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HISTORIAE

 アントニウスの絶命を確認したフラウィアは、首を回して執務室全体を聞き渡した。

 床に倒れ伏せているある一人の男性奴隷に近づく。


「そこの君、意識はあるね」


 フラウィアは意識あるものとそうでないものの呼吸を聞き分ける、優れた聴覚を持っている。

 彼女の足音を耳にして、その男はぶるりと体を震わせた。


「私と私の奴隷に対して暴力を振るったことは死をもって償うべき大罪であり、それは君たちも例外ではないということを理解しているかと思う」


 皇女の御言葉に奴隷は反応しなかった。実際彼はすでに動ける程度には回復しつつあったが、それを隠蔽しなんとか当座を凌ごうと画策していたのである。

 その試みは、ゼノビアが彼の頭部を掴み、主人に向けて引き上げたことによって阻止された。フラウィアは彼の瞼に触れて意識があることを確かめる。

 

「良いね。――とはいえ、君たちは主人に命じられていた上に、真実を明かされていたわけでもなかった。かかる状況でなお君たちに極刑を言い渡すのは、いささか残酷に過ぎるのではないかと思うのだ」


 奴隷はぶるぶると体を震わせる。肯定も否定もできず、ただ皇帝権力の前に恐怖することしかできない。空気の動きでそれを認めたフラウィアは、慰めるよう優しく奴隷の頬を撫でる。

 ゼノビアは主人の悪辣さに、誰にも見えないところで舌を出した。


「だからもし君たちが、この場で起こった事柄を『正直に』、つまり『主人アントニウスは罪を問われて逆上し、私の殺害を試みたが、しかしそれは阻まれ、正当にも私によって処刑された』とかなんとか、そういう旨のことをいざという時に証言してくれるなら、私は君たちの命を救ってあげることもできる」


 彼はがくがくと首を縦に振る。皇女は微笑み、彼から手を離して立ち上がると、執務室全体に向かって語り掛けた。


「さあ、聞こえていた者もいるだろう。今言った通り、さしあたり君たちを処分する気は無いし、これからの働きと誠実しだいでは、恩赦によって報いることも当然考えている。動けるものは立ち上がり、君たちの友人を助けてあげたまえ。とりあえずここはもう少し使うから、君たちはいったん外で待機せよ。一刻ほどたったら中庭に全奴隷を集めろ。私が直接、ここの人々に説明する」


 彼女が言い終えてしばらくすると、奴隷たちは苦しそうながらも体を起こしていった。

 彼らはおのおの手や肩を貸しながら、部屋の外へと出ていく。

 加害者として、なんとなく気まずいものをゼノビアは感じていた。


「俺も手伝うか」

「い、いえ。お気になさらず……」

「ゼノビアはここに居なさい。動かなくていいから」


 しっかり脚を折ってしまったひとりの男に話しかけるも、怯えた様子で断られてしまう。あれだけの暴力を見せれば当然であったが、それでもゼノビアはすこし悲しくなった。咎めるフラウィアは明らかに楽しんでいる。

 おおむねすべての奴隷が退出すると、残っているのはフラウィア、ゼノビア、アントニウスの遺体、そして若干名の奴隷である。

 奴隷たちの一人はあからさまに二人に恐怖していたが、意を決したように近づくと、床に頭を擦りつけ、問うた。


「殿下。アントニウス様は」

「氷を用意できるかい?今の時期だとちょっと危ないかもしれない」


 彼は首を横に振った。恐らく花屋敷に詳しい人間ではないだろう。要するに罪が薄い奴隷である。もう少し詳しい人間を問い詰めてみるかとフラウィアは考えつつ、目の前にひれ伏す奴隷の肩を軽く叩いた。彼は顔をあげ、皇女の麗しい顔に負の感情が浮かんでいないことに、わずかに心を安らげた。


「まあ、後で考えようか。とりあえず外の涼しい場所に置いておかねばね」

「……その、身を綺麗にすることは許されますか」


 すっ、と皇女の表情から遊びが無くなったことを感じ取り、その奴隷は即座に額を地に擦り付けた。

 神々の権威に逆らった人間が、真っ当な扱いを受けるに足るか。その繊細な問題を、この奴隷は踏みぬいてしまったのである。

 とはいえ、フラウィアは機嫌を損ねたわけではない。実は彼女にも判断が付きかねた。死体を辱める権利はあるが、死体を清めることを禁止する規定などあっただろうか。おそらく拒絶するのが筋だと思うのだが……。

 とりあえず彼女は、慈悲深い皇女を演じることにした。


「血を落とすことを許す。汝らが穢れを帯びぬよう気を遣うことだ」


 奴隷は長々と感謝の言葉を並べたがフラウィアは聞いていない。彼女の肉体には限界が近づきつつあった。

 顔色で察したゼノビアは奴隷たちを急き立て、速やかに部屋を出るよう命じる。今や暴力の具現と見なされる彼女の指示は極めて強力な効果を発揮した。彼らはアントニウスの遺体を担いで、執務室を去った。

