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序、世界

【2009年4月8日水曜日】


 孤独だ、と、感じたのは、いつだったっけ。


「出席をとるぞー。青木、」

「はーい」

「伊坂、」

「はいー」


 頬杖をついて眺める窓の先には何の変哲もない校舎。ここが第二館だから中庭を挟んで見えているのは第一館。特別教室があるだけらしいから、今は人気がないのも頷ける。そんな平平凡凡な景色。


「神崎、」

「はい」


 聞こえるクラスメイトの名前ですら、(今のところではあるが)突出して珍しいものはないほど、此処は普通の場所。


「──榊原、」

「はい」


 百遡市立百遡高等学校1年4組、出席番号13番、榊原 紅。

 その肩書も、どこにでもあるありふれたもの。


 ただ、名前を聞いたときのクラスメイトの反応は少し変わっている。


「榊原って…西中の榊原紅?」


 ──ほら。


「なんや、有名人か、榊原」

「…いや、別に」


 担任(一度しかない自己紹介を聞き逃して名前が分からない)の問い掛けには少し驚いたけれど、首を軽く横に振ってこたえる。少し離れた席の男子が乗り出すようにして顔ごとこちらを向いた。


「榊原ってさー、西中?」

「…そうだよ」

「マジ? んじゃ改造竹刀持ってる榊原ってお前のこと?」


 ──出た。表情には出さなかったものの、思わずそう返したくなる質問。


「おいお前ら、雑談してええとは言ってないぞ」


 担任の注意にも構わず騒めくクラス。新たなスタートともいうべき高校生の始まりは、早速中学の延長戦を知らせた。


 そう。こんな平平凡凡な世界の、平平凡凡な俺であるはずなのに、いつも俺は浮いて(・・・)しまう。

 中学の頃から、俺は改造竹刀を持ち歩く一匹狼扱いされている。その噂は半分事実で、半分誤解だ。その誤解を解くのは随分前に諦めたのだけれど。


 口々に人の中学の所業、しかもあることないことでっち上げて囁くクラスメイト。担任も一度は注意したものの、なぜそこまで1人の生徒で盛り上がるのか理解できないとばかりに眉を顰めてこちらを見つめる。世界はいつだって、何かの繰り返しだ。


