理屈じゃないわ! 気に喰わないの!
ラーニャ様は、何もおっしゃらぬ。
口を真一文字に結び、僧侶ナラカを睨むように見つめていらっしゃるだけだ。
第一王子は、今にも僧侶ナラカに殴りかかっていきそうな顔をしておる。
その横の姫巫女は、のどかなものだ。うっとりとした顔で、楽しそうに王子を見つめている。
アーメットは、王子が激した時の為に様子を窺っていた。影としての心得は忘れておらぬようだ。
カルヴェル様もシャオロンもアジンエンデも、事態を見守っている。
誰も何も言わぬ沈黙。
それを破ったのは、インディラ僧侶であった。
「お初にお目にかかります、大僧正候補サントーシュにございます」
小柄な方のインディラ僧侶が、立ちあがる。
「あなた様の成し遂げた事、そして、お人なりは、大僧正様とジャガナート様から伺ってまいりました」
まるで貴人に対するかのように、恭しくインディラ僧は頭を下げる。
「勇者と大魔王の戦いを意味無きものとお考えになり、倦まれたお気持ちは理解いたしました。神魔の信者の対立が続く事も、世が荒れる事も、歴代勇者が邪法に呪われゆく事も、愚かだとお思いなのにございましょう?」
「ええ」
僧侶ナラカが鷹揚に頷く。
「ご心中、お察しいたします」
そこで、いったん言葉を区切ってから大僧正候補は言葉を続けた。
「大僧正様からの伝言にございます」
『大僧正からの伝言』と聞き、僧侶ナラカが真面目な表情となる。
「心のおもむくまま、為すべき事を為せばよい……以上にございます」
む?
何だ、それは? 大魔王を応援しておるのか?
ナラカは、クククと口元を覆って小さく笑った、
「ありがたいお言葉、嬉しく思います」
「大僧正様のお言葉は、ナラカ様に対してと同時に、私達にも向けられたものでした」
大僧正候補は頭をあげ、テーブルにつく先人を見下ろした。
「寺院を代表する大僧正候補として、宣言します。寺院は勇者ラーニャを助け、あなたの企みを阻止する為に全力で動きます」
僧侶ナラカが、微かに顔をしかめる。
「賛同してもらえませんか。残念です」
「あなたの主張に理があることは認めます。が、共感できません」
「武闘僧イムランにございます」
大柄な方のインディラ僧も、立ち上がる。
「ジャガナート師のご遺言をお伝えします」
ナーダの拳法の師匠か。ナラカにとっては、目をかけていた後輩。
大柄な武闘僧は、ニヤッと笑った。
「『ナラカ様がまったき魔に堕ちた時には、寺院をあげ、全力をもってお止めしてさしあげろ。あのお方は正義の士だが、性格が修復不可能なほどねじ曲がっておられた。正義がそこにあるとなれば、望まぬ道でも進まれるであろう。その過ちを正してやる事こそ、人として神の下にある者の役目だ』」
ナラカは快活な声をあげて、笑った。
「いいでしょう。あなた方の敵意を歓迎します。現大僧正候補に、ジャガナートの弟子」
「さて……みなさんの方から、もう何も言う事がないのなら、そろそろお開きですかね」
テーブルから何時の間にやら、カップが消えている。物質転送でもしたのだろう。
僧侶ナラカは親しげに、ラーニャ様に声をかける。
「『勇者の剣』を、私にくれます? それとも、今ここで戦います? 後日、互いの準備が整ってからの決戦でも、私は構いませんよ?」
ラーニャ様は眉をしかめ、僧侶ナラカに対しきつい眼差しを返す。
「私に選ばせてくれるってわけ?」
「アブーサレムを倒していただきましたからね、サービスです」
僧侶ナラカが、前髪をかきあげ、フフンと笑う。
「第三王子が合流してからの方がいいでしょ? インディラ寺院も全面的に支援する気みたいですし、ケルティの上皇様とかお味方も増やせますものね」
「でも、時間をおけば」
ラーニャ様が、ジロリとナラカを睨む。
「あんたの悪だくみも進むのよね?」
「愚問ですね。私は、私の目的の為に邁進するに決まっているではありませんか」
「知恵の巨人が見せてくれた未来の中で、あんたが何かやったら、ひどい事になってたわ。世界が闇に包まれたり、まぶしい光に包まれたり……世界がどろどろと溶けてく未来もあった。『勇者の剣』と『闇の聖書』を葬るって、すっごく危険な事じゃないの?」
「神の遺物を消去するんです。反動があってもおかしくない。ヘマしないつもりではいますがね」
「世界を破滅させるかもしれないのに、『正義』を貫くんだ?」
「……どうなろうが、現状よりはマシだと思いますので」
ラーニャ様は一瞬、お手元の剣をご覧になり、それからナラカへと視線を戻された。
「あんたがいろんな事にうんざりしてるのは、わかった。あんた、大魔王戦の犠牲者だもの。大魔王に呪われて、魔界に三十六年、閉じ込められたんですものね。大魔王と勇者の縁をどうにかしたいって、真剣に考えたってのもわかる。でも、」