 その瞬間、くてん、とフラウィアはゼノビアに身体を預けた。

 ゼノビアが言うところの「葡萄を絞った残り滓」である。


「うぇぇぇ……、吐き気がするよう……」

「よしよし、吐いてもいいんだぞ、よく我慢したな」


 『身体不可侵権』もまた、保有者の体力を大きく消費する。半分は加害者のそれから賄われるため『命令権』ほどではないが、それでも虚弱といっても過言ではないフラウィアには負担が大きい。

 彼女はぐりぐりと奴隷のへそのあたりに頭を擦りつけた。ゼノビアは犬かよ、と笑いそうになるも、ひとまずは主人の体を慮ることにし、その背中を撫でた。


「一刻で大丈夫か」

「……たぶん」

「ちっと寝るか」

「うん……」


 その言葉を最後に、フラウィアの首はかくんと落ちた。

 忠実な奴隷は、主人の情けない姿を誰の眼にもさらすことの無いよう、注意深く執務室の扉を守り続けた。


× × ×


「……というわけで、君たちの主人は人の道を外れた行為に手を染め、あまつさえ告発しようとした私さえもその毒牙にかけんと試みたのである」


 一刻後、彼女はアントニウスの屋敷に居た使用人と奴隷たちの前に立ち、彼らに事件の説明を行っていた。

 半刻ほど眠り込んだフラウィアだったが、既に万全の体調を取り戻したかにも見える。

 むろん実態はそうでなく、単に見栄を張っているだけだった。

 ただし、この見栄というのが、ある意味では最も重要な部分ではあるのだが。


「私は『神聖不可侵』であり、いかなる者も悪意を以って損なうことができぬと首都において誓われた身である。よって私たちはやむなく、正当な権限を以って彼を処刑したのである」


 すべての奴隷や使用人が、アントニウスの悪行を知っていたわけではない。それは彼の護衛たちも同様で、彼らもただ暴力の担い手として養われていただけであったりした。彼らは突然の事態に動転している。

 いまこの屋敷に居る者の中で、かかる状況を取り仕切り得るのはフラウィアだけであり、その彼女が弱弱しい態度を見せてしまえば、今後の管理にも差支えが出てくるだろう。


「彼の身体にはその罪の証が刻まれている。よって、できれば本日、でなくとも近日中にはその身体をマッサリアに運ばなければならない」


 奴隷たちの中にはアントニウスからの恩顧を受けたものもいる。彼らは主人の死を悲しみつつも、同時にその邪悪な企みに戦慄していた。

 そうでないものたちもおおむね同じような態度であるが、彼らはアントニウスの死よりはむしろ自分たちの将来のことを気にかけている。もっともありえるのは、連座での処刑である。主人が居ない以上被害者遺族の心を慰めうるのは、加害者の所有物たる奴隷の肉体、その凄惨な破壊だけだ。

 むろんフラウィアは彼らの心境をおおむね正しく把握している。


「さて、主人が亡くなった以上、この土地と君たちを含めた彼の財産は、正当な相続人の下へと譲り渡されるのが筋である。しかしながら彼には子もなく、妻の弟も既になく、血脈を通じた相続人が不在であることが確認されている。遺言状を確認する必要があるが、問題はこのような忌まわしい事件か発生した土地の相続は、受け取ったものに対しても決して好ましい事柄ではない、ということだ。また、事件の調査に伴っては様々な問題が発生する可能性がある。よって」


 ここでいったんフラウィアは言葉を切り、目の前の人々の様子を観察する。目ではなく耳によって、あるいは全身の皮膚感覚によって。

 おおむね望ましいものを感じ取った彼女は、落ち着き払ってこう続ける。


「さしあたりこの地は私が、より正確には私が首都より派遣する代理人が管理することになるだろう。また被害者遺族との交渉も私が代理で行う。奴隷の主人に対しては損害賠償によって、また自由人の妻の夫と父に対しては、関与者の生命によって弁済を行わなければならない」


 訓練の行き届いた奴隷たちは決してざわめいたりしなかった。ただ彼らの無意識の震えは空気を揺らし、皇女に彼らの感情を伝達する。

 彼女は薄い笑みを浮かべた。


「とはいえ、である。ここの管理を行うためには君たちの今後の協力が不可欠だ。ゆえに、例の犯罪行為に直接的に関与した奴隷及び使用人のみを処刑するという条件で、事の仲裁を考えているのだが」


