嘘でしょ! クライマックスは突然に!
目の前の男が滔滔と語っている。
うぅむ……
英雄物語で、よく居るじゃない?
『よくぞここまで来たな、勇者よ』ってふんぞりかえって、頼まれもしないのに、色々あれこれ語ってくれる親玉。
今まさに、その状況。
アブーサレムは、第三王子にして聖戦士。学業も優秀だったみたい、本人の語るところによればだけど。母方の実家は有力貴族で、とっても裕福。
けれども、彼は王国の跡継ぎとなれなかった。
第一、第二王子は、母親の身分が低いっぽい。
高貴な血筋であるアブーサレムを世継ぎにと望む声は高かった(あくまで本人談)のに、カリスマ国王サラディアスが拒否ったらしい。
で、プッツンしちゃった、第三王子は闇の力を頼り、大魔王をその身に降ろしたわけだ。
ペリシャの大魔王教団の力を借りて。
それで、まずやったことは、父王の殺害。
本物の聖人である父には正体を隠せないから、速攻で殺したようだ。
その後、サラディアス国王の替え玉を操りながら、兄弟達を病やら事故で殺していったらしい。
そして、今日まで、ペリシャの王宮に潜み、大魔王本来の力を取り戻すべく、時が満ちるのを待っていたという……
しかし、勇者の来訪を感じたので、正体を隠すのは止めた、雌雄を決する……のだそうだ。
うぅぅむ……
そういやリオネルが繰り返し、言ってたわよね。
魔界では絶大な力を誇るケルベゾールドも、今世に出現する場合、宿主の能力に合わせて能力が制限され、その上、宿主の思考パターンに基づく行動をとってしまうって。魔界では神に匹敵する力を有するケルベゾールドも今世では、そうではない。
つまり、憑代がバカでカスで無能なら、大魔王もバカでカスで無能になるってわけで……
憑く相手、間違ったわよね、大魔王……としか、言いようがない。
なぁにが、時が満ちるのを待っていたよ!
勇者一行が入国できない国で、コソコソ隠れてただけじゃない!
現世に居る時間が長くなればなるほど、大魔王は魔界本来の力が取り戻せる。大魔王討伐に十三年もかかったロイド様の代の大魔王は、空前絶後の強さだったそうだし。
今の自分じゃ弱っちくって怖いから、まっとうに戦うことも、悪巧みもしないで、お籠もりしてたんでしょ?
で、安全な場所から、手下に命じて、魔の領域を広げたり、私の命を狙わせてたわけ?
なに、この小物?
みっともない。
何かもうムカついてきた。
せこいならせこいでずっと正体隠してりゃいいのに、ハタ迷惑な瘴気を撒き散らして自分の存在を私にアピールしたわけ?
『さあ、勇者よ、戦おう』って勝手に盛り上がって。
あんたの自己顕示欲のせいで、この王宮の人間がどれほど巻き込まれたのか……
馬鹿は嫌い。
こいつが私の仇敵ってのが我慢ならない。
確かに、その肉体から感じる黒の気は凄まじい。
エーネ達四天王とは格が違う。
だが……
正直な感想……
ナラカのが強い。
絶対だ。
ナラカの存在のが、魂を揺るがすほどに恐ろしかった。
こいつが大魔王ならば、あの男はただの高位魔族という事になる。
あんだけ強そうなのに。
ていうか……
あの男が大魔王じゃないのは、おかしい。知恵の巨人はあいつが大魔王だって私に教えてくれたのに。巨人が間違った……?
