七、不穏な来訪者
【2009年5月11日 月曜日】【午前8時30分】
百遡市立高等学校、第2館、2階、1年4組、窓側から2列目、一番後ろ。
「おはよー」
「おはー」
「おはよーっ」
口々に朝の挨拶が飛び交う中、紅は机に突っ伏す。規則正しい生活のお陰で眠いわけではないが、朝のSHRが始まるまでの微妙な時間が苦手だったからだ。
高校生になって1ヶ月過ぎ、それどころか中学当時の噂は今や本当にただの噂程度の意味しかない。お陰で嫌煙されることも怯臆されることもなく…、居心地は格段に良いはずなのだが。
(俺、別に海翔ほど愛想良くはねぇんだよなぁ…)
中学来の親友は相変わらず持前の顔と愛想(多分前者の貢献が8割)でさっさとクラス中と仲良しだ。来月に控える文化祭もきっと楽しめるだろう。だが紅は海翔と(悪い意味で)違う。
「榊原、お前呼ばれてるよ」
「ん、さんきゅ」
現に今でも苗字で呼ばれている。
声を掛けられるようになっただけマシか…、と立ち上がり、教室の扉付近で手招きする友人を見る。慶だった。他クラスに友達がいないお陰で呼ばれた時点で相手は分かっていたが、1応視認した。
「何だよ…」
「辞書貸して!」
「無理」
「ひでぇ! 親友を助けてくれねーの?」
コイツ朝から元気だな…、と顔をしかめる。鬱陶しい、と顔に出せば、頬を膨らませるという更に幼げな仕草をとった。
「辞書くらい貸せよ。英語の予習してないんだもん」
「俺は1時間目がその英語なんだよ」
「じゃあ2時間目でいいから。授業中に予習するから!」
「2時間目は古典だから無理」
「予習してこいよバカ!」
「お前もだろ! 大体予習もしてねーのに何で辞書忘れるんだよ!」
「ケチ! 海翔は辞書持ってないって言うし! こんなに困ってるのに!」
「だからお前のせいだって言ってんだろ。貸さないから帰れよ。もうすぐそっちも担任来るだろ」
喚く慶を硬派教室から閉め出した。高校生になっても全然変わらないなと思いながら、クラスの喧騒に紛れるように席に着く。
──死族と名乗る黎に出会って、1週間が経とうとしてる。
百遡高校──通称百高の制服を着ていたにも関わらず、それらしい女子はいない。(自分が情弱なのはさておき)どこかのクラスに転校生が来たという話もなく。そもそも妙な存在感があったから、学校内ですれ違いでもすれば気付くはずだ。
「…夢、だったとか」
「は? 何が?」
思わず口に出せば、隣の席に着こうとしていた海翔が拾い、首を傾げた。何でもない、と手を振れば、海翔は首を傾げたまま1時間目の用意を始める。
白昼夢でも見たのかと思うほど、死族に出くわさない事実には違和感があった。ただ、この1週間妖霊を見ていないというのも事実。
「…海翔、転校生が来るとかそういう話ある?」
「なんだ急に。ないよ、そんなの」
「だよなー」
自分と違って友達も多ければ教師陣にも依怙贔屓──否、好かれる海翔の持つ情報は多い。当てにしたが期待外れだ。溜息をつけば、海翔は何かを思い出すように顎に手を当てた。
「あー…でも転校してきたなら聞いた」
「え? 本当か?」
完了形の言葉に、紅は体ごと隣を向いた。そうか、学年が違えば校舎が違うから出くわさないのも納得がいく。珍しく過剰な紅の反応に海翔は怪訝な顔をする。
「なんだよ張り切って。言っとくけど3年だし、男だぞ?」
「…男?」
「男」
「…喋り方が男っぽいんじゃなくて男?」
「男だな。右目に眼帯してるのはものもらいとかじゃなくてマジで見えないんだって噂」
背は高くて優男っぽい見た目でー、と海翔は指折り特徴を挙げていく。ただ、おそらく情報は3年で眼帯をした男というだけで十分だ。
黎は仲間が連絡を寄越さないとぼやいていた。黎の制服は真新しかったし、何より黎自身もまだ高校生になりたてなんじゃないかと思うほど幼かった。だとすればその仲間は2年生以上の高校生。
そして隻眼──。
「なんだよ、知り合いが来る予定でもあんの?」
「知り合いってか…転校して来そうなヤツというか…そんな感じだ」
友達ではないし、知り合いと言うのもなんとなく憚られた。黎が同じ死族のことでさえ仲間と呼ぶのを躊躇う素振りを見せたからだ。
ちょうど担任の青柳 清が入ってきたこともあって会話は終了する。
「おはよう。みんな揃っとるな?」
50歳過ぎ相応に白が混ざった髪と、そのしわがれた低い声だけ挙げればただの年よりだ。しかし、ベテラン教師らしく眼光は鋭く、がっしりした体格とグレーのスーツ姿も相俟ってか貫禄が漂う。
お陰で生徒たちは素直に着席する。満足げというよりは当然のように軽く頷き、青柳は出席簿を開きながら再び口を開く。
「見たところ欠席はないようじゃな、丁度ええ。今日は転校生がおるからな」
…なんだと。
Data/ character 志水 慶
髪/茶・瞳/黒
身長/164cm・体重/56kg
部活・特技・趣味/サッカー
成績/下の下