二章(3) 〇〇五号室
六時過ぎ、幸祐と若葉が部活を終えて帰宅した。
「よろしくねー、ルネちゃん」
「う、うん……」
若葉は「かわいいー」とか「髪さらさらー、きれい」などと叫びながらルネを抱きしめたりしていじくり回していた。
対する若葉にいいようにされてしまっているルネの方は激しいスキンシップにどう答えていいものかと困り果てていた。
「俺は幸祐だ。よろしく」
幸祐はルネがその状態のまま自己紹介をし、彼女は目の前で虫が飛び交うのを首を動かして避けるように、若葉を避けて幸祐の姿を見ようとする。
「よ、よろ……しく」
「若葉よ、いい加減にしてやれ」
若葉はいつまでもルネをいじくるのを止めそうにないので、その光景を横で見ていた彩人がルネから若葉を引き剥がして止めに入る。
これで残っていた新代荘の住人の自己紹介も終え、夕食に。
「安心しなさい! 今日はちゃんとガスが点けられるわよ!」
藍は昨日の約束をしっかり守り、今日はガスが使えるようになっていた。
「もう! 今日学校で汗臭くないか、すんごい気になってたんだから!」
ガスが使えなかったために昨日は風呂を沸かす事ができなかった。近くに銭湯があるわけでもなく、だからと言って何もせずそのままというのも気が引ける。そういうわけで昨日は、まずタオルを濡らし、電気ストーブの前で十分に温めてから、それで体を拭く、という対処をした。
それで彼らの納得がいくわけがなく、まだ藍を許していない。
「はいはい、その話はもう終わり。夕飯にするわよ」
「今日の夕飯は?」
と、幸祐。
「カップ麺よ。しょうゆ、塩、とんこつ、他にも色々あるわ。焼きそばもあるわよ」
「藍さん、これを買いに行ってたんだ……」
藍が夕方に出かけて行ったわけを理解する彩人。
「そうよ、見て、ケース買い」
藍が同じカップ麺がいくつも入ったダンボールの一つを持ち上げる。床には違う種類のカップ麺のダンボールが積んである。
「せっかくルネちゃんが新代荘の新しい一員になったのに、どうして最初の食事がカップ麺なの! もっと、ぱっと豪華な夕飯にしないとルネちゃんが可愛そうじゃない!」
「そうは言ってもねえ……昨日、鍋だったでしょ?」
「だからって今日は記念日だよ!」
若葉がブーイングを藍にぶつけている。
「じゃあ若葉がどうにかしなさい。錬金術で金でも作ってみなさい。残念ながら今、新代荘には余裕が無いの!」
「ごめんね、ルネちゃん。うちのお母さんがケチで」
「よくわからないけど……そんなに気を使わなくても……」
状況に流されるままのルネ。
「歓迎会は終末にできるようにしてみるから。今週いっぱい夕食はこれで乗り越えましょう! カップ麺うぃーく!」
「待って、藍さん? まさか一週間、ずっとカップ麺?!」
幸祐が「マジで?」という顔をしている。
「……」
「カップ麺?」
「さあ、みんな選ぶわよー」
藍が全種類のカップ麺を丸机に並べていく。
「本当に一週間これで過ごすのか……」
「あたしたち食べ盛りな高校生なんですけど……」
「木曜にあたりから気持ち悪くなって食べれなくなりそうだ……」
それぞれ嫌な顔しながらカップ麺を選んでいく。
「そんなにおいしくないの?」
三人の様子を見たルネが眉を顰めて尋ねる。
「まあ、おいしくないわけじゃないんだけどな。カップ麺は初めてか?」
「カップめん……」
「初めてらしいぞ」
幸祐がルネの反応から推測する。
彩人は、彼女が記憶無くしてしまったからだろうかと一瞬思ったが、彼女の容姿を見ると本当に初めてかもしれないと思うのだった。
(外国人っぽいもんな)
各々お好みのカップ麺を手に取ってから一つの丸机を五人で囲んで座り、ガスが使えることで沸かせるようになったお湯をカップ麺に注ぎしばし待つ。
「そうか、記憶喪失か……」
彩人はルネが記憶喪失でほとんど何も覚えていないことを幸祐と若葉にも話した。それは彼が二人にも知ってもらっておいた方がよいだろうという判断からだった。
「困ったことがあったら言ってね、ルネちゃん。力になってあげるから!」
「俺たち家族みたいなもんだかたな、気兼ねなく接して構わないぞ」
