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Pravitas World  作者: 月草
silver---world
14/46

二章(2) 白色と銀色は似ている?

 彩人はトイレには行かず学校の外庭―――木製テーブル、チェアなどが設置されていたりする―――に出てきていた。

 午前中の授業はこれで終わり。

 今は昼休みだ。

 普段なら昼食時は教室ではなく外で食べるという生徒もたくさんいるのだが、芝生は一面雪が降り積もったままで寒い中わざわざ暖房のついている教室から出てくる生徒はいない。昼食のためではないが、グラウンドで雪合戦を始める生徒がいる。

「帰っちゃおうかな……」

 彩人は午後の授業をサボってしまおうかと思い立っていた。

(どうせ授業なんて耳に入らないしな……)

 いつもは午後の授業を受けるのが面倒くさいからサボりたいと思うことが多いのだが、今日はいつもと違う感じだった。サボりたいから、というよりは早く新代荘に帰りたい。そればかり朝から思い続けていたのだった。

「でもな……」

 こんなにも早く帰ってしまったら新代荘にいる藍に面倒なことをさせられるに決まっていた。

「どうした彩人? こんなところで」

 ふと、後ろから声をかけられる。

「幸祐か」

「窓から見えたから出てきてみた」

「俺は何もしてねえよ」

「帰るなよ」

 ギクッ、と肩が動く。

「ルネっていう子は藍さんに任せておけよ」

 俺たち、とは若葉のことだろう。

 幸祐には何から何までも彩人が思っていることがわかりきっているようだった。

「部活ないんだから俺たちより早く帰れるだろう?」

「……」

「ほら、中に戻るぞ」

 すたすたと幸祐は昇降口の方へ歩いていく。

 幸祐は彩人を引き止めるためだけに外へ出てきたようだ。

「はあ、仕方ないか……」

 彩人はそう一言呟き学校の方へ踵を返す。

(今帰っても起きているとは限らないもんな……)

 彩人が教室に帰ると、雨夜と乃樹がひそひそと話をしていた。それを横目で一瞥いちべつして通り過ぎ、自分の席に着いてまだ食べていなかった藍お手製弁当を食べた。

 午後の授業は一応黒板の前に立つ先生の話を、あくびをしながら聞いていた。

 とても長く感じた午後の授業が全て終了し放課後になる。

 部活動に参加していない彩人は教室から出てまっすぐ昇降口へ向かう。その足取りは速かった。いつもならば東にある新代荘とは逆の学校より西の方にふらりとぶらつくのだが、今日はどこにも立ち寄ることなく一直線に新代荘へと帰った。

 鞄を持ったまま自分の部屋に向かわずに藍の部屋のドアをあける。

「そんな急がなくてもいいのに……」

 藍は鞄を自分の部屋に置いて来ないで部屋に真っ先に入ってきた彩人を見て呟く。そして彩人の目を見て「いいわよ。上がりなさい」と彩人を招き入れた。

「ルネなら今ちょうど起きたところよ」

 それを聞き、彩人は今すぐにでも走って朝に彼女が寝ていた部屋へ行きたかったが、廊下は一人しか通れない幅で、前方には藍がいるので小股のはや歩きになっていた。

 二人は廊下から部屋に出る。

 彩人は見た。

 ルネはそこにいた。眠ってはいない。二人が入ってくる方向をじっと見ていた。その目は透き通った、淡く、そして澄んだ青い瞳。まるでガラス細工のビー玉のようである。

 彩人はその目に吸い込まれそうになった。

 今までは眠っていて瞼の裏に隠れていて見えなかった。昨晩、彩人を助けてくれた時も暗くてよく見ることはできなかった。

 彩人はその目に見惚みとれて言葉を発することができなかった。

「このアホみたいな顔をした子がさっき話した白上彩人」

 藍はすでに彩人たちの紹介をしていた。

「えっと初めまして……じゃないか。昨日はもう会ってるからな……。覚えてる……かな? 昨日俺は君が道端で倒れているのを見つけたんだ、け、ど……」

 ルネの綺麗な双眸そうぼうはまっすぐ彩人の目を見ている。ただ見ているだけ。何も話そうとしない。何を考えているのかわからない。感情があるのかもわからない。ガラスなのは彼女の瞳だけではなかった。彼女そのものがガラスの『結晶』のような。

 神秘的、不思議、不気味、一体どれが正しいのかわからない。

「藍さん……」

「ずっとこの様子よ……」

 藍は彩人の言いたいことを察して、昨日もこのようにただ無言だった、と続けた。

 彩人は藍が朝に言っていた「何も言っていなかった」「ぼーっとしたようすだった」という言葉の意味をここにきて理解した。

(昨日と様子が違わないか?)

