四章(3) 無力な者の悪あがき
午前零時。
「来たわね」
周囲で穏やかに燃えている炎が訪問者の顔を闇から浮かび上がらせる。
その顔をミロリーはまっすぐ目で見る。対する人物の方も同じく、まっすぐミロリーの顔を見ていたからであった。
炎がパチパチと音を立てながら木々の粉塵と火花を飛ばす。周囲は煙の匂いが充満していて鼻をくすぐる。
「あなた、一人でいいのかしら?」
ミロリーの口元に思わず笑みがこぼれる。
彼女はこの状況を楽しんでいたからであった。
おもしろい。
初めてだ。こんな馬鹿な奴がいるとは思わなかった。もし立場が入れ替わっていたら自分は決してこの場に現れないというのに。いや、自分だけではない。おそらく、こんな面白い奴はそうそういない。何せ自分から死ぬために行くようなことは自分だったらしない。そうミロリーは心の中で高揚を感じていた。
だから仕事を優先しないで、この少年とのお遊びにつきやってもいいと思ってしまっている。
(この少年は何か面白いものを必ず見せてくれる!)
「ああ」
その少年――彩人は短く返答する。
真剣な眼差し。普段だったらこのような姿は見せない。彩人は自分らしくもないな、と思う。
「交渉決裂」
「覚悟はできている。俺はお前達にルネは渡さない」
「約束は忘れていないわね。それを邪魔する者は排除する」
戦闘が始まる。
先手をとったのはミロリー。
拳銃をポケットから引き抜き、何の迷いも無く引き金を引く。
銃声音。
彩人は彼女が拳銃をポケットから取り出したタイミングに合わせて体をそらす。銃弾は闇の中へと消えていった。
「へぇー」
彼女は彩人の咄嗟の動きに感心しつつも二発目を発射。
銃弾の軌道は彩人の頭に向かう。
彩人は走りながら体勢を低くする。二発目の銃弾は走ったときに逆立った髪の毛をかすめる。そしてミロリーの周囲を右回りに回る形で走る。
「逃げているだけじゃどうしようも無いわよ!」
ミロリーの方は攻撃の手を休めようとしない。
三発目。
その引き金が引かれるのと同時に彩人は上着の内側に隠し持っていた物を手にとり、渾身の勢いで彼女目掛けて投げつける。
銃口から飛び出した銃弾は彩人が投げたそれに当たる。
当たった途端に空気が吹き出るような音、辺りには煙とはまた違う匂いが鼻をつく。次に起こるのは爆発。
(チャンスは一度だけ!)
彩人は急いで距離をとる。日曜日の経験でどのくらいが安全圏かはだいたい掴むことができていた。
「これは……」
ミロリーがガスのにおいに気づく。そしてその場からとっさに離れようとする。
しかし、引火していくスピードは人間の足の速さよりはるかに早い。
燃えている木から炎が空気中のガスに引火。引火時に炎は強い赤い輝きを放って大きさを増す。そして伸びていく。連鎖から連鎖。連鎖がいくつも起こって、それは膨張するように次々と一瞬のうちに広がる。
ミロリーへ迫っていく炎。
止まらない。
勢いは増すばかり。
(決まるか……?)
炎は全てのガスへと移った。
彩人の目の前は炎で一面となる。
「まったく、学校でこういうことしちゃいけないと先生から習わなかったの?」
炎が消え去ってからミロリーの姿が現れる。
(無傷か!)
