三章(4) 彼らの居場所
彩人とルネが新代荘に帰った頃には一時を過ぎていた。藍も帰ったときにルネがいないことに慌てていた。帰ってくることを信じていた藍は、帰ってきたのがルネだけではいと知って「あんたが連れまわしてたの?」と鋭い眼光をルネの隣に立つ彩人に浴びせた。
藍の部屋に入った彩人とルネはさっそくストーブの前に座り込む。再び冷え込んでしまった帆布町を歩いて帰ってきた二人の体も当然冷え切っていた。
「あんた達、風邪引いてもおかしくないわよ」
藍が二人分の味噌汁をまず机に運んできた。
「以後気をつけます」
「ごめんなさい」
彩人はどうしてルネが一人で出かけようと思ったのかについて聞くのは、ルネが少し落ち込んでいるようにも見えたので、今は止めておいた。
二人は味噌汁をすすると体の芯から温まった。藍が湯気を立てたご飯を運んでくる。
中をみるとお茶漬けになっていた。
「ルネの昼ごはんはいつもこのメニュー?」
「あんたたちの弁当と同じものだったり、そうね……昨日なんかは別のものを作ってあげたわ。それよりなんであんたがここにいるの?」
「ああ、今日は教師が緊急会議を開くとかで午前中で終わりなったんだよ」
「ふーん」
「幸祐と若葉は……帰ってないところを見ると部活やってんのかね、この天気で」
彩人はそう言って窓の外を見やる。窓の外では、上から無数もの白い結晶が落ちてきている。
「あの二人は一応、弁当ももたせてあるから大丈夫……って、彩人、あんたも弁当あるじゃない?」
「あれ? どこやったっけ……そうだ、部屋の前に鞄ごと置いたんだった。うわー、中身めっちゃ冷えてそう」
「それ、あんたの夕飯」
「なんですと?!」
(新代荘には電子レンジなどという人間が生み出した便利な家電はないんだぞ!)
新代荘で料理を温めなおすことができるのはコンロの上だけだ。
そして、彩人の夕食はそれとなった。
「冷たい! 歯が痛いぐらい冷たい!」
「あはは……彩人、ストーブの前で温めたら?」
今日は味噌ラーメンを選んだ若葉は、手を発泡スチロールでできたカップ麺の器に手を当て温まりながら、彩人に勧める。
「もはや解凍だな」
「彩人、分けようか?」
ルネはカップ麺ではなくご飯と味噌汁を食べている。平日五日間カップ麺というのは脂分の濃いものが苦手な彼女にとっては苦しいので藍が特別に例外扱いとして別のものを用意されていた。
「ルネは優しいわね。でも彩人が悪いのだからその必要はないわよ」
「そうなの?」
「そうそう彩人はあれでもだいじょーぶ」
幸祐は無言で頷いて同意する。
「わかった」
「そこでわかるなよ! 分けて、恵んでぇー」
ルネが加わってさらににぎやかになった夕食のひと時もこれで四回目。
新代荘の皆は楽しかった。彩人はいつまでもこんな時間が続けばいいと願う。
「続くよな……」
「彩人なにか言った?」
「いや、なんでもない」
彩人は弁当箱の具材をひとつ摘んで口の中へ放り込む。
(温めたけどやっぱり一度は冷えたものの味か……)
「ごちそうさまー」
「ごちそうさまでした」
今日も若葉と幸祐は夕食を食べ終わったら自分の部屋に戻っていく。
彩人はテレビを見ていた。
「明日も雪かー」
「来週は試験だー」
彩人の言葉ニかぶさるように藍が言う。
「……」
「あんたさ、勉強しなさいよ。若葉ですらしてるぐらいなのに。これで一年生の最後の成績がつくんだから、どうなっても知らないわよ?」
「めんどー」
彩人は校内で下から数えてすぐにあるという位置にいる。試験の範囲発表は一週間前から始まっているにもかかわらずほとんど手を付けていない。
(決戦前夜にやればよし。一応、最近はだいたい授業はちゃんと聞いているから少しは点数が取れるだろう)
彼は中学の時から身についている方法のままで今回も挑もうとしている。このままではいけないと危惧すべきなのは彩人自身も承知しているが、それでもやる気が起きないので手をつけられない。
「とりあえず、あんたはルネを連れて部屋に戻りなさい」
そのルネは彩人と机をはさんで向かい側に座りながらテレビを見ている。
最初は、何だこれは! という表情をしてテレビにかぶりつくような勢いでぺたぺた触っていたが、今はもう大人しく座って見ている。
(テレビでなにを言っているか理解できてんのか?)