 最後に見せたあの笑顔はもう見せてくれないような気がした。

「この子、あなたに任せてもいいかしら……?」

 藍が唐突に何の脈絡かわかっていない彩人に頼んだ。

「え……それは……どういう?」

「私はちょっと出かけてくるわ。この部屋にいてくれて構わないから。ごめんね、力に慣れなくて」

 藍は、彼女と一番近い位置に立っているのはあなたよ、と肩を叩いて彩人の横から立ち去ってしまった。

「……」

「……」

 部屋に残された二人。藍が出て行くときのドアの閉まる音が沈黙の部屋に響く。

 彼女は彩人から目を離し、ぼーっと虚空を見つめ始めた。

(俺が一番近い位置に立っているってどういうことだ? 藍さんは俺にどうしろっていうんだ……)

 沈黙を破るために、とりあえず無難な質問をから始める。

「ルネ? 大丈夫?」

 返事は無い。

 しばらくルネの様子を見ていると彼女の方から口を開いた。

「――い」

「ごめん、もう一回言ってくれる?」

 ルネはとても小さな声でボソリとしか言わなかったので、うまく聞き取ることができなかった。

 彼女はもう一度言う。

「……わからない」

 と。

「わからないって……」 

 わからない、その言葉の意味が彩人にはわからない。

 だが、わかる。彼女の声が怯えているということは。

「なあ? わからないっていうのは、どういうことなんだ? よければ教えてくれないか? ルネ」

 藍はルネの体調は良くなったと言っていた。しかし彼女の様子があまりにも弱々しく、これ以上怯えさせないように優しく尋ねる。

 ルネは再び黙ってしまった。

(怯えるのも無理もないか。この子はずっと眠っていたんだ。起きたら自分の知らない人がそばにいて、 さらに今いる場所も全く知らない。周りは知らないことだらけなんだからな……)

「無理はしなくてもいいよ。話したくないなら話さなくてもいいからさ」

 だが彩人は心の中で思っていることと正反対のことを口に出している。

 彼の本心では本当は真相を知りたがっていた。

 わからないのはルネだけではない。彩人もであった。

 昨夜、自身の遭遇した事件。

 手から炎を出現させて見せたあの男は一体何者か。なぜあの男はこの少女を狙っていたのか。男が出した炎とルネが作った氷の壁、そして後から乱入してきた謎の三人組。これらの超常現象はどうしたら説明がつくのか。

 今日学校でもずっと気になって仕方がなかった。もし首を突っ込んでしまったら男の言っていたあちら側の世界に入り込んでしまう。入り込んでしまったらどうなるか。そんなことわかるはずがない。ただ良いことがあるなんてことは一度たりとも思わなかった。何せ命を狙われたのだから。子供同士のおふざけや喧嘩とはわけが違う。だから関わってはいけないと思い、それら全てを忘れてしまおうと一度は決めた。けれどもそれはどうしても忘れることができず、昨夜の出来事は脳裏にしっかりと焼き付けられてしまっていた。

(この子はあちら側の世界にいるのか……。なにが一番近いに立っている、だ。俺はこの子のために何もできないじゃないか……)

 彩人は自分の無力さに嫌気が差し、ルネも今はそっとしておいた方がいいのかもしれないと思って、もう自分の部屋に戻ろうと思い立った時。

「ルネ……」

 ようやくルネは勇気を振り絞り他者に告げた。彼女は掛け布団を両方の手で強く握っていた。

「ん?」

「ルネって――――――」


「――――――なに?」


 なに?