 言い終えるまえに、ひとりの男が塊から抜け出した。

 周囲の奴隷たちは、なぜフラウィアの背後に控えていたはずのゼノビアがそこにいるのかを理解できなかった。

 彼女はすでにその男を拘束し、芝生に這いつくばらせている。


「わかりやすくて助かるぜ」

「……ということで。後でアントニウスの記録を確認し、関与者を洗い出す。それでも足りなければ拷問になるが、何、そのようなことはしないで済むだろうよ。いずれにしても皆の協力が不可欠だ。決して、その日までどの奴隷も逃げ出したりしないよう、しっかり相互監視を頼んだよ」


 フラウィアが微笑むと、奴隷たちは恭しく礼を捧げ、新たな主人に対する忠誠を誓った。


 × × ×


 その後二人はアントニウスの執務室で記録の調査を行った。本格的な作業は彼女の代理人に任せるつもりではあるが、とりあえず被害者遺族との交渉に必要なものを集めておく必要がある。

 ゼノビアが記録を読み上げていく。彼女も今では専門用語の意味ま理解できるので、ふんふんと内心頷きつつ発声していく。

そしてようやく全ての文書が読み上げられると、主人は突然机を拳で叩いた。


「数が足りない!!!」

「足りないってなんだよ。逃亡奴隷か?」

「いや違う。被害者遺族の数に足りないのだ。一人につき一人くらい復讐の権利を与えないと具合が悪い」


 フラウィアは頭を抱え悩みはじめた。珍しい光景である。

 ゼノビアは他人事のようにそれを眺めている。そういうのは主人の仕事だと割り切っているのだ。

 そしてその主人は不意に、素敵な方法でも思いついたかのように、ぱっと顔を上げた。


「だれか適当に見繕うかな。腹が立つ奴隷とかいる?」

「やめろ、いない」

「なぜ人間は一度殺すと二度と殺せないのだろうか……。あ、奴隷か」


 最終的には、これは金銭で解決するしかなかろうという結論に落ち着いた。

 いずれにせよ、かかる事件で死体が戻ってくるということ自体稀なことである。埋葬の費用等も負担して、彼らの復讐心が多少は和らいでくれるのを期待するしかない。

 彼女が責任を負っているわけではないが、この仲裁をうまく運べば民衆の人気を得る機会となる。それを逃す気は彼女にはなかったが、やはり限界というものは存在するのであった。


 続いて彼女たちが行ったのは書簡の作成だ。フラウィアが読み上げ、ゼノビアが筆記する。取り急ぎ必要なのは三通。

 一通はマッサリアの参事会と各公職者宛。奴隷たちにも説明した通りのことを、より詳細に報告するものである。命令権保持者であり、皇帝の娘であるフラウィアの手による報告を疑うものは少ないだろうし、その僅かなものもアントニウスの遺体を確認すれば納得せざるを得ないだろう。

 もう一通は帝都にいる彼女の使用人、クロディウスに対する報告と要請。

 最後に、この二つの書簡の内容、種別、それと宛先を記した書面。

 フラウィアはこれらを迎えにくるはずの御者を介してマッサリアに送るつもりである。御者といえども彼は公的な役職に就いており、ここにいる奴隷よりは信頼される立場の人間だった。


 その旨も含め、現状この屋敷で最も地位が高く信用もおける解放奴隷の使用人に、今後の動き方を伝える。彼は誘拐殺人には関与していないことが判明しており、こうした事柄の処理にはふさわしい人物だった。なにより、字が読める。


「マッサリアの参事会には私から書簡を出しておくから、君たちにはとりあえずここの維持管理をお願いしたい。先にも伝えたが、決して逃亡が発生しないように。そうなった場合、君たちを皆殺しにする必要があるからね」


 口調はさらりとしていたが、その言葉は決して虚構ではないと使用人には感じられた。彼らはすでにゼノビアの異様な身体能力を目の当たりにし、かつフラウィアの執念深さも理解している。奴隷や使用人はほぼ全面的な服従心を抱いていた。

 それ以上に彼らの造反を抑制するものは彼女の身分である。アントニウスよりも遙かに富裕なフラウィアの奴隷に収まることができれば、これまでより多少は豊かな生活を送れるかもしれないという見込みが彼らにはあった。また、フラウィアはそれなりに慈悲深い。虐待による死がそこまで珍しくない世界では重要な問題である。

 その後フラウィアはなお念入りに、これからのことを事細かに伝え、さらに書面に起こしたものを彼に手渡した。

 できればこの場所にはもう少しくらい居たい。ただ、この屋敷にこれ以上滞在するのは些か危険ではある。

 今後の予定を踏まえても、あまりずるずると先延ばしにするのはよくないと判断する。

 彼女は比較的設計主義的なところがあった。

 

 そして、為すべきことをおおむね為し終えた後。

 奴隷たちに見送られながら彼女は屋敷の門を潜った。

 守衛の顔ぶれは変わっている。アントニウスに近しい近隣の住民の一部は、例の事件に関与していた。身寄りがなく貧しい農民を彼は援助する一方、その代わり血生臭い所行に手を貸すよう求めていたのだ。