彩人は立ち上がってテレビのボタンを消す。その時、ルネが「あー」と声をあげるが彼女を連れて藍の部屋を出る。
外では雪がまだ降っていた。
「こりゃまた積もるなー」
もう道路は一面が真っ白だった。
「じゃ、おやすみ」
ルネに手を振って部屋に入ろうとしたとこで声をかけられる。
「ん?」
「わたしのことは……もういいよ」
「どうい――――――」
「ごめん。変なこといっちゃって。じゃあ、おやすみなさい」
彼女は苦笑いして自分の部屋へ早足で入っていった。
(なんだ?)
彩人は部屋に入るとストーブをつけて、お風呂を入れる。彼はお風呂が入るのを待つ間畳んで置いてある布団に飛び込む。このまま寝てしまいたかったがどうにか堪え、お風呂に入ってから布団を敷いてまた正面から飛び込む。
「明日から手がかりを……っても今日あの場に行ってもなーんにも無かったなー」
(今まであの場所に近寄ることを恐れていた自分はなんだったというのか)
体を返して天井を見る。
(ルネはたぶんその手がかりを探しに出かけた。俺が見つけられないから自分で探しにいったんだ。ん? でも、なんで学校の前に? ま、いっか。あの男たち、どこに行ったんだろうか。警察が動いているのに見つかってないなら、ただの高校生の俺なんかに見つけられるのかよ……。そもそも見つけたところでどうする? ルネは何者だって聞くのか? 会った時点で殺される。あいつらは関係したとして一度は俺を消そうとしたんだからな。奇跡的に俺はこうして日常を過ごしているけれど)
「はぁ」
彩人は深いため息をつく。
結局、どうにもならない。
ひょっとしてルネが「もういい」と言ったのはもう気にかける必要がないってことではないのだろうか?
何かをしてあげたいと思う。
でも無理だ。
彼女もそれをわかってくれた。
(俺はルネに甘えているのか)
彩人は気色ばみ、寝入った。 新代荘では皆だいたい十二時を過ぎると床に就く。幸祐が勉強のため、たまに起きていることはあるが。新代荘にはテレビが藍の部屋にしかないため、遅くまでテレビを見ていったことがない。彩人、幸祐、若葉は藍が一人で養ってきたため、嗜好品はほとんど与えられなかった。だから自分の部屋に行ったらとくにやることは特に無い。
現時刻、午前二時。
新代荘だけでなく外も音が無くただただ穏やかな夜であった。
室内では時計の秒針がカチカチと一定の間隔で動き、一周するのを繰り返す音だけが微弱に響く。
(?)
彩人は夢を断ち切られ、現へと引き戻される。暗い中、蛍光色素がふと時計を確認。蛍光色素が長針と短針に含まれているため時刻がわかる。
「二時か……」
彩人は目をこすりながら、再び寝付こうとしたのだが、静かなはずの新代荘でかすかだが物音がした。
(なんだ?)
誰かまだ起きているのだろうか、という疑問が浮かぶがすぐにそれはないと思った。彩人は二階に部屋を構えているが、藍、幸祐、若葉の部屋は彼とは違って一階にある。先ほどの物音は床下から聞こえたわけではないのは明らかだった。
強いて言うなら自身の部屋の外―――新代荘の二階にある三部屋に面する廊下―――から聞こえたような気がした。
(ルネ?)