幸祐も若葉もルネを当たり前のごとく新代荘に招き入れる。
「ほらな? ちゃんと受け入れてくれるだろ?」
「うん……」
時計を見ていた藍が「そろそろかしらね」と言ったのでルネを交えた初めての夕食へとかかる。
「ルネ? ご飯を食べる前にはこうして手を合わせて『いただきます』と言って、食べ終わりには『ごちそうさま』って言うのよ」
「いただきます?」
「そうよ。では、食べるとしましょうか」
彼らは、せーの、で合わせて。
いただきます。
と。
「どう? カップ麺はおいしい?」
ルネはしょうゆ味のラーメンを食べていた。他の四人の真似をしようとして麺をすすって食べようとするが、苦戦していた。ちなみに箸が使えなかったので、フォークで食べている。
「ん……」
「うーん、いまいち、かな? お口に合わなかったみたいね……。こっち食べてみる?」
藍が食べていたのはさっぱり系の塩ラーメンであった。買ってあるカップ麺のラーメンの中でも一番くどさを控えたものだ。藍はそれをルネに差し出す。
ルネは若葉に教えられたパスタを食べる時のように麺をフォークに絡ませる食べ方で口に運ぶ。
「こっちのほうが食べやすい……」
「ルネは薄味の方が好みっぽいな」
「となると一週間つらいんじゃないか?」
カップ麺は基本、油分が多くてくどいため、ルネにとってカップ麺での生活は厳しいであろうと推測された。
「考えておくわ。ルネ、さっき食べていたのが食べにくかったら交換してもいいのよ」
「でも……」
「遠慮なんていらないの」
「お願いします……」
「それでいいの。だって私たちはもう家族なんだから」
藍が当たり前だと、そのように言った。
家族。
ルネにとってとても安心感を与えてくる言葉だった。
ただ。
家族がどういうものかという知識はある。しかし、いったい自分の本当の家族はどうなのだろうか?
ルネにはそれが―――――わからない。
■□■□■
夕食を終えて、彩人とルネは新代荘二階、『〇〇五号室』に来ていた。
「いやー、すっからかんだなー」
彩人は部屋の中を見渡す。
部屋を照らす電球が天井に、布団が部屋の中央にあるだけだった。
今まで使われていたのは『〇〇一号室』『〇〇二号室』『〇〇三号室』『〇〇四号室』の四部屋だけ。よってこの部屋は何年間も放置状態にあった。しかし、埃だらけでというわけではなかった。
(藍さんが掃除してくれたのか……)
「ルネもこっちこいよ」
何をしていいのかわからないルネは部屋の前で立ち止まっていた。
それを手招きする。
「えっと、なにから説明したものか……」
彩人とルネがこの部屋に居るのは他でもない。ルネがこれから使用することとなる部屋の事についてだ。
藍曰く「あんたも同じ二階なんだからこの子が慣れるまで面倒を見て上げなさい」とのことだった。
(ルネって一体どこの人なんだろうか? 外見からして完全に俺たちとは違う人種だよな)
髪は雪のような銀髪。白い肌。そして透き通った青い瞳。そのどれもが、彩人や彼以外の新代荘の人々とは全く似ていない。
(でも)
何故か日本語ぺらぺら。
「なんでかなー」
ルネの話す言葉はとても流暢である。日本語を話すことのできる海外の人は単語と単語の間を置きながら「ワタシ、ニホンゴ、スコシ、ハナセル」といったようにガチガチとした日本語になってしまうが、ルネのものはそれとは違う。流暢でないカタコトな日本語に対して違和感があることが普通であるはずなのに、彼女の場合、流暢過ぎることに対して違和感があるほどだ。
(ルネはカップ麺のことを知らなかったな……。庶民の味を知らないどっかのお嬢様だったりして。あ、そもそもカップ麺がどこの国にもあるわけじゃいか)
「まあ、全部教えるか」
彩人は壁に設置された部屋の電気を操作するスイッチの傍に移動する。
ルネの視線は彩人の動きに合わせて壁の方向に動く。
「これ何かわかるか?」
スイッチを指差しながら尋ねるが、ルネは小首をかしげる。
(んー。知らないみたいだな……)
「これはこの部屋の電気のスイッチだ」
「すいっち?」
まだ不振そうな目で彩人の指差す物を見ている。
(スイッチもわからないのか……。まさか、記憶喪失で忘れてしまったのか?)