「ねえ、あんた、本当に十四代目の大魔王?」
私の問いに、誇りを傷つけられたのだろう第三王子は大袈裟に顔をしかめる。
「気も読めぬのか、愚かな女め」
読めるわよ。でも、あんたの性格が小物すぎるんだもん。
「ここに、四天王フォーレンがいるって聞いて来たんだけど?」
「フォーレンか? 居るぞ」
アブーサレムが、愉快そうに笑う。
「ここに、な」
と、王子の肉体は腹を指した。
むぅ。
こいつ……
「食べたわけ?」
「栄誉を与えたのだ。ただの魔族に、大魔王の一部としてやるというな」
共食い……
能力吸収か……
ここには人間ばかりか、魔の気配もない。もしかして……周囲にいた奴、全部、食べちゃったのかも。魔族も大魔王教団も。
ナラカは、何って言ってたっけ……
私の記憶が急に活性化する。『勇者の剣』の助力だろう。
ナラカは、最後の四天王はペリシャに居ると言った。
フォーレンはバンキグのシャーマンに憑依して、古代の神を辱める計画をたてていた。神を魔に堕としてたんだ。知恵の巨人もその犠牲者。けれども、フォーレンは憑依体を変えたのだと、ナラカは言った。
《憑代体を変えたのですよ、ペリシャ人に。バンキグでの彼の計画はわりと順調だったのに、かわいそうに上司に無理矢理移動を命じられたのです》
記憶が鮮明なので、気づけた。
ナラカは一度も、『フォーレンを倒せ』とは言っていない。
憑依体を変えたフォーレンはペリシャだ、自分と戦いたかったら、ペリシャにいる敵を葬ってからにしてくれとしか言ってなかったのだ。
もしかして……
私……
はめられたのかもしれない、ナラカに……
アブーサレムの気が、明確な意思を持つ。
私を包み込み、切り裂こうとする。
私は『勇者の剣』を構えた。
押し寄せてくる黒の気が、私に届く前に四散する。
剣の無限の守護の力。
汚らしい瘴気は私に届かない。
けれども、体が揺れる。
衝撃が走る。
周囲に火花が散る。
圧倒的な破壊力を前に、剣がその攻撃の全てを防ぎきれていないようだ。
腐っても、大魔王か。
玉座までは距離が開いている。
移動魔法を願っても、発動しない。
大魔王に、剣の魔法が阻害されているのか?
ぐぅんと、空間がきしむ。
圧縮魔法か。
私を押しつぶす気か。
わずらわしい!
と、思った時には、魔法は形とならずに消えた。
具現化する前に、浄化されたのだ。
斬られたのだ。
私を庇うように、前に立った男に。
「遅くなりまして、申し訳もございませぬ」
ジライ?
そして、そのすぐそばにいるのは、見事な赤髪の、下着のような赤い鎧をまとった女性。
アジンエンデ!
あら?
二人だけ?
ガジュルシンの結界無しで、この建物の中を、よく進めたわね。
瘴気の海だったのに。
* * * * * *
「来てくれて、ありがとう」
と、ラーニャに言われた時には、ズキンと胸が痛んだ。
すまん、ラーニャ……
実は、私は、役立たずだったのだ。
ラーニャと忍者ジライを追って、私はこの建物の中に入った。
最初は何のことなかったのだが……
じきに、動けなくなった。
ねっとりと濃い瘴気は、私の予想を遙かに上回るほどに強大だったのだ。
舅殿の魔法鎧は、私の全身に物理・魔法障壁が張り巡らしてくれる。魔を祓う効果もある。
だが、少し考えればわかる事だが……
この鎧は、四天王エーネの攻撃の全てをはじく事ができなかった。直接の攻撃はくらわなかったが、あの魔の気が衝撃となって私に伝わっていた。
四天王の攻撃すら防げなかったのだ。大魔王相手に、鎧の防御の力が通じるはずがない。
衣服は塵となって消えた。
全身から血の気がひき、私はその場に膝をついた。
凄まじい圧迫感に、体が押しつぶされそうだった。
その痛みが、急に弱まった。
顔を上げてみれば、覆面に黒装束の忍者がたたずんでいた。
『何を遊んでおるのだ、巨乳?』
私を見下ろす忍者の周囲に、瘴気はなかった。
『おまえを……追って来たのだ。防御結界を張れないおまえが、ラーニャの後を追って行ったから……死ぬと思ったんだ……』
『阿呆』
覆面から覗く目は、冷たい。
『無策でつっこむか。忍が死ぬるのは、死ぬるべき時のみ。無駄死になどせん』
立つように促され、私は従った。
ジライの周囲は、清浄そのものだった。
この男は魔法は使えない。が、大魔王の瘴気に抗う術を持っていたのだ。
『ついて来てしまったのなら、いた仕方ない。我が指示に従え』
わかったと言うと、ジライは歩き出した。大魔王の気にあてられていた私を気づかってだろう、走ろうとはしなかった。しかし、