 それが間違った行いかといえば、むろんそうである。

 ただ、かかる状況で犯罪行為に手を貸した農民を弾劾する気には、ゼノビアにはなれなかった。

 -ー彼らは単に、自らの差し迫った状況を救ってくれた人に、恩を返したかっただけなのだ。

 それでも彼らは裁かれる。当然のことだ。被害者の夫、あるいは父によって肉を剥がされて死ぬ。そう決まっている。それは理解できる。

 そのことを、どういう気持ちで受け止めればいいか、ゼノビアにはまだ、はっきりとはわからない。


× × ×


 アントニウスの別荘と街道を結ぶ小径を、フラウィアとゼノビアは並んで歩く。

 フラウィアは懐から懐中時計を取り出した。現代魔術の結晶のひとつ。彼女も制作に協力した道具である。触れるだけで現在の太陽の位置が特定できる。それは彼女にとって貴重な時間感覚のよすがであった。


「こんな時間か。そろそろ彼らも迎えに来ているだろうね」

「ま、とりあえず降りたところまで行きますか」


 二人が馬車を降りた地点には一本の大きなぶなの木が生えていた。そこをとりあえずの目的地として、道を進んでいく。

 やがて二人は舗装された道路までたどり着き、あたりを見渡した。

 フラウィアは深く息を吸う。


「いない!!!!」

「お前が適当でいいって言うからだろう」

「それは言葉の綾だ! そういう時は早めに来て私を待つのが礼儀というものだろう?私を何だと思っているのだ!」

「チビの糞餓鬼」

 

 フラウィアは怒り狂った演技をしながらゼノビアの腹を叩く。鍛えられた腹筋は軟弱な手のひらを容易に弾き、フラウィアに痛みを与えた。今度は泣くふりをする糞餓鬼を、保護者はぞんざいに慰めた。

 二人は迎えが来るまで木陰で休むことに決める。大地を刺す鋭い陽光に曝されてしまえば、無意味に体力を消耗してしまう。

 ぶなの陰に入ってしまえば涼しいものである。二人はのんびりと地べたに腰を下ろし、太い幹に体を預けた。

 しばし二人は黙って、馬車が来るのを待っていた。いくらなんでも今日中には来るはずなので、のんびりと待つことに決める。実は少し格好をつけた挨拶をしたので、フラウィアはアントニウス邸に戻りたくなかった。

 鳥が鳴いている。あの鳥の名前をゼノビアは知らない。たぶんフラウィアは知っているだろう。

 ゼノビアは問いかけて、しかし思い直した。碌なことにならないと知っているからである。

 しかし開きかけた口、そこから漏れる息は、聴覚鋭きフラウィア・ウェスティアにあっさりと察知された。彼女は尋ねるように首を傾げている。

 ゼノビアは別に抱いていた疑問を差し出すことに決めた。


「それにしてもさ、ここまでする必要、あったかね」

「どうだろうね。なかったかもしれない。でも、やるに越したことは無い。大して危険は無いしね」


 彼女の目的は単純である。この土地を自己の財産に加えることだ。

 もっとも単純な方法は、罪の捏造。前王朝末期には皇帝が好んで用いた手法だが、さすがに現在それを試すのは後が怖い。露見するまでもなく、そのような性急なやり方では人心も離れかねない。

 2つ目。罪が確定した時点で訴訟に持ち込む。後は今の手順と同じ。これが恐らく、もっとも無理のないやり方であっただろう。

 問題は、裁判にかかる時間であった。死刑は民会の合意を得なければ行使できないため、必然的に裁判にも時間がかかる。マッサリアの民会は、首都と同じく、8月。つまり最低でも2か月を要する。

 そうなった場合、今回の一連の出来事は確実に帝都にも伝わる。となれば、首都にも存在する、アントニウスの花屋敷に関心を持つ他の有力者にも察知される。あるいは、彼女に反感を持つ敵対勢力。特に妹。彼女は絶対にちょっかいを掛けてくるだろう。

 そしてなにより皇帝だ。彼が介入してきた場合、フラウィアにできることは何もない。

 よって彼女は既成事実を作ることにした。要するにさっさとアントニウスを殺害してしまおう、そして土地も奪ってしまい、あまり公の事件にはしないように取り計らおう、という算段である。

 彼女であれば裁判抜きでもアントニウスの処刑は出来た。というより、彼が奴隷を用いて彼女に刃を抜いた瞬間、フラウィアは彼を殺害する権利を手に入れたのである。

 それでも、彼が彼女を殺害しようとしたという証拠は残らない。証拠が必要かといえば微妙なところである。皇女の権威は万の物証をうわまわる。現今の法制度において、証言の有効性は証言者の人格・評判に強く依存せざるをえないからだ。