彩人はしばし考え込む。
自分の体験のこともあって少しは記憶喪失の知識があった。
記憶喪失。正確には健忘と呼ばれる記憶障害の一部になるのだが、様々な種類がある。
彩人の場合は全生活史健忘というのに当てはまる。それは発症以前の自分に関する記憶を失くしてしまった状態を指す。
またルネの記憶喪失についてはいつ記憶を失くしたかを決定付けることができないが、彩人にはこれと同様だろう、と考えられた。
自身に関する記憶といっても、知識として蓄えられた記憶は含まれない。
そのため何もかもを忘れているわけではなく、言葉の意味、知識としての記憶はそのまま残されていた。もし全てを忘れてしまったら、それはまだ世界を知らない無知な赤子のようなものである。
(ルネは『スイッチ』が存在しない環境に居たってことだろうか。一体どんなところにいたんだ、この女の子は。まあ、ぼちぼちと思い出していってくれればいいことなのだが)
「これは、『スイッチ』と言ってな、この部屋の電気を操作するものだ。ところで電気はわかるか? この上で明るく光っているこれのエネルギー源みたいなものだが……」
彩人は途中で言葉を断つ。
初めてのものをみて不思議そうに『スイッチ』の方を見ていたルネの目が、今は彩人を睨みつけていたからだ。
「ど、どうした……」
「―――にしているの?」
「え?」
「バカにしているの?」
ルネの知識には電気というものはあったようだ。
「いや、バカにしているっていうか……」
彩人は困惑する。
(さすがに電気は知っていたか。これは失礼なことをした)
だが、それよりも。
(ルネも怒ったりするんだな)
数間前の美しいガラスの置物のようだった彼女は、もうすっかり普通の女の子として感情をあらわにしている。彩人には前の彼女が嘘のように感じられた。
「彩人はいくらわたしの知らない物ばかりだからってルネをバカにしすぎてない? いくらルネに記憶が無いからって、それくらいのことは知ってるよ」
唇を尖らせてすねた様にそっぽを向く。
「そ、そうか。それは悪かった」
彩人は「ルネはどこから来た人かわからないし」とか言い訳はできなかった。ルネはもう開き直ってしまったように話してはいるが、それが本心とは限らない。新代荘の他の皆に迷惑をかけまいと振舞っているかもしれない。話しの流れがそちらの方向に流れないように、彩人はなるべくルネの記憶を失くす前のことについてはむやみに探らないようにする。それは彩人なりの彼女に対しての気遣いであった。
(しかし、ますますわからなくなってきたな……)
ルネの記憶を取り戻すための協力は大変な道のりになりそうだ、と彩人は頭を悩ませる。
「ま、いっか。この『スイッチ』を押して切り替えると部屋を明るくしている明かりが消える。まあこんな感じに――――――」
ルネは「消える?」と一度確認を取りたかったのだが彩人が先にスイッチをオフへと切り替えてしまった。
明るかった部屋が一瞬にして、真っ暗になって何も見えなくなる。
「ひゃあっ!」
ルネが、明るかった部屋が急に真っ暗になってしまったことに驚いてしまい、突如短い悲鳴を上げた。それとともに、ドカンと何かが壁にぶつかった音がした。
部屋が真っ暗なので何が起こったのかわからない。
「おい! どうした!」
彩人は慌てて電気を点けると、ルネは仰向けになっていた。
「おい、大丈夫か!」
そして倒れている彼女を急いで起こしにかかる。
「う……」
「大丈夫か! 起きろ!」
ルネが電気を消したことで壁にぶつかって、その衝撃で倒れたということを考えるより先に、『彼女がまた倒れてしまった』ことに驚き焦っていた。
彩人が必死で肩をゆする。
パチッと目を開けたルネは「きゃっ!」と今度は明るくなっていることに驚き、勢いよく彩人の体にしがみついた。
「うわっ!」
しかしそれはルネの渾身の頭突きとなったことによって彩人の体が背後に床に叩きつけられる。
「痛っ!」
「うぅ……」
(何か柔らかいものがっ!)
