四章(5) 白色だからこそ
彩人は心の中で思った。
終わった。
ごめん、ルネ。
藍さん、幸祐、若葉。ごめん。
やっぱり俺は似合わないことをしたんだろうな。いつものんびり生きている俺にとってはこんなスリリングでデンジャラスな日々合わないって……。
結局、短い人生だったな。
生きているのは十七年。でも、その約半分は何があったのかちっとも憶えていないや。
実質、八年か。
八歳までと変わらないんじゃないか? あ、でも一歳とか二歳とかの記憶って何かは誰でも思い出せないか。
となると……まあどっちにしても短いことに変わりないな、うん。
いやー、天国は昼寝が気持ちいいかな?
最近は、寒くて、寒くて、昼寝も散歩もどっちもする気になれないからちょうどいいかな。
そうだと、いいな。
「彩人」
あれ? ルネの声だ。
ルネはどうなってしまうんだろうか。無事に生きられるといいが――――――
そこで、彩人の思考は途切れた。
「痛いっ!」
そう彩人の思考は確かに途切れた。
小さな手で顔を思いっきりビンタされたからであった。
「よかった……」
彩人が目を開けると目の前にはルネの顔が頬には雫が流れた跡がある。夢でも見ているのではないだろうか、と思った。
しかし、これは現実だった。
「やっぱり来たわね。標的がわざわざ出てきてくれたのは助かったわ……」
ミロリーが舞った雪の中から姿を見せる。右手にあったはずの拳銃は凍り付いていた。
「許さない」
ルネが気色ばんで彼女を睨みつけた。
「……。許される覚えもないわ。さあ、本来の任務に戻りましょうか。もうそろそろ時間もなくなってきている頃だろうし」
「おい、これはどうなって……んだ?」
彩人はミロリーに一方的に殴っては蹴られていた。そして拳銃を向けられて彩人はもう終わりだと思った。だが気付けばそこには新代荘にいるはずのルネがいて、自分は生きていて。わけがわからなかった。
「バカな彩人を助けに来た」
ルネは言う。
ミロリーはルネに牙を剥く。拳銃を覆っていた氷は蒸発するかのように消え、ナイフを左手に持ってそのままルネの真正面に突進していく。
「彩人は隠れて。ここからは私が―――」
「ふざけるな! お前が力を使ったら―――」
会話するなど滅相も無い。そのような暇があるわけではないので、彩人の言葉を聞く前にルネはこの世界の『異常』の力を使った。
氷の連山を形成していく。地面から生えた角のようだ。
「それは通用しない……―――!」
ミロリーが空中へと飛ぶ。
それはアメンドを纏ったナイフによってあっさりと両断されるが、ルネは別のルートを辿るように地面から氷の角で攻撃を仕掛けていた。
そこへミロリーは弾丸を撃ち込む。すると氷は内部が爆発したように崩壊し、やがて消滅する。そしてもう片方の手に持ったナイフで、空中にいながらも彼女は攻撃の構えをしている。
「ルネッ! 手を俺に伸ばせ!」
彩人は痛みを堪えながらも必死で腹から声を出す。
ルネは言われるがまま彩人の言うとおりに左手を差し伸べると、彩人の手がその手を握る。
(また頭に流れこんでくる。頭? いや体にも。これは一体なんだ? いや、何だった?)
