二章(4) 変わり始めている?
翌日。二月十三日、火曜日。
昨日は色々とごたごたしていたこともあり、彩人はよく寝ることができた。
しかし、少し風邪を引いたような気がする。やはり、濡れたままの格好で外へ追い出されたのが一番に体に響いたのだろう。
今日もいつものように『〇〇一号室』へ。幸祐と若葉は朝から部活で、彩人だけが取り残されていた。
そして、いつもの、日常的な、変わらぬ新代荘『〇〇一号室』は。
「ちょっ……なにやってんの?」
少し違っていた。
今までは幸祐と若葉が先に学校へ行ってしまって藍しか残っていなかった新代荘には今はもう一人いる。
エプロン姿で。
「なにってそんなの……」
右手に杓子、左手に味噌汁を入れるお椀を携えた藍が当たり前のように。
「ルネに料理を教えているの」
藍の隣には、エプロンを装着したルネがしゃもじを左手に握っていた。エプロンはデフォルメされたうさぎの顔が至る所についている。なんとも幼げで可愛らしいデザインだ。主に若葉が『ごく希』に使うものだった。
希、というのは普段から全く料理をしない彩人と幸祐の男二人を除いてしまうと、若葉しか使う人がいないのだが、その肝心の若葉は料理が大の苦手であり、陰ながらキッチンの隅のフックに掛けられたままになっていたからであった。
ルネは手についたご飯をぺろりと取り除き、おはよう、と彩人に話しかける。
彩人は、ルネが昨日の今日で新代荘に予想以上に馴染みすぎいることに驚いた。
「おはよう。で、なんでまた料理?」
「やっちゃいけないことでも?」
「いや無いけども」
彩人と藍の会話にやや不安を感じるルネ。
「なにか……おかしい?」
エプロンをつまんで眉を顰めて言う。
「いや、変じゃない……よ」
絵柄はいかにも幼稚園児が着ていそうなものだが。
「よかったわね」
藍がルネに言うと彼女は小さく頷いた。
「ほらさっさと学校へ行きなさい」
彩人はルネによそってもらったご飯(味噌汁は普段どおり藍がよそった)を食べて新代荘を後にする。
今日も雪は降っていない。しかし、晴れてもいない。
上空。
灰色一色。
そのため昨日と積雪量は増えることも無ければ、減ることもない。
聞きなれてしまった雪を踏みしめる音を聞きながら足を進める。
ところが彩人はとくに何もあるわけでも無い場所で立ち止まった。
「何してる。そこの二人」
彩人は後ろを振り返り先ほどからこそこそと後ろをついて来ている人たちにむかって言う。
彼らはばれていないつもりだったのだろうか、電信柱に身を潜みながらついて来ていたが長いサイドテールが丸見えだった。
頭かくして尻隠さず。
この場合、尻ではなく特徴的な尾が出ているが。
「もう、ばれたじゃんかー」
「いや、俺のせいじゃないって。雨ちゃんのその尾っぽのせいだって」
「なにをー! 私のトレードマークを侮辱するとは何事か?!」
とかぶつぶつ言い合いながら出てきたのは『ノッキー』こと乃樹と『雨ちゃん』こと雨夜だった。
「昨日から変だぞ。なにをこそこそとしてるんだ?」
「「それはこっちの台詞だ!」」
乃樹と雨夜の声がぴったりと重なった。
「?」
意味がわからない、と彩人。
「おい、とぼけるなよ、彩人」
「そうだぞ、彩とん」
二人はずんずんと彩人に迫ってくる。
「なにがあった? 女か、女なのか?!」
「彩とん、白状しないとねー、さもなくば二対一の一方的かつ白旗を揚げたとしても私たちが気の済むまで終わらない雪合戦がはじまるよ?」
「ひでえ! というか女って何のことだよ?」
「ノッキー戦闘準備」
ラジャー、と言って乃樹が雪球を作り出す。
「白々しい奴よのう。」
「女って……」
女。
女。
女。
(いや俺は彼女なんていませんよ、まったく)
「何があった! 男なら正直に話せ、彩人」
「『何があったか』って?」
(ああ。ルネのことか。いや、でもルネのことはまだ知らないんじゃ……)
「相手は誰だ?」
「まさか大人の階段上っちゃったとか言わないよね?!」
「幸祐と同じこと言うんじゃねえ!」
幸祐と同じ思考回路でも持っているのか、とふと思ったがそれは無いとすぐに思う。
(雨ちゃんは幸祐みたいに頭がよくない。いや、むしろ馬鹿だ)
「今、バカって思わなかった?」
(読まれた?!)