 その問いが何を意図するのか……。

「ルネ。 それはどうい――――――」

(待てよ……)

 彩人は思考を巡らせる。

 この反応は知っている。彩人もかつて自分の名前を呼ばれて同じ反応をしたことがある。

(そうだ……これは――――――)


「記憶……喪失……」


「おい……ルネ? お前の名前はルネだ。そして俺の名前は彩人だ。わかるか?」

「わたしの……名前……」

 彩人の予想は残念なことに当たっていた。

「なんで……どうして……」

 昨日の今日で自分の名前さえ忘れてしまった。彼にはその理由が全くわからない。

 だが紛れも無い事実。

「わからない……わからないよ……」

 ルネは首を振って彩人のほうを見る。その目は救いを求めている目だ。

 彼女の雪のように白く綺麗な手が彩人の服の裾を掴む。

「あなたは誰? わたしを知っているの?」

 彼女は混乱している。

「ねえ?」

 彼女は問うことをやめない。

「ねえ……何か答えてよ……」

 雪が溶け出すように目元に涙が溜まっていく。

 それを見て彩人はようやく気付いた。

(違うだろう。俺が混乱していてどうする!)

 そして藍がここを出て行く前に言った言葉を思い出す。

(そうか……)

「それで藍さんは俺にこの子を……」

 記憶を失くした少女は助けを求めている。

 記憶が無いという恐怖から。

 そして彼女を理解し救うことができるのは同じ境遇を味わったことのある人物。

 藍さんはそう思って俺にこの娘を任せたんだ、と彩人は思った。

「俺は……君を知っている……」

「ほん……とう?」

「ああ、少しだけだが」

 彼女と会ったのは昨日が初めてであるが、彩人はルネを一先ず安心させることが重要だと考えた。そしてルネが落ち着き始めたところで話を進めることにする。

「君がどのくらい覚えているか教えてくれないか? 少しでもいい。断片でも。何か覚えていることはないかな?」

 彼女に残された記憶を探る。何かあればそれは彼女自身が記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないからだ。

「……覚えていること?」

(思い出させてやりたい)

「そうだ。何でもいい。たとえば……『風景』とか『人物』とか自分のことじゃないものでも何でもいいから!」

(ルネに俺と同じ苦しみは味わって欲しくない)

「え、えっ……と」

 ルネが言葉を詰まらせる。

 彩人は必死になってしまっていたので気がつかなかった。彼の手は少女の華奢な肩をしっかり掴んでいた。そして顔も目と鼻の先に……。

「ご、ごめん!」

 咄嗟とっさに彼女から手を放す。

(しまった……)

 彩人は、恐がらせてしまったか、と内心不安だらけ。ここからどうつなげればいいか困ってしまう。手が宙を漂う。

「……。ちょっとだけ覚えてる……」

「ほ。本当か?!」

 ルネが返事を返してくれたことと、覚えていることがあるという、二つのことで彩人は安心すると同時にとうれしさが表情ににじみ出る。

「どんななの?」

「暗かった」

「暗かった?」

 ルネは頷く。

「暗かった。でも、明るくて……暖かかった」

「暖かかった?」

「どういうことなのかはよくわからないの。でも黒か白しか無いところだった。なぜか、その時のことを思い出すと心が落ち着くような気がする。暖かい。」

「白と黒。暖かい、か……」

(白……白い物。暗くて……)

 彩人は一つ思い当たることがあり、立ち上がる。彼が立ち上がるとルネも見上げる形で彼を目で追う。

(もしかして……)

 向かう先は窓。そしてカーテンを開けてルネにそれを見せる。

「白い物っていうのは『これ』のことじゃないか?」

 冬なので五時ぐらいでもちょうどいいだろう。

 そこには闇の中に白い粉が降り、そして積もっていた。

「そう……かもしれない」

 ルネの反応を確認し終えて、彩人はカーテンを閉めて彼女の傍にまた座り込む。

(おそらく、これは昨日のことではないだろうか? できればそれ以前のことも何か覚えているといいのだが)

「そう、か。じゃあ他に。それより前のことは覚えていないか?」

 ルネは考え込む。

 必死に何かを思い出そうとしているのだろうが表情は曇ってしまった。

「よく思い出せない……」

 彩人は自分と出会う以前のことを聞き出そうと思ったのだが、思うようにはいかせてくれなかった。

(昨夜以前の記憶が全部消え去っているのか……)

 それはかなりの障害だった。

 彩人が彼女と出会ったのは昨日だ。これでは、彼女がどこからきたのか、何者なのかさえわからない。

(聞くべきなのだろうか……)