 だが、口さがないものは言うかもしれない。皇族お得意の手口。美しいものを見れば己の欲望のままに民から奪い取る略奪者。そういう印象は今だ民衆の間に残っている。その評価は間違っているわけではないのだが……。

 そういう悪評の芽を潰すべく彼女が選択したのが『神聖不可侵権』の行使だ。肉体に刻まれた殺人者の証は、彼女の証言、犯罪者の罪を何よりもはっきりと証拠立ててくれる。ならばアントニウスをして自発的にフラウィアの殺害を試みさせる必要があり――というわけで、かかる迂遠な作戦を皇女は実行したのだった。

 要するに彼女は、自身の名誉を穢しうるあらゆる要因を排除したかったのである。

 なぜなら――やがて起こり得る皇帝とその後継者との対決のため、属州に土地と縁故を作り出さなければならないからである。

 

 ゼノビアはこうした事情を理解している。しているが、そこまで強い関心を持っているわけではない。ただ、ここから何を学びうるか、それを考えるくらいである。

 個人的に気になったのは、フラウィアが口にした最後の言葉だ。

 

「危険、ね。もし俺が本当に裏切ったらどうするんだい。そうしたらお前、詰みだぜ」


 からかい半分、忠告半分だったが、フラウィアは一切遊びの無い表情で、


「その可能性を考慮する意味はない」


 と応えたのち、沈黙した。ゼノビアとしてはもう少しくらい解説してほしいところだが、絶対に回答しないだろうという確信があったため、彼女もまた口を閉じた。

 

 平原に風が吹いた。

 彼女たちが凭れかかる木の枝が揺れ、影が大地で踊る。

 不意にフラウィアは、何かを思い出したように顔をあげた。


「……いや、危険はあったか。もし彼が最後、私に情を移して殺害を放棄した場合、相当面倒だったな。君の裏切りを弁護すると私が不利になってしまう」

「ああ、あれか」


 呆れたような口調でフラウィアは言い、ゼノビアの腹をつんつんと突いた。むろん怒っているわけではなく、単にからかっているだけだ。


「ちょっとやりすぎたな。悪い悪い」

「ちょっと? 君の良心を疑うね。あれは迫真に過ぎたぞ? 告白すると、私、本気で泣きそうになったんだよ、演技だとは分かっていてもね。もう少し程度というものがあるんじゃないか」

 

 ぷりぷりと怒るフラウィアをいなしつつ、ゼノビアは想起した。あの時、フラウィアを詰った言葉を。

 一言一句、正確に思い出すことができる。それはなぜだろう。あれはどこから出てきたものだろうか? 

 あの時には、自分が裏切り者であるということを示す必要があった。そうするのに相応の動機があった、と主張しなければならなかった。

 だが、それだけか? それだけの理由であれだけの暴言を吐けるほど、自分はそれが上手かったか?

 そう、あれは、


「あれは演技ではなかったよ」


 ひどく綺麗な公用語で、ゼノビアはそう言った。

 フラウィアはきょとんとしているが、ゼノビアはそれをからかうつもりはない。

 僅かな間をおいて、フラウィアは首を数度縦に振った。


「ふむ、つまり本気だったということかい」

「半分くらいはな」


 再び間が開く。今度は二人とも役割を演じていない。

 ただただ事実を伝え、真実を受け止めているだけである。

 フラウィアは今、はっきりと困惑していた。


「えーと」

「昨日のもそうだよ。俺は本気だった。ずっとそういうことを考えている。今のうちに言っておいた方がいいよな、こういうこと。今後の為にも」


 二人の間に三度、気まずい沈黙が差しはさまれる。

 何も言葉にできない。そうすれば何かが砕けてしまいそうな気がした。

 二人はじっと、二人の間を埋め尽くすなにかが融解するのを待った。


 やがてフラウィアは立ち上がった。きっかけを作るのはいつも彼女だ。

 ゼノビアは新しいなにかが始まる予感を覚えた。

 

