春祭りの後も
額をぶつけ合ったサウラとレイラを治療して、里に戻る準備をする。
ライラは春祭りの衣装を脱ぎ、長袖のシャツとショートパンツに着替え、防具も身に着けておいた。
「遭難者の救助って、どの範囲を探せばいいんですか?」
「オレたちが探すのは、一番吹雪が強まった辺り……里までの直進ルートですね」
「もう吹雪が弱まってきたから、すでに自力で帰っている者もいるだろう。残っている者は、埋まっていることが多いな」
「えっ……」
「穴を掘って避難したまま、出られなくなったりするんです。埋まってる場合は掘り起こします。踏まないように気を付けてください」
「他の場所は探さなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、オレたちだけで探すわけじゃないので、大丈夫です」
魔素の荒れた吹雪で方向感覚を失い、夜神の神殿とは別方向へ離れてしまった者の捜索は、他の者が担当する。雪登り中に迷って森へ入っていたとしても、木に隠れて吹雪をやり過ごしていれば、見つけた者が掘り返す労力はあまり必要ない。意外にも直進で帰れる斜面が一番、発見した時に救助するのが大変なのだという。
神殿へ到着できていた者たちが、手分けして捜索するため出発していく。
「今年は全員が自力で帰れてるといいんだけど……」
「去年はたしか、山の端まで行って、ブルーベアを土産にした者がいたな」
「魔物はほとんど逃げてるはずなのに、遭遇するほど離れるまで迷ったことに驚いた」
「迷ったのにそこまで離れるくらい移動した度胸を褒めろよ」
「お前だったのか」
用意されていた食料はほとんど残らなかったので、回収する物は少なく、皆到着した時同様に身軽なままだ。空になった酒樽は処分してしまったらしい。
サウラとレイラも、自分たちが使った部屋や広間の床に汚れが残っていないか、忘れ物がないかなどを確認して、神殿を出る。手には、縄の付いた板を持っていた。
「ライラさんも使いますか? それとも、このくらいの乱れなら飛べそうですか」
「飛べると思います」
「おいちゃんは、リュナ連れて上から戻――」
「わらわも探す! なのです」
「……必要なのは、カイさんのほうだったみたいですね」
リュナのお願いに逆らわず、カイはサウラから板を受け取った。
「雪に沈まないよう上に乗って、滑り降りるだけですから」
「わかったよ。落ちるんじゃねえぞ、リュナ」
「まかせろ、なのですっ」
「髪は掴まなくていいんだけど」
帰路は下り坂のため、走るよりも滑ったほうが楽だ。板は雪に沈まない素材で作られている。
「直進ルートだから使える道具なんですけどね」
「やったことないから、私も滑ってみたいかも」
「すみません、予備は一つしか持っていなくて……」
「ライラは私の後ろに乗るか?」
「えっと……沈まないように気を付ければ大丈夫ですよね」
ライラは斜面に飛び出して、風魔法で滑り降りる。結界も併用していた。
「できたっ」
『あたちもおてつだいなのー』
嬉しそうな声と楽しそうな声が遠ざかるのを、サウラとレイラが慌てて追いかける。
カイもリュナに催促されて滑り出した。
気配を探って下るうちに、三人目の遭難者を発見した。
「ありがとうございます。精霊に頼んで氷の穴を作ったのはいいけど、上方向に出られなくなっちゃって……」
「里に帰る体力は残っているか?」
「あっ、それは大丈夫です」
引きずり上げたレイラに改めてお礼を言って、ダークエルフの女性が頭を下げる。
レイラは念のため里の方角を伝え、再び滑り出す。ライラたちもレイラに続いた。
手を振って見送る女性に、手を振り返して、次の気配に集中する。
「この辺りまで来れば、大丈夫だとは思うが……」
昨日の時点で氷像に連れ戻されたか、すでに帰っているか。里の近くで残っていることは少ない。
「あの、里のほうですごい煙がっ」
「あれは気にしなくて大丈夫です。夜に食べるタラムを作っているだけですから」
まだ吹雪いているが、雲は薄く明るいので煙が見える。何かあったのではと心配になるほど大量の煙は、毎年のことだ。
「目印になっていいですよね」
「知らないと心配になります……」
「この距離なら目印なんていらないだろう」
