番外編 其ノ壱
沈む夕日に照らされる街並み、その夕日以上に真っ赤な血で体を染める椿は、苦痛で顔を歪ませている。
酒呑童子に右腕を吹き飛ばされ、大量に出血し、痛ましい姿なのだが、痛みで苦しんでいるよりも、自分の中から何かが溢れてくるような、そのまま感情が爆発してしまうのを抑えているような、そんな感じに見える。
「……椿、てめ……いつの間にその妖具……」
そしてこの展開に、意外な顔をする酒呑童子は、こんな事になるとは思ってもいなかったようである。
その手に握られている透明に近い扇子を見て、酒呑童子は今、椿の身に何が起きてるいるのか気付いた。
彼女を止める為に、例えそれが守る側の妖怪とは言え、自分の前に立ち塞がるなら、手負いにして動けなくしておく。
その為に、心を鬼にしてその腕を、夢を掴もうとするその片腕を吹き飛ばした。
それなのに……この状況。
酒呑童子は心底焦った。
「椿!! その妖具を離せ!!」
「あっ……ぐぅ、はぁ、はぁ、駄……目、離せな……離れ……て、酒呑……童子さん」
「ちっ! 両腕無くすしかねぇか、その左腕も吹き飛ば……ぬぉわ!!」
徐々にその意識が薄れているのか、それでも椿は必死になって、いつの間にか左手に掴んでいた扇子を離そうとするも、中々手を開けないでいる。
まるで、強力な磁石でその手に引っ付いているみたいにして。
それを見た酒呑童子が、椿のその左手も吹き飛ばそうと近付くも、謎の力で吹き飛ばされた。
「ぐっ……ぐぐぐ! こ、この強力な神通力は?! 空狐……マジか、椿の中で深く眠っていて、全く起きそうになかった奴が……妖具を手にしたからって、何故急に!」
そして吹き飛ばされた酒呑童子は、それ以上は吹き飛ばないように、地面に足をしっかりとつけて踏ん張ると、そう叫んだ。
どうやら酒呑童子は、椿の中に空狐の魂があることを知っていたようである。
しかし、起きる気配もなければ、このまま椿が消えるまで寝ているんじゃないのか? そう思わせる程に、なんの脈動も感じられなかった。
それなのに、何故今こんな事に……そんな考えが、酒呑童子の頭を巡っていた。
「はっ、はぁ……よ、呼んで……白狐さん、黒狐さんを……お願い、ここに呼んで!! 僕を、僕を……ぁぁぁあ!! 消えない消えない消えない、僕は消えない! 感情も消えたくない! 思考も消さないで!!」
「落ち着け、椿……くっ! 白狐と黒狐で止められるのか?!」
「約束したから……! だから、お願ぃぃい!! ぁぁぁあ!!」
だが、椿はそう叫んだ瞬間から、全身の妖気を拡散するように放出し、無数にあった尻尾が一気に消えた。いや、透明になったのだ。
「くっ……!!」
激しい妖気の奔流で、酒呑童子はまたその場から吹き飛ばされそうになったが、何とかその場で踏み止まる。
しかし、素直に吹き飛んで距離を取った方が良かったと、酒呑童子は後悔をしていた。
「実質……力だけで言えば最強の妖狐……永遠に隠居しておけば良いものを、出て来んじゃねぇよ。椿を乗っ取ってんじゃねぇよ」
「…………」
立ち上がって空を仰ぎながら叫んだ椿は、そのまま目を閉じて佇んでいた。そんな椿に酒呑童子は声をかける。
もうそれが椿ではない、別の者になっていると分かった上で、そう話しかけた。
「椿か……良い名だったな。だが、その者は消えた……今より我は空狐なり」
「ちっ……」
感情のない目、見透かすような目、何も考えていない表情。髪は白金色でも尾は透明で見えない。
無尾の妖狐、空狐が、今この世に復活したのだった。
―― ―― ――
その頃、椿に吹き飛ばされた白狐と黒狐は、大量の妖怪達の行進の中を逆走していた。
「くそっ! 今の力は……椿が神妖の妖気を使ったのではない! 嫌な予感がするぞ! 白狐!!」
「しかし、我等に隠し事をするとはな……悲しいな、黒狐よ」
「いや、そこじゃないだろう」
自分達に襲いかかってくる妖怪達を蹴散らしながら、白狐と黒狐はそう話している。
正直、今朝から椿が何かを隠していたのは気付いていた。
椿の夫として十数年も愛で続けていて、それを見破れない2人ではなかった。
そして、それを切り札として隠しておきたかった事も気付いていた。
