三章(1) 平穏は続くのか
「だーかーらー」
帆布南高校、一年三組の教室にて。
「今日学校が終わったら会わせてやるからさー」
彩人は休み時間のたびに自分の机の前に立ちはだかる雨夜に向けて投げかける。ちなみにこの時、乃樹は話に加わろうとしなかった。
雨夜が呼んでも「彩人の裏切り者おおおおお」と返されて机に伏せてしまった。
だが雨夜は違う。しつこい。食いつきがはげしい。
「いい加減つきまとうのをやめてもらえませんか?」
あきれていた。
これは今日に始まったことではない。
厳密に言うと月曜日からだ。
「本当だね?」
頭をすばやく振れば自分の背丈の半分もあろうサイドテールで周囲の人々に横殴り攻撃を叩き込みそうだ。雨夜が、彩人の机をどん、と叩く。
「今日こそは会わせてもらうからね!」
「はいはい……」
「ルネちゃんかー」
半分夢の世界と入り込んでしまった雨夜を見て、彩人はよりいっそう呆れてしまう。
(本当にこいつをルネに会わせて大丈夫だろうか……)
彩人は火曜日、学校をサボっている。
その決断に至ったのは雨夜と乃樹の二人と一緒に登校している最中のことで、彼は新代荘に引き返す際に、雨夜に学校側に欠席することを伝えておいて欲しいと頼み、雨夜はそれに対して今度ルネに会わせるように半ば命令のように交換条件を出した。彩人はその時、一刻も早く帰りたかったので、雨夜には適当に返事をしていた。
彩人はそのことなど気にも留めていなかったが、雨夜は違った。
翌日、彩人が学校へ行くなりそのことをすぐに持ち出してきた。
(いや、絶対に会わせないほうがいい)
断言できる。
彩人は出会って一週間も経っていないルネの性格を考えたら、当たり前のことだ。
彼女が一体どれほど人見知りな人物であるか。
出かけた後のルネの機嫌を損なわせた件については、謝ってどうにか許してもらい、解決することができた。
続いて雨夜の性格を考える。
猪突猛進。
有り余る甲斐性。
天真爛漫。
(三つ目はまあいいとして、俺は二つ目に苦しめられ、一つ目が絶対にルネにとって問題になるな)
雨夜が興味津々でルネを質問攻めにし、彼女が怯えるという構図が頭に浮かぶ。
逃げてしまうのではないか、とも思ってもおかしくないくらいだった。
(完全に相性、最悪だろ。ただ一方的にルネがな)
ルネは目を覚ました初日、若葉のスキンシップに困惑していた。もちろん若葉のスキンシップも度を超えていると言えようが、雨夜はさらにその上を行く。
(若葉に対して初日は戸惑ってたけど、二日目からは案外普通に接していた。無意識のうちに気を許す人と許さない人を分けているのか? さて、雨夜はどっちに入るだろうか……。
そうは言ってもやはり彩人はルネに雨夜を合わせる気になれない。
だから雨夜とルネを対面させたくないがために水曜日は断った。
その結果、雨夜からお叱りを買い、いつまでもしつこくついてくるという困ったことになってしまった。
昨日は何とか断り続けて、一日を乗り越えることに成功したのだが。
今日も学校へ来た途端、同じく雨夜ハリケーンに巻き込まれた。
そしてとうとう彩人が先に折れてしまった。
(この粘り強さは恐ろしい)
ちなみに今日の授業は午前中で終わり。
本来はいつも通り授業が午後以降も続くのだが緊急のことであった。
朝のホームルームで担任教師は「急に会議が入ったため本日の授業は午前で終了する」とクラスの面々に伝えた。
教室の中で「あの火事が関係してるんじゃない?」という声がどこからか聞こえてきて、彩人はルネが加わった日常に浸り薄れかけていたあの夜の出来事を思い出しそうになり、一度振り切った。
彩人は二度と会いたくも無いと思っていたのだが、逆にそれは残された最後の手がかりとなるともとれるのである。
ルネを追ってきた男、それと後から現れた謎の三人組。彼らならルネが何者なのか知っているのではないか?
ルネの記憶の手がかりはあれから一向に見つかる気配も無い。
四日が経った。
あのような経験はその時で一度きりで終わらせたかった。
今ですら夢じゃないかと思ってしまう。しかし、ルネがいるということがそれは現実だと物語っている。
目を逸らしたい。
あれは悪夢であって欲しい。
だから日常だけを見る。
(あれから一度も現れていない。もう現れないのだろうか? できればそうであって欲しい……)
「あ、や、と、ん! おーい」
彩人の眼前で肌色が動いていた。あまりに近すぎたので顔を離し、ピントを合わせる。雨夜が手を振っていた。
「ああ、すまん。なにか言ったか?」
彩人は思考を断ち、雨夜にふたたび意識を向ける。
「右手だして」
「はい」
雨夜は素早く小指を彩人の小指に絡ませる。彩人は反射的に逃れようとしたのだが、ロックされたように小指がはずれない。
「ゆーびきーり」
定番の歌を唱え始める。
「うーそつーいたら――――――」
抵抗が無駄だとわかり、されるがままになる。
「一ヶ月あたしのパシリ」
「な?!」
「指切った!」
雨夜は勢いよく彩人と絡めた指を振って放す。
「ちょっと待て! どっかおかしくなかった?!」
「そう?」
「パシリって言葉が聞こえた気がするんだけど……」
「気にしない気にしない。彩とんが約束を守ればいいんだよ。それだけのことじゃん?」
雨夜はいつも以上に元気が溢れていてずっと笑顔である。
(まあそうなんだけどさ……。いつか……嵌められそうな気がして恐いんだよ……)
「前もって言っておくけど、くれぐれも大人しく、な?」
「りょーかい、です」
「できれば、いっそのこと一度も口をあけて欲しくない」
「それじゃあ、しゃべれないじゃん!」
「その方が助かるな。ルネはあなたさまのような気兼ねなく人と接するということができませんので、あしからず」
「わかってるよ、もう! しつこい!」
(どっちがだ……)
ここで最後の授業の始まりを告げるチャイムが教室内に鳴り、各生徒が自分の席に向かっていく。
「はぁ」
彩人は窓の方を見てため息をつく。
(ルネはどんな反応するのかな……)
だがこの時彼は、帰ったときにはルネが新代荘にいないなど考えもしていなかった。