表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双竜、並び立つ  作者: 浮遊鱗(ふゆーりん)
4/5

第四話 悲劇の序章


 桜をメインにして、アリストロメリア、ラナンキュラスの薄ピンクを雨竜は手に取った。どのように活けようか……それらの花を前にして雨竜は思案する。丸一尺の薄板の上に剣山を置き、花鋏を手に取った。そして流れるような動作で桜の枝の根を二回切り込み、剣山に差し込む。

 それを広げ空間を象りつつ、余計な枝を切り落としていく。たった一本失っただけで全てが台無しになりそうな繊細なバランス感覚を保ちながら、白の桜を散りばめていく。

 雨竜は桃色のアストロメリアの枝を短く切り、その下へと差し込んだ。剣山を、縦横に乱れるアストロメリアの花弁で隠しながらも力強く、そこに活けていく。前から見るだけではなく、後ろに回り込んだ時にも映えるように、白に近い色合いのラナンキュラスを花弁のみ花鋏で断ち切り、そっと添えた。軽く全体の流れを整え、桜の線が生きるように調整していく。

 目の前に現れた花の空間に、鋼のように硬い腕を組みながら満足げに雨竜は頷いた。

 そしてふと、雨竜は華道部に添えられている柱時計へと目を走らせた。

 時刻は六時半。

 いつも居る景竜は、今は雨竜の傍には、居ない。

 たった一人きりの部室……その部長である雨竜は、溜息を一つつく。自分と景竜の代を最後にして、この華道部も終わりであろう。作った花を見せ合うことも、素晴らしき作品を評価し合うのも景竜の他に居ない。

 書道部も同じだった。大学一年の雨竜と景竜が入ったばかりの頃は、書道部も華道部も活況があった。今ではこの有様であるが、部員の多くが辞めていったのは自分達が原因であろう。

 と言っても雨竜と景竜が何かをしたと言う訳ではない。にも関わらず、各々の恐怖心によって辞めていったのだ。

 道を歩けば人々の視線が自分達に突き刺し、話しかければ恐怖心を顔一杯に広げる。

 一撃で人を破壊することができるほどに鍛え上げられた拳や、ギラつく視線。そして、それらを形成してきた中学から高校時代にかけての悪名があまりにも大きかった。

 裏の世界で景竜と雨竜はあまりにも有名であり、誰も踏襲できない唯一無二の生きる伝説だ。

 最強の人間が同じ時代に二人生まれた。

 神の悪戯か、悪魔の仕業か。

 双竜、血の世代――。

 それは、二人が改心した今となっても、尾を引き続けている。

 過去は変えられない。改心したと言う証明は、実際のおこないや立ち振舞を見て判断してもらう他、無い。そう考えていた雨竜と景竜の認識は甘かったのだ。

 誰も自分達と関わろうとしないのは、全て、自分達の所業が原因である。それに文句を付けるべくも無い。

 再起不能にした人間は数知れない。未だに、この拳が原因で歩くのにさえ不自由している者も居ると聞く。それらの者に幾度となく謝罪に向かったが、自分達の顔を見ると精神に変調を起こす者が多く、至る所で疫病神のような扱いをされてきた。

