吹雪の里からは出られたけれど
ごりごり、ごりごり。
朝から、ひたすら何かをすり潰す音がしている。
起きてきたライラは、音が気になり台所へ顔を出す。
サウラが無表情で、野菜とキノコをすり潰し続けていた。
「おはようございます」
「……ああ、ライラさん。おはようございます」
挨拶を交わし、ライラはサウラの隣に寄って、調理台を覗き込む。
「何をしているんですか?」
「朝食の用意です」
複数の野菜と、乾燥しなくても固いキノコが、混ざって一つになっていく。
薄い黄緑色のペーストは、薬なのか料理なのかわかりにくい。
「えっと、何を作っているんですか?」
「スープです」
ごりごり、と。すり潰す手は止めずに、淡々と答える。
どうやらサウラは、酒が抜けきっていないらしい。
「昨夜は飲みすぎたので……胃に優しいものを作ろうと思った……んだと思います」
「え」
「気付いたら、今の作業をしていました」
寝惚けたまま朝食を作り始め、途中ではっきり目が覚めたようだ。
「手伝いましょうか」
「もう少しなので、大丈夫です。あ、リュナさんがいるから、カフェル多めのほうが、苦くない、かな……」
呟きながらカフェルを足して、ぐりぐり押し潰す。料理というより、ストレス発散の何かになりそうな作業だ。
「干し肉を茹でて、肉の風味もつけたほうがいいのかな……」
沸かしていたお湯に、サウラが干し肉を少し投げ入れる。
「そうだ、薬草水飲みますか。二日酔いに効きますよ」
「あっ、体調は大丈夫です」
「……寝不足にも、少しは効きます」
「……飲んでおきます」
「あの……昨夜はすみませんでした。姉貴を止めないどころか、オレまで……」
「私も酔っていたので……」
ごりごり、ごりごり。二人でじっとペーストを見つめてしまう。
「こ、こういう作業って、つい見ちゃいますよね」
「そうなんですか?」
「あ、えっと、はい。混ぜてるところとか、気になるわけじゃなくても、なんとなく見ちゃいます」
滑らかになっていくペーストを、ただ見る。
「そういえば、魔導具を使ったりしないで、手作業なんですね」
ミキサーのような魔導具を思い出して、ライラは首を傾げた。
「今度、商人さんに聞いてみます。頻繁に訪れるわけじゃありませんが……オレか姉貴が対応することが多いので。話す機会はありますから」
「もしよかったら、試しに一つ使ってみますか?」
魔力結晶で動くタイプの魔導具を出して、魔国語の説明書と共に調理台へ置く。
「ここが割れない限り、魔石みたいに交換は必要なかったと思います」
「え、あの、いいんですか?」
「持っていても、私が使う機会ってほとんどないので……」
「どうして買ったんですか……」
「どうしてでしょう……」
「衝動買いですか」
違うけれど、理由を答えられない。
「うっかり……」
うっかり、思いついて創ってしまった。
「ライラさんがいいと言うなら貰いますけど、一度貰ったものは返しませんよ?」
「返さなくて大丈夫です、貰ってください」
「……預かっていた念話石も、返しません」
「えっ? あ」
「なんて、言ってみただけです。預かっていたものはちゃんと返しますから、安心してください」
ライラは「預けた」ということを忘れていたから驚いただけだ。返さないと言われて驚いたわけではない。
「いえ、あの、念話石もそのまま持っていてください。必要ないなら返し――」
「返したくないです」
「あの……はい。え、エクレールに戻っても繋がるはずなので、何かあったら連絡してください」
「何もなかったら連絡してはいけないんですか?」
「そういうわけじゃないです」
「これでいつでも話せますね。本当は、帰ってほしくないんですけど……」
「行くところが、あるので……」
「わかっています。……オレたちは長生きするほうだから、また会えるまで待っていますよ」
百年待ったとしても変わらないだろう。エクレールの友人知人がほとんど寿命を迎えた後でも、病気や大怪我でもしない限り生きていられる。そして、混血のライラがどれくらい生きるかはわからないが、普通の天族なら長命種だ。期待して、祈るしかない。待てるからといって、寂しさは消えないのだけれど。
食材をすり潰す作業に戻り、手を動かす。
「エルフがライバルになるなんて……」
「えっ?」
「なんでもないです。ライラさんは気にしないでください」
なんとなく、すり潰す音が強くなる。
「……魔導具、使ってみなくていいんですか?」
「もう少しですから。今は、このままで」
暫く、これでもかと混ぜられる食材。干し肉の旨味が出た出汁で伸ばされ、美味しいポタージュスープになる頃には、ソファーでレイラが二度寝していた。
レイラは起きるなりリュナを連れ出し、薬草水を片手にソファーでぐったりしていたようだ。
抱えられたリュナが抵抗しているのは、レイラに対してではなく、同じように二度寝してしまいそうな睡魔への抵抗だった。
「おきう、なのれす……」
リュナがもぞもぞ動き、脱出を試みている。
「姉貴起きて、リュナさんのこと離してあげて。早く顔洗ってこないと、先に食べちゃうよ」
何とか朝食を済ませ、ライラは出発の準備をする。準備と言っても、見送りに来たシャウラが持ってきた酒を収納するくらいだが。
「長様が運んでくるなんて、暇なんですか、暇ですよね」
