不倶戴天の仲間! そこにある愛!
移動魔法というものは、存外、不便で、外からの導きがない限り、本人か同行者が行った事がある場所へしか跳べない。
北方人である俺が南で行ける場所は、限られている。そのほとんどがカルヴェル様の案内で訪れた場所だ。
それ以外で俺が跳べるのは、アジスタスフニルの現在地だ。
俺はあの男に印を付けている。今世の何処にいようとも居場所がわかり、アジスタスフニルのもとへならばどれほど距離が開いていても瞬時に跳ぶ事ができる。
相手がユーラティアス大陸におらず、アフリ大陸にいても、だ。
アジスタスフニルは、町からかなり離れた砂漠にいた。
馬もラクダもない身では、オアシスの町まで二晩はかかろう。そんな場所を、頭からフードをかぶっただけの旅装で平然と歩いていたのだ。
辺鄙な場所に送られたものだと思った。が、多分、僧侶ナラカはアジスタスフニルをもと居た場所に戻しただけなのだろう。
俺が移動魔法で姿を見せると、奴は首をかすかに曲げて、
「よぉ、上皇様」
と、だけ挨拶した。
それが五ヶ月近くもの間、魔族に囚われていた者の第一声か。呆れる。
フードマントから漏れる赤い髪、赤い髭、先王アジクラボルト様によく似た顔立ち、鋭い緑の目。その姿には歪みがない。アジスタスフニルに間違いなさそうだ。魔の穢れは微塵もない。
「堕ちてはおらんようだな」
俺がそう言うと、アジスタスフニルはゲラゲラと笑った。
「それが、ほぼ五ヶ月ぶりに今世に帰還できた者への第一声か。かたぶつの変人め」
おまえに変人などと呼ばれたくない。
「しかし……ハリハールブダン、いいのか、こんな所に来て?」
アジスタスフニルが、大袈裟に右手を大きく動かす。
「今、この世で闇と光がぶつかってるってのに、おまえは何をしている? 俺みたいなジジイを出迎える暇があったら、嫁の手伝いに行ったらどうだ?」
「俺は今は動かんよ」
俺は北東を向き、アジスタスフニルも同じ方角をみやる。
先程から、探知の魔法で、ここより北東のシルクドの砂漠の様子を窺っていた。そこで、姫勇者一行と大魔王が対峙している。いつ戦闘になってもおかしくない一触即発状態だ。姫勇者一行には、カルヴェル様もアジンエンデも居る。死しては欲しくない人間だ。だが、俺は加勢には行かん。
「俺はカルヴェル様がお倒れになった時の、保険なのだ」
「保険?」
「大魔王との戦い半ばでカルヴェル様が亡くなった時のみ、俺が働く事になっている……大魔王の勇者への呪を封じる為に、な」
アジスタスフニルが嫌そうに、顔をしかめる。
「大魔王の呪って、馬鹿女がかけられた、アレだろ? 『千人斬り』」
「当代の大魔王は違う魔法を用いるだろうが……仕組み自体は『千人斬り』と同じだ。大魔王の憑代は、死す時に『自分を殺した勇者』を呪う。その発動自体は防げんので、カルヴェル様か俺が勇者を守る事になっている」
俺達がしくじれば、勇者が呪われ、命を堕とすかもしれん。その悲劇だけは避けたいものだが。
アジスタスフニルは、魔法使いの働きどころの話には興味がなさそうだった。
「行く気がないのなら、俺につきあえ」
「ああ、カルヴェル様が倒れぬ限り、暇だ。つきあおう」
「町に運んでくれ。羊と鳩と白魚が喰いたい。あとドロドロの青汁スープ。香辛料と油まみれの米料理もいいな」
「エジプシャン料理か」
「向こうじゃ出してくれなかったんでな」
ニヤニヤ笑う赤毛の男が笑う。
「ここで暮らしていた頃は、不味いと思っていたんだが、喰えんとなると妙に恋しくなる。あっちじゃ、夢にまで見た」
「望む場所に送ってやる。だが、家族のもとへ送らなくていいのか?」
俺の問いに、赤毛の男は肩をすくめてみせた。
「家族など居ない」
「家族だろ、あの子供達は。あそこはおまえの家か、そうでなければ孤児院だ」
「そんなごたいそうなもんじゃない」
アジスタスフニルがフンと荒い息を吐く。
「喰いっぱぐれていたガキどもの集会所ってだけだ。一番上はもう二十だし、俺が戻らんでも困らんさ。俺が半年、顔を出さん時は、死んだものと思えと言ってあるしな。俺の貯金も、あいつらがよろしく使ってくれるさ」
「戻らぬ気か?」
「さてなあ」
アジスタスフニルが、再び北東をみやる。シルクドの砂漠が見えるのだろうか?
