第肆話
大量の黒羽の矢を飛ばした僕の妖気は、一気に減っていきます。
それこそ、今すぐにでもいなり寿司を食べて補給しないといけないくらいに。
「香奈恵ちゃん、いなり寿司下さい!」
「んっ……!」
「口でじゃなくて手で」
まさかの伏兵でした。娘と口移しでご飯を貰う親がどこにいますか! 全くぶれないですね、カナちゃん。
とりあえず目を細めて睨んだら、大人しく手に持ち替えて僕の口に入れてくれました。
「ごぉぉおお!! うぅぅ……!!」
とにかく、巨大化したあの化け物には効いています。次々と黒い妖気が剥がれていってるけれど、まだまだ小さくなりません。
どれだけ大量に黒い妖気を取り込んだの? あの1錠でどれだけの妖気が……。
そして、額の大きな角を見て、ある妖怪さんの姿を思い浮かべてしまいました。
「酒呑童子さん……?」
そう思うとほんの少しだけ、酒呑童子さんの妖気をあの角から感じるんです。どういう事……もしかして酒呑童子さん、亰骸に捕まってるの?
「椿! ボサッとしない! まだ相手は倒れていないでしょう! 次!」
「あっ、はい!」
妲己さんに注意されちゃいました。そうですね、今はとにかくこの人を止めないと! それと、次のはもう溜め終えてます。
「強化解放!!」
そして、僕はまたさっきと同じ黒羽の矢を大量に放ちます。
とりあえずまた一気に妖気が減ったので、香奈恵ちゃんに……って、またキラキラした目でいなり寿司を口に咥えてる。
「香奈恵ちゃん、2度も注意させないで……」
「んっ!!」
しかも今度は引き下がらないです。どうしてもやりたいんですね。君、僕の娘じゃなかったの? 娘として扱って欲しいんじゃなかったの?
「あ~もう!!」
時間もないし、切羽詰まった状況だから、何回も香奈恵ちゃんに注意している暇なんてありません。
これを計算しての事なら香奈恵ちゃん、君って子は本当に、どんな時でも僕への愛情表現を惜しまないですね。
「ん~!!」
しょうがないから口移しで貰いました。
もうこんな事では動揺しません。昔とは違うんです。だから、香奈恵ちゃんが恍惚な表情をしていても気にしないです。
「ぐぉぉぁあがぁあ!!」
「ん~まだ倒れませんか……もう一発ですね」
そして相手の化け物は、必死に妲己さんの妖術から抜け出そうと藻掻いています。
ちょっとだけ小さくなったような気がするけれど、それでも姿は戻っていない。
かなり沢山の黒い妖気を剥がしたんだけどなぁ……。
「しょうがないです、もう一発……」
「いや、待て椿よ!」
「雄叫びが弱くなっていってる。もしかして、限界ではないか?」
すると、様子を見ていた白狐さんと黒狐が僕を止めてきます。
そして、そう言われた僕が化け物の方を確認すると、確かに体がフラついていて、雄叫びも減って弱くなっていました。
「やっぱり効いてる」
「ふん……私の影蝋からは逃れられないからね~さて椿、あと一発入れとく?」
「いえ、もう終わりですね」
妖気が一気に霧散していくのが分かります。恐らく、中にある膨大な黒い妖気が剥がれていったから、あの体を維持出来なくなっているんでしょう。
そして更に、黒い妖気も漏れていっている。僕の妖術で、漏れやすくなったんだ。
「が……あぁぁぁ」
そのままその化け物の体は縮んでいき、そして僕達の目の前に倒れ込みました。丁度、僕達を襲ってきたあの男性の姿に戻って。
良く見たら完全に人間に戻ってますね。良かった……。
「はぁ……はぁ、良かった。あんまり被害が出なくて……」
「うむ、その通りじゃな、良くやった椿よ」
そして、妖気を沢山消費した僕は、その場に座り込もうとするけれど、その前に僕の前から白狐さんに抱き締められちゃいました。
「むぐぐ……! ちょっと、香奈恵ちゃんが見てる!」
「時には甘えろ、椿。お主は最近頑張り過ぎてる」
「うっ……」
頑張り過ぎてるのかな? でも、僕は大切なものを守りたいし、お母さんとしても……。
「椿ちゃんはあの頃から変わらないね~自分1人で何とかしようとする癖、直さないとダメだよ?」
「うっ、だから卑怯だってば、カナちゃん」
今ここで親友として言ってきますか。僕、また1人で頑張り過ぎてたのかな?
