前編(3) 交換条件
幸祐の目に白い光が差し込んできた。眩しい。
どうやら寝てしまっていたらしい、とぼんやりと思う。
(じゃあ寝るまで何していたっけか……テス勉でもやって、それで疲れて寝てしまったのか?)
幸祐は手を付いて体を起こす。体が激しい運動をした後のように重い。
「なんだこれ?」
彼が寝ていたのは清潔感を際立たせた白いベッド。住まいを置いている新代荘にはベッドなんてない。
では、ここはどこか?
「痛っ……」
右側の二の腕でひりひりとした痛みを感じ取る。そこを咄嗟に左手で押さえた。短い間を空けて手をどけて見ると皮膚がただれていた。
これは一体と自分の身を確かめる。
まず服がぼろぼろだった。
裂け目が入っている。焦げた後なんていうのもある。
自分の確認を終えた幸祐は周囲を見る。複数の自身が寝ているのと同じベッドが彼の視界には写った。室内一体が白色に包まれている。
「若葉!」
左隣のベッド。
そこに新代若葉が寝ている。肩まで白一色の暖かそうな掛け布団を掛けられて目を閉じ、眠り姫のようだ。
今二人がいるのは病院だった。
(どうして俺たち、こんなところに……)
「そうだ……」
思い出す。寝ていた以前の出来事を。
そこで一見優しげな印象を与える三十歳は超えているであろう男性と、目を擦りながらその人についてくる幸祐と同い年ぐらいの少女、その二人が幸祐のベッドに近づいてきた。
「目が覚めたかな?」
男性は幸祐に話しかける。
「あの……どなたですか?」
幸祐には見覚えが無い。おそらく初対面だった。
「僕の名前は百緑。そして後ろにいるのがフェルメールだ。まあ……そうだな。説明するなら、僕たちは君の命の恩人に当たるかな?」
「じゃああの場から俺たちを助けてくれたのはあなた達ですか?」
「……俺たち、か」
百緑は悲しげに目を細めて視線を落とす。
どうかしたのだろうか? と幸祐は命の恩人の様子をうかがう。
「残念だが……助かったのは君だけだ」
百緑はそう告げた。
(君? 俺だけ?)
「なにを……言っているんですか?」
いやだってあの場には若葉も一緒にいたじゃないか、と幸祐は反論する。たぶん放火犯である男に襲われかけていた時に幸祐は必死で彼女を守ろうとしていた。
「そちらの彼女の方は助かったとは言い切れない」
幸祐は聞き取れなかった。
聞き取りたくなかった。
だってそれを肯定してしまったら――――――あの時の決意はどうなる?
「ま、待って」
「事実だよ。現にあれから彼女は一度も目を覚ましていない。外傷もそれなりひどいがそれよりも意識不明というのが、どうもね……」
「意識……不明?」
幸祐は隣のベッドで安らかに眼を閉じて眠っている彼女はそのような状態だなんて信じられなかった。
まさしく、眠り姫。
「そんな……」
「すまない……僕の到着があと少しでも早かったらこの結果は変わっていたかもしれないのに……」
守れなかった。
それが現実。
目は背くことなんてできない。目を背けたところでこの現実が変わるなんてことありはしない。
心が絶望という名の奈落の底へと落ちていく。
しかし、そこに救いの手が差し伸べられる。
「彼女を助けるのは不可能ではない、と言ったら君はどうする?」
幸祐は下に向けていた涙を流しかけて情けない顔を上げて、救いの手を差し伸べた者に向ける。
「助かるんですか?! どうやったら! どうやったら若葉は目を覚ましてくれるんですか! 教えて下さい!」
幸祐は必死で百緑に迫る。
意識不明の人を目覚めさせる。そんなことを成し遂げられるのだとしたら魔法か何か科学的論拠から逸脱したものになってしまう。
普段は超能力だとか宇宙人だとか馬鹿馬鹿しいと思っている幸祐でも、この状況に追いやられたら、神でも仏でもいいから助けてくれと縋ってしまう。
「この世界の法則から外れた力を使う」
幸祐は呆けた顔になる。百緑の言ったことの意味がちっとも、電波系な発言にしか聞こえなかったほどにわからなかったからだ。
「な、なにを」
幸祐はおちょくられたのか、と怒りが込み上げてくる。百緑の笑顔を浮かべた顔に拳を叩き込みそうになる。
「ま、待て待て!」
百緑は幸祐の動作を制止しようとする。しかし、拳は飛んできたのでそれを避ける。
殴りかかった方の幸祐はベッドから飛び起きる。
「ふざけやがって!」
再び殴りかかろうと幸祐は前へ出る。
「やれやれ、てっきり冷静なものかと思ったが……」
百緑の目が変わる。
「――!」
幸祐には百緑の動きがわからなかった。それを無理やり表現するとすれば――――――
(消えた?)
