第弐話
結局、その日は気付いたら夕方になっていて、僕は慌ててヤコちゃんコンちゃんと一緒に、今日の夕ご飯の支度にかかるけれど、その前に、妲己さんのいなり寿司を取って来ないといけないことを思い出して、慌てて伏見稲荷の方へと向かいます。
「もう、白狐さんたら……」
とりあえず歩けるし走れるけれど、ちょっと腰にきちゃってる。油断するとへたり込みそうになっちゃう。
僕は、まだ上気している頬を擦って、少しでも赤みを取ろうとしながら伏見稲荷に向かって走ります。
そしてそこに着いたあと、入り口から少し入った所の建物に向かいます。
実は、普通の人には九尾のいなり寿司は見えないんです。少しでも妖気を体内に持っていないとね。
だから、人間界の伏見稲荷の方に置いてあっても大丈夫なんです。今までも、間違って人間が食べちゃったなんて事はないからね。
そして僕がその建物に着くと、なんとそこに居た香奈恵ちゃんが、その場に座りながら振り向いて来ました。
お友達と遊んで帰って来たみたいだけれど、こっちに寄っていたんですね。
「香奈恵ちゃん、どうしたの?」
そう声をかけるけれど、良く見たら、その膝に誰かを寝かしているような……。
「お、お母さん……どうしよう。こ、この子……」
「えっ? あっ……!」
香奈恵ちゃんが、何か訴えるような目で見てそう言ってくるから、大変な事でも起きたのかなと思って近付くと、人型の妖狐の男の子が、その手にいなり寿司を手にして眠っていました。
待って……これってもしかして、妲己さんのいなり寿司?! この子食べちゃったの!?
「か、香奈恵ちゃん! 急いで吐き出させて! それ九尾用のだから、強すぎる妖気でその子死んじゃ……」
「お母さん……あのね、この子人間の男の子だったんだよ」
「へっ……?」
僕がその子に近付いて、何とか吐き出させようと手を伸ばしたところで、香奈恵ちゃんがそう言ってきました。
思わず手を止めちゃったけれど、そうだとしたら、尚更吐き出させないと!
「お母さん。九尾用のだったら、普通人には見えないよね。私見てたけれど、この子お腹が減ってたのか、この建物に安置してあったいなり寿司を取って、必死に食べていたの。止めようとしたけれど、もう遅かったよ。そしたら、見る見る変身していって……こんな姿に……」
「うん、分かった。だけど、このままじゃあその子死んじゃうよ。手伝って」
そして僕は、その子の顎に手をやり、顔を持ち上げると、口を開かせようとします。
サラサラしている短めの茶髪に、まだ幼さが残る顔立ち。香奈恵ちゃんと同い年かな?
だけど、その子は苦しそうにはしていません。スヤスヤと寝息を立てていました。
「あれ……?」
普通は、受け入れきれない大量の妖気を取り込むと、妖気中毒を起こして呼吸困難になるのに……この子、そんな様子は一切なく、気持ち良さそうに寝てる。
「香奈恵ちゃん……何かした?」
「私は何もしてないよ! この子ある程度食べたら、そのまま倒れ込むようにして寝ちゃって……私の言葉も一切届いてなかったから、どうしようかと思っていたの」
それでも、そのまま膝枕するのもどうかと思うけどね、香奈恵ちゃん。
「香奈恵ちゃん。それでも同い年の子を膝枕するのは、恥ずかしくなかったの?」
「へっ……?」
全く恥ずかしくなさそうですね。「なんで?」って顔をされました。
それにしても、九尾用のいなり寿司を食べちゃったからか、この子のお尻に、小さな9本の狐の尻尾が生えちゃってます。
さて、どうしよう……。
「とにかく、ここにこのままって訳にもいかないから、家に連れて帰って妲己さんに見て貰おう」
「良いの?」
香奈恵ちゃんが心配そうにそう聞いてきます。
この子が人間の男の子だったとしても、取り込んだ九尾の妖気を何とかすれば、戻るんじゃないのかな? だとしたら、妲己さんに見て貰うしかないんです。怒られるのは覚悟でね。
「どっちにしても、このまま家に帰すわけにもいかないしね」
「うん、分かった」
香奈恵ちゃんでは抱っこが出来ないから、僕がその子を受け取ると、そのまま抱き上げて家へと向かいます。
「椿ちゃん……お母さんって感じ……」
「あのね……つい最近まで、こうやって君を抱っこして、伏見稲荷まで散歩に来てたんだよ」
「あっ、そうだった~あはは」
本当にひたすら抱っこをせがまれたしね。今思えば、カナちゃんだったからなんでしょうね。
そんな事を考えながら、僕達は家に向かって歩いて行きます。
―― ―― ――
そして家に帰り着くと、早速空いてる部屋にその男の子を寝かして……僕は帰ってきた妲己さんにほっぺを引っ張られます。
「な~んで、もっと早く取りに行かなかったのかしらね~」
「も、もんふはひゃっほはんに!(文句は白狐さんに)」
必死で妲己さんの腕をタップして、許しを請うけれど、妲己さんは全く力を緩めてくれません。ほっぺがちぎれるよ!
「白狐とイチャコラしてたから取りに行けなかったの~? その前に取りに行って欲しかったんだけどね~」
だから、そういう文句も白狐さんにしてよ。僕は悪くないよ!
「まぁ、起こってしまったのはしょうがないわ。妖気を抽出すれば戻るしね」
すると妲己さんは、そう言ってようやく僕のほっぺから手を離しました。僕のほっぺはそんなに抓りやすいのかな?