速度を落として里へ近付くと、甘い香りが漂ってくる。空腹が刺激され、今すぐ食べたくなった。けれど、タラムが食べられるのは夜になってから。
途中で掘り出した遭難者だけでなく、雪登りへ参加した全員が戻るのを待つ。
「着いたら、先に長様のところへ行きましょうか。届けるものがあるんでしたよね?」
「はい」
「届けたあとは……今夜も泊まっていきますか? 夜にしか食べられないものもありますから」
「いいんですか?」
「もちろん。祭りは雪登りまでですけど……タラムを食べるまで祭りは終わらない、って言う者もいますからね。せっかくなら食べていってください」
里の長シャウラは、サラに抱きつかれた状態で座っていた。
「神殿の鍵、確かに受け取りました。届けてくれたこと、感謝します。手紙の内容は……儀式に関することは言えないので、お伝えできませんが……。儀式を行う当事者となれば、他の種族の方でもお伝えすることになるんですけど……」
「気にしないでください」
「……気にしているというか、そうなったらって、あー、サラちょっとやめてったらー、大事な話してるのにゃー」
最後まで言わせてもらえなかった。さらに、「に」のところで耳に息を吹きかけられたせいで、語尾がおかしなことになっている。
「す、すみません……。疲れているでしょうから、この後はゆっくり休んでください。里には、後何日滞在してもかまいませんし、いつでも来てください」
「ありがとうございます」
シャウラの手から零れる光が、黒花の髪飾りに吸い込まれた。
花弁に薄紫の模様が刻まれる。
「案内なしで結界を抜けられますから、次は壊さないでくださいね」
「は、はい……」
「他に必要なものがあれば、言ってください」
「あっ、お酒をお土産にしたいので、譲ってもらえると嬉しいです。対価はこれで……」
ライラは緑色の竜結晶を取り出して、テーブルに置いていく。硬貨より物、食料だと日持ちが気になる、などと考えた結果、手持ちの中から思いついたのが竜結晶だった。
「魔石? じゃない、高品質の竜結晶……こんなに受け取れません」
「滞在中ずっとお世話になってばかりなので、お礼もしたくて」
「祭りの後で数が少ないので、お渡しできる酒樽も多くはないのです。五つくらいまでなら……だから、いくらなんでも多すぎます」
里の外での価値に疎くても、貴重なものだということはわかる。
ライラはシャウラの説得をすぐに諦め、サラを見た。
「えっと、サラさんお願いします」
「わかりました。貰えるものは貰っておきましょう」
「サラ!?」
「ライラさんが価値をわからずに差し出したわけじゃないでしょう」
貰うと決めたら早い。サラがどこからともなく取り出した袋へ、竜結晶を入れていった。
「お、落としたりしないでね」
「落として割れるとしたら机か床のほうですから、ご心配なく」
「心配だよ!?」
「可愛い反応……」
サラはシャウラの頭をポンポンしてから、竜結晶の入った袋を持って部屋を出る。
「押しつけたみたいでごめんなさい……」
「うう……サラの決断早すぎだよ……」
夕方になり、里の皆へタラムが配られる。タラムは、甘い樹液や果実を使った菓子で、祭りの後や祝い事の時に食べるもの。前日祭の時のように広場で酒を飲みながら食べても、家で食べてもいい。どんな時に食べられるかは決まっているが、食べ方は決まっていないようだ。
レイラが全員分を受け取ってくると言うので、ライラたちは来客用の建物で寛いだまま待っていた。
食事の準備は済ませてあり、後は食べるだけ。
戻ってきたレイラに、リュナが真っ先に飛びつく。
「早く食べたい、なのです」
「焦るな。多めに貰えたから、三つは食べていい」
「姉貴が強引に頼んだんじゃないよね」
「クウリがもふもふに食わせろって渡してきた」
配っていた者のうち一人の女性が、リュナを気に入っていたらしい。まだ小さい子だからたくさん食べるだろうと、気遣ってくれたという。
「それと、酒も貰った。ミシャリとリタの実を漬けた、って言ってたな」
カイはタラムよりも果実酒に食いついた。
全員が席につき、さっそく飲み食いを始める。
タラム以外にも初めて見る料理が並ぶ。ふわりとしたスポンジケーキのように見えて、味はしょっぱい野菜を蒸したもの。水色の豆を茹でたものは、味付けなしでもピリ辛で肴になる。