彼が彼女の手を引っ張ったことで、ミロリーが攻撃を外す。
「坊や、まだ動けたじゃない。でもさっきまでお遊びはおしまい。だって標的が出てきてしまったもの」
しかしこの時、彩人はミロリーの話を聞いていなかった。自分の身に何が起こっているのかを気にせずにはいられなかった。
「彩人? どうしたの?」
ルネが彼に尋ねる。
(なんだ……これは……『力』が――――――)
彩人は立ち上がり、そしてルネの手を放す。
(使い方……)
わかる。イメージは『結合』。
―――繋げ。
「?」
ミロリーも彩人の様子に違和感を覚える。
彩人はルネと手を繋いでいなかった方の手―――握られていたその手をゆっくりと開く。
「こいつは……」
自分では何の力も発揮できない、役立たずで、無力な白色の少年のためにある力。
白色は何の鮮やかさもない空虚な色。
しかし、白色にしかできないことはある。
空虚であるがゆえのその性質。
『何色でも上から塗り重ねることができる色』。
そして彼の白いキャンバスは彩られる。
白色は美しき光沢を帯びた銀色へ――――――
開いたそこには結晶化した氷の塊があった。
ここにいる三人ともそれを見たことがある。ルネが生み出したそれと実に似ているものだった。
「あっははははは、そうか、ふふ、これは実に面白い! 坊や! それを待っていた!」
ミロリーが吹っ切れたように高らかと笑い声を上げる。この状況で笑い出すなど不気味で極まりなかった。
「つまり坊やも改変者だった、ということね!それも彼女と同じような力を持っていると。やっぱり勘は当たっていたようわ!」
「俺が改変者だって?」
彩人は信じられなかった。ただルネから自分に流れ込んでくるそれに従っただけだった。
だが以前から予兆はあった。
一度目は炎を操ることができる男に迫られ打つ手も無い絶体絶命な状況でルネの手を引いた時。二度目は昼にミロリーと出会い自分に宿る『異常』の存在を知らされ、その夜自分が皆と一緒に居ると迷惑をかけることになると言って新代荘から出て行ったルネを連れ戻した時。三度目はルネと二回目の目的の無い散歩のようなお出かけをし、しまいに炎を操る男が店の中で襲撃してきた事態から逃げる時。そして、最後。ミロリーに攻撃されそうになったルネの手を引いた時。
そのどの時も彩人はルネの体と接触した時だった。
ただし、彩人が感じ取った『それ』が起きたのはある条件を満たしていた時だけ。
その条件は――――――ルネが『異常』という力を使った直後に接触すること。
その現象が彩人に起きた時、頭か体かに、何かの情報が流れ込んでくるように感じ取った。
自分の意思ではない。
自然に。本能的にそれを受け入れようと。
その頭に流れ込んでくる『それ』の源は――――――ルネ。
(最初はなにがなんだか、わからなかった。だけどこれで)
「これで戦えるッ!」
今の彩人は力を手にした。無力ではなくなった。
「ルネ。お前はもう力を使うな。代わりに俺が戦う!」
(力の使い方がなんとなくわかる。簡単に言えば繋げるイメージか。それに体は痛むがまだ動ける!)
木々が焼け熱気に満ちたこの場所を再び冷気が冬の空気を本来の姿に戻す。空気中の水蒸気は凍結し細かな氷の粒を作り出す。
彩人はありったけの力を振り絞り手に握ったものを振り下ろす。
世界の『異常』によって構築された氷の剣を。
「――!」
ミロリーは、先ほどまで彩人の何も握られていなかった右手に氷の剣が握られているのは視界に入ると、反撃のために構えたナイフを即座に防御の体制に持っていく。
しかし、戦いは一瞬が命取り。
彼女は最初の判断が遅れた。だから行動に移ろうとすれば必ず動きに遅れが出てしまうのが必然だ。
氷の剣とナイフとが交錯する。
キン、とナイフの方が刃音を立てた。氷の剣に亀裂が入る。
「それは……」
ミロリーが地にしっかりと踏ん張り、彩人の一太刀を受け止める。だが彩人の攻撃は終わらない。さらに新たな一手を仕掛ける。
「まだだ!」
周囲の冷気がさらに強まる。
すると氷の剣から衝撃波のように氷が飛び出す。氷はルネが出現させた氷の連山のように先端が尖った状態で、氷の破片を撒き散らしながら氷の相手を押し飛ばす。
「くっ!」
氷がガラスの破片のように鋭く、ミロリーの体を襲う。彼女は後ろへと止む終えず飛びのいた。
ミロリーを吹き飛ばした時にまた剣に亀裂が入り、あっという間にばらばらと崩れ去ってしまった。
(なんで……。いやそうか。『アメンド』とかいう力は弱める効果があったんだ!)
しかし、壊れた氷の剣に気を配っている余裕は無い。相手は戦闘に手馴れた物騒な人物だ。だから彩人の頭には、油断したら負ける、と刻み付け、相手に反撃を与えようとしない。
「いくぞ!」
彩人は倒れたミロリーに向かって新たな攻撃を仕掛ける。
「彩人! 待って!」
ルネはミロリーへと向かっていく彩人に叫ぶ。しかし彼女の言葉は彼の耳に届かない。自分が無力でないこと。彼はそのことに心が浮かれていた。
次はルネが使っていた氷の連山を出現させた攻撃で仕掛ける。彩人はあの時のルネのモーションを思い出し真似するように雪の積もった地に手を付き、力を発動させる。
(あの時の迫力を。衝撃を。再現するんだ!)