先週までは二階は彩人だけが居座る場所だったが、今週新たにルネが加わったことにより二階の住人はもう一人いる。物音の主は彼女かと思うが、夜分遅くにそれはないと彩人は考えを改める。
(ちょっと見てみるか……)
彩人は物音の正体が気になって寝付くことができなかったので布団から這い出て確認しに行こうとする。
「うわ……寒い」
冬の真夜中は凍てつくような寒さだ。フローリングの床は氷面のようだ。
毛編みの靴下を履いてから椅子にかけてあった上着を手に取り着用する。
そして玄関まで忍び足で移動し、恐る恐るドアの覗き穴に右目をあててそこから外の廊下を見る。
玄関の前には人影は無かった。
(だめだな……なんか心配性になっちゃったかねえ……)
とりあえず念入りのためドアを少しだけ開けて廊下を右端から左端まで見渡す。
(はは……誰もいるわけがないじゃないか……)
彩人は安心して首をドアの中へと引っ込めようとしたその時。
「――!」
気付いてしまった。
彼は言葉が出なかった。
背筋が寒くなる。
決して気温が低いからではない。
それは目線が下に行っていなければ気付かなかった。
「おいおい……」
彩人は暗いので勘違いをしたのかとも思ったが、しゃがんで実際に廊下の床をなでてみたら窪みは確かにそこにあった。
足跡。
今日降っている雪は新代荘の廊下に振り込んで薄っすらと層を形成していた。人がこの上を歩けば必ず足跡ができる。足跡ができないとしたら空を飛ぶ鳥か、宙を浮く幽霊か何かしかありえない。
つまり。
(誰かがここを歩いた……)
彩人が聞いたと言う物音は単なる勘違いなどではなかった。
紛れも無いここを通った誰かが立てた音。
もう一度、首だけ外に出して廊下を確認する。しかし、暗闇の中うごめく物は無い。
「一体誰だ? なにをしに来た?」
足跡は続いているのだろうか、と彩人の部屋から光が漏れているだけなので廊下をじっくり見ることはできない。
彩人は一旦部屋に戻り、明かりを捜しに行く。
「そうだ、懐中電灯はあの時……」
彼が暗い中歩く時に使う小型の懐中電灯は日曜日にお陀仏となってしまった。
なので、非常用に設置された懐中電灯を押入れから手に取り、今度は靴を履いて廊下に出てみる。
懐中電灯を足元に当てる。足跡はやはり続いていた。
続くその先を懐中電灯で少しずつ遠くを照らしながら傾けていくと一つの部屋の前で途切れていた。
「おい嘘だろ……」
彩人は唖然とする。
足跡の終着点―――『〇〇五号室』。
紛れも無く、銀色の少女の部屋。
あの時の炎が頭を過ぎる。
(まさか、あいつが……あの男が……)
だがその検討は履き違えていた。
証拠は足跡。彩人の足跡より小さい。
それに加え、足跡の進む方向。足跡は部屋の前から始まっていた。
「ない、そんなことあるわけがないっ!」
ルネが遠ざかっていってしまうような。昼時にルネを探し回っていた時と同じ感情だった。
違う世界。
『日常』から外れた『非日常』。
『正常』ではない『異常』。
全てはその世界にいるあの男の言葉。
彩人は寒さなど気にせず寝間着のままルネの部屋に駆け寄る。
震えた手でドアノブを握る。
ゆっくり。
ゆっくり。
回していく。
やがてドアノブは回転の限界に達してそれ以上周らなくなる。
そして前へ。
ドアはすんなりと開いた。
何にも阻まれること無く。
「おい……ルネ」
部屋の中は外と同じく暗い――――――人の気配も無いただの空き部屋。一週間前と同じ光景。
「藍さんが戸締りはちゃんとしろって、あれほど言ってたじゃないか……」
彩人は『〇〇五号室』に入って行く。
靴を脱ぐ。
廊下に上がる。
トイレと風呂場を通り過ぎる。
流し台がある。
そして、八畳間へ。
「なあ……聞いてるか? ルネ」
彩人は語りかける。
無人の部屋に向かって。
ごめんね。
彩人が昼にルネをやっとのことで見つけ出した時に彼女が言った一言。
あの時の様子は四日間を通して普通じゃなかった。
「なんで……なんで、また、いなくなる! 一人でどこかへ行こうとするんだ!」
室内は綺麗に整理されていた。布団は畳まれている。その上に同じく綺麗に折りたたまれた掛け布団。それ以外のものは出ていない。床にも何も転がっていない。
「くそっ!」
言葉をはき捨てて彩人は部屋から飛び出す。
足元に注意しながら部屋から出たところで足跡を辿っていく。
まず階段に突き当たる。
滑り落ちる危険を顧みず駆け下りた。
足跡はそこで消えていた。
元から無かったのではない。後から上書きされたのだ。