彩人はここのところ藍には見透かされ、さらにはルネにも見透かされ、しまいには雨夜までと、気持ちが表情にそのまま出ているのかと疑いを抱く。
「どうやら、その言動からして間違いないようだな。そうか俺は悲しい、とても悲しい。なんで、なんで俺にも彼女が……」
乃樹が独り言を始めてしまった。
「まあ、そう落ち込むなよ、ノッキー」
雨夜が慰めに入る。
「雨夜、俺と……」
「ごめんっさい!」
腰をぴったり直角に前方へ折って頭を下げ、それとともに彼女の頭から生えている長い尾が乃樹を叩き付けた。雨夜は笑顔で乃樹の言葉を途中で切り捨てる。
彩人はその間に先に行こうとしたのだが、雨夜がそれを易々と見逃すはずが無かった。
「彩とん? 先へ行ってもどうせ学校で会うんだから変わらないよ」
ならサボればいい、というのは彩人のお決まりパターンであるので。
「サボったら新代荘に遊びに行っちゃおうかなー」
どの道、逃げ場なんてありはしなかった。
結局、彩人は雨夜に捕まる。
「うちに新しい住人が来たんだよ」
雨夜は転校生という話を聞いたりするとハイテンション状態に陥る人だ。
だから彩人はそれを口にしたら質問の大洪水にあるだろうと予想していたのだが、五秒ほどたってもそれはやってこなかった。
おかしいな、と思って雨夜の方を見ると。
輝いていた。
キラキラと。
雨夜の目が。
(うわー)
彩人が真剣に嫌な顔になる。
「ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねねえねえ!」
(来た。言葉の嵐が)
「ねえ? どんな人? 男、女? 子供、大人、それともご老人? 名前は? どんな人なの? 趣味は? スポーツとか? サッカーとかバスケとかできたらカッコイイよね! あ! それとも文学系だったり? 絵がめちゃくちゃうまいとか? はたまた音楽? 絶対音感の持ち主とか? それか書道の達人だったり? 性格は? 優しい? 強気? 引っ込み思案? 怒りっぽい? クール? それともキュート? 容姿はどう? 背は高い? 低い? スリムなモデル系? あ……もしかしてちょっとぽっちゃり系だったりして……。どうして早く行ってくれないの! いつから来てるの? 今週? 二月中? まさか、実はもう何年も住んで入るけれど姿を現したのは最近とかいう意外な事実が発覚した?! あ! でも、それは考えにくいか……。だってそれだったら私が新代荘に遊びに行った時に気付いているはずだよね? もしそうじゃなかったら天井裏に潜む住人?! 彩とんもつい最近その存在を知ることになって、話したくなかったとか?! ん? やっぱりそれはないかな? 現実味の無いことだもんね。で、その新しい住人はどっから来たの? 職業は? 学生? 学生だったらこの後学校のホームルームの時間に先生が『実は今日、転校生が来ています』なんてことになるフラグなのかこれは?! だったらクラスの他の連中より転校生のこといろいろ先に情報掴んじゃうもんね! 好きなものは? 嫌いなものは? 食べれないものとかある? いやー、なにかお祝いをプレゼントしたほうがいいかなー? 嫌いなものだったりしたら私の高感度最初からがた落ちだからねー。 何事も最初が肝心なんだよ! だからねっ! なんでも聞き出しちゃうよ! 耳にたこになるくらい聞きまくっちゃうからねっ! 覚悟してよ!」
