四章(7) 複製《ルミナティオ》
狩猟者のリーダー、ミロリーとの対決。その結末はいかに。
「そしてS等級である坊やの持つそれは『複製』。干渉し、異常を複製する」
言うなれば他の『異常』の模造品を作る。
ミロリーは話すことは全部言い切ったように滑らかだった口が閉じる。
彩人もそれがわかると再び気を引き締める。
「講習会はこれでおしまい。さあ、休憩も十分できたでしょうから―――存分にその力で私を楽しませなさい!」
「ルネは離れていろよ!」
「彩人……」
ミロリーが休戦状態を止め、足を動かす。だが、左足の負傷が効いているのか足取りは最初よりやや遅い。
彩人も右手に水蒸気と雪が凝結していき氷の剣が構築される。拳銃に撃たれた左肩は動かそうとするとひどい痛みが体に走るので左腕は使い物にならなかった。まだ利き腕でない方が打たれたのが幸いである。
(さっきの銃弾はあっけなく氷の壁を突き抜けやがった……アメンドを纏った銃弾だったってことか)
それは氷壁が防御手段として意味を成さなくなったということを意味する。今の彼には銃弾から身を守るすべが無い。
だがアメンドとは世界への影響力が無の力。たとえ持っていたとしても、修正者は超人になれるわけではないのだ。
だから改変者という超人の彩人は勝機があると確信する。
(まずはあの拳銃どうにかしないと)
彩人は拳銃が握られたミロリーの右手に的を集中させる。彩人は足元に積もっている雪を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた雪は空気中を浮遊する間に氷の散弾へと形を変えて、下方向からの攻撃が彼女の懐へと飛んでいく。
しかし、ミロリーがナイフを起用に操ることで、氷の散弾はいとも簡単に打ち落とされた。
そうなることは彩人も予想通りだった。その散弾も彼女の動きを惑わすための囮にすぎない。
本当の狙いは左手。氷の剣をそこに向けて一太刀を浴びせようとする。
彩人が自身で今使っているルネの異常についてわかっていることは二つ。
一つは凍結させることができるものが無ければ力を発揮できないということ。だから彩人は空気中の水蒸気及足元と空から舞い降りてくる雪を用いることでその条件を満たしていた。地の利は彼の方にあるようなものだ。
そしてもう一つ。凍結が始まる地点は必ず自分の身体に接する距離だということ。直接遠くにあるものを凍りつかせることは不可能だ。しかし、水面を波が伝わっていくように、凍結を次から次の地点へ途切れさせること無く連鎖させるようにすると遠距離まで攻撃範囲を広げることがわかっていた。
(少しずつこの―――ルネの力がわかってきたな)
凍結の連鎖反応は氷の剣からでも可能である。その刀が触れた箇所であれば、その場で空気中の水蒸気を凍結させることでその触れた箇所を氷で包み込むことができる。
だから、彩人は氷の剣が拳銃、またはミロリーの左手にさえ触れてしまえば一気に凍結させ、氷でどちらかを使えないようにしようと考えた。
「中々、鋭いところをついてくるじゃない」
ミロリーは彩人の行動を読んでいたが、もう避けようにも時間が足りない。
刃は彼女の左手目掛けて空気を裂きながら襲い掛かる。
彼女は左手に攻撃してくるとわかっていながら、庇おうとはしなかった。
そうではない。
庇う必要なんてなかったからだ。
ミロリーは氷の剣に立ち向かうように拳銃の側面を氷の刃に叩きつける。
バリン、と砕け散る音がする。
氷の剣と拳銃がぶつかり合って砕かれたのは氷の剣のほうだった。いや、ぶつかり合う直前にもう氷の剣の方が綻び始めていたのだった。
「な……!」
「私はアメンドの扱い方を一言も話した憶えはないわよ!」
一瞬の駆け引き。
氷の剣が砕け散った。
とれる行動は二つ。防御に回るか、それとも――――――
「意地でも、攻撃を食らわせる!」
氷の剣は狙いの拳銃を持った左手の目と鼻の先にある。
彩人はこのまま空気中を伝って凍結させようとする、が。
「うそ……」
氷はミロリーの左手はおろか拳銃に届くことさえなかった。届く前に氷が見えない何かに消滅させられたからだ。
彩人は左肩を負傷し左腕は動かすことができない。右腕は攻撃に失敗してしまったので防御に回せない。
つまり。
今の彩人は無防備そのもの。
「甘いわ」
(しまっ……)
ミロリーの右手に握られたナイフが炎の赤い光を反射して輝き、鋭い刃が彩人の腹部を切り裂いた。
腹部が熱くなった。激しい刺激が体を蝕むようにじわじわと広がる。
「う、……ぐっ……」
「彩人! だめ!」
彩人はよろよろと腹部を押さえながら後ろへ体が下がっていき、最後には膝を突く。
「私がアメンドをナイフと銃弾だけに纏わせていると思って油断したわね。言っておくけど、アメンドはもともとオーラのようなもので視認はできないの。人にはよるけれど、武器に纏わせたり、人体にも纏わせたりできる。そして濃度も違う。私は濃度が高いほうなのよ。だから消滅速度が速いってわけ」
ミロリーは冷めた目をしながら屈んでいる彩人を見下すように言う。
「ちくしょ……う」
腹部を深く切りつけられたわけではないが着ている服が血の色に染まる。
彩人は悔しさに満ちた目で睨みつける。
「さあ、もうチェックメイトかしら? それともまだ頑張ろうとする? そこのお嬢さんに助けを求める?」
銃口は彩人に向けられた。
(負けるわけにはいかない……。なんとしても、だ。ルネにだって力を使わせるわけにもいかない。一か八かやってみるか成功する保証は無い)
彩人は悪あがきとも言える最後の一手にかける。
(でもやるしかないんだ。俺には地の利がある。この場所で凍らせられない場所はほとんど無い。それら全部を凍らせてやる!)