 知ってしまえば自分も今いる側の世界から離れてしまうかも知れない。でも、彼女のことがわかるなら、何かの手がかりが手に入るなら。

(俺は聞くべきだ)

 踏み込んではいけないような一線を彼はまたぐと決心した。

「なあ?」


「炎と氷、覚えているか?」

 

 彩人が尋ねたのはあの男とおそらくルネもいる、あちら側の世界のことだった。異常。普通では考えられないような、まさに存在するはずがない空想の中だけの、小説の中とかに出てくる魔法のような力。

「炎? 氷?」

「見た憶えは無いか?」

 ルネからよい反応は得られなかった。

「そうか……」

 彩人にとって衝撃的だったあの光景ならばルネも覚えているのではないか、という期待に託してみたのだがこれも失敗。

(まだだ……)

 だが彼はまだ諦めない。

(あの魔法のような力は必ず『ルネ』という人が何者なのかということを明らかにする手がかりであることは間違いないはずだ)

「俺は今から昨日の夜あったことを全て話す。だからなにか思い出すことがあったら言ってくれ」

「うん……、あ、でもその前に一ついい?」

 ルネは優しく問いかけた。

「さっき言っていた『ルネ』というのは……わたしの名前だったよね?」

「あ、ああそうだよ」

 それは彩人がルネという人物について知っている唯一、確信性のもてることだった。

「君が自分でそう名乗っていたから間違いない……と思うよ?」

「じゃあ、これから私のことを『ルネ』って呼んで」

「え?」

 ルネは、だって、と言い。

「私のことをその名前で呼ばないようにしていたでしょ?」

 彩人はルネに心を見透かされた気がした。

「私が『ルネ』だとしても、その名前で呼ばれたところで私にはその実感がないから……。えっと……『あーと』だったっけ? あなたはそれを気遣ってくれたんじゃないの?」

「あ……うん。まあそんな感じだ……っと。ところで『あーと』ってなんのこと?」

「あなたの名前」

「『彩人』ですが……」

「ご、ごめん!」

「おお……! 気にしなくていいって」

 彩人はルネとの間の壁が溶けていくのを感じる。

 美しくも、氷のように冷たく、ガラスの置物のようだったルネは、今はもうそのようなことを思わせなくなっていた。

「さて……」

 彩人は昨夜の一抹を語る。

「初めに謝っておかなければいけないんだけど……さっき俺はルネを知っているって言ったけど実は、出会ったのは昨日の夜なんだ。変に期待させてしまっていたら、ごめん。」

「……いいよ。続けて」

「ありがとう。俺が細道を歩いている時、ルネをはじめて見た時だ。ルネは雪が降っている寒い中を一人で歩いていて、俺とすれ違った時に突然倒れそうになった。そのところを俺が受け止めたっていうのが、最初だな。その時、俺は声を掛けたけど君は返事を返すこともできない状態だった」

 炎を操った男が焼き付けたかのように、脳裏に鮮明に残されているあの出来事を、フィルムを再生していくがごとく思い出していく。

「俺はルネを新代荘、えっと……今いるこの場所に連れて来ようとしたんだ」

「……ルネを助けてくれた?」

「ま、まあそうなる……かな?」

「ありがとう」

 ルネが笑顔を見せる。今までずっと悲しげな目をしていたのが全て飛んだわけではないが、それでも今までの表情より断然良い表情となっている。

「ど、どう……いたしまして」

 彩人はその笑顔を見てうれしさとともに恥ずかしさを感じ、目を少し逸らし指で頬を掻いてしまう。

「さ、さあ続けよう」

(この先はあの男と遭遇したところだ。もう迷ったりはしない)

「俺がルネを負ぶって走っている途中で一度目を覚ましたんだ。だけどその時のことなんだけど……君のことを狙っている人が現れた」

 ルネの表情が曇る。だがこれも彩人も覚悟していたことだ。少々不安にさせたとしても、やはり何かを思い出させてやりたい気持ちが上回った。話すとちゃんと一度決断したことなのだから曲げるわけにはいかない。