そう思った時には彼の拳は空中をなぞっただけで、そのまま体の重心が前へ傾く。
その時に足を掛けられたとわかった時点で幸祐は床に前から飛び込んでいた。
「図に乗るな、青二才」
百緑は床に突っ伏した幸祐を睥睨する。
「ここ……病院……静かに……しないと」
外野から見ていた垂れ目のフェルメールが注意を促す。
彼女の言葉で百緑は元の表情に戻る。
「くそ……」
「とりあえず落ち着け。君は冷静だと思ったのだがそれは見せ掛けだけか。あの修正者に襲われかけながらも一人の少女を守り続けていたというのに。それは冷静あってこその行動だと僕は判断したが違うのかな?」
「なにが……言いたい……」
幸祐は歯軋りを立てながら聞き返す。
「まず僕が言ったことは何一つ間違ってはいない。僕たちは彼女を助けることができる。この世界にとって『異常』な力を使って」
「力? はっ、魔法でも使えるって言うつもりなのか?」
皮肉めいた口調で幸祐は言う。
「魔法か……そうだな、世界構造を何も知らない一般人にとってはそう思えるかもしれないね」
あたかも本当に魔法を使えるかのように話す百緑。
「いい例として、君たちを襲った男のことを思い出してみてよ」
幸祐と若葉を襲った男。
店内で派手に放火を行った残忍な人物。
若葉が今の状況に陥ることになった原因もその男だ。
「あれが普通の人間に見えたかい?」
「普通の人間?」
幸祐はあの忌々しき出来事を振り返る。
あの男は確かに狂気に満ちていて、容赦なく人を殺そうとするような理性のない獰猛な獣のようだった。
いや、そうではない。
もっと常軌から逸したそれを。
その男は一体どうやって炎を操っていた?
「気付いたかな? 彼の手には何も握られていなかった。では、君はどうやってあの大規模な火災を起こしたと思うかな?」
百緑が暗に幸祐に自身で気付かせようと話す。
実際に幸祐の記憶の中でも男の手は空っぽで、突然そこから炎が生み出されたかに見えて品のような芸当をやってのけていた。
「わからない……」
それが学校の授業ではめったに言わない幸祐の解答だった。
「では解答だ。彼はこの世界に存在する『異常』を使った。先ほど僕が言った『この世界の法則から外れた力』と同じものだ」
「だから――――――」
何を言っているんだ、と幸祐が言う前に百緑が続きを話す。
「では、実際に見せてあげようか。うん、それが早いな。フェルメール、準備。少々こちらの女の子の火傷を治せ」
その言葉にフェルメールは無言で頷き、若葉の前へと移動する。
「なにをする気だ?」
「言ったそのままの意味。この子の怪我を少しだけ治す。証明のためにね」
フェルメールは若葉の火傷を負っている右腕を優しく両手の平に乗せる。
この病室は四人部屋だが他に患者はいない。
「今から行うことは他の人には見られてはいけないからね。もちろん君が口外することも許されない。口外した場合は……まあわかってくれると助かるね」
だからこそこの場でこの世界の『異常』を表の世界で使うことができる。
「な、なんだ?!」
突然若葉の手を乗せたフェルメールの両手が薄い青い光に包まれる。その光は蛍の光のように柔らかな光。どういう理論や法則の上に成り立っているのかわからない。男が空っぽの手から炎を生み出した現象とよく似ている。
「その子の腕を見てみな」
百緑の言葉に幸祐は青色の光の中にある若葉の腕を見る。
治っていく。
「どうなってるんだよ……」
見たままを表現すれば若葉の皮膚が再生していく。
五秒も経てば青い光は穏やかに消滅し、そこには火傷が跡形も無くなった若葉の腕が。
「これでわかったかな? これでわからなかったら正真正銘の天然君だ。だが君はそうではないから、深いことは考えずに受け入れてくれると助かるんだが」
幸祐は目を擦ってもその光景は変わらない。『異常』な事態が起こったと受け入れるしかなかった。
そしてはっと顔を上げて百緑の方を見る。
「これで若葉を治せるんですね! お願いします!」
数分前に殴りかかった男に向かって頭を下げて救いを求めている。
「治すことができる」
だが。
「治しはしない」
幸祐の頭が上がる。
待てよ。
どういうことだよ、と。
「ただ、こちら側の条件を呑めば考えようは変わる」
「わかった! 俺はなんでもします! それで若葉が救えるなら」
百緑の口角がわずかに上がる。
決意をあっさりと無駄にした幸祐には、たとえ命に変えたとしても若葉を救わなければいけない、そのたった一つの思いしかない。それがせめてもの若葉への償いになってくれればいいと。
「じゃあこれから、僕たちの仕事に付き合ってもらう」
「仕事……ですか?」
百緑たちのしている仕事。
幸祐にはそれが命をかけるほどの危険な仕事だとすぐにわかった。
あの火災現場での男と、そして直に見せ付けられたこの世界の『異常』との二つから判断すればこの者達がただごとでないことに首を突っ込んでいるのは明らかだった。
「俺にできることが?」
「ん? 恐くなったかな?」
このまま首を縦に振り続ければ本当に命を賭けなければいけない状況に陥りそうだった。
「いや」
若葉はどうなった?