「まだだ!」
(俺の力を搾り出す!)
これまでに無い最も強い冷気が彩人の体を包み込んだ。
「無駄よ。私の弾丸はあなたでは防げない」
ミロリーはその言葉とともに引き金を引いた。
(俺はあきらめない!)
空気中も。
地面も。
全てを凍結させる。
氷の厚い膜が彩人の正面をカバーする。何十にも積み重なった層は氷の割れ易さという欠点を補う。
「アメンドを纏った弾丸で砕けない?!」
弾丸は氷の壁に埋まって彩人の体には到達しなかった。
(行け! このまま全部、凍らせてやる!)
奥底から渾身の力をくみ上げる。
そして――――――
「終わり……?」
刹那。
いろいろな場所で氷の砕ける音が放たれる。
全ての氷は一瞬のうちにして儚くも消え去った。
ミロリーは先ほどの弾丸を撃った体勢から動いていなかった。
すなわち。
「……どういう、ことだ?」
この現象を引き起こしたのは彼女ではなかった。
彼女はというと、弾丸が防がれたことに面食らって、もう反撃を受けて終わりだとすら思っていた。
彩人は狼狽する。瞳孔が震えている。汗が額を伝う。
(力が……使えなくなった?)
いくら力を使おうとしても何も起こらない。というより、力の使い方そのものがわからなくなってしまった。
(なぜ? 一体何が起きたんだ? どうして使えなくなった?!)
事態の収集が追いつかない。
「複製……」
ミロリーがぼそっと呟く。
彩人はもともとルネの持つ『異常』の力を借りることで戦っていた。
元はルネの持つ力。
所詮それの複製でしかない。
彩人の力ではない。
「完全なコピーとまではいかないようね。あくまでサンプルを作るって程度かしら」
(限界。複製された力に限界が来たって……ことなのか?)
彩人はもう銃を向けられても身を絶対に守れない。
成すすべなし。
(終わりだ。もう……どうしようも、ない)
「終わりね」
ミロリーが銃口を向けるが、すぐにそれを止めてその場を離れた。
氷が迫ってきたからだ。
「ルネ! 力を使うな!」
「バカ!」
ルネが彩人の叫びをはるかに上回る声で叫んだ。
「彩人のバカ。バカ。バカ」
「おい……ルネ」
ルネは彩人の前からどこうとしない。戦う決意の表れだった。
「参戦かしら?」
「うん! もう彩人なんかの言う事は聞かない!」
「おい、ルネ! お前は力を使ったらまた……また忘れちゃうかもしれないんだぞ! それでもいいのかよ!」
「いいわけない! でもそれは彩人だって一緒のはずでしょ? 彩人もルネと同じ力を使っているなら、彩人だって忘れちゃう」
彩人の力は『複製』。ルネの異常をもとに複製したならば代価の条件も複製される。
「お前は一週間しか記憶がないじゃないか!」
ルネは日曜日に記憶を失った。記憶があるのはそれからの新代荘で過ごしたたったわずか五日間。
「そんなの俺たちと過ごしたこともすぐに忘れる! 俺は八年前からの記憶しかないけど、それでも年単位もあるんだ」
(それに、その記憶も忘れたって……)
「忘れたっていいわけないじゃん!」
ルネが彩人を怒鳴りつけた。思わず彩人も勢いを失くしてしまう。
「そ、それは……」
「藍も、若葉も、幸祐も。彩人言ったよね? 家族だって。だったらその家族と過ごした時間も思い出もどうでもいいの?」
ルネの言葉で気付かされる。
どうでもいい?
