一章(7) 週末の終末
新代荘に着く頃には午後九時半を過ぎていた。
「藍さん!」
彩人は少女をおんぶしていて両手が塞がっているため、ドアを開けることができず、部屋の中にいる人に開けてもらおうと、藍を呼ぶ。
「藍さん、開けて!」
扉の向こうでバタバタと足音が鳴る。足音が止んだ後、ガチャッ、と扉の反対側で鍵を開ける音が。
「うっさいわよ! ご近所の事も――」
「藍さん!」
何よ、と藍の声がして扉が内側から開く。
「早くこの子を!」
藍は彩人の背に目を落としルネを見る。
「――――――! なぜここに……」
「この子、すごい弱ってて。俺が帰ってくる途中で倒れていて……、って藍さん聞いてますか?」
藍は少女を見るなり、驚きの表情を崩さず、そのままずっと少女の方を見続けていた。彩人の話は耳に通っておらず、それより別の事が重要な事態だといったかのようである。
「どうかしたのー? 早くご飯―。もう峠を過ぎちゃったよ」
部屋の奥から、食事はまだかー、早くしろー、と若葉の待ちわびたという言葉が飛んでくる。
「あ、あそうね……。急いで部屋へ……」
彩人は藍の後を着いて行く。室内は外とは比べ物にならないほど暖かい。
だがこれで安心だ。ここまで来れば、ルネも温まることもできるし、炎の男や黒服の男たちのような者は襲ってこないだろう。
(これでもう安心――――――)
「不審者が現れたわ!」
「はあ?!」
彩人が口を開ける。
「なんだって?!」
若葉と幸祐が驚きの声を上げる。彩人も心の内で同じ事を叫んでいた。
(まさか、藍さんはさっきの出来事の事を知っているのか?!)
「彩人がとうとう少女誘拐を犯したわ!」
「はあ?!」
またも彩人の口が開く。
藍は相変わらずであった。
彩人はその様子を見てさっきの違和感など気に留めなくなった。そのようなことよりもっと重要なことはといえば――――――
(なんで俺が不審者扱いされるの?!)
何だと、と彩人と藍が丸机の置かれた部屋に入るより先に若葉と幸祐が飛び出してきた。
「え、なにこの子! え、えっとこの子……外国人?」
「そうとしか言えないだろう……」
若葉と幸祐の二人は少女の綺麗な銀髪に戸惑っていた。
「それより早くこの子をなんとかしてあげて……」
彩人は新代荘に帰ったらすぐさま藍たちが行動してくれるだろうと思っていたのだが。
(扉を開けた時から何故か迅速にほいほいといかないんだ。今はそんなことをしている場合じゃない)
と、不満が溜まっていた。
「若葉は部屋に布団を敷いて、できるだけたくさんの毛布とか用意して」
「あ、うんわかった」
「彩人、その子を」
「あ、はい……」
彩人が藍に少女を託すと、藍は部屋に入っていく。
「藍さん、俺は何かやることありますか」
役割の与えられていない幸祐が協力を志願する。
「そうね、とりあえず彩人を取り押さえといて」
「だから何で?!」
困った様子で幸祐が彩人に近づく。
「……だそうだ」
「だそうだって……おい! マジでやんのかよ!」
「いやー、そう言われちゃったから……」
「言われちゃったからって……」
ちなみに今の彩人の状況説明をすると、腕をとられ、顎は床につき、がっしりと幸祐に取り押さえられている。
彩人は暴れたが逃れることはできないと悟り、おとなしくなる。
それを見計らって、彩人よりさらに状況が理解できていない幸祐が気になっていることを聞く。
「ところで、あの子、どうしたんだよ?」
「あの子は……」
言葉を詰まらせる。
(あんな事があったなんて話せるわけがないからな……)
「あの子は道で倒れてたんだよ……。それで俺が助けてここまで運んできた」
間違ったことは言ってない。
彩人が少女と最初に出会ったのは狭い路地だったし、助けたのは事実だ。
「そうか、色々大変だったな」
「ああ……」
頭を、あの男、あの黒服たち、そして最後にあの少女の事が過ぎる。
「大変だったよ」
その言葉はより重かった。
「なあ、幸祐?」
なんだ? と、幸祐が聞きかえす。
「そろそろ放していただけないでしょうか?」
「ふむ」
彩人の腕を背中に回してしっかり固定していた幸祐の手が放れる。
(こいつ、見た目と沿わずに案外、力強いんだよな。まあ部活で鍛えているんだから当たり前か)
彩人は立ち上がって部屋に向かいルネの様子を見に行く。
「容態は?」
ルネは布団の中でぐっすり眠っているようだった。
「そうね。やっぱり体がとても冷え切っていたわ。とりあえずこのまま暖かくして安静にして置きましょう」
「この子の髪、綺麗だね」
若葉がポツリと呟いた。
彩人は今こうして改めてみてもそのルネは綺麗だと思った。最初に会った時、気を失っていた時の彼女の顔はつらそうな顔をしていた。しかし、今は苦しみから解放されて安らかに眠る姫のようだ。彩人はその様子を見てほっと胸を撫で下ろす。
「さっ、この子はたぶんもう大丈夫でしょうから、私たちは食事よ、食事」
藍がぱちんと手を叩いて、空気を切り替える。
「そうじゃん! 晩御飯まだじゃん!」
「もう空腹の山をとっくに通り過ぎた……けど、やっぱり空腹に変わりない」
「つーか俺、めっちゃ寒い」
ガタガタと彩人の体が高速振動する。
「俺、先に風呂入りたい……」
その言葉が皆の忘れていたことを思い出させる。
「そういえば、風呂も駄目だったわね……」
「……今日どうするの?」
「明日までには何とかしておくから今日のところは我慢して」
「母さん、この借りはきっちり返してもらうからね……」
若葉の怨念に満ちた視線が藍を突き刺す。
「……さあ、鍋作るわよー!」
「聞いてないな……」
その後、四人で鍋を作って食べた。
彩人は鍋のおかげで何とか体を温めて持ち直すことに成功。
四人で鍋をつついている間にルネのことについて炎の男や黒服のことは避けて説明を終えておいた。
ごちそうさまでした、と四人で手を合わせて食事を終える。ルネが起きた時の為に鍋の具は少し残してある。
「じゃあ今日はこれでお開きね」
四人とも丸机から立ち上がる。
「じゃあ、おやすみー」
「おやすみ」
若葉と幸祐が各自、自分の部屋へと戻っていった。
「彩人、あなたも自分の部屋に戻りなさい」
「ああ……うん」
彩人は少女の事が気になって、まだ彼女が寝ているそばにしゃがんでいた。
「ルネのことは、後は私に任せなさい。明日は学校でしょう?」
「わかった……」
渋々、彩人も自室へ戻ることにした。
彩人は自室に入るなり朝からたたんでいなかった敷布団に寝転がる。
「夢じゃないもんな……」
今日の出来事を振り返っていた。
(お前達とは違う世界)
男の言っていた言葉を思い出す。
(あの子はこれからどうなるんだろう。俺たちみたいに新代荘で暮らすのかな)
彩人が新代荘に初めて来た時の事。
あの時の俺はどうだったっけ、と思い出そうとしてみるがいまいち思い出せなくて断念する。
(あの子は……俺たちの世界では……生きていくことはできないのだろうか……)
そのまま眠りへ落ちていった。