「──あれ、改造竹刀じゃなくて、フツーの竹刀だよ」


 そして、お人好しを具現化したようなフォローの言葉。俺の代わりにその声が弁解した。


「親父さんが昔道場やってた名残で小さい頃から習ってんだってさ」


 クラスの喧騒が突然収まり、意識は別の一人に集中する。

 人の視線が集まることなんて物心ついたときには慣れていた──そう思わせるような笑みをアイツは浮かべた。


「あ、順番抜いちゃったけど三千風(みちかぜ) 海翔(かいと)です。本当の出席番号は29番です。話題の不愛想な榊原くんの親友」

「余計なこと言うな!」


 いつもの飄々とした言葉に思わずいつものように返してしまえば、虚を突かれたようにクラスの空気が止まる。

 しまった、と思うも遅い。担任がわざとらしく咳払いをした。


「仲良くなるのは後じゃ。出席と入学式が終わってから自己紹介でもなんでもせぇ。続き、清水、」

「あ、はい」

「曽良──…」


 お陰で出席確認が再開される。ほっと、少し安堵の息をついて居住まいを正した。


 自分を外在化して見るなら、(海翔に言わせれば)不愛想な高校生を取り巻いた些細な喧騒が起こっただけの、ごくごく平凡な日常。


 その平凡な日常は、いつだって平凡に終わるかのように期待を抱かせる。




「俺、榊原ってマジでヤバイ不良なんだと思ってた」


 放課後、必要最低限の筆記用具をカバンに詰め直していると、大きな声が投げられると共に隣の席のヤツが体ごとこちらを向いた。おそらくその瞳は好奇心で輝いている。

 …名前、なんだっけ。


「あー…まぁ、そういう噂あるし…」

「噂が違って良かったー。最初、隣の席に榊原って書いてあるからマジでビビったもん」


 黒交じりの茶色い髪を見れば染髪後暫く放置していることが分かる。視線を下げてカバンを見れば、そこから半分だけ飛び出たノートに『北里 直木』と書いてあった。

 北里、北里。頭の中で何度かその苗字を反芻する。


「…まぁ、別に人に危害加えたりしないから」

「なんだそりゃ。得体のしれない妖怪の説明文みたいだな」


 ははは、と声を上げて笑えば八重歯が見えた。笑い方も笑い声も豪快だ。


「直木―、帰ろーぜー」

「おー。じゃあな、榊原──えっと、紅? だっけ?」

「あぁ」

「紅な、よし。んじゃまた明日―」


 廊下から呼ばれ、北里は教室を出て行った。「あれ誰?」「榊原紅だって。ほら西中の」「あー、ヤバイやつ?」「話したら普通でさー」と話し声が聞こえる。


 “普通”というその単語に、安堵した。


「こーう。一緒かえろーぜ」


 そして──いつも通り話しかけて来た親友をじろりと睨んだ。


「…お前な。高校生活開始早々余計なこと言ったの恨むからな」


 えー、と海翔は悪気なさそうな表情で首を傾げた。拍子に、光の反射具合によっては金髪にも見えそうな明るい茶色い髪が揺れる。


 その髪は綺麗な猫っ毛で、その前髪は無造作に分けられ、僅かに額が覗いている。柳眉の下の優しそうな瞳は子供のように(きら)めき、嫌味なく綺麗に通った鼻筋と、上手な愛想を浮かべるために弧を描く薄い唇は、総して美形と言うしかないし、実際男女問わずそう言われている。


 容姿以外のステータスを挙げてみれば、旧家の長男・金持ち・人当たり良し・頭良し・運動神経良し…。気持ち悪いくらいの完璧超人だ。その人間らしさを未だに俺は見たことがない。


「でもほら、俺がフォローしてやんなきゃお前また友達できなかったぞ」

「だから余計なお世話だって言ってんだろ!」

「何で? お前友達少ないってよく自虐してるじゃん」

「別に自虐まではしてねーよ」

「ま、いーじゃんいーじゃん。早く帰ろーぜ。今日新作レンタル開始なんだ」


 割引券もあるんだー、と海翔はカーディガンのポケットから『新作DVD20%off』と書かれた紙を取り出す。上着代わりに白いシャツの上に羽織っているそれは青色。教室内にそんな恰好の生徒は他にいない。


 というのも、一応校則では青色のカーディガンなど禁止されている。『生徒は本校の指定する制服を正しく着用する。…上着を脱ぐときは白のカッターシャツであること。防寒用にカーディガンの着用を認めるが、黒・紺・グレー等の地味な色目のものに限る』と。確かに百遡高校の校則が規定通りに適用されることは少ないと聞くが、入学直後にここまで校則違反のオンパレードを体現している生徒も珍しい。


 お陰でじろじろとその恰好を上から下まで眺めてしまった。


「…今日初日だぞ。お前、先生の目とか怖くないのか…?」

「うーん、別に。紅は真面目だもんなぁ」

「お前が不真面目過ぎだ! 俺は普通に品行方正なだけだよ」


 ネクタイだって既にほどいてポケットの中だ。丸めて突っ込まれているのを見れば、三千風家のお手伝い・佐良(さがら)さんが顔をしかめるのが目に浮かぶ。


「普通に品行方正なのを世では真面目って言うじゃん」

「だとしてもお前が不真面目なのには変わりないだろ」

「でもどうせ怒られないし」


 教室を出ると、ちょうど隣のクラスもHRを終えて扉が開いたところだった。高校生にしては小さい、茶色い頭が真っ先に飛び出てくる。

 ついでに、それは動物的本能で知り合いを察知したかのようにこっちを向いた。


「紅! 海翔! 一緒帰ろー!」

「おー」


 中学からのもう1人の友達、志水(しみず) (けい)。その制服はサイズが合ってないのか、妙にぶかぶかだ。


「お前それサイズ合ってなくね?」

「あ、これ兄ちゃんのなんだ」

「そんなに背違うのか?」

「10センチくらい。俺の成長期はこれからだっ」

「あー、それ伸びないヤツだ」

「なんだと!」


 海翔の言葉に憤慨する慶の身長は164センチ。兄貴は平均身長なのになんでコイツはチビなんだろう、と視線を下げる。確か小学6年生に突然デカくなって以来止まったなどと言っていた。


