番外編 其ノ弐
空狐となった椿の作り出したブラックホールに引き込まれる酒呑童子は、何とかしようにも何とも出来ない状態になっていた。
何せ、その場で踏ん張るので精一杯。ちょっとでも気を抜くと、その黒い星のようなブラックホールに引き込まれ、死んでしまうからだ。
「へっ……そう簡単に死んでやるかよ」
そして、踏ん張りながら酒呑童子は空狐に向かってそう言うが、当の空狐は聞いていない。
「……んっ? 何か邪魔な奴が空を覆っていますね。消しておきましょう」
「なっ?!」
すると、夕日から上空に目をやった空狐はそう呟く。
その覆っているのは撫座頭であり、その妖怪の強化された能力で、亰骸の起こした事件の罪を椿達は被っていたのだ。
「消えろ……目障りです」
そして、空狐は手にした数珠を空に掲げ、そのまま妖気を放つ。空を覆っているものの妖気を無にするために……。
「ギェェェ!!!!」
「撫座頭?! ちっ……!」
その数珠が光輝いた瞬間、空から撫座頭の悲鳴が聞こえ、何かが落ちてきた。それは真っ黒な物体になっていて、一瞬撫座頭だとは分からないだろう。
だが、撫座頭は空を覆っており、空狐がそれに向けて、何もかも無にしてしまう数珠の力を放ったのなら、落ちてきたのは力を失った撫座頭だと気付くだろう。
「くそっ……!」
もちろん酒呑童子はそう捉え、この展開に多少の狼狽えを見せている。
だが、彼は動けない。ブラックホールのような性質の物体が前にある以上、動くと吸い込まれるのだ。
なんとかしなければ、そうは思っていても、色んな物を吸い込んでいるこのブラックホールは何とも出来なかった。
正確にはブラックホールに限りなく近い、その場の空間だけを沈めている超重力の玉。それに引っ張られている状態が、今の酒呑童子である。
周りの街路樹は、とっくにそれに引っ張られ、小さく圧縮されるようにして飲み込まれていっていた。
「……ざけんな……更にデカくしていってんじゃねぇよ! マジで、この星をブラックホールにする気かよ!」
「そうしなければ、あれは倒せません。覚醒して復活する前に潰します。誰かさんが、覚醒までさせようとしているとは思いませんでしたよ」
そう言って、空狐は更にその超重力の玉に妖気を込めていく。
自ら発生させた物の為、空狐は完全にその力場を掌握しており、彼女が引きずり込まれることはなかった。
だから、そのまま完全なブラックホールにさせて、太陽にぶつけようとしているのだ。
「椿!!」
「椿よ!」
だがそんな時、酒呑童子の背後から2つの声が響いてくる。
それを聞いて、酒呑童子は少しだけ希望が見えたような顔をした。
「おっせぇよ、てめぇら!」
そして、そのやって来た2人の妖狐、椿の夫白狐黒狐に向かって、酒呑童子はそう叫ぶ。
「ぬっ……酒呑童子か?!」
「貴様……椿に何をした!」
もちろんこの2人も、酒呑童子が亰骸を作った事は聞いており、彼の姿を見た瞬間、敵意剥き出しの顔をした。
「ちっ……確かに椿を痛めつけたが、あんな状態になるとは思ってもいなかったわ!」
『貴様……!』
「俺に怒りを向ける前に、先ずはあいつを何とかしろよ。その為に来たんだろう!」
今にも殴りかかりそうな白狐黒狐に向かって、酒呑童子は気迫の籠もった声でそう叫んだ。
その様子から、彼は既にその場に踏ん張るのが限界なようであった。
逆に白狐黒狐は飛翔しており、更には空間に己の体を固定する妖術も発動している為、超重力の玉にはあまり引っ張られていなかった。
しかし、それは空間ごと引っ張っている為、時間の問題ではある。だが、空間と空間を楔を打つようにして移動すれば、多少は超重力の影響を受けないで移動は出来る。
「なんだお前達は?」
そしてその様子を見て、空狐はそう言ってくる。
「ふん、お前の体の主の夫だ。妻を返して貰おうか?」
「椿は、お主に体を取られるのを嫌がっていたからな」
「ほぉ……しかしなぁ、あの局面で我が出なければ、此奴はどうなっていたか分からなかったぞ? それに返すも何も、返すものはもう何もないわ」
2人の言葉にそう返しながら、空狐はあくどい笑みを浮かべて、手を自らの胸に付けた。もう諦めろと言わんばかりに。
しかし、白狐と黒狐がそれで諦める訳はなかった。ジリジリと歩みより、再度空狐に話しかける。
「いや、まだじゃ……」
「そうだな。俺達にあんな事を言った手前、あいつは絶対にまだ消えていない! 今助けるぞ、椿!」
