する様子を欠片も見せず、サイゾウもコシロウも一緒に寛ぎ始める。
「うちの妹も、ライラちゃんくらいおとなしかったらいいのにな」
「無理だろう」
「妹さんがいるんですか?」
「いる。今は村を出てるけどな。剣鬼に憧れて、冒険者になるって言って出てった。たまに帰ってくるだけ」
「剣鬼って……マキリさん?」
「他にあんなババアがいてたまるか」
「自分も同じ鬼人族として尊敬しているが……手合わせはもう遠慮したいところだ」
「とってもいい人でしたよ?」
「そ、そうか」
「すげえな。今ちょっとライラちゃんの笑顔のほうが怖いと思った」
軽く震えたのは、冷たい緑茶のせいじゃないはずだ。サイゾウとコシロウは、剣鬼マキリが村に来た時のことを思い出して遠い目をした。
「以前は、剣鬼ではなく、剣姫と呼ばれるほど美しかった、と聞いていたが」
「おっかねえババアの印象が強すぎて、想像できなかったな」
「えっと、今でも素敵だと思います。強くて、真っ直ぐで」
「ライラちゃんが会ったのって別人じゃねえよな?」
「他にいてたまるかと言ったのは、コシロウだろう」
この場にいないはずのマキリの声で、「何か文句でもあんのかい」と怒られた気がした。
暫く雑談していると、ゲンノスケが刀を持って来た。表情は満足そうだが、かなり疲れている様子だ。
先にサイゾウへ、青い刀を渡した。
「刃引きの懐剣か」
「どっちみち水みてえになっちまうが、それでも切れ味を失わせたほうが『落ち着いた』からな」
打ち直す前に、『守る』ことを意識して振るってみたが、使えなかったという。それが、二振りの懐剣に打ち直してからは、ずいぶん『素直』になったらしい。
サイゾウに斬りかかるよう、ゲンノスケがコシロウに指示する。
青い刀は、コシロウの刀を受け止めるように包み、動きを止めた。
連続して斬りかかると、盾のようになってサイゾウを包む。
以前なら刀が何も傷付けまいと崩れるだけだったが、今は持ち主を傷付けないようにと動いていた。
次にライラへ頼んで弱い魔法を試させると、再び盾のようになってサイゾウを守った。
薄いのに強固な、結界のようだ。
「竜結晶のほうが格上だったのか、相性が良かったのか。打ち直してる間も、以前より素材が言うことをきいたから、期待はしていたが。思った以上だな」
青い輝きもさらに澄んだように感じられた。
ライラも青い刀を見て安心した。『誰も傷付けたくない』という悲しみが、『誰も傷付けたくない』という想いに。同じ言葉が前向きなものに感じられる。
『もう、傷付けない。傷付けさせない』
「……ありがとう」
「ん? どうした?」
「いえ……」
「そうか」
ゲンノスケは、ライラが依頼していた刀も出す。途中まで抜いて、刀身も見せた。
『いなくなった世界に、存在する意味はない』
「え……」
『守れなかった。守りたい。同じ想いはさせたくない』
残された魔力が病むほどの想い。緑がかった淡い金色の鱗は、変質するほどの状況にあっても魔国まで飛び回った竜の鱗は、誰のものだったのか。
金緑竜が暴走した三百年前のものとは限らないけれど、つい考えてしまう。
「また何か聞こえてるのか?」
「守れなかった後悔、守りたいって今でも想ってる。だから、悲しくて、嬉しい。守りたいと想ってくれて……」
ライラは、二振りの刀を愛しそうに見つめた。
薄く緑がかった、淡く優しい金の輝きを持った刀を撫でて、頭を下げる。
「たとえ鱗の一部でも。彼らに、優しさを取り戻してくれて、ありがとうございます」
失われた竜自身の想いとは違ったとしても、切り離された別物の意思だとしても。
病んだ魔力を浄化しただけでは、消しきれなかった悲しみが、やっと形を変えたと感じられた。