自分のほっぺを撫でながら、とりあえず九尾化した男の子の方を見てみると、丁度目を覚ましたところでした。
「あ、あれ……僕は……」
「あっ、気が付いた? あの、でも……自分の姿はあまり見ないでね」
そして目が覚めた男の子に向かって、香奈恵ちゃんがそう言います。ちょっとお姉さんっぽい喋り方だけど、君もその子と同い年くらいだからね。
「君は……あっ、そうだ僕、お腹が空きすぎて倒れそうになって、そしたら神社の中に美味しそうな御稲荷さんがあって、皆見えてなかったから、こっそりそれを食べちゃって……でも、中々減らなくて、喜んで……そしたら、体ムズムズして……僕、いったい……」
その男の子は混乱しているみたいで、辺りをキョロキョロ見渡しながら、自分の手を見たり、体を確認したりしています。
後ろは見ないでねって思っていても、どうしても違和感があるから確認しちゃうよね……。
「えっ……何これ? 尻尾……へっ? へっ? み、耳が……わぁぁぁあ!! 痛っ!!」
「あっ、落ち着いて! 大丈夫だから!」
すると案の定、その男の子はお尻と頭に変な感覚を覚えたのか、お尻を見たあとに頭にも手をやって、自分にはないはずの狐の尻尾と耳を見て触ってしまいました。
そのあと驚いて引っ張っちゃってます。取れないってば……。
でも、懐かしいな。僕も昔、妖狐の女の子になった直後は、こんな風にパニックになってたっけ……だけど、すんなりと受け入れちゃったのは、白狐さん黒狐さんが居てくれたからだと思う。だから……。
「香奈恵ちゃん、君はその子の傍に居て、話を聞いて落ち着かせてあげて。妲己さん、何か気持ちを落ち着かせるものある?」
そして、僕は香奈恵ちゃんにそう言うと、妲己さんに何か良いものはないか聞いてみます。
「全く、あなたはいつもいつも誰かに頼って……まぁ、気分が落ち着くお茶ならあるわよ。その机の上に置いてあるわ」
する妲己さんは、その部屋の机の上に置いてあるお茶を指差します。
あとでいなり寿司と一緒に、ここで一服する気だったんでしょうね。急須の中に入ってるそれは、少し熱めだったけれど、飲めない熱さじゃなかったです。
僕はそれを湯飲みに入れて、その子に渡します。
「うぅ……僕、いったいどうなって……ズズ……」
半泣きにはなっているけれど、泣くところまではいってないです。でも、泣かないように我慢しているだけですね。体が震えてます。
だから、温かいお茶を受け取って安心したのか、その子は火傷しないように啜りながら、そのお茶を一口飲みました。
「大丈夫よ。直ぐに戻れるから、ねっ、妲己さん」
そしてそれを見た香奈恵ちゃんが、その子に話しかけたあと、妲己さんに確認を取ります。
「そりゃね。実は人間が食べちゃった事は、遥か昔に数回あったのよ。ただちょっと、玉藻に協力して貰わないといけないのよね~その間、机の上のお茶は飲ませないでね」
「…………」
「…………」
今なんて言いました、妲己さん。あまりにも意外な言葉で、僕も香奈恵ちゃんも無言で妲己さんを見つめています。
「妲己さん、今なんて?」
「だから! 机の上のお茶を……!」
だけど、僕達は妲己さんが言い切る前に、そのお茶はその子が手にしてるよね? 飲んだよね? って感じの視線を送ります。
「…………」
あっ、妲己さんが真顔になった。その後腕を組んでる。
「ま、まぁ……仮に飲ませたとしても……責任は私にはないわよね?」
「いや、あの、妲己さん。このお茶なぁに?」
「あの……変化した姿を永遠に固定化するお茶。だから今私は、変化が出来ないの。したくないからね、この姿が気に入ったから。だから、まぁ、気にせずいつも飲んでたけれど……私のせいじゃないわよね? てへっ」
「『てへっ』じゃな~い!!」
これは完全に妲己さんが悪い!! 可愛こぶってもだめ!
とにかく、僕はそのまま妲己さんに詰め寄ります。この子、2度と人間に戻れなくなっちゃったからね。
「どうするんですか! 妲己さん!」
「うるさいわね! 元々はあんたが私のいなり寿司を……!」
でも、僕と妲己さんが喧嘩をし始めた時、その男の子が遂に限界に達したのか、今にも泣きだしそうな顔になっていっています。ううん、もう泣くよこれ……。
「ひぐっ、ぼ、僕が勝手に神様の御稲荷さんを食べちゃったから、バチが当たったんだぁ……うわぁぁあん!!」
やっぱり泣いちゃった! だけどその時、香奈恵ちゃんが直ぐにその男の子の傍に付きました。
「あぁ、ほら、泣かないで。もう、お母さんと妲己さんはちょっと部屋の外に出てて!」
「えっ……でも……」
「何よ、まだ何とか出来るかも……」
「良いから出て行って!!」
『はい!!!!』
香奈恵ちゃんが怒鳴った……ビックリしたから、僕と妲己さんは慌ててその部屋から出ました。
「椿のせいよ……」
「半分は妲己さんのせいです……」
それでも何だか心が痛いです……そもそも、僕が白狐さんとイチャコラしていなければ……あっ、そうなると白狐さんにも責任が。
いや、もう誰の責任とか言ってる場合じゃないです。これからあの子をどうするかなんですよ。