建物からでれば当然雪が直接降りかかるので、顔に大粒の雪の結晶がいくつも突っ込んでくる。
冷たさがじんと伝わる。
冷たさは痛みに変わる。
雪がこうまで忌々しく感じるのは初めてかもしれない、と彩人は思った。
彩人はそれでもきちんとした防寒具も付けていない。服装も十分に寒さから身を守る寝間着のままだ。
彼はいつぞやと同じ道を駆け抜ける。
はじめは電灯が照らす道。
次に明かりも無い細道。
彩人はこの道を迷わず選んだ。
昼間と同じで捜す場所のあても無い。
だが、この道を突き進む。
根拠なんて無い。
ただ、この先にいるそんな気がするだけだった。
黒い闇。
白い雪。
それが夜の銀世界。
彩人の捜す銀色は世界ではない。
「ルネぇえええええええええええええ!」
深夜だからって構いやしない。
銀色の少女が見つかればそれでいい。
そして――――――
■□■□■
銀世界にたたずむ銀色の少女―――ルネ。
白色の少年―――彩人は放さないように彼女の体をしっかりと繋ぎとめる。
ルネは彩人の名を呼ぶ。
「どうして! どうして! 勝手にどっかへ行っちまうんだ!」
彩人は叫ぶ。このあたりは民家ではないが、それでも静寂の夜には遠くまで響いているだろう。
「耳、痛いよ……。そんなに近くで大きな声出したら駄目だよ」
「お前のせいだ。でも本当は、俺のせいだ……」
「いいんだよ、もう」
ルネは彼を咎めたりは決してしなかった。あなたには責任は無い、と。
「なあ? こんなことになってるのはさ、俺がお前にとって何の役にも立てなかったからか? 俺は同じ境遇のお前をどうにかできるんじゃないかって思った。でも力になれなかった」
彼女は、そんなことはい、と頭を振る。
「じゃあ、どうして?」
「ルネは違うから」
違う? と尋ねようとする前にルネは彼から体を離し向かい合う。刹那、彼女の手元が光った。
彩人は彼女の手元に明かりを当ててそれを見た。
「それは……」
それは先鋭な嶮山のような氷の結晶。
光を浴びて反射し煌びやかだった。
彼がそれを見つめていると、それは雲散霧消した。どこへ消えてしまったのかもわからない。
見覚えがある。
最初に出会った日、ルネが彩人を守るために使った力。それと全く同一のものである。その力は彼の身を守った。
しかし。
この世界にとっては紛れも無い『異常』。
「どうして……」
彼女は記憶を失っているはずだった。当然、その日もこともほとんど覚えていないに等しかった。
「言ったとおりだね……普通じゃないって」
彩人とは違う世界にいるルネはそっと微笑む。
(まさか、これが理由だって?)
「ルネがいると皆の迷惑になる」
「そんなこと……」
「恐かった。自分が誰かもわからなくて。でも今はもう恐くない。それはみんなのおかげ。だからもう思い出さなくてもいい」
だから、もう責任はない。
ルネは訴える。
「みんなは優しかった。藍も、若葉も、幸祐も。ルネが誰なのかもわからないのに。いろいろしてくれた。でも、もうみんなと一緒にいられない。こんなルネと一緒にいるべきじゃない」
白色の少年は彼女の言い分をしっかり聞いた。その上で判断を下す。でもどの道選ぶ答えなど最初から決まっていた。
「だから?」
「え?」
「お前はどうだって聞いてんだ。俺たちと一緒に居たいのか? 居たくないのか? いたくないんだったら俺はお前を止めない。どっかへ勝手に行けばいい、それはお前が決めることだからな」
「ルネは……」
「俺はお前の気持ちが知りたい」
「いたいよ、みんなと……でも――――――」
それだけ言うとルネは口をきつくつむぐ。
「だったら帰ってこい!」
「……え?」
「お前がそんなだからって俺は別になんとも無い。気になんかしない。俺はお前に一緒にいて欲しい! 他の奴らも言ってただろ! だから何だって言ってんだよ。言っただろ俺たちは! もうお前は『家族』だと! あの場所は俺たち皆の居場所だ! それ以上でもそれ以下でもない! お前は絶対に俺たちから離れなきゃいけない規則でもあるってのか? お前の居場所はここじゃだめなのか?」
ルネは俯いて頭を横に振る。
「それが本心なら、俺はお前を無理やりでも連れて帰る」
彩人は彼女に手を差し伸べる。
「さ、帰ろう」
ルネは動かしかけた手を一瞬止めるが、差し伸べられた手を取った。彩人は彼女の手をしっかり握る。もう二度と彼女が逃げられないように。
彼女の目に溜まったそれは雪解け水のように美しく流れ出していた。
そして彼らは白雪舞い散る闇夜の中、帰るべき場所へと帰っていく。