ルネは強く目をつぶった顔を思いっきり彩人の体に押し付けるとともに、彼女の別の部位も当たって――――――
ルネは彩人の体にしがみついているが傍から見れば抱きついているように見える。彼女の体温が彩人に直接伝わっていく。
綺麗な銀色の髪が彩人の鼻をくすぐり、鼻がむずむずしたことで彩人は我に返る。
「ル、ルネ、あた、当たって、る!」
彩人は言葉が途切れ途切れにしながらも高鳴る心拍を押さえようとする。
ルネは「うぅー」と言いながらまだ彩人にしがみ付いている。
「ああ……しばらくこのままでも……」
(い、いや、だめだ!)
彩人は胸の心底から込みあがってくる欲求を必死で追い払いながら、ルネの体もろとも起きる。
「だ、大丈夫か?」
そっとルネに声をかける。
(なんだろう、すごく残念な気持ちが……)
と、一人心の中で後悔の念に取り憑かれるのだった。
「びっくり……した」
ルネの水晶のような青みがかった瞳には雫が溜まっていた。
「ごめん……まさか抱き――――――えっと、いや、その……突進してくるまで驚くとは思わなかった」
「だき? あれ……ルネさっきなにを……」
「えっと、わかった……かな? あれでこの部屋が暗くなったら明るくするんだけど……」
それに頷いて答えたルネは顔をあげない。
「ルネ?」
彩人は俯いたままのルネを不思議に思い、前髪で隠れた彼女の表情を覗こうすると、彼女は彩人に自分の顔を覗かれる前に彼のいる反対の方向に座っている状態から体を回転させてすぐに立ち上がった。
「な、なんでもにゃいっ!」
(あ、噛んだ……)
「なんでもないからね! その……さっきのは……その……。もういい! 彩人のバカ!」
「バカ?!」
ルネが目をキョロキョロしながら彩人と目を合わすのを避ける。
(まあバカとは……否定はできないとしても納得いないな。驚いてしまったことに恥ずかしがってるのかな?)
「気にするなって、いきなりのことだったんだから」
「あ、うん……」
「知らないことが起こったら誰でも驚くって」
「?」
ルネを見あげていた彩人も立ち上がる。
(やわかかったな……。でも、やっぱり、小さかったような……)
彩人がそう思った瞬間、殺気を感じた。ルネの顔を見るとむっとしていた。
「彩人?」
「……はい」
「なにか失礼なこと思わなかった?」
「……。いえ、なにも」
「そう」
彩人の緊張の糸が切れる。
「で、他には?」
「ん? ああ、わかった。そうだな……」
それから彩人は布団の敷き方、水道の使い方、窓の開け閉めまでこまめに教えていく。そのたびに彩人はルネの不思議そうな目を見ることとなった。
「こっちの扉がトイレで、こっちがお風呂な」
部屋の方の解説は終わらせてその他の場所の解説に入っていた。
そこでルネから困った質問が出てしまう。
「これはなに?」
「この扉が体を洗うのと、あっちの扉が便所だ」
二つの扉のうち手前にはまず洗面所があってさらに扉を一枚はさんで風呂場があるという構造になっている。
二人で風呂場まで入る。
「これは浴槽、って見ればわかるよな」
「じゃあこれは?」
ルネが指差したのは蛇口のところについている水栓である。
「ああこれな。三つ付いているから間違えないように気をつけて欲しいんだけど、この赤いラインの入っているのを回すとお湯が出て、青いラインの入っているのを回すと冷水が出る。そして最後にこのレバーは蛇口で出すかシャワーで出すかを決める」
三つも操作する部分が付いているのでルネには使うのに困りそうだな、と彩人は思う。
「これを回せばいいんだね?」
ルネがお湯の方の水栓を回そうと手を掛け――――――。
「ちょっと待った!」
経験があるのではないだろうか。わざとでもなく蛇口を回したときに、それがその蛇口にとっての『回しすぎ』となって、勢いよく水が予想を上回って噴出してきたことが。
「?」
彩人がルネの動作を止めにかかったので彼女は後ろを降り向いたが、水栓はすでに開けられていた。
ルネの頭上に容赦なくシャワーからお湯が降り注ぐ。
「え? ええ!」
頭からルネが濡れていく。
「早く栓を閉めないと!」
あたふたしているルネが水栓を閉めるのを待っていられず、彩人が代わりに閉めに行こうと蛇口の傍にいるルネに近づいたその時。
「しまっ――――――」
バナナの皮を踏んだときに起こるお決まりと同様に、見事に彩人の右足が濡れた床の上でスリップ。左足で必死にバランスを保とうとするも上半身は既に後ろへ反り、両手が天を仰ぐ。
「彩人!」
彩人が倒れそうになるところでルネが天を仰ぐ彼の右腕をキャッチ。
しかし。ここで彩人の方もルネの腕を掴み返したのがいけなかった。もし彼が彼女の腕を掴んでいなければ、彼女の方が彼の腕をいつでも放すことができたのに。
ルネのほっそりとした外見からもわかるように彼女の体重は軽く、そのため彩人の体を支えられるわけも無く。
「ひゃ!」
彩人に引っ張られるようにしてルネも一緒にバランスを崩す。
「やっほー、様子見に来たよー」
そこでこの『〇〇五号室』の扉が開いた。「どう? 終わったー?」と若葉と幸祐がこの部屋に入ってきたのだった。
(待て! このままだと嫌な予感しかしないぞ!)