「入学式って部活ないのか?」

「午前中にやったんだって。体験入部は部活紹介やってから」


 中学から継続してサッカー部に入ると決めている慶は、珍しく予定表を確認しながら言った。余程部活が楽しみなのだろう。


「お前らやんないの? 剣道」

「んー、多分やんない。部活の雰囲気次第ではあるけど。紅は?」

「…俺はしないかな」

「じゃあ青春を謳歌するのは俺の特権だな」

「マネージャーの彼女なら期待しないほうがいいぞ。そういうの部活に入ってるかってよりは顔だから」

「うるせぇ!」


 冗談交じりに辛辣な言葉を投げかけられ、慶が海翔の頭を丸めた予定表で叩こうとして──失敗する。身長差もあれば経験の差もある。


「海翔マジで部活やんねーのか? 大会のとき百遡の先生が入ってほしそうにしてたって聞いたけど」

「あー、そんなこと言われたなぁ。でもその先生変わったらしいんだよね」

「へぇ…」


 よく知ってるなぁ、と呟く。同じ学校で同じ剣道部に所属していたというのに。


「でも部活やんないと暇じゃん?」

「お前は勉強しろよ…入試ドンケツだったんだろ…」

「いや、それが俺じゃなくて隣のクラスの柔道馬鹿が史上最低点を叩きだしたって噂が──」


 ──そんな話をしながら帰っていた、午後4時の出来事。

 海翔の冗談を真に受けて喚く慶を諫めようとしていた、その真っ只中の事。

 中学の頃からある、どこにでもいる男子学生3人が帰路につきながら話しているだけの世界に。


 突如飛び込む、生温い何かに皮膚を撫でられたような悪寒。


「紅? どうした?」

「悪い、用事思い出した。先帰ってくれ」

「おー。また明日」


 急に自宅と別方向へと方向転換した俺を訝しむ様子もなく、手を振る海翔と慶。中学の時から繰り返してきたせいで、酷く物わかりの良い友達。その2人の光景を脳裏に焼き付けるように目を細めて、駆け出す。



 ──ずっと昔から感じている、その悪寒。

 生温いそれは、原因に近付くにつれて感度を増していく。

 行きついた先に何があるのか、知ったのはいつだっけ。


「ハッ──、ハッ…、」


 人通りが少ないだけの、垣根に挟まれた道に飛び込んだ時、目に飛び込んだのはただ1人の人の後ろ姿だった。


 短い黒い髪。女子の服はよく知らなくても、人ごみに紛れてしまえば分からなくなるような普通の恰好だってことは分かる。痩せているわけでも太っているわけでも、背が低いわけでも高いわけでもない、ただの女性。

 それがくるりと振り向けば、その足元に積もる砂がざらりと散った。コンクリートの道にあるには不自然なほど降り積もった砂。

 無表情の女性はゆっくりと歩み寄ってくる。その滑るような動きは人間にしては不自然だ。

 肩に担いだ竹刀袋の紐を解いた。袋が地面に落ちた音は、女性の足音よりも響いた。


 俺の目の前に立っても、その女性は声を発しなかった。じっと、見上げてくる。僅か1メートル程度の距離。

 ぐっと、竹刀を強く握った。それに呼応するように、パキッと何かの割れる音がする。


「──くそっ」


 そして、その喉を切り裂いた。


 血汐が飛ぶと同時に、鼓膜を攻撃するような酷く耳障りな悲鳴が響き渡った。


 それを掻き消すように、もう一度、頸動脈を断ち切る。


 ぴたりと、その声は止まった。その体も一緒に静止する。


 絶命──という表現が正しいのかは知らない。ただ、(おびただ)しい血と共に、それは“崩れ”た。バサッと、砂山が形を失って崩れるように。血以外は跡形もなく。最初から何もいなかったかのように。


 ほぅ、と息を吐きだす。軽く“刀”を振って血を払い、徐々に“竹刀”へと戻っていくそれを目で追いながら竹刀袋を拾い上げる。


 今しがた“始末”した女性が元々立っていた場所に近寄る。そこにある小さな砂山の前に屈みこみ、仕舞った竹刀を傍に置き、手を合わせる。



 ──ずっと昔から、知っている。

 この世界には人間と妖霊がいること。妖霊には姿がない代わりに人間の姿かたちをしていること。だから人間と妖霊との区別がつかないこと。そして妖霊は人間を食うこと。人間はそれに抗えないこと。