この男に魔力はない。だが、『見える』のかもしれんし、『感じてる』のかもしれん。この男は、俺と違い、真のシャーマン戦士だ。神秘を見通す力を有している。
「ラーニャ殿と合流したいのか?」
「いや」
不敵な笑みを浮かべたまま、言う。
「何にせよ……まずはメシだ。俺の頭の中を読み取って町まで運んでくれ、相棒」
アジスタスフニルは、俺の半身だ。
『知恵の指輪』と対になる『極光の剣』の振るい手だった男。
左腕を失った今、アジスタスフニルはアジの王の証『極光の剣』を失っている。アジスタスフニルの娘アジンエンデが、現在の振るい手だ。
アジンエンデは息子の嫁、アジンエリシフによく似た美貌の、勇ましい女だ。好ましく思ってはいた。が、アレを半身と思った事はない。
俺の半身は、この男だけだ。
二十年年前、俺とアジスタスフニルは一つとなった。
ケルティを穢す魔を憎み、それぞれが部族王の証に願い、心を合わせ、今世に祖先神を降臨させたのだ。
神獣『動物達の母』。
神の使いである巨大な雌鷲と、俺達は同化し、神の無限の力にて、汚らしき魔を祓ったのだ。
アジスタスフニルと共に『動物達の母』を御したあの日は、今でも昨日の事のように思い出せた。
あの時、二人の知識と記憶は混ざり合っていた。俺はアジスタスフニルであり、アジスタスフニルは俺だった。
二つの肉体に、魂は一つしかなかったのだ。
役目を終えた『動物達の母』が消えられると同時に、俺達は、それぞれ、己に戻った。
だが、別れても尚、俺達には絆がある。
少なくとも、俺はそう思ってきた。
それゆえ、アジスタスフニルの勝手を許してきた。
二人で負うべき責務も、俺一人で負った。ケルティの上皇となり、アジ族もハリに迎えた。アジスタスフニルの子供達も、村で養ってやった。
左腕を無くした後は、『極光の剣』に代わる聖なる武器『怒りの剣』を与えてやった。魔除けやら魔封じを山のように渡した。危機にすぐに駆けつけられるよう、印もつけてやった。
アジスタスフニルの身に何かあれば俺には伝わる。その心が闇に染まりかけたり、闇に囚われた時、或いは命の危機が迫った時、いち早く察し動けるように。
自由に生きたいと願う半身の為に、俺はさまざまな援助をした。
だが、アジスタスフニルは、俺に何の断りもなく、魔族ナラカの支配下に入ったのだ。
どんな暮らしだったのか、赤毛の男が話す。魔族の庇護下に入っていた事を、まったく恥じる事なく。
生きていく上で必要なものを全てナラカに用意させ、更に、剣の修行用の空間まで提供させたのだそうだ。そこで、両手剣ほどうまく扱えなかった片手剣の腕前を磨いたのだと言う。
両者の間には、『アジスタスフニルを大魔王の器としない』という共通の目的があり、ナラカが大魔王となった今、庇護の必要がなくなったので今世に戻されたのだとか。
俺は腸が煮えくりかえる思いで、話を聞いていた。
俺の不機嫌を、観察眼にすぐれたアジスタスフニルが気づかぬはずがない。
だが、一言も謝らぬのだ。
不快だ。
籠るのなら籠るで、何故、俺に一言、伝えない。
今世からアジスタスフニルが消え、俺がどれほどその身を案じた事か。
身勝手なアジスタスフニルは、俺の心中を察しようとも、決して共感も理解もしてくれん。
町に着いた頃には、勇者達の戦いは終わっていた。
砂漠神の介入によるいたみわけ……いや、姫勇者一行の命拾いだろう。
あのまま戦っていたら、ラーニャ殿は敗れていた。
姫勇者一行がカルヴェル様の移動魔法によって別所へと運ばれてゆく。俺は探知の魔法を打ち切った。
大衆食堂で安っぽい食事を美味そうに頬張る男に、どうするつもりなのか尋ねた。
なりゆき次第だ、と赤毛の男はおどける。
ケルティに帰らないのか? と、尋ねられたので、なりゆき次第だと答えておいた。
アジスタスフニルは迷惑そうに、何処までついて来る気だ? と、問う。
「俺は、女遊びに行くんだが?」
と、言ってきたので、つきあうと答えた。暇人めと、下品な男が下品に笑う。
あちらには分身を置いてきた。上皇の仕事が、滞る事はない。