カイとリュナが戻ってきて、どこから話を聞いていたのか、普段と違って真剣な顔をしている。会話に入ることをためらいつつも、リュナに合わせた刀なのだと後押しされて駆け寄った。
リュナは二振りの刀を受け取り、一度下を向く。それから、しっかり目を開けて前を向いた。
「絶対、間違った使い方はしねえから、なのですっ」
刀を抱きしめて、子供ながらに心からの宣言をした。
先に買った二本組の刀は短い期間の使用となったが、予備の武器は持っておいて損はないと言われて、収納鞄へ入れて手元に残すことにする。
刀自体の扱いは練習済みなので、新しい刀がすぐに馴染む。
少し長めではあるが、今のリュナの体型に合わせてあり、成長しても調整できるようになっていた。
「まあ長さを変えられるっつっても、限度はあるが。よっぽど成長しなきゃ、大人になっても使えるはずだ。調整したくなったら、うちの店に持って来いよ」
「ちゃっかりしてやがる、なのです」
夕方には黒狼族がおしかけてきて、夕食時は宴会になった。明日村を出ることになったと聞いたようで、皆寂しそうにしつつ、次から次へと寄ってきてじゃれている。
「ゆっくりお話できなくて残念です」
黒狼族はライラの頭に顎を乗せ、続けて鼻先でライラの顎を持ち上げる。顎を乗せることが挨拶代わりらしく、一頭だけでなくそれぞれ顎を寄せてくるため、全員が終わる頃には白い髪がボサボサになっていた。
「またいつでも来るといい」
わざと最後に挨拶した黒狼族の長は、ライラの顎を持ち上げた後そのまま側に居座る。
酒がついているとか、肉のタレがついているとか、なんとなくとか理由をつけて頬を舐めていた。
「……我も村を出ようか」
「長様!? 何言ってるんですか!」
周りの黒狼族に驚かれても、軽く鼻を鳴らすだけで気にしない。
サウラの溜息も効果がなかった。
「黒狼族は番を必要としないんですよね?」
「我は番を欲しているわけではない」
黒狼族の長は尻尾でサウラも引き寄せ、ライラと一緒に抱え込む。
「ライラの近くは心地良い」
「それには同意しますけど」
ライラのことを気に入っているだけで、黒狼族の長は番にしたくて離さないわけではない。それこそ単純に懐きすぎて、距離が近いが。
「もふ、もふ」
「ライラさんはもふもふに甘すぎます」
「ごめんなさい……」
謝るけれど、ふわふわもふもふの柔らかい毛並みから離れられない。
黒い毛並みを堪能していると、ゲンノスケとコシロウが近くに来て座った。
「酒足りてるか?」
「はい。あっ、それ……」
「とっておきのハナミツ梅酒だ! 今夜のうちに飲んでおけよ」
コシロウは桜柄の湯呑みへ酒を注ぎ、最初にライラへ渡す。
「キレイな柄ですね」
「だろ? 実物見せらんねえのが残念だが、春にまた来れば見られるぞ。村に植えられてる桜は、咲くのが春だけだからな。アキツキシマなら一年中見られる場所もあるけど」
「そうなんですか」
梅酒を口に運び、砂糖と違って少しクセのあるハナミツの甘みと、濃い梅の香りを楽しむ。
「美味しいです」
「村に住めば、いろんな種類の梅酒が飲み放題……ごめん、待って、にーちゃんの視線が怖い。ライラちゃんのこと狙ってるわけじゃないって、そろそろ信じてくんねえかな」
「ちょっと口実があれば離れへ通って、村に住めと繰り返して――」
「深い意味はなかったんだって! 悪かったよ」
「なんだ、村に住めって、遠回しに結婚してくれって言ってるのかと」
「ゲンまでそういうこと言うなって! うわ、にーちゃんの目が笑ってねえ」
ゲンノスケに庇う気がないと気付き、コシロウはさらに慌てた。
通りがかったサイゾウに助けを求める。
「にーちゃんがオレにだけ冷たい!」
「……そうか」
「うう、味方がいねえ」
「ふっふ~面白いことになってるわねぇ~」
カゲロウがサイゾウの横から顔を出して、コシロウをからかう。
