ロプス族の村へ
男の思考は絶望に閉ざされていた。
もう、自分にはどうすることもできないのだ。
病に蝕まれた村の者たちを助けたい一心で、飛び出してきたというのに。
どこへも辿り着けないまま、病で命を終えるのだろう。
目の前が暗くなっていく。
せめて。
「村の皆を……」
自分はどうなってもいいから。
「助けてくれ――」
最後の力で叫び。
力尽きた。
「とりあえず、気付け薬でもかけておきますか?」
「レイラがいた時は気にならなかったけど、サウラも意外と雑だよなあ……」
「強引に走り抜けてきた足跡があります。暴れていただけならともかく、もし彼が急いでいた理由があるなら、起きるまで待っている場合じゃないでしょう?」
何かに追われていたなら、追っていた何かが異常の原因かもしれない。状況によっては、今この場で動かずにいることが危険かもしれない。事情を聞いてみて、急いでいたわけではないならいいのだけれど。
「あー、一応冷静に考えてはいるのね……」
「一応って何ですか」
サウラは不満を漏らしながら、倒れた男の顔に遠慮なく薬を浴びせる。
「……ぐ……ぅ……」
倒れた男の、一つしかない目に光が入った。
「大丈夫ですか? 勝手に治しちゃったんですけど……まだ痛いところとか……」
ライラが顔の近くに座って様子を見る。スキルで調べた範囲には、異常が残っていない。しかし、まだ安心できずに、不安げな表情だ。
男は三メートル近い巨体で素早く飛び起き、座り直して深々と頭を下げた。助からないと思った体が、治っている。
「体、治る。助ける。早い、している」
「え、あの……」
「頼む」
伏せたまま絞り出される男の言葉に、ライラは困惑した。
話せないほどの怪我が残っているわけではない。ライラたちの姿を見て言語を選び、慣れない音を発しているのだろうと思い当たった。
単眼の大男、ロプス族は、知識として共通語も聞き取れるが、発声器官の問題で発音することが難しい。
「話しやすい言葉で大丈夫です。何があったのか聞かせてもらえますか?」
翻訳に頼れるライラにとっては、片言で話されるよりも、話しやすい言語で詳細が聞けたほうが助かる。
「……どうして話せる?」
男が顔を上げ、じっとライラの目を見た。
「ちょっと変わった加護のおかげです……」
「ふむ、それだけではないようだが、嘘も見えない。今は急ぐ必要があるのだ。どうか、村まで来てほしい。俺と同じ病に苦しむ者たちがいる」
「わかりました。詳しい話は移動中に教えてください。急いで向かいましょう」
「疑わずについてきていいのか?」
「はい」
「……感謝する」
男はライラを肩に乗せ、村に向かって走り出した。
「ライラさん!?」
「嬢ちゃんが抵抗してねえってことは、大丈夫だと思うけど……」
見失わないように、慌てて追いかける。
ロプス族の男は、コルフと名乗った。
村の者たちを助けるために出てきたが、途中でコルフ自身も病が発症して動けなくなったという。
街の薬師や神殿を頼ったところで、村が助かるかはわからなかった。それでも、何もしないよりはと飛び出してしまった。
ライラがカイたちにもわかるように伝えると、カイが眉を寄せた。
「サウラは来るな」
「まだ言ってるんですか? 帰るつもりはありませんよ。今はその話をしてる場合じゃ……」
「今だから言ってるんだよ。ダークエルフは外的魔力の影響を受けやすいんだろ?」
「薬は持ってきてます。それと、魔力全てではなく、魔物の魔力にと言ったほうがいいですね」
「魔物よりタチが悪い」
黒い病と一括りにされるものは、病んだ魔力に体を蝕まれる。コルフの症状を見ていた限りでは、黒い病に蝕まれたところから、体内で魔物が発生しかけていた。サウラが同じ状態になれば、中から魔物に襲われているようなものだろう。
村に帰って礼がしたいというだけならともかく、まだ病に苦しむ者がいるから助けてほしい、それも村全体となれば、感染しやすい状況ということだ。
「心配してくれるんですね」
「それだけじゃねえけどな……」
ロプス族の村が近付き、苦しそうな呻き声が聞こえる。
