商人と冒険者と、回復魔法
まだ朝日が目に眩しいうちから、外では仕事や日々の家事を始めた者たちの声が増え始めていた。
族長の家では特に急いだ様子もなく、ライラとアーロイが軽い朝食を楽しんでいる。別れは名残惜しかったけれど、顔には出さずお互い昨日と同じように接していた。
「商人たちと一緒に村を出るのよね?」
「うん、道案内してくれるって。どんな人かな」
「優しい人よ。アタシはライラともっと話したかったけど、一人で行かせるのも心配だし、諦めて見送るわ。渡した弓もすぐ使いこなしちゃって、もう教えることないもの」
「アーロイの教え方が上手だったんだよ。普通の弓もあったのに、魔導具になってる弓を出された時はびっくりしたけど」
「教え方の問題かしら。あれは、この村にはまだ使いこなせる人がいないのよ。もっと改良して、精密な魔力制御と操作ができなくても使えるようにしたいの。渡したのが未完成ってわけじゃないのよ? 簡易化してないから、ライラみたいに使えるならそのほうが強いわ」
最後の一枚になったワイルドボアのベーコンを口に入れて、食べきれなかったパンは清潔な布に包む。
最後に二人で蜜漬けのパイラスを味わっていると、商人を連れたゼロスが戻ってきた。出発の準備が終わったことを告げ、ライラに商人のことを紹介しながら入ってくる。
紹介された商人フェリックスは、にこやかに微笑み会釈した。
「はじめまして、ライラさん。助けていただいたのに、今までご挨拶もできず申し訳ありませんでした。フェリックスではなく、気軽にフェルと呼んでくださいね」
狐の尻尾をふさふさ揺らし、目尻の皺を笑みで更に深くしながら話す。その様子は、目覚めてすぐから仕事をしていたにも関わらず元気そうだった。
「フェルさん、街までよろしくお願いします」
「こんな美しい女性なら、街までと言わず、今後も仲良くしていただきたいですね」
フェリックスは大げさな動きで杖を上げるが、まだその杖に慣れていないのか少しふらついてしまう。
「いやあ、つい今までのように動いてしまいますね。早く慣れないと」
「もしかして襲われた時の……」
怪我が治り、意識が戻ったことをライラは聞いていた。けれど、治ったというのが、左脚を失ったままの状態だということは知らなかったのだ。
思わず一歩踏み出したライラは、そのままフェリックスに向けて回復魔法を使っていた。生まれつき歩けなかった前世の記憶を思い出して。前世と違い、治す術があるのなら。フェリックスは生まれつきではない、慣れて諦めてしまう前に、これ以上苦しむ前に、と。勝手だと思っても、止められなかった。
「これは……っ」
フェリックスが変化に戸惑っているうちに、脚は元通りになっていく。
欠損を治す回復魔法の存在は知られていたが、こうして前触れもなく使えるとは誰も思っていなかった。
ゼロスもアーロイも呆然と見ているだけで、戻ったばかりの左脚にライラが触れて確かめるのを止めもしないでいる。
「痛みとか、変な感じとか、まさか長さが違うとかないですよね?」
ライラに声をかけられても、フェリックスはまだ信じられないといった顔をして、その場にへたり込む。
脚へそっと触れ、動かしてみたり、軽く叩いてみたりして、少しずつ実感が出てくる。そしてようやく、感謝の言葉が絞り出された。
「……左足の靴も、用意しないといけませんね」
へにゃりと耳を下げながら、青い瞳が溶け落ちそうな涙を溢れさせた。几帳面に畳まれたハンカチで目を隠し、杖を持たずに立ち上がる。
「今後いつでも、ライラさんの望む品があれば言ってください。ぼくはこれでも、あちこちに顔が利きますから」
「それなら、いろんなお酒を教えてください。たまにおじいちゃんのところへお土産にしたいんですけど、どんなものがあるかわからなくて。あと、なんだか落ち着かないので、さん付けもかしこまったのもなしでお願いします」
「欲のない人ですね。ただ、これは癖みたいなものでもあるのですが。わかりました……いや、わかったよ、ライラ。お酒とか、食品関係はわりと手広く扱っているから、任せて」
用意してほしいではなく、教えてほしいだったのは、ライラなら自分で取りに行ってアイテムボックスで運べばいいと思ったからだ。決まった相手にしか売ってもらえないようなものがあれば、その時に頼めばいいだろう。
そうしてフェリックスの涙も戸惑いも落ち着いた頃に、やっとの思いで声を発したゼロスとアーロイに連れられ、村の入口へ向かった。
途中の店でライラは蜜漬けを買ったりして、他の者を待たせているのだからと急かされたが、困り顔のフェリックスはそれでも嬉しそうにしていた。時折強めに地面を踏んでは、改めてその感覚に喜んだ。
馬車を停めた場所に着くと、狸獣人の男の子が仁王立ちで待っていた。
「おいフェル! 遅かったな」
「カール、仕事の時はそういう話し方をするんじゃない」
「今はいいだろ! って、その子がライラ?」
狸耳をつねられそうになって慌てて避けると、フェリックスの近くに立っているライラにやっと気付いたようだ。
「女性を指差してはいけないよ。ごめんね、ライラ。彼はカール、ぼくの部下で、君の一つ下になるかな」
フェリックスはカールが「嘘だろ」と呟いているのを放置して、護衛の冒険者たち三人のことも紹介する。