「母上……」
「あら~いいじゃないの~。っていうか~ホントに誰か一人くらいもらってくれないかしら~。男ばっかりでむさくるしいのよね~この子たちったら~」
コシロウだけでなく、サイゾウとゲンノスケも目を逸らした。
「からかいの対象が一気に全体攻撃になりましたね……。ライラさん? どうしました?」
「びっくりしただけです……」
カゲロウは息子やその友人の未来を、軽く言い過ぎだ。
「誰かのお嫁にきてくれたら嬉しいけどぉ~村に残るつもりないみたいだし~。なら、一人でも二人でも~もらってくれちゃったほうが早いかな~って~」
「ご、ごめんなさい」
「あら残念~。気が変わったらいつでも取りに来てねぇ~」
「村長! 軽すぎるだろ! あとオレはもっと大人のぼんきゅ――ぐぇ」
「成人女性を目の前にして失礼よぉ~」
「こ、拳で止めた……」
苦しむコシロウを見て、ゲンノスケは余計なことを言わなくて良かったと心底思う。
「あらっ? どうしたのかしら~?」
「いえ……成人してるから、私……もう育たないのかなって……」
同じ天族と比べたことはないが、周りに比べて背が低いライラ。日本での記憶に合わせてくれたのかな、と気遣いを感じたりもしたけれど。見上げて話すことが多い。
「大丈夫よ~胸は触れば大きくなるわぁ~」
「え、あっ、触っちゃ、っ……ちが、身長のこ――」
「やわらかいわね~」
カゲロウに飛びつかれて、ライラはどこまで抵抗していいのかためらった。
「我の腹で暴れないでほしい」
「ごめんなさ、じゃないっ、離して――」
「マッサージしてるだけよぉ~」
「母上、大勢の前でそれは――」
「もう少し~」
「や、やめっ……ひゃっ」
もがくライラが、影の中に隔離される。
サウラがカゲロウを引き剥がし、口元だけで微笑んだ。
「お世話になってるとはいえ、許すのはここまでです」
「貴方だって反応見て楽しんでたじゃない~」
「……そんなことありませんよ」
「もうちょっとだけ~」
ごねるカゲロウを、サイゾウが引っ張る。
「すまない。むしろ村のことで世話になったのはこちらだというのに」
サイゾウは頭を下げた後、ジュウベエを呼んでカゲロウを回収させた。
「……カイさんも少しは止めてください」
「おいちゃん酒で忙しかったから。あ、リュナ、肉食え、肉」
「肉うま、なのですっ」
「珍しく野菜を諦めて……。動揺してるんですか?」
「あー酒がうめえなあ。おいちゃんのことはどうでもいいとして、そろそろ嬢ちゃんのこと出してやったら?」
「ああ……」
ライラを包んでいた影を消して、優しく頬を撫でる。
「すみません、強引な方法で……大丈夫でしたか?」
「はい……ありがとうございます。……カイが同じ目にあったら、私もお酒で忙しくなるんだからっ」
「おいちゃんの声聞こえてたのかよ」
「音は遮断してませんからね。真っ暗で無音だと不安になるでしょう?」
「はくじょーもの、なのですっ」
「リュナだって肉食ってばっかだったろ」
「肉は正義、なのです」
リュナは笑顔で、香ばしく焼かれた肉にかぶりつく。
カゲロウの代わりに謝罪したサイゾウも、ゲンノスケもコシロウも気まずそうに聞いていた。
「今日で最後だっつーのに、悪かったな」
「最後だから母上は暴走したのだろう」
「村長はいつも通りじゃねえか」
ちらっと見渡せば、ジュウベエから逃げようとするカゲロウが見えた。袖を掴むジュウベエの手がびくともしないのを見ると、日頃の慣れが感じられる。
「よし、オレもっと良い酒持ってくる。ゲンはここで見張っててくれ」
「自分も蔵を見てこよう」
彼らが酒でなんとかしようと思ったことを後悔するのは、一時間後。
酔ったライラが、彼らにとって半裸に近い服装で、剣舞に混ざった時だった。