「まるで子供のおもちゃよね」
ミロリーは何事もなかったかのように立っている。
(はずした……)
火炎攻撃は彩人にとって強力な攻撃手段だった。だがそれも不発。
「これで最初は逃げ切ったそうね。でも、同じ手は二度通用しないわよ」
ミロリーは銃弾が彩人の投げたガスボンベ当たった時点で後ろに大きく跳び、爆発の火が届かないと予想した距離まで離れる。
彩人の攻撃は難なくかわされてしまった。
(仕方ない……)
彼はポケットに入った包丁に手を伸ばす。ここに来る前に藍の部屋へ入って勝手に拝借してきたものだ。
「さあ、次は何を見せてくれるの?」
「くっ……」
彩人自身も包丁で立ち向かえるとは思っていない。相手はナイフ、それに拳銃を持っている。武器だけですでに差が圧倒的だ。
だが、戦うしかない。
「それは包丁? ふふふ、おもしろいわ。本当に」
「俺は守らなくちゃならないんだ! なんとしてでも」
彩人の声は震えていた。
恐怖の表れ。
この場面が恐くないわけがなかった。それでもどうにかしなければいけなかった。どのみちルネは連れて行かれる。ならば、戦わずにルネを引き渡すよりも、それでも戦ったほうがましだと思ったからここに彩人はいる。
「じゃあハンデをあげましょう」
そう言ってミロリーは武器を仕舞った。
「どういう……つもりだ?」
「あら不満? 坊やにとってはうれしことだと思うんだけど」
ミロリーは楽しんでいる。彩人をからかいながら。
「私はね、楽しいのよ」
「?」
「一応言っておくけど私は素人じゃないのよ? ただこんなこと初めてで、坊やが本当におもしろいのよ。一般人でありながら改変者や修正者に関わって。私たちが狙っている標的についても、あなたは守ろうとした。逃げないでね」
「だってルネは家族だから」
ルネは家族であり、守らなければならない人だということに基づいて彩人はこの場に赴き、命がけで戦っている。
「それは今の話でしょう?」
「?」
「ルネ……と呼んでいたわね、坊やは標的のことを。まあいいわ、私も標的という枠から外して話しましょうか。坊やは数日前のこと彼女とは始めて出会って、巻き込まれた。まあ違いないわね?」
「ああ……」
細道でルネとすれ違い、そして事件に巻き込まれた。
「なぜ逃げなかったの? 坊やが何も知らない女の子を助けて、そして命の危機にさらされた。その時までは赤の他人だったというのに。一人で逃げればよかったのに」
「……」
もしもあの時、ルネがただ通り過ぎ去っていたら、すれ違うだけだったら、彩人はこんなことになってはいないだろう。
「普通なら逃げていたはずよ」
「わからない。俺は―――」
(―――どうしてルネを助けようと思ったんだ?)
「興味が湧いたの。坊やに。これは私の勘だけど、坊やには何かがあると察したわ。だからいつもだったら真面目にしている仕事を放り投げている」
「俺はそんなたいした人間じゃない」
そうだ、と彩人は思う。
自分が記憶喪失になって、新代荘に行って、そこでただ過ごした。夢なんてない。どうでもよくなっていた。成り行きに任せていた。高校に行ったのも、幸祐と若葉の二人についていっただけ。自分で何をしようとも思わなかった。
だが、それは今週の初めで変わった。
自分でやりたいと思ったことをしたのだ。
彩人はルネを守ろうと思った。
それは紛れもなく自分の意思。誰かにそうしろと言われたのではない。流れに身をゆだねたのでもない。
逃げるか、守るか。
公平な二つの選択肢。
そこで取ったのは、『守る』という選択。
「さあ、見せてみなさい! そして楽しませて私を!」
「守る……」
もう選択は終えた。もう後戻りはできない。
「俺はルネを守るって決めた!」
彩人は包丁を右手にミロリーへと一気に飛び込んでいき切りかかる。
ミロリーは左側に華麗に避け反撃。
「がッ!」
膝蹴りを彩人の腹部へ叩き込む。
(痛い。苦しい。でも……)
渾身の力で地をしっかりと踏む。
「そう、そうよ! 意地を見せてみなさい! そして坊やが持っている『異常』を見せなさい!!」
「うおおぉぉぉっぉぉおおおおおお!!」
切りかかる。
避ける。
反撃。
何度繰り返しても彩人は諦めずに立ち上がる。蹴られ殴られたりして、服を脱いだらあざだらけになっていることだろう。
(ただ闇雲に突っ込んでも意味が無い……。何かいい方法は無いのか?)
「もう体力切れ? 若いくせに。来ないならこっちから行くわよ」
ミロリーはハンデと言ってから拳銃もナイフも使っていない。ただ肉弾戦。俊敏な動きで華麗に避けては打撃で攻撃。
今度は彼女から彩人に突っ込んでいく。
彩人は包丁を構えて防御体制。
「意味無いわよ。そんなもの」
ミロリーは生身の人間である。切り付ければダメージはある。最初に右足を振り回してきたのを、彩人は包丁の刃で防ごうとする。だが。
突然ミロリーの体勢が低くなる。蹴りは彩人の脛のところへ。
バランスを崩したところへ二撃目。
今度は左足を腹部へ。この蹴りは今までの蹴りとは威力が違った。
「――ッ」
蹴りの衝撃から彩人は声が出ず、息だけが漏れる。そしてそのまま蹴り飛ばされた。空中を舞った彼の体は地面に叩きつけられる。そして彼は雪の積もる地面にうつ伏せになったままだった。
「なによ……」
ミロリーはゆっくり近づいてくる。
「その程度……なの? 私が坊やに感じた『異常』さは一体なんだったというの? つまらないわ。期待はずれだわ。まだ立てる? 立てないなら私は今ここで坊やの頭部に弾丸を撃ち込むわよ」
ミロリーの脅迫的な言葉。彩人には聞こえていたが、すぐに立つことができそうもない。
(くそッ……立てない……)
銃口は彼の脳天に向けられる。そして。
「さようなら」
雑木林に一発の銃声が響いた。