ラーニャ様は、ビシッ! と、僧侶ナラカを指さした。
「だからって、一度、『友』と認めたモノを殺そうとするなんて、許せない! あんたと、ランツ曾おじい様と、カルヴェル様と『勇者の剣』は友達なんでしょ!」
「人との約束は勝手に破るわ、友を殺そうとするわ、あんた、最低! あんたは気に喰わない! あんたを喜ばせるようなことは、何もしたくない!」
ラーニャ様は立ち上がり、『勇者の剣』を鞘から抜かれる。
「『勇者の剣』と『闇の聖書』が無くなれば、大魔王が復活しなくなって、この世は平和になる? それが本当でも、私は嫌。この馬鹿剣はね、プライドが高くって、わがままで、魔族を殺すのが大好きな、プッツン野郎よ! 全然、聖なる存在なんかじゃない! だけど、私の相棒なの! 私に力を貸してくれる、大切な『仲間』よ! あんたなんかに譲ってやるもんですか!」
「そうおっしゃるだろうと思ってましたよ」
ニコニコとナラカは笑っている。
「あなた、先の見通しのたてられない方ですものね。この先、何度大魔王が復活し、何度世界が危機に瀕しようが、構わないんでしょ? その剣が消えぬ事で、何千何万の人間が死んでゆき、更なる歪みが世界にもたらされるというのに」
「起きてもいない事で、ゴチャゴチャ悩むのは馬鹿よ!」
ラーニャ様が、きっぱりと言い切る。
「未来は一つじゃない! 剣を破壊して得る未来なんて、私は望まない! 望まぬ未来は変えてみせるわ! 仲間と一緒に最後の最後まで運命に抗う! 最強の大魔王を倒してでも、ね!」
『勇者の剣』が、まばゆいばかりの光を放った。
* * * * * *
ラーニャの振り下ろした刃が、テーブルを真っ二つにする。
大伯父は、とうに移動魔法で距離を取っているので、無傷だけれども。
話し合いの時間は、終わった。
後は、互いの正義をかけ戦うだけだ。
サントーシュ様が守護結界を発動させ、この場に居る者、全てに守りをかける。大伯父との会話中に、既に呪文の詠唱をほぼ完了させていたのだろう。さすが、だ。
ミズハ様の体が金色に輝き出す。
再び、体が軽くなる。
ミズハ様の加護で、肉体も、魔力も活性化する。
僕だけではなく、この場にいる者、全員に再生をかけているのだろう。
激しくナラカに斬りかかるラーニャ、短距離の移動魔法で逃れる大伯父。
「周囲を結界におさめる」
と、カルヴェル様。
僕等を覆うサントーシュ様の結界とは別に、広い範囲――巨大都市ほどの規模だろうか――を、結界内におさめる。
何もない砂漠とはいえ、砂漠の民も、隊商も通る。勇者と魔王の戦いが、周囲に影響を及ぼさないよう、大規模な結界をはりめぐらせたのだ。
シャオロン様やジライ、それにイムラン様達は、ジッと勇者と大魔王の戦いを見つめていた。
加勢はしたいが、動きようがないから、様子を窺っているのだ。
剣と一体化したラーニャの攻撃は凄まじく、それを避けるナラカの動きは巧みで奇抜だ。
下手に近寄っては、ラーニャの刃をゆるめてしまう。攻撃の邪魔となるだけだ。
二人の戦いを目で追いながら、僕は……
今日の日の為に習った呪文を詠唱していた。
血族だからこそ、相手を縛れる神聖魔法……
血族の能力を狭める魔法だ。
僧侶ナラカは、超一流の僧侶であり、攻撃魔法すら使えた。大魔王の能力は、憑代の能力の影響を受ける。ナラカの能力の大半を封じれば、大魔王の能力も劣化するのだ。
大伯父が魔に堕し総本山の教えを裏切ったと知ったその日から……僕は今日という日の為に生きてきた。
大伯父がケルベゾールドの復活に関わった時には、血族としての義務を果たすと決めてきたのだ。
この世界が……
僕の愛する者達が暮らす世界が……
大魔王に蹂躙されるなど許せない。
たとえ死すとも、僕は大伯父の能力を封じる。
姫勇者ラーニャの助けとなる為に。
背後に、魔力のきらめき。
魔法による移動だ。
「遅くなって、ごめん」
背後から、唐突に声が聞こえた……
目ではラーニャ達を追い、呪文の詠唱もやめなかった。
だが、誰が来たのかはわかっている。
「ガジャクティン!」
アジンエンデが嬉しそうだ。
「よかった、無事そうだな」
アーメットの声が、はずんでる。
カルヴェル様からもらった召喚のアイテムで合流してきたんだ……
無事……だったのか……
良かった……
「兄様」
すぐ横に現れた弟が、僕を見下ろす。
僕よりも、ずっと大柄で逞しい弟。
「ごめん、序盤の能力封じは僕がやるはずだったのに」
すまなそうに弟が、父上そっくりな顔をしかめる。
いつも通りの、ガジャクティンだ。
目も口も鼻も、頭も、手足も、体も、前と同じ。
どこも傷ついていないし、損なっていない。
神との再契約はどうなったのだろう?