 そしてフラウィアは幾分躊躇するそぶりを見せた後--

 ゼノビアの肩に両手を降ろすと、指をうねうねと不気味に蠢かせた。

 異常な感覚に背筋に鳥肌を立てながら、ゼノビアはフラウィアを突き放す。


「何してんだよっ」

「い、いや。ゼノビアも疲れているのかな、みたいな。こう、ねぎらいが必要な気がして」

「そういうことじゃねえしお前の手つきはいやらしいんだよ!」


 ゼノビアは深いため息を吐いて、それでこの会話を打ち切ろうとする。

 これ以上語ろうなどとゼノビアは思っていない。どうせ伝わらないだろうと考えていた。

 だが、フラウィアはそれを許さなかった。彼女はまるで奴隷の感情が深刻な事柄であるかのように、じっとその耳をゼノビアから離さない。

 離さない。

 離さない。

 彼女はゼノビアから顔を背けない。

 ついにゼノビアは諦めた。たぶん主人は主人なりに、ゼノビアの主張を聞き入れようとしているのだと信じる。

 そしてまた、「どうせ伝わらない」と考えた瞬間に、自分もきっと同じ陥穽に入り込んでいるのだろうと、そう考えたのであった。


「あのさ」

「うん」

「おまえ、私たちのこと馬鹿にして見下してるだろ」

「っと、……ずいぶん、率直だね」

「でもそうだろ。東方人。蛮族。奴隷。何でもいい。私たちはそっち側で、おまえらはこっち側」

「そう聞こえるのはわかるよ。でも……それは冗談みたいなものじゃないか。それに、君は特別だ。君は劣ってなんかいない。君は我々と同じだよ」

「ほら、その()だ」


 ゼノビアは無感情につぶやいた。

 その意味が分かっていなさそうなフラウィアに、彼女は言葉を尽くそうと頭を絞らせる。

 どうすれば伝わるのだろう。どうすれば、私の悲しみを理解してくれるのだろう。

 弾劾したいわけじゃない。罪を自覚しろなどと言いたいわけじゃない。

 ただ、分かってほしいだけだ。


「私は特別、ね。なるほど。じゃあ父上と母上は?」

「……特別さ」

 

 フラウィアは、戸惑いつつ答える。

 そう答えるだろうと想定していた。

 では、どこまで?


「私の祖父母は? 叔父さまは? 従姉妹は? 友人は? 私を形作るすべてのもの、それを助けてくれたたくさんの人々、彼らはおまえにとって特別か? 特別じゃないなら、劣等なのか?」


 フラウィアはわかってくれるだろうか。私が何を悲しんでいるのか――否、何に()()()()()()のかを。


「私のことなんてどうでも良い。お前に特別だって思われたって、私は何にも感じない。でも、お前が引いているその線は、私には鬱陶しくてしょうがない」


 私の生は虚無であり、「なにもない」しか残っていない。あの日私はそれを受け入れ、人であることをあきらめて、今、こうやって奴隷になっている。

 でも、かつて私を生かしてくれた世界を否定するなら、私は戦わなければならない。私は自らのではなく、そこに宿る「歴史(ヒストリア)」の存在証明をこそ果たさなければならない。

 たとえそれらが私の名を冠する虚無に帰結しようとも、かつてそこにあった生の意味、積み重なったものの意義を拒絶し否定することには断固として反抗しなければならない。

 それを受け入れるのは、高貴さでも寛容でもない。ただの屈従であり、敗北であり、そして自己への裏切りだ。


「結局さ、自分の近くにあるものだけにしか意識が及んでいないんだ。その外の世界を都合のいい偏見で塗り固めた姿でしか捉えられないんだよ。わかるよ、そういう生き方があってもいい。人間には限界がある。俺の知ったことじゃない。それは人の自由さ。そうだよな」

「じゃあ君は、」


 フラウィアは、それが愚かしい問いだと知りつつも問うた。


「そうした偏見から解放されているとでも言うのか」

「違う。そして、私のことは関係ない。ほかの誰も関係ない。私が今話しているのはお前のことだ」


 主人の問いに奴隷は即答し、ひどく重たげに首を振った。


「そういう生き方があってもいい、とすら思ってる。人間には、物事には限界があるからな。どこかで線を引かなきゃ、理解も判断もできない。それが人間の性って奴だ。他人の生き方や考えなんて俺の知ったことじゃないし、関わるべきでもない。それは人の自由さ。そうだよな。それはもちろん、分かっているんだ」


 ゼノビアは深く息を吸った。そうでなければ、この息苦しさには耐えきれなかった。

 体ではなく心が空気を欲している。なにかに変わってほしいと思っている。

その想いは、たっぷりと溜めを作った後、ようやく言葉になって吐き出された。


「でもさ、でも、お前がそうなのは、なんだかすごく嫌なんだよ。『世界の外側』、そこだってお前の領分なんじゃないのか。そこは知らなくてもいい、分かってなくてもいい、都合よく解釈していい、そうなのか。おまえはそこに、下らないし詰まらない、何の役にも立たなければ本当に無意味でしかない偏見を、そうやって持ち込むのか。それか、役に立てばそれで良いっていう、お得意の洗練された屁理屈を使ってまで、そうやって思いたいのか。目に見えないものだって解るお前はさ、もっと世界を、ちゃんと受け止めてくれるって、そう思っているんだよ。逃げるなよ、お前は。やめてくれよ、そういうの。しんどいんだよ」