頭の中に力の使い方は情報としてインプットされているような感覚で、それに従い力を振るう。一体どういう原理なのかはさっぱりわからないが、それを読み取る。
動けなくしてしまえば勝利だと思った彩人は彼女へのダメージより拘束を狙う。
雪の面を這うように凍り付いていき、ミロリーの手前で四つに分かれてそれぞれが彼女の四肢に伸びる。
だが、そうもうまくはいかない。
ミロリーはナイフを逆手に持ち替え左腕に迫る氷を二つに切り裂くのと動作を連続させて、そのまま左足に迫る氷も二つに切り裂く。切裂かれた氷はささくれのようにあらぬ方向へと伸びる。さらに右手の拳銃が放った銃弾が右腕に迫る氷を打ち抜くと、打ち抜かれた氷は内部で爆発でも起こったかのように砕け散る。
「うっ……」
防ぎきれなかった右足に攻撃が当たる。当たった氷は右足と地面をまとめて張り付くみたいに覆いかぶさって、それらを繋ぎ止める。それでもすぐにナイフで張りついた氷を引き剥がす。
彩人はこの攻撃が決まると踏んでいたためミロリーの素早い動きに一瞬手を止めてしまった。
もちろん、たとえ一瞬でも隙ができれば、それは隙である。
ミロリーは拳銃を彩人に向けた。
彩人は防御として氷の壁を作る。
銃声が鳴り、氷の壁によって彩人は自分の体を守ったと思ったのだが――――――
「がっ……あぁああ!」
銃弾は氷の壁を突き抜けて彩人の左肩に当たった。当たった箇所からは痛みと血がにじみ出てくる。
「彩人!」
ルネが叫ぶ。
彩人は左肩を押さながら悲痛な叫びをあげる。よろよろと左肩を押さえながら後ずさりしてミロリーから距離をとる。
弾を撃ったミロリーはゆっくりと立ち上がる。右足の立ち方に少し違和感がある。彼女の方は右足を負傷したようだった。
ルネが彩人とミロリーの間に立つ。
ミロリーにすぐに彩人を襲ってくる様子はない。
「だ、大丈夫だ……。それよりどうだ……。はっ、なかなかうまく使えてただろ? ルネに借りたこの力。お前達の言う『異常』ってものをさ」
彩人は自慢げに離すが表情は苦しみを隠しきれていない。
「借りた? それは一体、どういうこと?」
ミロリーは攻撃の手を休めて話を始める。
「坊や、その力は坊やのものじゃないなのか?」
話をしなければいけないほど彼女には納得のいかないことがあった。
「彩人、本当に大丈夫なの?」
「痛い……けど、まだいける」
彩人がこれまでに味わったことのないほどの痛みだった。だが強気を見せる。華奢な少女になど負けてはいられない。
「こちらの質問に正確に答えろ! その力は坊やの『異常』か?」
ミロリーの態度が迫力のあるものに変わった。
それに彩人もルネはやや気圧される。
「……さぁな。ルネから俺に力が流れ込んできたっていうか」
「それは本当か?!」
もう今のミロリーには戦闘に集中することよりも、彩人の異常に対する興味が上回っていた。
「あ、……ああ」
今まで見ないミロリーの態度に彩人とルネは不気味さを感じる。
「そうか。そうか! そうか! それが本当ならばこれはすごい!!」
ミロリーが徐々に狂っていく。
「異常のある個体から別の固体への移動は通常不可能とされている」
しかし、と続ける。
「例外として、ある種の『異常』を使えば不可能ではないとされる……。あれを持つ改変者はほとんど判明されていないというのに……坊や、その『異常』は坊やの物ではないのだな?」
いつ相手が攻撃してくるか警戒を解かない彩人。だがまだこの状態では自分から攻撃することはできない。それに会話を長引かせれば回復にも使える。
「ああ、借りてる感じだな」
彩人がそう言うと――――――
「あっははははは、そうか、ふふ、これは面白い!!」
ミロリーがまた高らかと笑い声を放つ。
「どうやらあの伝説級の異常でないとしても、素晴らしい! まさかこんなところで出会えるとは! OASPでも世界で『マスター』の改変者はわずかしか確認できていないというのに! 間違いない! 君は世界を変えることができる可能性を秘めた異常を持つ改変者だ!」
「なにを言っているんだ……」
ルネが記憶を失くす前なら知っていたかもしれないが、二人とも、業界用語な言葉ばかりを並べるミロリーが何を言っているのか理解できなかった。彩人はそれでも自分の持つ異常がすごいもの、とだけはわかった。
「いいわよ、もうこんな機会は二度と訪れることは無いほどのことだから。その坊やに免じて教えてあげるわ。確か少し話したわよね」
そしてミロリーはこの世界の『異常』について語り始める。
とうとう彩人の異常が覚醒しました! これからの展開をお楽しみください!