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【壱】退紅の世界を乞う  作者: 裏柳 白青
第壱章 必至の回転
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一、機微

【2009年5月5日火曜日・祝日】【午後5時20分】


 百遡(ももそ)市時祢(ときね)3丁目。大通りから一本の(こみち)を抜けたところにある和菓子屋『さかきばら』。そこに従業員としている少年は、カウンター越しに指差された和菓子に視線を移す。


 彼の名前は、榊原(さかきばら) (こう)。つい1ヶ月から市立百遡高等学校に通い始めた高校1年生であり、名前の通りこの店の息子だ。


 紅は和菓子を取り出すために屈む。臙脂の和服に巻いた黒いギャルソンエプロンが引っかかったせいで鬱陶しそうに顔をしかめて。いい加減慣れた、作業のような手つきで組み立てた箱に和菓子を敷き詰め、早く帰れとばかりに袋に入れた箱を差し出す。


「会計870円です」


 そう言い放った後で、紅は不愛想で暗い声だと親友に笑われたことを思い出して一瞬息を詰める。が、今更直すこともできない。表情すら変えないまま差し出された千円札を1枚受け取り、何で小銭がないんだと文句を言いたくなるのを堪えた。


「…130円のお返しです」


 レシートと共に革のキャッシュトレーに置こうとしたが、白い手が差し出されてはどうしようもない。


「…」

「ごちそうさまでーすっ」

「…ありがとうございました」


 きゃっきゃっと、和菓子屋には似合わない、〝今時の〟女子高生が楽しそうな笑顔を向けて帰って行った。扉が閉まれば「話しちゃったー!」と踊るような声が聞こえる。あれを会話と呼ぶのかは甚だ疑問だ。カウンターに手をついて溜息をつく。


「…だっる」

「紅、お疲れ」


 客に対するとは思えない皮肉気な目で彼がその様子を見ていると、背後から別の声がかけられる。振り向けばごそごそとエプロンを外している父親の姿が目に入り、彼は顔をしかめる。


「…それ本当に思ってねーだろ。息子のこと散々利用しやがって」

「いーじゃないか。お陰で売上げは伸びてるわけだし」

「代わりに俺の人権が(おびや)かされてるけどな」


 うきうきという擬態語でも聞こえてきそうな表情。今年でもう50歳になる父親に思わず溜息をついた。


 榊原 勝正(かつまさ)。まだ白髪の混ざらない黒髪はうなじが見える長さで綺麗に整えられ、清潔感の問題らしく前髪は額が見えるようにしっかりと掻き揚げられている。お陰で人の好さそうに垂れた眉と細い目がよく目立つ。


 その顔は紅とは全く似ていない。紅の顔からは〝人の好さそうな〟なんて印象は出てこないし、それどころか海翔曰く〝幸薄そう〟だ。隣に並んでも雰囲気から違うのであまり親子には見られない。


 しいて言うなら身長は遺伝だと思われる。勝正は遂に縮み始めたらしく170センチに差し掛かっているのに対し、紅は育ち盛りの174センチ…。あとは髪が黒いという日本人なら誰にでも共通しそうな部分しか似ていない。


「人権ってそんな大げさな。学校にもちゃんと行ってるし、」

「そのレベルで脅かしてたらやばいだろ! …出かけるのか?」

「あぁ、回覧板を届けに。もうお客さんも少ない時間だし丁度いいだろう?」


 証拠物のように掲げられた回覧板には、ご丁寧に『榊原 勝正』とフルネームで署名がされている。


「あぁ、そうだな。いってらっしゃい」


 カウンターに腕をのせ手を振る。勝正は外したエプロンを椅子に置き、立てかけてある竹刀に視線を移した。


「あ…、そっか。妖霊が出たら困るか」

「出たら勝手に出るから。第一、回覧板届けるだけなんだからそんなに時間はかからないだろ」


 半ば念押しのつもりで言えば、察した勝正が困った顔で「仕方ないなぁ」と答えた。仕方ないもなにも、そもそも経営者は勝正自身だ。


「それじゃちょっと行ってくるから」

「おう」


 店頭に残る菓子は僅か。これならもう閉めても問題なさそうだ、と屈んで視線を合わせる。そして、ふと手に触れた包装紙にある『さかきばら』という、店名兼苗字を見て、溜息をつく。どこの町にも1店舗はありそうな、親が経営し子が手伝っているだけの小さな和菓子屋。『さかきばら』はそんな店だ。