「怖い顔しないでよ、サウラ。見送りくらいさせてくれても……」
「オレたちが話す時間が減ります」
シャウラとサウラが話す横で、レイラはリュナを最後に締め上げている。抱きしめているだけなのだが、気持ちが力にこもり過ぎた。
「さ……最後の、修行、なのですっ……?」
「必ずまた来い。来なかったら許さない」
「修行来る、なので、すっ……」
呆れ顔のカイは、別れの挨拶くらいはと、リュナをレイラから引き剥がさずに見ている。
「頼むからリュナを潰すなよ」
他の種族と深く接することが少ない分、一度心を開くと重い。
「ちゃんと離す気あんのかこれ……」
「ボクもぎゅってしたいのに、じゃなかった。すみません、止められなくて……」
「私でよければ、ぎゅってしますか?」
「ライラさんっ、いい――」
手を伸ばしたシャウラの前に割り込んで、先にサウラがライラを抱きしめる。
「ずるいよ、サウラ……えいっ」
シャウラはめげずに、サウラごと抱きしめようとくっつく。
「癒やされるー」
「長様邪魔です、離れてください」
「やーだー」
「頭の上でケンカしないでください……」
すでにライラが潰されそうなのにも関わらず、レイラまで混ざりたそうにしたので、カイが間に入った。隙をついて、リュナを取り上げる。
「返せっ」
「返せじゃねえよ……おい」
レイラはカイのほうに抱きついた。
「二本か三本ほど折れば……」
「怖えよ! 引き止め方が強引っつーか、雑!」
「わらわが折れなければいい、なのです」
「おいちゃんの心配もして!?」
別れの挨拶は静かに、とはいかないらしい。
「うーん、ボクは無理だけど、サウラたちはこのまま一緒に行くとか言い出しそうだよね……」
「あ」
「え? わっ、待って、だめだからね? いいって言いたいけど、困るっていうか」
「そうか、一緒に行けば――」
「聞いてよ、だめだってばー!」
「私は旅に出る、探さないでくれ」
「ちょ、来たらおいちゃんが全力で追い返すわ」
「長様、姉貴かオレのどっちかが残ればいいですよね。姉貴よろしく」
「サウラ、こういうときは姉に譲るものだ」
「無理」
「夏はレイラがいないと困るし、冬は狩りが難しくなるからサウラがいないと困るし……」
「これからの季節にオレはいらないってことですね。わかりました。冬には帰ってきます」
「勝手に決めないでよー!」
シャウラの叫びが響いても、言い合いは暫く続いた。
里を出て、カイはダラダラ飛びながら溜息を降らせる。
「ないわー」
「カイさんのそれ、何度目ですか? もう諦めてください」
「ないわー」
遠い目をしたカイの背には、ライラとリュナだけでなく、サウラも乗っていた。
「振り落としてえわー」
「ライラさんとリュナさんも危険ですよ?」
「あー、嬢ちゃんなら大丈夫だからさー」
「カイ、リュナが怖がるからダメ」
「ないわー」
溜息が枯れても文句は言いたい。
「ルクヴェルに戻ってからが更に憂鬱だわー」
口に出して発散するくらいしか、気を紛らわせる方法がない。
「結局、念話石もレイラに譲らねえし……」
「ライラさんから貰ったものを譲るわけないじゃないですか」
「シャウラさんには別のを預けてきたから、何かあったら教えてもらえるよ」
「オレだけだと思ったのに。念話石って、残っている数が限られているんじゃないんですか?」
「嬢ちゃんが配った念話石は他にもあるよー」
「く、配ったって言うほどの数はない、はず……」
「少なくても配ったもんは配っただろ」
「ご、ごめんなさい……」
カイが再び愚痴を言おうとした時、遠吠えにも似た声が聞こえた。苦しそうな悲鳴にも聞こえる。
「カイ、もっと低く飛んで、引き返して」
地表にあるものが確認できる程度には低く飛んでいたが、詳しい状況を確かめたい。声の主を探さなければ。
「ほっときゃいいんじゃねえの?」
カイは止めようとしながらも、ライラに従って声がするほうへ引き返す。
「聞いちゃったからには、確かめたい」
ライラの耳には、「助けてくれ」と聞こえたのだから。
「見つけた。リュナはカイにしっかり掴まっててね。サウラさん、リュナのことお願いします」
ライラは先に飛び下りて、雪の上に着地する。
ぐちゃぐちゃに荒らされた雪の中には、三メートルはありそうな男が倒れていた。体の一部は雪に埋まっていて、見えている部分も正常とは言えない。背には魔物と似た魔力を漂わせた黒い体毛が生え、緑の皮膚が斑に黒く変色している。かろうじて生きている気配はするが、ライラが近付いても動かなかった。
急いで浄化魔法をかけると、背に生えていた黒い体毛がごっそり抜ける。
緑へ戻った皮膚には紫の血がついていたので、回復魔法も使う。目につくところに傷は見えなかったけれど、血が飛び散っているなら怪我をしているかもしれない。
「大丈夫ですか?」
雪を避けながら声をかけても、男は動かず反応もないまま。
少し離れたところでカイが人化して、サウラだけ背から下ろす。リュナのことは正面に抱え直した。
「カイさん……もしかして、ライラさんっていつもこうなんですか?」
「おいちゃんたちの顔見りゃわかるだろ……。付き合いきれなきゃ帰っていいんだけど? 喜んで送り返すわ」
「里に監禁するより、オレが出てきたほうがマシだったでしょう?」
「待つつもりだったくせに、どの口で……」