 言い切った直後、ゼノビアは喉の渇きを覚え、荷物から葡萄酒の革袋を取り出し、わずかに口を湿らせた。そうして、ただ一つはっきりと言語化できる事柄を口にする。


「お前のそういうところ、私は嫌いだ」


 風が吹いた。

 その風は緩やかであるが、確かに何かを分かつような風であった。

 ゼノビアはその雰囲気に嫌気がさしてきた。それが自分のせいだとわかっていた。 

 望むべきない人間に望むべきでないことを望んでしまうのは、無知であり罪である。

 フラウィアに落胆すべきではない。自分の愚かさに失望すべきである。

 いろいろな感情を誤魔化すように、ゼノビアは一口葡萄酒を喉に注ぎ入れる。

 マッサリアで買った安酒は、値段相応にひどく辛口に感じられた。


 「ゼノ……」


 フラウィアは奴隷の名を呼び掛けたが、思い直したのか口を閉じた。

 「ゼノビア」という名は、彼女が産まれたときに与えられたものではない。

 かつての名は『帝国』人に聞き慣れぬものであるという理由で剥奪された。彼女を購入したフラウィアはその代わりに、東方の著名な英雄の名、さらにそれを公用語に翻訳したものを彼女に与えた。それは元の名前とは繋がりを持たない。今の名は、同じ「東方の女性」というだけで与えられた名前である。

ゼノビアはそこまで自身の新たな名前を憎んでいるわけではない。フラウィアが何を意図してその名を付けたのかも理解しているし、実際便利なところもある。フラウィアがその名で彼女を呼んだところで、首を絞めたいなどとは思わない。

 ただ、その名で呼ばれていると、時々嫌なことを考えそうになる。

 あの名前を呼んでくれる人は、もういないのだろうな、とか。

 父上と母上を覚えてくれている人は、皆死んでしまったのだろうか、とか。

 仮に記録が残っていたとしても、それはやがて、全てを摩耗させる時の流れによって、地上から消滅させられてしまうのだろう、とか。

 そういう現実に押しつぶされてしまいそうになる。


「『アルダワーンの息子ミスラダータと、大王アルシャクの孫ヒュタウサの娘』」


 そう、そんなふうに仰々しく呼ばれなくなって、いったいどれほど経ってしまっただろうか――なんて、そんな風には考えたことは無い。

 だって、こっちにきてからそんな機会はなかったから。

 ゼノビアは無意識に立ち上がり、フラウィアを見下ろした。

 彼女は座ったまま、高見に移ったゼノビアの顔に、じっと自らのそれを向かい合わせる。


「『アーリヤザテ。私は貴女をそう呼ぼう、もしもあなたが欲するのであれば』」


 フラウィアはどことなく不安げにそう言った。

 ゼノビアの故国の言語。帝国の知識人には決して一般的ではない、異国の言葉。発音は完璧というは程遠いが、一定の訓練の痕跡が確かに感じられる。

 これが今のフラウィアにできる、せめてもの意志表示だった。

 それに正しく答える術をゼノビアは知っていた。しかしそれはできなかった。彼女は所詮、二十四歳の若輩者に過ぎなかったのである。彼女は愚かしくも、主人がこのように応答するなどとは予想しておらず、自分一人の猿芝居だと錯覚していた。

 代わりに口から漏れるのは、誰にでも照れ隠しと分かるような、ぞんざいな返答だった。


「なんだ、その。おまえ、よく知ってるな」

「君のことなら私は何でも知っているよ」

「無っ茶苦茶、発音へたくそだけどな」

「そ、そうかな。結構練習したんだけどなあ」

「駄目駄目だよ。だから、別に、ゼノビアでいい。その方が聞き取りやすい」

「そうか。うん。だったら君は明日からもゼノビアだ。だけど」

「まあ、気が変わるかもしれないがな、その時はその時だ」

「うん」


 此度の沈黙は二人にとって不快なものではなかった。

 二人はただ、どんなふうに綴れば伝えられるだろうかと悩んでいて、そしてその意志だけは互いに伝わっているように思えた。二人はそろって同じように、そう信じようとしていた。

それは信仰に過ぎなかった。しかしこの世界はまだ、信仰の持つ意義を捨て去ってはいない。

 やがてフラウィアは、何もかもを言語によって記録せんと欲する彼女は、やはりそれも言葉にした。


「君の言いたいことが分かっているのか分かっていないのか、それさえも私には分からない」


 きっとそうだろうとゼノビアは思う。それ以上は傲慢かもしれないし、根源的には不可能なのかもしれない。それを為しうるのは七柱の神々だけなのかもしれない。

だが、フラウィアにはそんな悲観的態度は似合わなかった。彼女はずっと、破壊的なまでに、楽天的なのである。


「だけど君と一緒に生きていければ、たぶんそのうち分かると思う。分かったら、私も、まあ、努力をするよ」


 そう言ってフラウィアはゼノビアの手を握った。

 彼女はわずかに頬を紅潮させて、しかしなぜかそれをゼノビアに見せぬよう、あらぬ方向に顔を背けた。

 ただ一言、「だからね」と呟いたあと、彼女は中空を泳ぐ風に向かって語りかける。


「私の手を離さないでくれ。ずっと私のそばにいて欲しい。私は君がいなければ何もできない、本当にか弱いちっぽけな人間だ。でも、君が隣にいる限り、私はなんだってやり遂げてみせる。そう、君が言うとおり、世界をもっと正しく受け止めてみせる。なんといっても、それが私の統治すべき世界なのだからね」