そんなわけがなかった。
毎日、同じような日々。何かを成し遂げようとも思わず、ただただ何もせず過ごしてきた日々。それでも彩人にとって彼らと一緒にいた時間は無駄ではなかった。
(記憶を失った俺を受け入れてくれて……一緒に過ごした。今思えば、一緒に中学校も行った。高校にも行っている。金がないからあまり行けなかったけどお出かけだって行った)
彩人は痛みを堪えて立ち上がる。
「ルネ……手っ取り早く早く終わらせよう。労力は少なめに」
「うん。わかった」
二人はミロリーに目を向ける。
「どうやら話の収集が着いたようね。二対一だけどまあいいわ。相手してあげる。ただ全力で行くわ。そして二人とも捕獲する」
「させない」
「ああ」
二人は手を繋ぐ。彩人の力――――――複製。これで準備は完了。
そして再び戦いは始まる。
彩人が最初に踏み出した。
「ルネは援護を頼む」
「わかった」
彩人が地面に右手を擦りつけながら走る。擦られた部分は結晶化して『氷の剣』を作り出す。その剣で切りかかる。
(アメンドに触れた剣はすぐに砕けてしまう。だが!)
ミロリーがナイフで防御。
「どうやら……本当にS等級のようね……。そしてまた再び複製を行えば力を使えるようになると。とんだ力だわ……」
でもね、と言ってミロリーは続けた。
「私がアメンドだけに頼っているとは思わないでほしいわね」
蹴りで彩人を吹き飛ばす。
彩人は痛みが体中に走り身動きがとれないため、ルネが前に出て氷壁で防御、そしてそこから『氷の角』を生やすことで攻撃をも同時にこなしてみせた。
「同じことを」
ミロリーは氷壁に対してはナイフを氷角に対しては拳銃を使って抗戦。
アメンドを纏ったそれらは氷をなんなく切り裂き、砕き、そして消滅させる。
その間に地に着いた彩人が再び氷角を作り始める。
ミロリーが使えるのは近接用のナイフ。それと拳銃のみ。
(攻撃回数としては奴の方が少ない!)
彩人とルネは氷を広げていけば一回の攻撃で広範囲を攻撃できる。それを利用して、枝分かれしていく木のようにいくつもの『氷の枝』として、ルネを避けつつミロリーを集中的に狙う。これが一本でもミロリーに当たれば、そこからさらに氷を広げることができる。
ルネの防御とミロリーへの攻撃。
だが。
「無駄ね」
ミロリーは現在持っているたった一つの武器をダーツのように投げた。ナイフは『氷の枝』の間をすり抜けていき彩人が氷を生み出している手元近くへ刺さる。
ナイフが刺さった所から凍り全体に亀裂が走る。氷壁も氷角も全てが一続きになっていることで同時に扱うことができる。
一本の大木があるとしよう。大木は天へと高く伸びながら無数の枝を生やし、さらにその枝からまた枝が、といったように次々と広がっていく。いくつもの枝は全て一本の根本から一続きになっている。もし、大木の根本を切断してしまったらそれらの枝はどうなるか。言うまでも無く、まとめて切り落とされたということだ。
だから、彩人やルネの氷も同じ。根本を破壊されれば、そこから派生した氷も同時に破壊される。
それが弱点だった。
ミロリーはそれを利用し、手元にある唯一の近接用武器を捨ててでも彩人の攻撃と防御を打ち破った。彼女は武器となるものを何も持っていなくとも攻撃を仕掛けるのをやめない。
ルネが再び防御の体制に入ろうとするが、ミロリーの攻撃が先を行く。
「ルネ!」
鋭く放たれた右足蹴りがルネのわき腹をなぎ払う。
「っぐ……!」
ルネの華奢な体は蹴られた方向へと吹き飛ぶ。
そのまま一本の木の幹に多叩きつけられる。叩きつけられた彼女はぐったりと首がだれる。意識を飛ばされてしまったようだった。
「これはあなた達には真似できないでしょうね。さあ、次は坊やの番」
彩人は足に力を入れる。傷の部位が悲鳴を上げる。
(くそっ、この程度の痛み……立つんだ。こんなことで……くたばってたまるか!)