癖……そう、癖ですね。やっぱり僕はまだまだ、人間だった頃のあの時の考えが残っちゃってるのかな。
1人で生きていこうとしていた、あの頃の考えが……。
「む~分かりました。あっ、それよりも、あの人は大丈夫?」
白狐さんに抱き締められるのは良いです、大人しくしておきます。
それよりも、その白狐さんの背後から見える、化け物になった男性は大丈夫なんでしょうか? ピクリとも動かないんだけど。
そして、その人に向かって黒狐さんと妲己さんが近付いて、様子を見ています。でも、表情が険しいような……えっ、嫌な予感。
「椿、残念ながら死んでるわ」
「……そんな」
「まぁ、あれだけの黒い妖気を一気に取り込み、そして一気に剥がされたんだ、その時のショックでって感じだろうな」
「そ、そんな……僕が、殺……」
「落ち着け椿。あのようにしなければ、もっと沢山の人が死んでいたんだぞ」
ショックを受けて呆然とする僕に、白狐さんが強く抱き締めてくる。
でも、どんな理由があっても僕が殺して……今までもそんな事はあったよ。だからこそ、もうこんな事は起こらないようにと思って、強くなっていたのに……助けられなかった。
僕はまだ……弱い。
「椿よ、気休めにしかならないが……」
「うん、気に病んでもしょうがないよね……それなら動かないと」
「そう、気に病んでも……うんっ?!」
大丈夫、大丈夫ですよ……僕はもう妖狐としての自覚はある、人間とは違います。
悲しみはあるけれど、それ以上に怒りが湧いてます。それとね……僕の目は誤魔化せないんですよ、撫座頭さん!
「影の操!」
「ぬぐぁっ! な、なにを……する!」
「それはこちらの台詞です。今回の事件、この男性が妖怪化した原因を、死んでしまったその罪を、全部僕達になすり付ける気でしょう!」
思い切り撫座頭さんから妖気が噴き出しているんですよ。その妖怪さんの妖気と一緒に、黒い妖気もね。
それが日本中を覆い尽くすかのようにして、広がっていっています。
これって、今回の事件の犯人を僕達にする気でしたね。
「そんな事はさせないよ……黒羽の……」
「けっ、けけけ……うけけけけけ!!!!」
「な、何……何がおかしいの?」
いきなり大きな口を開けて笑い出して、目がないから凄く不気味で気持ち悪い。
「いけない椿、そいつを止めなさい! 白狐黒狐と手伝いなさい!!」
すると妲己さんが、また影の妖術で相手を固定させようとしてきます。
その顔は凄く必死で、まるで仇敵に向けるような表情をしています。
どうやら、なにか凄くマズい事になりそうな感じです。
「白狐さん離して……! もう一回黒羽の矢を……」
「間に合わないわ! 風で吹き飛ばしなさい! 私が何とかする!」
「――っ、風来!!」
その妲己さんの気迫に押されて、僕は咄嗟に風の妖術を放ちます。だけど……。
「けけっ……!」
撫座頭が最後にそう笑った瞬間、体が破裂し、そこから一気に大量の黒い妖気と自らの妖気を舞い散らせました。それがまるで、霧のようになって広がっていく。
撫座頭も死んだ? 違う……生きてる。だって、まだ撫座頭の妖気がそこら中に……違うこれ、広がっていっている。撫座頭が日本中を覆い尽くしている!
「間に……合わなかった。最悪ね……また日陰者の生活を送る羽目になるなんてね……椿、白狐黒狐、あんた達もよ。今回の事件、私達が犯人にされたわ。日本中の人達と、他の妖怪達全員に、それが行き渡ったわ! もう、鞍馬天狗の家にも帰れないわ」
「えっ……そ、そんな……」
あの家にも帰れないってどういう事?
人間達にだけ広がったんじゃ、それにおじいちゃん達が、そう簡単に僕達を犯人扱いするとは……。
「撫座頭は死んでいない、分かるでしょう? あいつもあの黒い妖気の薬を飲んでいた。普通ではあり得ない能力を得ていた! 私達を犯人と決め付けさせてくるでしょうね。私達が邪魔になってるから、縁を断ち切って孤立させてきたわね」
「そんな……」
つまり、鞍馬天狗の家の妖怪さん達皆が、僕達を捕まえに来るって事……? そんな、そんな事って……。
「お母さん……」
すると、僕の横で香奈恵ちゃんが心配そうな顔をして見上げてきます。
あぁ、香奈恵ちゃんは僕達の近くにいたから大丈夫だったけれど、でも君も、追われる側になっちゃったって事だよね。
白狐さん黒狐さんも、流石にこの事態に何も言えなくなっています。
2人も何もしていなかったわけじゃない。撫座頭の黒い妖気を、守護の力で抑えていたんです。それなのに、2人の力すらも弾かれたんです。
相手の黒い妖気の力を見極められなかった僕達の、完全敗北です。