彩人の思いはバランスを崩してしまった体の動きを止めることはできない。
ドゴン、と風呂場で音がする。
若葉と幸祐の二人はもちろんその音がした風呂場へと向かうのは必然的だった。
「なに? 風呂場?」
「っぽいな」
そして「来るな!」と彩人が叫んだときには時既に遅し。
風呂場の入り口に立った男女二人は風呂場にいる男女二人を見た。
入り口に立つ二人―――若葉と幸祐は硬直していた。
風呂場にいる男女二人―――彩人とルネはといえば、彩人が風呂場に大の字で仰向けとなり、その上にルネの体が乗る。そこへ、水栓が閉められない限りお湯が出続けるシャワーから永遠とお湯を雨のように降らせていた。
当然のことながら、彼らは二人とも全身ずぶ濡れである。
「彩人」
若葉の声が通常時よりも低い。
殺気に満ち溢れている。
「やっちゃったか……」
幸祐はこれから起こるであろう惨劇から目を逸らすように手で目元を覆い隠す。そして静かに部屋から出て行った。
「待て! 誤解! 誤解だ! 誤解です!」
仰向けに倒れている彩人からは若葉を見上げる形になる。
「ルネちゃん大丈夫?」
「いたたたた……。あれ? 若葉?」
ルネがようやく若葉がいることに気付く。
「うわっ! びしょびしょ……」
そして、全身が濡れていることも。
「ん?」
さらには、下を見ることで。
「あ、彩人?!」
下敷きにしている人がいることも。
「ルネちゃんはもうそのままシャワー浴びちゃって。で、その間にー」
にこっ、と笑顔をつくる若葉。
「ちょっとこっちに来ようか、彩人くん?」
彼女の言うままに彩人は風呂場から連れだされ(部屋を濡らさない程度に水滴を拭いて、しかし服は水分を吸ったままで)、ルネはそのままシャワーを浴びた。
その間、部屋で彩人と若葉は二人で―――以下略。
それが終わって彩人は自室に強制帰還させられた。
そして現在、彩人は自分の部屋にいる。
「あっはははは」
幸祐もそこに居た。一連の話を聞き爆笑中。
「笑いごとじゃねえよ。なんであんなに俺がどうこう制裁を受けなければいけないんだよ……。あれは事故だって」
彩人は『〇〇五号室』から若葉に蹴り飛ばされて追い出された。外は冬の夜であり、もちろん寒さに満ち溢れていた。それに濡れたままの格好、と追加効果が。
「まあ、大変だったねー。でも絶対に内心で喜んでいただろ? ウハウハだっただろう」
「……い、いやそんなこは!」
彩人はすぐに否定できなかった。
「しかしなあ……。昨日出会った、というか実質今日会ったとも言える女の子に、もう……そんな……このまま大人の階段へと足をかけて……」
「殴っていいか」
「暴力はだめだぞ。少女誘拐犯」
幸祐はやれやれ、と素振りをする。
「だからルネは俺が連れ去ってきたわけじゃねええええ!」