何の犠牲も負担もなく、できたのだろうか?
それとも、再契約自体をやめたのか?
僕は、呪文の詠唱を続ける。
聞きたい事はいっぱいあるけれど、問う暇はない。
涙が出そうになるのをこらえながら、僕はナラカを見つめた。
話は後だ。
まず、自分の使命を果たさねば。
僕は呪文の詠唱を……
* * * * * *
頭の上で、何かが炸裂したような気がした。
俺には、魔力も霊力もない。
だけど、何となく、変な気配がした。
だから、そう感じたんだ。
「兄様!」
ガジャクティンの声。
いや、悲鳴だ。
俺は目の端で、白蛇神が砂の上に崩れ落ちてゆくのをとらえながら、大事な主人のもとへと走った。
ガジャクティンの腕の中のガジュルシンは……
苦悶の表情で、喉をかき抱いていた。
空気を求め、開かれる口が、わななく。
苦痛のあまり、のたうち回る体。
息ができないのだ。
顔面がどんどん白くなってゆく……
「ガジュルシン!」
ガジャクティンやインディラ僧侶の二人が、何か呪文を詠唱する。
治癒魔法か?
呪返しか何か、か?
俺にはわからない。
でも……
ぜんぜん、きかない。
ガジュルシンは、もう大きくは動かない……
喉を押さえ、痙攣するだけだ……
「しっかりしろ! ガジュルシン!」
叫ぶ事しかできない。
死ぬな……
ガジュルシン、頼む……
死なないでくれ……
* * * * * *
突然、目の前にガジュルシンと姫巫女が見えた。
喉を抱き、小さく震えている義弟。砂の上に倒れ、動かなくなった姫巫女。
「なに、これ……?」
ナラカに重なるように、二人が見える。
「周囲が見えなさすぎですよ、姫勇者様」
私が止まったので、大魔王も立ち止まる。
ナラカは、意地が悪そうに笑っている。
「第一王子が窒息死しても気づいてくださらないと思いましてね、特別サービスで、今の映像をお見せしているのです」
ガジャクティンの腕の中で、ガジュルシンは虫の息だ。
今にも、死にそう……
でも、ほんの少し肺に空気を吸いこめたのか、ビクンと、喉や胸が動く。
けれども、まだ呼吸が苦しいのだ。口を開き、小刻みに震えている。
彼の周囲のガジャクティンや僧侶達が、魔法を唱えているのに、一向に効く気配がない。
私は、背後を振り返った。少し距離が開いているけれど、確かに……ガジュルシンが倒れている。ガジャクティンの腕の中で、苦しんでいる……
「あんた、私の義弟に何をしたの?」
「あなたの義弟には、今は、何も……」
「嘘おっしゃい!」
私の剣幕に対しても、ナラカは涼しい顔だ。
「じゃ、何で、ガジュルシンがあんなに苦しんでるのよ!」
「息ができないからですよ」
言わずもがなの事を言って、ナラカが楽しそうに笑う。
「白蛇神が、彼から呼吸を奪っているのです」
何ですって……?
姫巫女が……?