この馬鹿な半身が、どう今世に関わるつもりなのか見届けてからでなければ、離れられん。
又、身勝手に消えられても困る。
安酒場で陽気な酒を飲む男につきあい、癖のある酒を飲んだ。俺には水のようなものだったが。
酒場女と話がついたアジスタスフニルがつれこみ宿に移ったので、俺も適当に女をみつくろって移動した。
女は、エジプシャンより南の国の出身だった。肌が黒く髪がちぢれていたが、ケルティの女と変わりはなかった。
事態が動いたのは、明け方だった、
移動魔法のきらめきを感じた。アジスタスフニルの部屋だった。
印をつけてあるあの男のもとへは、瞬時に跳べる。
移動魔法で駆けつけると、下着姿のアジスタスフニルが来訪者達と睨み合っていた。昨夜の相手は、熟睡中のようだ。
カルヴェル様の分身がいらっしゃったので、ああ、やはりと思う。魔力にはそれぞれの個性がでる。さきほどの移動魔法の波動は、カルヴェル様そのものだった。
アジスタスフニルが、チッと舌うちをする。
カルヴェル様が伴ってきた人物に、不快を覚えているようだ。
俺の与えた『怒りの剣』を抜いている。石や鉄も容易く切り裂く、鋭い切れ味の片手剣だ。持ち主の気性に合わせて威力が変わるその武器は、四十代となっても性格に丸みのない激しいアジスタスルニルに実にふさわしい武器だと俺は思っている。この男が振るえば、『怒りの剣』は『勇者の剣』に匹敵する破壊力を示すだろう。
「どういうつもりだ、クソじじい?」
アジスタスフニルが、カルヴェル様に凄む。
「俺ぁ、そいつの面は見たくないと言っておいたはずだが?」
アジスタスフニルの気は、全てを切り裂くかのように激しく、そして喧嘩腰だ。
まるで親の仇にでも会ったような、態度だ。
「話がある」
と、相手が言っても
「俺にはない」
と、切り捨てる。
肘までしかない左腕を大きく動かし、とっとと消えろと動作でも主張している。
とりつくしまもない。
それに対し、来訪者はアジスタスフニルよりやや手前の床に向け、金袋を投げた。ずしりとした重みのあるそれが、床へと落ちる。
「手付だ。とりあえず、百万。成功時には五倍、働き次第では十倍出す」
「ふん」
アジスタスフニルの顔に、侮蔑の笑みが浮かぶ。
「偉そうな事が言えるようになったもんだな」
「昔とは立場が違う」
フフンと相手が笑う。
「金など湯水のように使える。欲しければもっとくれてやるぞ、万年貧乏人。ナラカとの決着がつくまで、きさまに仕事をさせたい。雇われろ」
そう言ったのは、覆面、黒装束の東国忍者姿の者だ。背に忍者刀、腰に聖なる武器『ムラクモ』がある。
十二代目勇者セレス殿の従者、忍者ジライ……アジスタスフニルの昔の仲間だ。
「断る!」
部屋を揺らすほどの、アジスタスフニルの大声に、ベッドの女が起きあがる。すぐに眠りの魔法をかけたので、再び横になってくれたが。
部屋にはカルヴェル様の分身が、消音つき結界をはってくださっているので、外部からの騒動はない。
「俺は、きさまにも、あの馬鹿女にも、インディラにも関わらん! そう決めてある! とっとと帰れ!」
「手紙だ」
忍者が胸元から取り出したモノを、アジスタスフニルへと振ってみせる。
「剣を鞘におさめろ。片手では受け取れんだろう?」
アジスタスフニルが目を細め、手紙を見つめる。
「……ナーダか?」
「うむ」
忍者が頷く。
「インディラ国王からの正式な依頼だ。姫勇者一行の補佐役として、老いぼれ傭兵を雇いたいそうじゃ」
「ケッ! ジジイはお互いさまだろうが、クソ忍者!」
舌うちをしつつも、アジスタスフニルは壁にたてかけた鞘に、剣を戻した。
セレス殿や東国忍者には思うところがあるようだが、ナーダ国王に対しては好意が残っているのだろう。アジスタスフニルは手紙を受け取った。
開封し、中に目をくれ……アジスタスフニルは目を見開いた。
「馬鹿か、あの男は!」
信じられないというように頭を振り、大きく息を吐く。
「馬鹿だ、馬鹿だ、と思っていたが、これほどとは思わなかった……」