彩人は雨夜の高速連続攻撃にひるんでしまうが、雨夜のほうはいつまでも話し続けることはできないので必ず息継ぎをどこかですることになる。その一瞬の合間に自分の方から割り込まなければ再び第二波に襲われる。
「もう、たこができてもおかしくない!」
彩人はその一瞬を逃すまいと雨夜の言葉を断ち切る。
「え? そう?」
雨夜には興奮状態になっていた自覚がまったくと言っていいほどない。
一度波に乗ると、何かに妨げられるまでどこまでも突き抜けてしまう性格は彼女の短所だ。
「もう、すごいよ……耳がギンギンする……」
彩人は両手で自分の耳を押さえていた。
今はもう雨夜の言葉の波が止んでいるのに、彩人にはいつまでも耳の中で聞こえてくる気がしていた。
「で、どんな人? まさか犬とか猫の類じゃないよね? さらにまさかで宇宙人?! 魔法使い?! 超能力者?!」
雨夜が彩人の体をぐらぐらと揺らす。彩人の首が前へ後ろへと倒れるのを何度も繰り返す。
「やめろ……頭がクラクラする……」
雨夜の手が放れることで揺れを加える力は無くなったが、いつまでも揺れている気に襲われる。
彩人はバランス感覚を徐々に取り戻していく。
(こいつ、あながち間違っていないことを言うのが恐ろしい……)
「早く言わないと、今度は気絶させるよ?」
「恐いことを言うな! 限度を考えろ!」
雨夜だったら本当にやりかねないと彩人は思う。
彼女はまだかまだかと待ちわびている。
「と、その前に一ついいか?」
「もう! 早くしてよ! 昇天させるよ?」
「それもう俺死ぬじゃん! って……そうじゃなくてさ……おい、そこの空気」
「俺は空気さ……」
ずっと御経を唱えるかのようにぶつぶつと何を言っているのか聞き取れないことを呟いている乃樹が姿を現す。
「とりあえず、戻ってこい」
彩人はそのような状態に陥った乃樹を呼ぶが、乃樹の様子は変わらなかった。
「まあいいや……で新しい住人? 何が聞きたいんだよ?」
彩人は雨夜が「あのね、あのね」と続きを言う前に、「一つずつ言えよ」と付け足しておいた。
「とりあえず、一通りのプロフィールを」
名前、ルネ。性別、女。年齢、不詳(ちょっと年下に見える)。他の項目も以下同様。
「なんかつっこみどころ満載だよ?!」
だから話しづらかったのに、と彩人はさらに嫌な顔をする。
「俺は一応、本当のことを話したよ……」
彩人の背後から、やっぱり女か、と沈んだトーンの声が聞こえてくる。構うのも面倒なので二人とも気にしようとしない。
「これは……調査が必要だね。学校には来るの?」
雨夜の質問を聞いた時に彩人は思った。
(そういえば、これからルネはどうするんだ? 学校通うのか? でも身元も一切わからないのにそれは無理だよな……。じゃあこれからどうする? というか今どうしてるんだ? 俺と幸祐と若葉は学校行かなくちゃいけないし、藍さんは仕事あるし……)
雨夜に問われたところからルネが今どうしているのか気になってどうしようもなくなってきた。
「学校には来れないな……たぶん」
「んー、残念。どうしたの、彩とん?」
「俺やっぱ今日、学校休むわ」
「あ、ちょっと! 今度その子紹介してよ!」
ああはいはい、と言葉を返した彩人は彼女の方を見ずに歩いてきた方向に向かって走りながら彼女に手を振った。
雨夜は追いかけて学校まで強制連行はせず、そのまま見送った。
そして彼女は彩人を見送った後、仕方なく傍らにいるそれに語りかける。
「ノッキー……いつまでそうしているの?」