俺は彼女の前であの決意をした。
だが彼女は今、眠りについている。
(それなのに俺が逃げるのか――――――)
「やる。どんなことがあっても。ただあなた達が関わっている『異常』という物に対して俺にできることがあるのかと、そう聞いたんだ」
「そうか……」
――若葉がこの状況なんだ、次は俺が若葉を助ける番だ。
決意は決して揺るがない。
「死ぬかもしれないぞ」
「わかっています」
「いい覚悟だね」
「はい」
そこで百緑が一息つく。
「君にできることはある。君にはそのための力があった」
「俺に?」
「そうだ、常磐幸祐。君は『異常』を操る改変者と相反する存在。『アメンド』を扱うことができる修正者なんだよ」
「改変者……? 修正者……?」
業界用語な言葉をぺらぺらとこぼす百緑。
そんな彼と同じ世界に踏み込もうとしている常盤幸祐。
「修正者が持つアメンドは異常の一種だが、他とは違う特性がある。その特性とは他の異常と打ち消しあう、というものだ。つまり、異常の力を弱める、さらには消滅させる力がある」
「それが俺にあるっていうんですか?」
幸祐は自分の存在の特別さに戸惑う。
「あの場で生き残っていられたのはそのおかげだ。あの火災現場は異常によって生み出された炎によって起こされていた。常人ならそうそう焼き殺されてあの世行きなのだが、君のアメンドが周囲の炎と中和したことによって君の体は守られた。そこの女の子もね」
それは若葉を少しでも救う結果になっていた。
「俺の力が若葉の役に立っていたのか……」
そして幸祐への慰めにも。
「そろそろ時間か……。常磐幸祐」
「あ、はい!」
幸祐は即座に返事をする。これから本題に入る合図だった。
「ここでの出来事は口外禁止。なにを聞かれても、だ。とくに君の最も近くに居る、同居者などには悟られないように注意しろ。巻き込んでしまう可能性もある」
「わかりました」
「君は一度、自宅に帰って各種準備を整えて来い。集合は日付変更前。場所はここから北東に約百メートル地点の帆布南駅だ。それまで各自解散とする」
現時刻はまだ夕方の五時。集合時間までは七時間もある。
「と、いっても時間がある。常盤には少々訓練を受けてもらう。一度帰りたかったらそれでもいいが午後八時からは訓練を行う。集合場所へ来い」
「訓練ですか……わかりました」
厳かな空気が張り詰めた病室から見える窓の外は雪雲に覆われた空に、冬の日没の速さで早くも暗くなっていた。
「フェルメールは睡眠をとっておけ」
「わかった……」
フェルメールはさきほどから常に眠そうにしている。幸祐はあの回復能力を使うと眠くなるのか、と予想した。
「あ、俺は一度帰ります」
「わかった」
これで全ての取り決めが終わった。これでもう後へは引き返せない。
「本当に若葉を助けられるんですよね?」
幸祐は念を押して尋ねる。
「もちろんだよ」
再び百緑の口調がやわらかくなる。そう言って中々歩こうとしないフェルメールの背を押しながら病室から先に出て行った。
また病室は幸祐と若葉の二人だけになる。
静かにしなければいけない病室で騒いでしまったというのに若葉はその間一度たりとも目は覚まさなかった。
「やっぱりあの女の子の回復能力に頼るしかないか……」
フェルメールの回復能力は確かなものだった。それを幸祐は自身をもって肯定できる。
これから何が待っているかはわからない。
「やるしかないよな」
それでも彼の決意は揺るがない。
「じゃ、行ってくる」
そう言って最後に目を覚まさない若葉の顔を最後に見る。
次に合う時には目を覚ましていることだろう。
(それまでに俺が仕事を終わらせてからだな)
幸祐は静かに病室を後にした。