そう言うと、2人とも空狐に向かって凄い勢いで飛んで行く。その手前にある超重力の玉など、目もくれずに。
「ほぅ、やるな……中々の手練れではないか。では、これならどうだ?」
それを見た空狐はそう言うと、パチンと指を弾き、更に黒い玉を次々と自分の周りに生み出した。
それは全て、目の前の空間を歪ませている超重力の玉であり、目の前のものほどではないが、それなりの重力を持っている。
「ほいっ」
そしてそれを、空狐は白狐黒狐に向かって全て放った。
「ふん、これくらい……」
「稲荷の祖である我に、通用すると思うか?」
しかし、それが放たれた瞬間、2人ともその身に纏った妖気を放出し、空狐の放った超重力の玉を弾き飛ばした。
「ほぉほぉ……なるほど、そこで踏ん張っている妖怪よりは厄介……いや、何か引っかかりが……我の力はこの程度では? んん?」
すると、空狐は何か不思議そうな顔をしながら、自分の手を開いたり閉じたりし始める。まるで何かを確かめるようにして。
どうやら、その椿の身体に違和感を感じているようである。何かが抵抗しているのか……それとも、椿の身体が空狐の妖気に耐えられなかったのか……。
「…………なんだ、この抵抗感。いや、この身体の魂は消えて……はっ!!」
そして、空狐が自分の身体の違和感に戸惑っている間に、白狐と黒狐が空狐を挟むようにしてその横に立った。
「諦めろ。その体、椿に返すんじゃ」
「まだいるようだな、消えてないんだな、椿! それなら……!」
それを見た空狐が、新たな超重力の玉を作ろうと指を弾く前に、白狐と黒狐は椿の体をした空狐に抱きついた。
「んなっ?! 何を!!」
その展開に驚いた空狐は、辺りに漂っていた超重力の玉を消してしまい、空間を歪ませていた玉も、思わず消してしまっていた。
「うっ、くっ……少し動揺したが、これくらい……ん? か、体が動か……!!」
白狐と黒狐に挟まれ動揺した空狐は、それでも直ぐに落ち着きを取り戻しており、2人を吹き飛ばそうとする……が、自分の体が動かないことに気が付いた。
それは完全に想定外。その様子から、椿の魂はまだ消滅していない事が分かる。
当然、白狐と黒狐がそれを見逃すわけはなく、一気に畳みかけていく。
「頑張れ、椿! 空狐の魂を逆に押さえ込め!」
「まだキツそうなら、この温もりで目を覚ますんじゃ!」
「うぐっ、止めろ、止めろ貴様等!! 分かってるのか?! 空亡を消すチャンスを、この最大のチャンスを逃すことに……!!」
しかし、白狐と黒狐に抱き締められてもまだ抵抗をする空狐は、2人に向かってそう叫ぶ。
だが、それくらいで揺らぐような2人ではない。さっきよりも、更にキツく抱き締めていく。
「知れたこと、全てを犠牲にしてまで勝とうとは思わんな」
「椿の声に耳を傾けてみろ。あいつなら、こんな方法をとらずに空亡を倒すだろうな」
「ぐっ……くっ、そ、そんな事では……空亡は倒せん。全てを犠牲にしなければ……3000年……長い時を生きて、空亡と戦い続けた我が言うことだぞ!」
だが、空狐の言うことには耳を貸さず、2人は更に追い打ちをかけていく。
『知れたこと。歴史は教訓。そこから新たに学び、新たな解決法を見つける事こそ進化というものだろう。椿は進化した妖怪だ! 甘く見るな!』
「なっ……」
2人同時に、しかも両方からそう言われ、空狐は面食らってしまっていた。
その進化という言葉に反応したのか、2人の強い意思に押されたのか、自分の中にある未だ消えないもう一つの強い意思に押されたのか、空狐のその意識が一瞬揺らいだ。
「うっ……くそ……おのれ……! ふっ、後悔……せぬことだな……」
その後何やら苦しそうに呻いたと思ったら、そう言い放って空狐は意識を失った。そのまま白狐と黒狐に身を預けながら。更にはその服装が、普段の椿の巫女服に戻っていた。
「椿? 椿!」
「椿よ! 大丈夫なのか?!」
「…………うっ、うぅ……」
そして2人の声に応えるようにして、再度目を開けてくる……が、その目の雰囲気はいつもの椿に戻っており、濁りのない綺麗な瞳が2人を見てくる。
「椿、椿だな!」
「良く戻ってきた、椿よ!」
「へっ? あぐぅ……!! く、苦しい……白狐さん黒狐さん。ご、ごめんなさい……ただいま」
しかし、椿の言葉には答えずに、2人ともしばらく椿を抱き締めていた。
そして椿も、しっかりとその両腕で2人を抱き締めた。