 俺のことを思うなら、二度と俺の前に姿を見せないでくれ――。

 彼らは口を揃えて、そう言う。

 仕方の無いことだ。

 謝罪する言葉さえ吐き出すことは叶わない。

 受け入れる他、無い。

 申し訳無いと言う気持ちさえ自身の中に溜めなければならない。

 雨竜がこの大学生活で得た物は、多くの知識と、更に磨き上げられた武道の技と、景竜との絆のみ……。

 その景竜が、人を好きになった。

 朴念仁である景竜の恋と言うのは、ひょっとすれば生涯見ることがないかもしれないと考えていた雨竜にとって、それはとても喜ばしいことであった。

「沙耶……」

 誰も居ない室内で雨竜は、一人の女の名をぽつり、呟いた。

 自分を悪鬼から、人の道へと戻してくれた女の名を。

 ――今は亡き、彼女の名前を。

 雨竜は確信している。自分が生涯、誰かを好きになることは無いと言うことを。

 たった一人の女性との想い出を胸に仕舞い込み、誰にもすがること無く、誰にも話すこと無く、その生涯を終えるだろうと言うことを。

 時間は身や心の傷を癒やしはするが、その身に架せられた十字架を零にすることはないのだ。

「俺は、お前が望んだような真っ当な人間になれているのだろうか……?」

 花弁を前にして、空虚に雨竜の物悲しげな声が溶けていくのだった……。

 東御影グランドパークホテル。

 そのホテルは、東御影駅のすぐ近くにある、富裕層の外国人旅行客を対象にした絢爛豪華なビルであった。ロビーは広々として天井が高く、フロアには大きなサイズにもいかにも高級そうなソファーが並んでる。そして、その間には観葉植物の鉢が気前よく並んでいる。まるで鮮やかな服を着て飛び回る少女のような明るさと、新鮮味を感じさせるようなロビーのフロント前には、客達が七、八人居て、それなりに賑やかであった。

 普段馴染みの無い高価な雰囲気を前に景竜は思わず生唾を飲み干さざるを得ない。後ろでは、同じく馴染みがないのだろう。私服姿の森羅心深が、驚嘆の意を口から零していた。

 二人きり――そう、森羅心深と二人きり、であった。

『奢って貰った礼と称して、彼女を食事に誘うのだ。景竜よ』

 数日前の雨竜の言葉を思い出す。人に借りを作るのを嫌う雨竜が、女性に奢ってもらうことを良しとしていたのに違和感を覚えてはいたが、そこまで考えていたのかと景竜は素直に感心したのを覚えている。

 しかし、その言葉を実際におこなうことができるかどうかはまた別問題であった。

 男相手には滅法強い景竜も、女相手には弱い。

 実際に彼女を誘い出すまでに幾度、携帯電話を取り出し、通話ボタンを押すことができぬ弱き自分を呪ったかは分からない。しかし、遂に昨日意を決し、高所から飛び降りるような覚悟を持ってして森羅に電話をかけることができたのであった。

 意外にも、森羅は最初こそ年下に奢ってもらうと言うことに対して渋りはしたが、礼を返したいと強く言う景竜に根負けして誘いに乗ってきた。そして景竜は貯金を取り崩し、東御影町で最もロマンチックな食事を楽しめるであろう場へと森羅と共にやってきていたのであった。

 東御影グランドパークホテルでは、泊まることは勿論、泊まらなくとも食事を楽しむことは可能である。二人の目的は勿論、食事を楽しむことだ。

「凄い高価そうな所ですね! 雅真君、本当に大丈夫ですか?」

 心配そうに森羅が小首を傾げ、そう問いかけてくる。景竜はその問いに対して、力強く笑い飛ばしてみせた。

「はっはっは、心配するでない! 奢って貰った礼! 礼だからな!」

 そう言う景竜の声は、彼の意志とは別に僅かに震えていた。

 一応値段を調べてきては居たものの――そして、それが景竜の二週間分の食費になると言うことも覚悟はしてきたものの――いざ目の前に来ると、その高級そうな雰囲気に少々怖気づく。とは言え、ここで後に引くと言う選択肢など無い。

 そんな彼らに対し、ホテルマンが伺いを立てるように聞いてきた。

「お客様、チェックインのご予定でしょうか?」

 ヤクザとその女と思われたのか、そう聞くホテルマンの顔は少し強張っているように見える。とは言え、それが普通の反応なので景竜はそれに対して特に何も思うことはない。

「あぁ、いや、メシの予約だ」

「……あぁ、スターロードのお客様でございますね。それではご案内させていただきます」

 うやうやしく頭を下げ、ホテルマンは先導するようにエレベーターへと景竜と森羅を案内した。なるほど、スターロード。店の名だったな、と景竜はこのような洒落た場でメシなどと言う単語を出した無粋な自分を気恥ずかしく感じた。