「頑張るわね。それでこそ、よ」
「ルネをよくも……」
「ふふ、坊やに何ができるの? いくら彼女の異常を複製したって言っても所詮は偽物でしかないわ。本物には劣る。本物の力で私を倒せなかったら、複製が私を倒せるわけがない」
「うるさいっ! それでも俺がやらなくちゃいけない。俺以外にルネを守れる奴がいないんだから」
彩人は足元にあるミロリーのナイフに気付く。今ミロリーの手元には拳銃しかない。つまり近接戦では打撃攻撃しかできない。
(そうか……)
彩人は氷剣を作り、切っ先をミロリーに向ける。
「わからない子」
ミロリーは彩人たちを手玉に取っている。
「もうその手は通用しないわ。あなたが作り出したものはたいてい私のアメンドによって一撃で破壊できる。耐久性の無いそんな武器では私の体まで届かないわよ」
「あきらめないさ」
「そろそろ終わりみたいね。弾の残量もあとわずかになってしまったわ」
彼女は次で決着を着けようとする。彼女には肉弾戦がある。武器を失った時点で彩人の負けは決まってしまう。
(ああ、これで決める)
ミロリーは拳銃をかざす。
そして一弾目が放たれた。
彩人はタイミングが少し読めるようになっていたため、一段目は交わすことに成功。
だが、二弾目、三弾目が待っている。
(間合いを詰めるんだ)
彼は氷剣を握っていない方の手で氷角をミロリーに向かわせる。
弾道はそちらに向けられた。その間に彩人は前へ。
「近接戦に挑もうと。いいわ。だけどさっきも言った通り。その剣はアメンドを帯びた拳銃の外枠であっても破壊できたことを忘れていないかしら!」
ミロリーの方も前へ出た。
一気に二人の間合いが狭まる。
「さあ終わりよ!」
「あんたがな!」
氷の剣は振りかざす彩人。対抗して拳銃の側面を剣に当てようとするミロリー。
二つがぶつかった時、氷の粉砕音が響く。
「これで……」
彩人が武器を失ったことでミロリーは肉弾戦に入ろうとする。そう武器を失ったと判断したからだ。
「!」
そして彼女は気付く。氷の剣を失った彩人の手に握られているそれを。
「くらえぇええぇええ!」
彩人はこれで人を傷つけるということは気が引けた。もしこの攻撃が通ってしまえば、生々しいその感触を彼は経験することになる。記憶にしっかり染み付いてしまうかもしれない。異常の力の代価でも忘れることができなくなってしまうかもしれない。
それでも。
ルネが守れるならば。
(やってやるさ)
彼の手に握られたナイフがミロリーの腹部に突き立てられて、そのまま横に切り裂いた。
「―――ッ!」
一撃では済まさない。一撃で仕留められるような相手ではないからだ。
(くそっ)
それは守るために。
(右手)
切りつける。
(左手!)
切りつける。
計三回。
ミロリーはその場に蹲る。彩人が切り付けた箇所からは赤い液体が流れだす。
「はあ……はあ……」
呼吸が荒い。心臓が強く鼓動を打つ。それは自分のしたことへの恐怖。
「考えた……わ……ね」
ミロリーはしゃがむ体勢になる。だが腹部を切り付けられたことで派手に肉弾戦はもうできない。そして両手を切りつけられてナイフも拳銃も握ることができなくなっていた。
「ああ。雪球の中に石とかつめて投げたりすると本当に危ないよな。とっても悪質なことだ。俺が氷の中に『ナイフ』を仕込んだこともそれと全く同じことだけどな」
「ほんと……まったく子供の考えることばっかり……」
ミロリーはもう戦闘の意思を見せない。
「俺はまだガキだよ」
「そうね……坊やだったわね。よく頑張りましたって褒めてあげるわ、。もうあなたの勝ちでいいわ」
その方が後々この『世界』がおもしろいことになりそうだから、とは思っても口には出さなかった。
「たとえ私が勝っていても連中がもうすぐ来る。ここに一人で来た時点ですでに終わりなのよ。どのみち私はいずれ捕まるわ」
彼女は座り込んだ。その時が来るまでここで待ち続けるつもりなのだ。
「OASPだったか」
世界を守る組織。
その組織が彼女を捕まえに来る。
「坊やもあの子を連れてさっさと行きなさい。彼らが来る前に。一般人といえども二人とも事件に深く関わり、そして戦闘をした。同じ対象になるかもしれないわ。それに最後にいいもの見せてももらったことに感謝するわ」
「あんた悪者かよ」
悪者よ、少なくとも坊やたちにはね。と、ミロリーは力の失った声で返す。
これで終わった。
「放置でいいんだな? また現れたりしないよな?」
「しないわよ。もう終わりだもの」
ミロリーがそう言ったその時だった――――――
「いいや。まだ終わってはいないよ」
彼らの前に現れたのは……。銀世界での物語はまだまだ終わらないっ!