「恐いかもしれないけど、お願いだ。聞いてくれ」

 彩人は、これで少しは恐怖が弱まれば、とルネの手を握る。頼れるものがいれば安心感を与えることができる。彼女の小さな手も彩人の手を握り返す。安心感にかわる肌のぬくもりが伝わる。

「その男の目的はおそらくルネを捕まえることだったと思う。目的とか、捕まえた後どうするかはわからないけど」

 ルネの手が彩人の手を強く握る。

「これは馬鹿馬鹿しいことだと思うかもしれないけど、ここで訊きたいことがある。ルネは魔法みたいな不思議な力は使えるのか?」

「ま、ほ、う?」

(駄目か……)

「ルネを追っていた男について話そう。男はその魔法みたいな不思議な力を使ったんだ。炎を何も無い手から生み出して、それを自在に操ることができた。信じられないかもしれないけど事実なんだ。男はその炎を使って俺たちを襲ってきた」

「炎……」

「でもその男だけじゃない。ルネも同じような力を使っていた」

「ルネが?」

「ルネは氷を操っていた。君にもその男と同じように何か不思議な力を使えるらしい」

「氷……。ルネはそんなの知らない。できないよ。恐い……」

 手の締め付けがまた強くなる。

「でもその力のおかげで俺は助かった」

「え?」

 男が彩人に炎を振りかざした時、普通なら絶対に焼き殺されていただろう。彼がこうしてここにいるのもルネが不思議な力を使って氷壁で守ってくれたおかげだ。

「ルネがその力を使ってくれなかった俺は今頃灰になっていただろうな。だから覚えてないと思うけど、ルネは俺の命の恩人だよ」

 ルネの顔がやや驚きに満ちた後、うれしげな顔になりかけたその時――――――


「うっ……!」

 

 彼女の手が彩人の手から離れ彼女の頭に当てられる。

「大丈夫か?!」

「大丈夫……少し頭が……。何か思い出しそうだったのに……」

「無理に思い出そうとしちゃ駄目だ」

 急なことで彩人も戸惑う。

「もう一度横になった方がいいかな?」

「大丈夫だから……続けて……」

 でも、と彩人が言うのをルネは押しとどめる。

「……わかった」

 次は男が言っていたことについてだ。

「ここらへんは俺もよくわからないんだけど。あの男は世界の異常とか、自分とルネのことをたしか改変者アルターって言ってた……。何か思い当たることないかな?」

 ルネの頭はなかなか縦に頷かない。

 彩人はかたっぱしから手当たり次第に手がかりを探ってみたが、良い結果は得られなかった。

「そうか……」

「ごめんね……手伝ってくれているのに何も思い出さなくて……」

「いいや。誤るのは俺の方だ。結局、俺はルネのためにはなにもできなくて…・・・」

 彩人は奥歯をかみ締める。

「ううん」

 ルネは自分を責め立てる彩人に責任は無いと、彩人の言う事を否定する。

「いいの……。ありがとう。だって、彩人はルネを助けてくれた。それはルネが感謝することだよ?」

「俺は君を助けることはできていない」

(ただあの時、俺がルネに助けられただけなんだ!)

 彩人の膝の上に置いたこぶしに力が入る。

「どうして? なんでそんなに必死になってくれるの? ルネと彩人は会ったばかりなんでしょ?」

 ルネには自分にここまで世話をやく理由に見当がつかなかった。

 

「君が俺と似ているからだよ」


 彼はそう答えた。

「同じ?」

「ああ……。俺も八年前に記憶を無くした。そしてルネと同じようにそれ以前のことは思い出すことができない。名前もね。でも今の名前は記憶を無くす以前と合っているらしい。俺が目を覚ました時には藍さんがいて、名前を教えてくれた……」

 この話を知っているのは新代荘の藍、幸祐、若葉、それと乃樹や雨夜ぐらいの親しい友人くらいである。

 彩人の目は現在ではなく過去を見ていた。八年前の記憶を無くしたときの自分。その時の境遇と似たルネを見てどのようだったかが思い出すことができた。

「その時、俺も恐かった」

 当時の感情がこみ上げてくる。

「そう……だったんだ……」

 