ブルーベアの香草焼きは、初めてではなかったけれど、今までより香りが強い。カフェルを使ったモチモチの生地に、挟んで食べても美味しかった。
「果実酒も美味しい」
「ソーナに果実を漬けただけらしいが、思ったより甘くないな」
里で作られた薄紫の澄んだ酒に、ミシャリとリタの実。ミシャリ水や、干したリタの実で味わう甘さより、すっきり感じる。
「実を食べながら飲むのとは違うな」
貰い物だから量が少ないとわかっているせいか、レイラは機嫌良く二杯目を注いでも、一気に飲むようなことはしなかった。
「今飲み干すにはもったいない。サウラ、いつもの樽で出してくれ」
「昨日で飲み終わったよね? 二瓶持ってきてるけど、これは――」
「いいから出せ」
「最後まで聞いてよ。これも違う果実が入ってるから、甘いよ? それに――」
「出せ」
「わかった」
レイラの押しに負けて、サウラが濃い青になった酒を注ぐ。
「ライラさんとカイさんは気を付けてください。甘みが強いのと、元のソーナより酔いやすいんです。少し薬草も入っているので、体質に合わないようなら、すぐ飲むのをやめてくださいね」
「とりあえず飲んでみます。あっ、私もいくつかお酒出しますね」
「おいちゃんは遠慮しとくわー。嬢ちゃん、その火酒こっちにちょーだい」
「割るときは、リュナのグラスから離して置いてね。ミシャリ水も琥珀色だから」
「ああ、形が違うグラスを出します」
食事が終わっても、賑やかに酒が進み、椅子に座っているのも大変になる。
ソファーへ移動する頃には、できあがっていた。
「まだ帰らなくていいだろう? ここに住めばいい。リュナの修行もできる」
「ねみい、なのれす」
レイラはリュナの耳をひたすらもふる。カイが助けに入っても離す気配すらない。
「そろそろ、リュナのこと寝かせてやってくれる?」
「帰さない」
「あうー」
リュナが首にぶら下がり始めてから、やっと解放された。
カイはリュナを運ぶために席を外す。
名残惜しそうな様子を見せたレイラだが、運ぶ邪魔はしない。今度はライラの隣へ移り、さらに酒を飲む。
ライラは先に、サウラに捕まっていた。姉弟に挟まれて、注がれるだけ飲んでいく。
「もう帰したくない」
「行かなきゃ、いけない、ところが」
「やだ、帰したくない」
「姉貴待って、ライラさんの首絞まっちゃう」
「首じゃなければいいのか」
何か思いついたような顔をして、レイラが一人納得したとばかりに頷く。そして、ライラをくすぐり始めた。
「帰らないと言うまで拷問する」
「くっ、くすぐりゃないれぇ」
「やめない」
「ある意味拷問だけど、何か違うよ姉貴……」
「サウラさ、肩、離しっ、立てらぃ」
「何のことですか?」
あからさまに肩を押さえているのに、サウラは知らないフリをする。
レイラは自分が笑いながら、ライラの脇腹や太ももをくすぐり続けた。
「もっ、むり、です」
「まだ大丈夫ですよ。話せるうちは、ね」
震えるライラの顎を持ち、涙を舐め取る。
「タラムより甘く感じますね」
「本当か?」
手を止めたレイラも、反対側から舐める。
「実際に甘いわけではないな」
「でも、甘い」
「な、何度も、確かめないで、ください……」
戻ってきたカイが、向かいに座った。
「どういう状況?」
「ライラさんが甘いんです」
「ライラが甘いんだ」
「わかるけど、わかんねえ」
カイは呆れた表情を作ってから、少し首を傾げた。
「今の嬢ちゃんを、直視して平気なんだな」
「正直、平気じゃないです。ただ、最初より慣れたかと」
「とにかく可愛いな」
「慣れ、いや……」
あいつらか、と口の中で呟く。
「抑えたら抑えたで危険だな……」
「何か?」
「こっちの話。それより、二人ともそのへんにしとけ」
「すみません、つい」
「すまないな」
「だいぶ酔ってんなあ」
けらけらと作り笑いで、酒を飲み直すカイ。
「一生閉じ込めておきたい」
「長命種の一生分とかやめてくれる? ま、おいちゃんが必ず連れ出すけどさあ」
「寂しくなるじゃないか。いなくなったら、どうすればいいかわからない」
「いやいや、嬢ちゃんとリュナがここにくる前は、いなくても生活してただろ」
「カイさんが出ていっても、姉貴は寂しがりますよ」
「ありがたいけど嬉しくねえ」
酔っ払いたちの夜は長く、短い。