「全ては世界平和の為、勇者の為、家族の為、そして信仰の為じゃ。あの男の『善人になりたがり病』はきさまとてよく知っているだろう?」
「にしても……正気とは思えんな」
「で? 雇われるか?」
アジスタスフニルが口を閉じ、大きく眉をしかめる。手紙にかなり心を動かされたようだが、踏み切れずにいる。目の前の東国人に命令されるのが、心底、嫌なようだ。
「まあ、きさまが素直に諾と言うはずがない。手は三つほどうった」
「手?」
「説得の手段じゃ。まず一つ目、ペリシャにも顔を出し、シャオロンに手紙を書いてもらった」
二通目の手紙を受け取ったアジスタスフニルは、やはり渋い顔のままだ。東国の格闘家シャオロンは、昔、アジスタスフニルが目をかけていた子供だ。大人になったあの格闘家とは、深い親交を結び続けているようだが。
「『わがまま言わずに、共に世界平和の為に働きましょう』とか何とか書いてあるのではないか?」
「……うるせぇ。で、二つ目は?」
「脅迫」
「脅迫?」
「うむ……十九年前の秘密を内緒にして欲しくば言う事を聞け」
「秘密ぅ?」
「さよう」
東国忍者が覆面から見せる目を細める。笑っているのだろう。
「我の部下はシャイナの版元と親しいのだが……そこは内緒で裏モノも扱っておってな……女王様と奴隷ものもシリーズがけっこうあるのだ。実録ものとか人気のようだぞ」
アジスタスフニルの全身に、殺気が満ちる。
「きさま……」
「出版は、シャイナでなくとも、この地でもいいな。きさまの養子達の目に触れるところに、赤裸々な真実を載せた本を販売するか……財力のないどこぞの傭兵では回収しきれぬほど、刷ってやろう。赤字覚悟で、な」
「ぶっ殺す!」
手紙を投げ捨て、再びアジスタスフニルが『怒りの剣』を抜く。怒り狂っている今、切れ味は恐ろしいほどに鋭くなっているだろう。
十九年前に何があったのだ……?
「そうくると思ったわ、阿呆め」
忍者は、高らかに笑う。
「我一人殺したところで、出版は止まらぬぞ。インディラ王宮付き忍者を全滅させぬ限りな」
「く」
「出版をやめさせたくば、我に雇われろ」
「くそぉ」
「だが、まあ、屈服させられただけでは、きさま、素直に働けぬであろう。説得の手段三つ目……我を叩き伏せてみぬか?」
「なに?」
忍者が腕組みをする。
「これより半日、我と共にカルヴェル様の用意した異空間に籠らぬか? とことん剣で話し合おうぞ」
「ほほう……剣で、な」
「我に勝とうが負けようが、契約はしてもらう。じゃが、我を倒せればきさまの溜飲も下がるであろう? 片手となり両手剣をふるえなくなった三流が、我を倒せるとも思えぬがな」
「ケッ! きさまこそ、ジジイになって動きが鈍ったろう? 速さが身上の忍者のくせにな! 俺の敵じゃねえ!」
「ならば、戦ってみるか?」
「ああ……あの世に送ってやるぜ」
そのまま二人は睨み合う。
カルヴェル様の分身は、そんな二人をにやこやかにご覧になっている。
アジスタスフニルの進むべき道は決まったようだ。
俺は、国に帰れそうだ。
* * * * * *
「父上はアジスタスフニル殿の所だが、分身ならば居る。急ぎの用ならば取り次ぐぞ」
ハリハラルドの申し出に、私はかぶりを振った。
「舅殿に会う前に、あなたと話がしたいのだ」
「俺と、か」
ハリハラルドが嬉しそうに、ニッと笑った。
「聞こう、何なりと話してくれ」
カルヴェル様の分身に、私はハリの村へと送ってもらった。
元夫のハリハラルドは、突然、戻って来た私を家に招き入れた。
私の義妹のアジナターシャが、茶を出し、間仕切りの向こうに消える。板の向こうに、私の甥っ子も居るはず。もう遅い時間だから、眠っているのだろうが。
仕切りの向こうの義妹の存在を意識しつつ、私は口を開いた。
「間もなく、大魔王戦となる。その戦いの為に、剣を鍛え直したいのだ」
「『極光の剣』を、か?」
私は頷きを返した。
「剣に問うたのだ、より大きい力を得る術を。剣は祖先神に頼れと教えてくれた。剣の力を、一時的でよいから、高めたいのだ。その為にはあなたの協力が必要なのだ、ハリハラルド。私を助けてはくれまいか?」