 ぐぅー。


 腹の虫が鳴る音。

 その出所はルネのお腹だった。

「ふっ、お腹空いたか?」

「うん……」

 ルネは掛け布団で顔を隠して小さくなる。

「藍さん遅いなー」

 時計の短針の先は六に向けられていた。まどの外も彩人が新代荘に帰った時よりもずいぶん暗くなっている。

「ごめん、藍さんが帰ってくるまでもうちょっと待って」

「ありがとう……」

「?」

「あなたのおかげで恐くなくなった気がする。ずっと記憶を無くしたままのあなたに比べたら私は……このくらいでへこたれていたら駄目だね」

 ルネの顔には幾度か笑みがこぼれるようになってきた。彼女の透き通った声ももう震えていない。

「君は――――――」 

 ガチャリ、とドアの開く音がした。

「帰ってきたかな?」

 ドアから部屋に続く通路の方を見る。

「どう?」

 と、廊下の方から藍の声が彩人の耳に届く。

 藍は買い物袋を両手に持って現れ、部屋に居た二人の様子を見ると「うまくいったようね」と小声で呟いた。

「元気になったルネちゃん?」

「あ、えっと……昨日はごめんなさい」

「いいの、いいの。私の名前は新代藍。藍って呼んでくれて構わないわ」

「藍。昨日はありがとう」

(どういうことだ?)

 謎のルネと藍のやり取りを見つめる彩人。

「鍋のことよ」

「ああ、それか」

 彼は残しておいた鍋をルネが食べたと言っていたのを思い出して納得した。

その時ルネが立ち上がった。

「もう起き上がって大丈夫なの?」

「うん、もう大丈夫」

 そう言い、彩人と藍の横を通り過ぎる。

「どうしたの?」

「ルネのために二人ともありがとう」

 ルネは二人と反対の方向――――――玄関の方向へ足を進める。

「お、おい、ルネ! どこ行くんだよ?」

「もう私は行かなくちゃ。これ以上迷惑かけられないし」

 

「どうしてだよ」

 

「え?」

「行くあてがあるのか?」

 口を閉じたままのルネ。記憶を失くした彼女が行くあてなどどこにも無かった。

「それは……」

 なにか言おうとしても返答が見つからない。

 その様子を見た彩人はとるまでもない確認をとった。

「藍さん、いいですよね?」

「もちろん」

 彩人と藍は確認する内容を話す必要なく伝え合う。

 ルネは何のことかさっぱりわからず、二人の顔を交互に見る。

「?」

「ルネ、行くあてが無いんだろう?」

「……」

「無いのよね」

「……うん」

「だったら――――――」

 新代荘は、藍が彩人、若葉、幸祐の面倒を見るためにあるようなものだ。彼らはそれぞれの事情を抱えている。ここではそのような四人が集まって家族のように暮らしてきた。

 そして今、もう一人、事情を抱えた者がここにいる。

 ルネ。

 記憶を無くし行き場を無くした少女。

 彼女も彩人たちと変わらない。

 だから。

「ここに残らないか?」

 受け入れる。

 彼らのような者達のためにある。それが新代荘の役割。

「でも……」

「別に迷惑なんかじゃないさ。むしろ家族が一人増えるようなもんだよ」

「家族……」

「そう、俺とか、まだ帰ってきてはいないけど幸祐と若葉も。俺たちは居候さ。藍さんにもう何年もお世話になっている」

「そうよー。あんた達を育てるの大変だったんだから。今更、もう一人増えたところで苦労はしないわよ」

「だからさ、行く当てもないのにどっか行っちゃうぐらいならここに残って欲しい。記憶が戻るまででもいいから」

「いい……の?」

「もちろん」

「ええ」

 本人が望むのならば断る必要は彼らには決して無い。

 ルネはきびすを返し――――――向かった先は。

「じゃ、じゃあ……よろしく……」

 ルネはそう言い残し布団を頭から被ってしまった。

 彩人と藍は互いに見合わせ、同じ表情を作る。

「相当、恥ずかしがり屋さんなのかもしれないわね。そうね……部屋は彩人、あんたの隣の部屋をこの恥ずかしがり屋さんの部屋にしましょう」

 彩人は「二階に俺が一人ぼっちになることがなくなった!」と一人で内心、今まで密かに感じていた孤独感からの解消に喜ぶ。

 だがそれよりもこの新代荘の皆にとって喜ばしいこと。

 新しい家族の一員。


 二月十三日、新代荘に新しい住人が加わった。

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