 握られた手を離そうなどとゼノビアは考えなかった。ただ相変わらずの権力志向とか、自己中心性だとか、そういうところに呆れながら、鼻をわずかに鳴らした。そして彼女もなぜか、フラウィアに顔を向けようとはしなかった。

 フラウィアは風の声に耳を傾け、ゼノビアは蒼穹を泳ぐ雲の動きを漫然と眺める。

 これでわだかまりが解けるとか、和解や納得ができるとか、そういうことではないのだとゼノビアは考える。ただ一歩、彼女は近づき、もう一歩、彼女は踏み出そうとしている。

 それだけのことであり、しかしそれはこの長い旅の最初の足踏みには十分であろうと彼女は思った。


「あ、来た」


 ゼノビアと繋ぐ手はそのままにフラウィアは立ち上がった。彼女の聴覚は鋭く、ゼノビアよりも遙かに早くそれを察知する。主人が転ばないよう、ゼノビアもともに腰を上げる。

 地平線を跨いで姿を現す馬車が、彼女たちに近づくのを、二人は並んで待ち受けた。

 そのとき、風がまた吹いた。この地域特有の、乾きつつも穏やかな風。

 来るべき闘争を思わせる東方に吹き荒れる嵐とも、首都に立ち込める鈍鬱とした臭気とも異なる、何かもっと新しきものの到来を感じさせる風だ。


「うん、清々しい良い風だねえ」


 そう、フラウィアは何気なく呟く。ゼノビアはふと、その言葉にある種の感慨を覚えた。


「おまえ、何か風に思うとこでもあるのか」

「え?」

「良く風で物を例えたりするし。俺を買った時だって……なんだっけかな。なんか言ってたよな」

「あまり意識したことは無いが、言われてみればそうかもしれない。私は太陽の眩しさも、花の美しさも、――君の顔立ちだって分からない。でもその分、風はいろいろなものを語り、教えてくれるからね」


 ゼノビアはその語りに笑うことなく、大真面目な表情でフラウィアに問いかけた。


「そうか。じゃあこの風はなんて言ってるんだ」


 銀色の前髪を左手の白い指に絡めながら、フラウィアは考える。

 この風の方角。

 様々な言語におけるその名称。それが象徴するもの。

 大気の構成とそれがもたらす肉体と魂への影響。

 神話における役割とそれが示唆する過去の文明のありよう。

 たしかにそれらは、知識人としての彼女が最も得意とするところである。

 だが今は、そんな事柄とは全く別のところで、彼女の言うべき言葉は決まっていた。


「これから先、きっと良い旅になるだろう、そう言っているようだ」

「本当かよ」

「本当だよ」


 そう言ってフラウィアはありふれた少女の笑顔をゼノビアに向け、ゼノビアは言葉ではなく、わずかに強めた手の力でそれに応えた。

 初夏の草原に、風は吹き続ける。


× × ×


 帝政の開始より百年に渡り世界を支配した「第一王朝」は遂に絶え、混乱と戦火を治めた「第二王朝」の血族が、今やもろもろの民族を統治する役割を演じる。

 その二代目の皇帝、ガイウス・フラウィウス・ウェスティウスの命により、一つの奇妙な学術計画が立ち上がった。すなわち、『世界誌』。

 遍く世界を統治する永遠の帝国に相応しき、史上最大の百科全書。東方でもアカイアでも南土でも試みられたことすらない、そして彼らの「近代」が産声をあげるまで試みられることもない、国家による「知」の征服事業。

 その背後に存する真の目的は、来るべき第三次東方戦争に先立つ、帝国全土の監視体制の確立に他ならない。 

 十人の「編纂委員」たちは国家的事業への貢献のみならず、自らの個人的利益を求めて独自の活動を属州において展開する。皇女フラウィア・ウェスティアもまた、やがて訪れるであろう皇帝の後継者との対立に先立って、自身の政治的地歩を北方諸属州に固めようと欲している。

 『世界誌』とその編纂事業が最終的にいかなる形態をとって現出するのか、この時点で知るものは一人もいない。

 フラウィアもまた、自身が蒔く知識の種が、遠い未来に「帝国」支配の終焉の、一つのそして重要な契機として花を咲かせることを、もちろん自覚してはいない。

 いまだ形をとらぬ様々な感情と思惑をその内に包み込みながら、首都創建より八百四十年、六月十八日。

 その『歴史/物語(ヒストリア)』の最初の頁が、世界に向けて開かれつつあった。


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