 そんな景竜に、道すがら森羅がこそこそっと話しかける。

「凄いですよ、雅真君! この床ぴかぴかです。ぴっかぴかです」

「おお……! よく磨かれておるな! 石にも関わらず光を反射しておる」

「何か私の語彙力の無さが露呈しちゃいそうですが、うーん。とにかく凄いです。凄い!」

 無邪気にはしゃぐ森羅を前に、景竜の顔が思わず綻ぶ。連れてきて良かったと、心から思う。

「ははは、良いではないか。言葉を無理にこねくり回す必要などない。凄いの一言に尽きるのであれば、凄いとだけ言えば良いのだ。日本語を巧みに操るのも一つの風流ではあるが、それに囚われるよりも、感情をありのままに言い出せすことの方がよほど楽しいしな」

 景竜がそう言うと、おお~と森羅が尊敬の目を景竜に注ぐ。

「格好良いこと言いますね、雅真君!」

「そうか? はっはっは、こう言う物言いは雨竜がよくするからな。雨竜に影響されたのかもしれぬな」

 そんな小気味よい言葉を交わしていると、エレベーターの扉が開いた。

 二人がエレベーターに乗るとホテルマンが「スターロードは二十五階になります」と言い、お辞儀をすると同時に鮮やかな装飾のなされた扉が閉まった。

 それにしても、と景竜は思う。

 彼女は不思議な人だ。

 通常、人が景竜や雨竜を見る目は何かしらの負の感情に染まる物だ。恐怖か、侮蔑か――。

 それにも関わらず、彼女が自分や雨竜を見る目にはそれがない。澄んだその瞳は、何の感情も混ぜることなく、ただ真っ直ぐに、そこにあるものとして見つめてくる。まるでその中に吸い込まれてしまいそうな、綺麗な目のままだ。

 だから、惚れてしまったのかもしれない。

 エレベーターに乗り込むと、森羅と二人きりになる。垂直に一気に登っていくエレベーターに森羅と二人きりになる。狭い空間に二人きり……と言う、たったそれだけの事実に、景竜の心臓が強く高鳴っていく。

 エレベーターが二十五階に到着し、受付に予約していた旨を伝えると、二人は相対する席に座る形で白いテーブルに案内された。ガラス張りの窓から見える圧巻の景色を前に、嘆美が思わず口から零れ出る。

「美しい……」

「わぁ、綺麗ですね……」

 いつも、自分達が居る街とは思えない。世界に飾られた暗幕の中に星屑のような光が散りばめられている。そして、それらの一つ一つに生があり、この美しき世界を作っているのだろう。

 その光景を目の前にして、思わず二人は言葉を失ってしまった。室内には穏やかな曲のみが流れ、優美な一時が過ぎていく……。

「世界とは、こんなにも眩いものなのだな……」

「そうですね……。こんな世界が、あるなんて……」

 吸い込まれそうな光を前に、二人はただただ、言葉を失っていた。

 世界は、こんなにも希望に満ちている。


 一方――。

 ホテルのロビーでは。

 突如、扉が勢い良く開かれた。季節がまだ春であるにも関わらず、トレンチコートを羽織った五人の集団が闊歩する。

 彼らはフードを深く被り、目元を完全に覆っている。

 不審な集団を前に、ホテルマンが少し疑わしげに近づいた。

「お客様、ご予約はされていたでしょう――」

 刹那、その中に居た一人が、屈強な右腕でホテルマンの頭部を掴んだ。

「えっ」

 突然の出来事に何も言うことができぬまま……。

「ゴゲッ」

 奇妙な音と共に、そのまま、まるで林檎でも砕くかのように、ホテルマンの頭部が粉砕された。

 血潮が舞い、頭の上半分を無くしたホテルマンが床にゴミのように捨て去られる。

 脳漿と血が混じった鉄のような腐臭が一気にロビーへと充満した。

 それを、その場に居た者達が認識するのに僅かの時間を要した。

 目の前で起こった異常に。

 有り得ない出来事に。

 つんざくように至る所から放たれる悲鳴をメロディに、最も前に居る一人の男が笑みを浮かべて呟いた。

「迎えに来たよ、……森羅」

 しかし、それは――これから始まる悲劇の、序章に過ぎなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