 ただ、あくまで表向きは。


 紅も勝正も、妖霊の存在を知っている。それどころか、妖霊退治に必要な能力を備えて始末してきた家系──つまり紅も、勝正も、祖父も。代々妖霊の存在を伝えながらその始末をしてきたということだ。普通、妖霊と人間の区別ができるできない以前に、その存在を認識している人などいない。そう考えれば、榊原家が変だなんてすぐに分かる。


 ついでに、榊原家はあくまで紅の父方の実家の話だ。母方の家も、負けず劣らず変な家である。

 そもそもまず、和菓子屋『さかきばら』の2階以上の自宅に母親はいない。別居でも離婚でもない。既に亡くなっている。その母親の記憶は1切ない。だから幼い頃から母親がいないことを当然に受け入れて来た。家の中には遺影すらない。いない理由は交通事故だと聞かされたことがあるだけで、それ以上は何も知らない。紅は本当に母親のことを何1つ知らない。


 祖父母という繋がりも考えられるが、母方の祖父母にはまた面倒な事情があった。まず結論から言って、母方の祖父母は他界している。その祖父母の実家は和菓子屋『さかきばら』の裏にある寺だ。今は紅の母の弟──つまり紅の叔父が跡を継いでいる。


 そして、なぜ祖父母は勝正―彼等から見た娘婿―に後を継がせなかったのかというと、祖父母は代々妖霊退治をしてきた家系でありながら、母には妖霊退治の能力がなかったから。


 無能は不要、なんてこのご時世に聞くのは珍しいと思うのだが、妖霊が関わると普通のことなのか、とにかく母親は実家であまりいい思いをしなかった。ただ、妖霊退治の能力を持つ父と結婚し、更にその能力を引き継いだ紅が生まれたことで、独身時ほど肩身の狭い思いはせずに済んだ。寺の前に和菓子屋を構えているのもそのお陰だ。


 が、母は実の弟たる叔父と仲が悪かったため、榊原家に叔父は1切干渉してこない──。


「はぁ…」


 勝正から嘗て聞かされた事情を思い起こし、紅は思わず溜息をついた。うちがこんな封建制丸出しの面倒な家だなんて、誰が思うだろう。


 ましてや、代々妖霊退治をしてきた家系だなんて。自分は妖霊退治をするべくして生まれて来たサラブレッドとでもいうべきだということだ。何も嬉しくないが。


 いかんせん、そんな家の事情のせいで幼い頃から竹刀を持たされ、妖霊退治の訓練をさせられてきた。その長さ・重さのせいで使いこなせるようになったのはつい最近のこと。そしてその竹刀は当然普通の竹刀ではないわけで、妖霊と相対すれば日本刀へと変化する、妖霊退治用の武器。


 撫でるように竹刀袋の上からそれをなぞった。箸よりも鉛筆よりも持ちなれているのは間違いなくそれだ。ただ、それがあったところで、自分は所詮〝人間〟だ。相対(あいたい)すれば普通に食われる可能性がある。妖霊退治という1方的な表現よりは、妖霊との〝戦い〟という双方向の表現がきっと正しい。


 ──と、その時、肌を舐めるような悪寒が走る。


「…出た」


 エプロンを剥ぎ取るように外して、紅は竹刀を袋のまま掴んで店を飛び出た。少し目を伏せれば、脳内に広がった地図に妖霊の位置が浮かぶようだった。


「──人、多いな」


 やばいな、と思わず独り言を言ってから駆け出した。


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