 食われた人間は、砂となると同時に世界から消えること。


 一陣の風が吹くと同時に立ち上がれば、砂は散っていた。どこかの家の庭から零れたのかと見紛(みまご)う程度の砂があるだけだ。


 空を仰いで瞑目する。妖霊の気配に気づいて駆けつけても、既に人間が砂となっている場面を何度も見てきた。今、その都度、犠牲になった“誰か”のために涙を流すことはしなくなったのだけれど。


「…疲れた」


 世界から“誰か”が消えていくのを見るのは、所在不明の心に原因不明の穴を空ける。




【同月9日火曜日】


「──で、昨日借りたそれはハズレでさぁ。やっぱ来場者何万人突破なんて煽りは当てになんねぇよなぁ」


 次の日の朝、海翔の話に相槌を打ちながら教室に入る。席が離れているため互いに一旦離れれば、海翔は女子2・3人に囲まれる。何かと理由をつけて話しかけられている海翔を見るのはいつものことで、特に興味もなく、ストンと着席する。


「おはよう、榊原」


 ──そして、右隣から聞こえた声は。


「え? 俺何か変なこと言った?」


 振り向くと同時に目を見開いた俺に、相手は眉を顰めた。


「…いや、」

「なんだよー、気にするじゃんよー。あ、俺の名前分かる?」

「…えっと、」

「北村 大輔(だいすけ)。1か月は隣なんだし、覚えてくれよー」


 よく日焼けした顔で、綺麗に整った歯を見せて、北村は笑った。


「…あぁ、悪い。もう覚えたよ」


 即座に立ち上がり、怪訝な顔をする北村を置いて隣の教室に行く。1人を除けば知り合いなんていないそのクラスの扉を問答無用で開けた。勢いが良すぎたせいでバンッと音がする。始業前で喋っていた生徒達が一斉に振り向いた。その中にいつもの顔を探す。


「紅? どした?」


 ──そして、目的の人物は、相変わらず何も悩みのなさそうな丸い目を更に丸くして、こっちを見た。


 ほっと、安堵の息が零れた。


「おい紅、急にどうした?」


 次いで海翔が背後からぬっと顔を出す。「慶がどうかしたのか?」とクラス内を見回せば、呼ばれてもいない女子数人が花でも咲いたように表情を明るくした。


「…いや。なんか嫌な予感がしたけど、気のせいだったみたいだ」

「うぇっ。やめてくれよー、俺そういうの苦手なんだよー」


 思いっきり苦手な食べ物を口にしてしまったかのような表情で慶が答える。海翔は「ふぅん、」と頷いた。


「ま、珍しく寝坊もしないでちゃんと来てるし。お前の予感当てになんないな。幸薄そうだし」

「うるせーな、幸薄そうは関係ないだろ…。じゃあ慶、また放課後な」

「おー…」


 結局何だったんだ、と首を傾げる慶は、三秒経てば忘れたように「まいっか」と手を振る。それに応えて教室の扉を閉め、もう一度安堵の息を零した。


「どーした、紅?」

「…なんでもねーよ」


 ──北里直木は、この世界から消えた。

 北村 大輔にそれを目の当たりにされ、何を考えるでもなく、反射的にまだ安否を確認していないもう1人の親友を目にしたがった。それだけのこと。



 昔から、妖霊のことを知っていた。“誰か”が食われて記憶から消えていったことを、消えていくことを、知っている。

 北里直木の不存在に誰一人として気付かないこの世界で、その存在したことを唯一人認識しながら世界を生きる。

 それは酷く孤独な世界だけれど。これ以上寂しくならないために、俺に見える世界を守りたいと思った。



 この世界が変わることはないのだと、諦めていた。


Data/ main character 榊原(さかきばら) (こう)

 百遡(ももそ)高等学校1年生 年齢・15歳

 実家・和菓子屋 趣味・なし

 髪/黒・瞳/黒

 身長・174㎝ 体重・66kg

 特技・忍耐

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