外まで聞こえる重い声に混ざって、木が砕かれる音がした。
後戻りはできない。
「リュナは隠れてろ」
柵に囲まれた村の入り口から、大きな黒い獣が飛び出してきた。外見は禍々しいのに、漏れる声は助けを求める。
「病んだ……竜の魔力か。ロプス族との相性最悪みてえだなあ……」
カイは嫌そうに、けれど悲しそうに呟き、黒い獣の姿になった村人へ殴りかかった。
拳をライラの結界が阻む。
「まだ、治せるから」
杖を取り出したライラは、コルフの肩から下りて黒い獣に向かう。そして、村全体を浄化魔法で包み込んだ。
すぐ側まで迫っていた黒い獣も、浄化の光に包まれて動きを止める。
「……せ……かい、意味……な……」
「還せなくて、ごめんなさい」
周囲へ広がる雪のように、魔力が溶け消え。
村全体から呻き声が聞こえなくなる。
光が弱まり、ライラの意識も途絶えた。
「嬢ちゃんは無茶ばっかするねえ」
わざと軽口を叩いて、カイがライラを担ぎ上げる。
今回は魔力切れした様子はない。病んだ魔力の影響で漏れた、竜の声に影響されたようだ。意識が不安定になり、気を失っただけだと判断した。
「問題は……」
一人ずつ治すのではなく、まとめて治してしまったことか。
時間をかけるより影響が少なかったと喜ぶべきか、力の使い方を咎めるべきか悩む。
「今更か」
「カイさん、今の……」
「細けえことは気にすんな。細かくなくても気にすんな」
呆然としたサウラをあしらい、隠れていたリュナに手招きするカイ。
「大丈夫だったか?」
「こ、怖がってねえから、なのです」
自分から言ってしまうくらいには、怖かったらしい。リュナはあからさまに強がっているが、握りしめた手は震えていた。
「あー、リュナは強いもんなあ。よしよし」
「あぅ……」
身をかがめてリュナを撫でると、ライラを落としそうになった。
「危ねえ……。安定してるなら起こすか? おーい」
「ん……カイ?」
「そうそう、おいちゃんだよー。じゃなくて、歩けそう?」
「あ……うん、大丈夫そう。えっと、私……」
「嬢ちゃんが気を失ってたのは、ちょっとだけだから。浄化終わってすぐ」
「ありがとう。あっ、怪我してる人がいたら急がないと」
「そこは魔力切れしてるってことにしてくんねえかなあ……」
「早くっ」
「はいはい。下ろすから暴れないでねえー」
コルフに村を案内してもらい、村人たちの治療を終えた後。
五人のロプス族に土下座で礼を言われて、落ち着かない。体が大きいため、広場にいても圧迫感がある。村人全員で押しかけられなかっただけ、良かったのだろうか。
「治ったばかりですから、安静にしていてください」
「恩人をもてなさないわけにはいかん」
「先を急ぐのでなければ、一晩だけでも」
「わ、わかりました。だから頭を上げてください、お願いします」
体を起こすと圧迫感が増すけれど、土下座を続けられたほうが困る。体格は種族的に当然のことなので、大きいだけのほうが気にならない。
押しに負けて、村長の家に連れていかれた。
床に敷かれた毛皮は温かく、丁寧な加工がされていて柔らかい。
座ったライラたちの前に、両手でも持てない器で酒が運ばれてくる。
サウラが器から直接一口飲み、ライラたちも続くよう促す。最初の一口以降は、持っていたグラスを使うことをロプス族に伝え、器から汲み上げて飲み始めた。
酒はラム酒に似ているが、樹液のようなクセもある。
側にコルフが座り、すぐに食べられる果実を置いた。
「引き止めて、すまなかった。もてなしを受け入れてくれたこと、感謝する。堅苦しい礼儀は必要がない。種族が違えば作法も違うものだ。気を張るよりも、寛いでもらえたら嬉しい」
「ありがとうございます」
「甘い果実は好むか? そのまま食べるには小さいから、酒にしてしまうものだが」
果実と酒を味わっていると、料理が運ばれてきた。
ブルーベアの丸焼きなど、全体的に豪快な感じだ。くりぬけば中に入れそうなくらい大きな、カボチャっぽい野菜を焼いたものもある。
一品でも食べきれるかわからない料理を前に、リュナだけが素直に目を輝かせた。