「俺の助け?」
ハリハラルドが意外そうに、私を見る。
「父上ではなく、俺の助けがいるのか?」
私は頷きを返した。
「アジとハリの王が契約の証をもって、心を一つにして祈れば、神を降ろせる……そうだろう?」
「そうだ。だが、おまえには『極光の剣』があるが、俺には『知恵の指輪』はない。俺には神降ろしの資格はない」
「舅殿に頼んで指輪を借りてくれ。一日でいい。私の為に、共に神降ろしをしてはくれまいか?」
ハリハラルドが、私を静かに見つめる。
「おまえの為か?」
「そうだ、私の半身はあなたしか居ない」
ハリハラルドが口を閉ざす。
沈黙が、苦しい。
仕切りの向こうの義妹も、会話を聞いているだろう。ハリハラルドの正妻だったアジナターシャ。義妹は、私が『極光の剣』に選ばれたせいで離縁され妾となった。ハリハラルドと夫婦仲が良かったのに、だ。
舅殿もアジの長老達も、『極光の剣』の振るい手と『知恵の指輪』の継承者であるハリハラルドの間に生まれる子こそ、一つとなった部族――アジとハリの王にふさわしいと考えたのだ。
周囲に押し切られ、私達は夫婦とされてしまった。
しかし、私は義妹への遠慮と、つまらないこだわりから、ハリハラルドの真の妻となる事を拒み続けた。
ハリハラルドは私を尊重し、性的な意味ではまったく触れてこなかった。が、穏やかに微笑み、私を家族として遇し、夫として私をも守ろうとしてくれた。
誠実で、かたくるしく、優しい男なのだ……
「いいのか? 俺の剣は未だに未熟、おまえに及ばぬ戦士だぞ」
『私の操は、私以上の実力の戦士に捧げる。私の目にかなう者が現れぬ限り、穢れを知らぬ身で神の戦士として戦う。しかし、アジの族長となった今、魂が求める相手とであれば神聖な子作りをなす』
乙女らしいくだらぬ潔癖さから、私は、そんな誓いをたてていた。
ハリハラルドは『俺の剣は、おまえには遠く及ばぬな』と、あっさりと私のわがままを許してくれた。
今思えば……幼い愚かな妻を、よく許してくれたものだ。度量が広い。大人だ。
アジナターシャへの遠慮は私にはあったが、ハリハラルドにはあまりなかったろう。アジナターシャと縁づく前から、妾を囲っていたし、アジナターシャと結ばれた後も、妾達を大切にしていたのだから。
正妻も妾もないのだ。この男は、一度、縁を持った者を、誠実に、最後まで己の荷として抱えてくれる。
私と婚姻した後も、アジナターシャを正妻として遇し続けたのも、それが私の望みだったからだ。
今、私の目には、言葉にせぬ思いが見える。
ハリハラルドが、私に対し抱いていた感情がわかる。
幼い私の為に、決して表には出さず、秘めてくれていた思いだ。
「南で、私もいろんな経験をした。神に体をのっとられて死にかけたし、初恋もどきもした……」
私は夫であった男を見つめた。
茶の髪に瞳、美男子というわけではないが、人好きのするよい笑顔で笑う。真面目で誠実で逞しく、家族を愛し、部族を愛する男だ。
「そして、気づいたのだ。妻も子も妾も妾腹の子も……皆、抱え、守る……抱えたものを愛し、捨てぬ誠実な男……あなたこそ、私の魂が求めていた相手なのだと」
ハリハラルドが、私を抱きしめる。
私も大柄だが、彼に抱かれると小娘のようだと思ってしまう。
その逞しい腕が、心地よく思えた。
「嬉しいぞ、アジンエンデ……俺は、おまえをずっと愛しく思っていた」
「うん……」
「気づいていたのか?」
「いや……」
私は苦笑した。
「さっき、気づいたばかりだ。あなたに会って、ようやくわかったんだ」
「そうか」
ハリハラルドが、男らしく笑う。
「だが、遅すぎたわけではない。おまえも俺も、喜びの野に旅立つ前に夫婦となれるのだ。俺にとって、これほど嬉しい事はない」
アジナターシャを思うと、胸が痛んだ。
だが、この男はアジナターシャも愛し大切にするだろう。
大魔王戦に生き延びられたら、ハリハラルドと共に生きよう。
義妹の苦しみも、私の罪として負って。