だからこそ、椿に吹き飛ばされた後も、行進をする妖怪達を止めながら、ゆっくりと椿の元に戻っていたのだが、それが間違いだったと気付いた。
直ぐにでも戻るべきだった。しかし出来なかった。
相手が誰なのかは薄々気付いてはいても、この大量の妖怪達を相手に、直ぐにでも戻ろうとすると、それだけの妖気を使わざるを得なかった。
相手は酒呑童子。
少しでも妖気を温存し、椿と合流したかったのだが、それは浅はかな考えだったと、今2人は後悔をしていた。
「くっ……飛翔しようにも、此奴等が邪魔をする」
「豊川、大丈夫か? 付いて来られてるか?!」
そして一緒に吹き飛ばされていた、豊川稲荷の豊川、通称トヨちゃんは……その後ろを着いて来てはいなかった。
どうやら、この大量の妖怪達の中ではぐれてしまったようだ。それに今まで気付かない程に、2人は焦っている。
「くそっ!」
「黒狐。美亜と飯綱には連絡している、この行進はその3人で止めて貰う! 我等は椿の方だ!」
「分かっている!」
「念の為に……金狐、銀狐、そして妲己と玉藻にも連絡をしておく……他の任務をしているようだから、来てくれるかは分からんがな」
そして、白狐はそう言うとスマートフォンを取り出し、その4人に連絡をとる。
それでも万全を期さなければ、更に最悪な事にもなりかねない、2人はそう考えていた。
「頼むぞ……間に合ってくれ!」
唸るようにそう言うと、黒狐は黒い雷を前方の妖怪の集団に向けて放つ。
「どけぇ!! お前等!」
その姿は、まるで黒い狼のように見えた。
―― ―― ――
「ちぃ……げふっ、戻……りやがれ椿……!」
「戻る? 戻る状態がないのに、何を言うか」
一方その頃、酒呑童子と空狐となってしまった椿は、激闘を繰り広げていた。
空狐は吹き飛ばされた右腕を、椿の中の神妖の妖気と、自身の神通力を使って再生しており、腹の傷も綺麗に無くなっていた。
服装も、巫女服に更に神々しい装いを追加させ、まるで自分が神の使者にでもなっているかのようである。
そして、今度は酒呑童子を一方的に追い詰め、ボロボロにさせていた。
ほんの数分前までは、椿が膝を突いていたが、今は酒呑童子が膝を突いていた。
「こんの……おらぁぁあ!!」
すると、酒呑童子はすっくと立ち上がり、拳に力を込めて空狐に殴りかかる。
まだまだ力尽きていないようで、その拳の拳圧は凄まじそうである。
だが、空狐は神通力で酒呑童子を止めると、そのまま空へと浮かばせる。
「うぉっ! と……てめぇ、この!!」
「無駄ですよ」
そして、浮かんだ足をジタバタさせて、何とか脱しようとする酒呑童子に向かって、空狐はそう言ってくる。
「そろそろ、その酒を飲んだ反動がきているでしょう?」
「それがどうした? 椿の顔で椿の声で、胸くそ悪い喋り方して……ぐぉっ!!」
しかし、酒呑童子がそう喋り終わる前に、体を上下反転にされ、そのまま頭から地面に叩きつけられていた。
空狐はその場から一歩も動かず、ただ滑稽に叫ぶ酒呑童子を弄んでいる。
だが、復活したからには目的があった。
それを実行するのにこいつは邪魔だ。目の前の者を消そう。邪魔な者は消す。邪魔な物も消す。
そして空狐は、左手に持っている扇子を数珠に変え、何かを呟き出す。
「ちっ……祝詞とは違う……もっと前の、神を称える謳か……!」
「その通りです。まぁ、精神集中みたいなものです。さぁ、消えなさい。黒き星の前にね……」
そう言うと、空狐は透明な数珠を手にした方の腕を伸ばし、目の前の空間を歪ませていく。
しかも、その下の地面までもが歪んでいて、まるでその空間にだけ……いや、その空間にあるチリやホコリを1つに集め、神通力にて超重力を加えているような、そんな感じになっている。
そして徐々に出来上がっていくのは、ある黒い物体……その瞬間、周りの物が引き寄せられていく。
「ぐっ……おいおい、マジかよ。んなもん作ってんじゃねぇよ……ブラックホールみたいなものなんか作ってんじゃねぇよ!!」
「空亡を倒す、究極の力……この星がどうなろうと知った事ではない。この星を糧に、復活する前に滅ぼしてやるぞ……空亡~!」
しかし、空狐は酒呑童子に目もくれず、沈みゆく夕日に向かって叫んでいた。