護衛の冒険者は、鳥獣人のグライフとアドラー、狼獣人のノルベルト。順に呼ばれた彼らは、フェリックスが杖を持っていないことに気付いて、この場で理由を聞いていいものか悩んだ。
グライフは表情こそ変えないものの、鋭い赤錆色の瞳に困惑を浮かべていた。
灰色の尻尾を揺らすノルベルトは、グライフの左腕があったところをちらりと見た以外、笑顔を作ってフェリックスに向き直る。
アドラーも、茶色い翼をソワソワさせただけで、疑問を飲み込んでライラに手を振った。
それぞれ挨拶を済ませていると、クラトスがケイロンとアスクレーを連れて見送りに来た。三人も杖のことに気付くと動揺して、まさかといった顔でライラを見る。村で義足を用意した覚えなどない。
それから慌てて、質問責めにしそうなケイロンを二人がかりで押さえた。
「ライラ、オレたちが捕まえておくから、早く馬車に乗れ」
「そうですー急いでくださいー」
クラトスとアスクレーに急かされ、ライラは紹介されたばかりの冒険者たちに馬車へ乗せられる。
馬車といっても、ひいているのは馬に似た何か、よくわからない生き物だ。その馬が気になっていたライラは、撫でたかったと少し残念そうにしていた。
「落ち着いて見送りもできなくて、すまない!」
「兄さんたちには、アタシから話しておくから」
慌ただしくゼロスやアーロイからも声をかけられ、馬車が走り出す。
手綱を握ったノルベルト以外、予定では歩くはずだった護衛まで乗り込んでいる馬車の中は狭い。アドラーは足がはみ出していた。
小柄なライラがつぶれないか心配して、皆口々に謝っている。
グライフの翼がクッションになって、揺れの痛みも感じなかったライラは、密着したことに焦る男たちの気持ちなど知らずにケロリとしていた。それどころか、触れた翼が想像よりモフっとしていたことに気を取られている。斑な茶色に、長い髪と同じ濃い金が混じった翼に包まれ、心地いい。
いざという時は飛行魔法も使える鳥獣人の二人が徒歩で護衛をして、鼻が利くノルベルトに手綱を任せる予定だったのに。
焦って乗り込まず最初から飛ぶべきだった、と気付くのは、村を離れて減速してからだった。
「もう降りるっす! ライラちゃんごめんっす!」
足が外へはみ出したままのアドラーが、顔を真っ赤にして馬車から飛び出そうとする。
「気にしないでください、アドラーさん。近くに魔物の気配もないので、そんなに慌てなくても」
「このままというわけにはいかないだろう。……その、俺の翼から手を離してくれ」
グライフは困ったようにライラから顔をそらしていた。ライラ本人は気にせずくっついているので、あまり強く言えない。
ここでいったん馬車を停めると、ライラ以外の全員が降りて一息ついた。
「積荷は無事か?」
ノルベルトは中の様子を直接見ていなかったので、怪我の他に積み荷も気遣って声をかける。
服の乱れを直しながら、フェリックスが笑顔でうなずいた。
「ぼくたちが精神的に疲れたこと以外は、大丈夫だったよ。ノルベルトはやっぱり馬の扱いが上手いね」
以前から何度も護衛をしていたから慣れた馬だというのもあるが、共に生き残ったからなのか、馬たちからとても懐かれているようだ。
少し水を飲んだだけで再出発しようとする彼らの前に、ライラが馬車から飛び降りる。
「グライフさんの左腕、治してもいいですか? フェルさんの脚は勝手に治してしまったので……」
聞かれたグライフより先に、アドラーが目を見開いて反応した。
「まじっすか? それ、義足じゃないんすか? ぜひお願いするっす!」
「待て、お前が勝手に決めるな。左腕ならどうとでもできる。必要なら義手でも何でも買えばいい」
掴みかかりそうな勢いのアドラーをグライフがとめる。片腕でとめたグライフには、ライラを利用するつもりがないのはもちろん、冒険者をしているのだからいつかこうなることもあるという覚悟があった。
ワイバーンに襲われて、仲間を失わず左腕一本で済んだのだ。悔やんでいた依頼主の左脚が治っているなら、自分のほうはかまわないと思っている。
義足だと思っていたのはカールも同じで驚いていて、何も言えず固まっていた。
真剣な顔になったノルベルトが頭を下げる。
「……オレからも頼むよ」
「ノルベルトまで勝手なことを……。俺が気にしていないのだから、ライラに迷惑をかけるな」
言い合いになる三人組を見ていると、グライフ本人も治されることが嫌なわけではないとわかって、ライラは回復魔法を使う。怒られたら逃げたほうがいいのか、などと考えながら。感謝を強制する気はなく、あくまで自己満足とわかっていた。
「っ……俺はまだ、治してほしいとは……」
「すげえっす! 治ったっす!」
戸惑うグライフの腕にしがみついて喜ぶアドラーと、無言でライラの手を握り何度も頷くノルベルトは、目に見えて嬉しそうだった。
ライラが魔力切れを起こした様子もないのを見て、グライフは安心しつつ、諦めたような溜息を吐く。
「この礼は、どんなことでもする。何でも言ってくれ」
「私が治したかっただけで……あ、街に着いたら、おいしい食事のお店を教えてください。初めてだから何も知らなくて」
ライラの返事を聞き、静かな森にそれぞれの叫び声や溜息が響いた。