ナラカが映し出す映像の中に、動きがあった。
姫巫女が、砂の上から、起きあがったのだ。
凄い形相……
彼女の化粧の濃い顔は、怒りに歪んでいた。
姫巫女は、まずナラカを、それから私、ガジュルシンを見た後、やけにきびきびした動きで走り、胸元から扇子を取り出した。
『そこ、どき! 第一王子はん、死ぬで!』
サントーシュ様達がその場から離れると、姫巫女は扇子を投げた。魔力のこめられた、それは、ガジュルシンの胸元の宙でぴたりと止まり……
ガジュルシンの身が、大きくのけぞり……
彼の口から、鮮血が舞った。
「!」
血を吐いた後、その口は……
激しく咳きこみ始めたのだ。
ガジュルシンの手が喉から、胸へと動く。
急に息を吸いこんだから、肺が痛みを感じたのだろう……
苦しそうだけど、でも、息をしている……
ガジュルシンの周囲から、歓声があがった。
『回復魔法は、そもじらに任せるわ』
インディラ僧達にそう言ってから、姫巫女はゆっくりと歩み始める。
ナラカの映し出す映像では、まっすぐに進んでいる。
現実においては、私の背後から歩いて来てるはず。
砂漠に不似合いな、ジャポネ風女貴族のズルズル服。邪魔だとばかりに掻取を脱ぎ、姫巫女はナラカを目指し進む。
分厚い白粉塗りの化粧顔。肌が白い。でも、病的なまでに青白かった肌は消えている。白粉の下の肌は、ジャポネ人らしい黄色ががった色と変わっていた。
「クサレ僧侶……ミズハは何処や?」
姫巫女の口から、男性の声がする。
その体を動かしているのは、姫巫女じゃない。タカアキだ。
ナラカは自分の前に映していた映像を消し、挑発めいた笑みを浮かべて三大魔法使いを迎えた。
「お久しぶりですね、タカアキ様。ニか月ぶりぐらいですかね」
「ミズハは何処や?」
望む答え以外、聞く気なしって態度。
タカアキの目は、完全にすわっていた。
強制的に入れ替えをされた……?
じゃなくって……もしかして……
「白蛇神ですか……? 何処だかおわかりのくせに」
クスクスと笑いながら、杖持たぬ左手で、ナラカは己の胸から小さな小箱を取り出した。掌の四分の一サイズ。色鮮やかに装飾された木製の小箱だ。
「白蛇神は、ここに封印しました。あなたの一族が代々やってきた方法で……」
強制的に憑依体から、神をはがして、あの中に封じたのか……
でも、どうやって?
あの馬鹿蛇は、タカアキの一族と契約を結んでいたわけでしょ?
「三月ほど前に、私がキョウに何度も出没した理由、おわかりではなかったでしょう?」
ナラカが、左の掌を己の顔の前に近づける。
「バデンサをおびきよせたかった……それも理由の一つです。あいつが持っていた『闇の聖書』を奪いたかったのです。でも、別にキョウでなくとも良かったんです、闇の聖書の為だけなら、ね。バデンサの憑依体のいるジャポネであれば何処でも。キョウを舞台にしたのは、ひとえに……ミズハ様の為。キョウに、あなたのミズハ様がいらしたからですよ」
ナラカの唇が、掌の上の箱へと近づく。
「水と生と死、多産。属性が面白い。ですが、何より、契約により縛られているところが素敵です。あなたのミズハ様は契約には逆らえない。契約のカラクリさえわかれば、横取りも簡単なのです」
「血か?」
「ええ、血です」
何か二人で通じ合ってるけど……
「どういう事?」
私の問いに、ナラカがフフフと笑う。
「私、分身にキョウを襲撃させるついでに、やっていた事がありましてね……タカアキ様の母方の一族が、タカアキ様の部下としてキョウ守護を手伝っていたのは知っていましたので……その中でも特に血筋の良さそうな若者を何人かつまみぐいしたんです」
つまみぐい?
「肉食と能力吸収です。彼等の体内の血と、白蛇神から頂戴した祝福をいただいてしまったのです」
血と祝福をいただいた……?
急に、又、記憶が鮮明になる。
又、『勇者の剣』の助けか。
ジャポネの記憶だ。ぶっ倒れたガジュルシンを、タカアキが見舞った時だ。二人の会話を、私は横で聞いていた。
『もう身内が五人、分身にやられとってな……死者はおらんが、神通力、奪われてしもた』
『それは枯渇ですか? それとも、魔力の源そのものを奪われたのですか?』
『枯渇ではないなあ。一カ月たってもまったく回復せえへんからな。源そのものがのうなったと思うべきやろ』
『魔法使いをただの人間にしてしまう……そんな能力が僧侶ナラカに……?』
『あるみたいや。そもじさんらの大伯父、ほんまにすごいわぁ。魔族も魔族、大魔族やで』
そうだ、そんな会話をしてたんだ、タカアキとガジュルシン。
「運良くタカアキ様の従兄弟に会えましたんで、彼から手に入れたもので充分でした。本家の人間の血を遡り、記憶を再生し、契約の純度を濃くできましたからね」
ナラカが掌の小箱に接吻する。その中に、白蛇神がいるってさっき言ってた。
タカアキの顔が、険しくなる。
目の前で、自分の女房に接吻されてるようなものだものね……
「私が再現したモノに、ミズハ様は逆らえません。タカアキ様のご先祖様の初代の血……ミズハ様を騙くらかして、使役神とした大悪党……その男の持っていた強制力をそっくりそのまま、今の私は持っているのですよ」