『我がそばを離れるなよ、乳牛。距離が開けば死ぬゆえ、足りぬ脳にしかと刻んでおけ。ああああ、まったくもって、迷惑な。きさまが一緒では、ラーニャ様のもとへ駆けつけられぬ。父親に似て、はた迷惑で低能なMめ』
わざとなのか、本気なのか……
ともかくも、ジライの発言に怒りを覚えたことで、気力が戻った。
体のダメージよりも気力が勝った。
何とか、まともに動けるようになった。
「胸女、我らの役目は露払いじゃ。大魔王の攻撃を斬り、ラーニャ様の為の道を開くのだ」
「わかったが……胸とか乳とか言うのはやめてくれ」
私は『極光の剣』を構えた。アジの王たる証。私は、先祖に加護を願った。友を守る力を貸して欲しいと。
「ラーニャ様、仲間を呼ぶ指輪をご使用ください。大魔王によって、この空間を歪められても、アレさえあればガジュルシン様の魔法で、皆、ラーニャ様のもとへ跳んで参れます」
「わかったわ、使う」
ラーニャが、カルヴェル様から渡された白銀の指輪を取り出す。仲間を自分の元へ呼び寄せる事ができる指輪だ。ガジャクティンも呼べるが……
「ガジャクティンはいいわよね?」
「呼ぶ必要はございませぬ。アレは僧侶ナラカではありませぬゆえ」
ジライにつられて、私も大魔王を見る。黒い瘴気の渦のような存在だが……はかり知れぬほど恐ろしくはない。ただ、圧倒的なだけだ。
「行くぞ、巨乳。ついて来い」
「しつこいぞ! 名を呼べ、忍者!」
いちいち腹の立つ男だ。
私は忍者ジライの後を追って、走った。
* * * * * *
ペリシャ兵達は、もといた砂漠へと戻した。
サントーシュ様達からは、俗事を片付け次第、急ぎ合流するとの答え。互いの位置は、魔法により伝わるよう細工してある。体が空き次第、駆けつけてくださるだろう。
そして……
「旦那様、会いたかったわぁ」
求めた途端、ミズハ様はお姿を見せた。宙を舞う黒髪、不自然なほど青白い肌、ジャポネ風の宮中着。移動魔法で現れるや、白蛇神は僕に抱きついて来る。今朝、召喚が近いだろうとお伝えしたけれども……まさか、こんな迅速に……召喚がかかるのを、今か今かと待っていてくださったのだろうか?
アーメットは微かに眉をしかめたけれども、何も言わない。瘴気の中に飛び込んだジライを助ける為にも、これからの戦いを楽にする為にも、彼女の力はあった方がいい。不満を飲み込んでいるのだ。
東国の女神は僕に抱きつきながら、ペリシャ風の建物をご覧になって薄く笑われた。
「まだ小物やないのん。アレなら、山猿でもどうにかできるやろ」
あの建物の中に居る者――シャオロン様によれば、『大魔王ケルベゾールド』だそうだが――の気配を読み取り、ミズハ様が嘲りの笑みを浮かべたのだ。
納得はいかない。大魔王は大伯父だろう? だが、祓うべき穢れた魔である事には変わりない。
「ミズハ様、お願いがあります」
と、言ったのはシャオロン様だった。
「この庭園に眠る者の意思を、形として持ってゆきたいのです。オレの武器に宿す事はできませんか?」
ミズハ様は僕にくっついたまま、まず庭をご覧になった。建物に近いこの辺は、植物が枯れたり腐ったりしているが、最初に出現した辺りは実に美しい自然だったのだ。
「ふぅん?」
神の目には、俗人には映らぬ何かが見えているようだ。
「大元は動かせんな……ここに眠り続けて、地を清浄にしたいそうや。そやけど、情の部分だけなら……」
つづいて、ミズハ様はシャオロン様の右手の『龍の爪』へと視線を向ける。
「よその神様のもんは、どうこうできん。そっちの」
と、シャオロン様の左手を指差し、
「指輪にな、のせられる」
「お願いします」
シャオロン様が強くおっしゃる。多分、大魔王戦に必要なものなのだろう。
「これも貸しでええな?」
そう言って、ミズハ様が悪戯っぽく笑う。
僕が口を開く前に、横から大きな声が響いた。
「俺が払う!」
アーメット?
「姉貴や親父を助けてもらうのも、ガジュルシンからの頼みごとの分も、代償は全部、俺が払う!」
え?
「俺は若いし、房中術をおさめた忍者だ。精力だってありあまってる。一、二回でへたるガジュルシンより、よっぽど食べ得だぞ」
ちょっ!
「欲しいだけ子種をやる。だから……その条件で力を貸してくれ……頼む」
アーメット……
「麗しいなぁ」
僕とアーメットを艶っぽい目で見比べてから、ミズハ様はホホホと笑われた。
「報酬の話は後でしよ。先に力を貸してあげるわ。格好よぅ戦ってや、旦那様も、そっちの可愛らしいお付きも。麿の目ぇ楽しませてな」
ラーニャが現在地を指輪で伝えてくれたので、移動魔法で渡るのは易かった。
異界化した部屋だった。
もとはあの建物の広間のようだが、床も壁もぴくぴくと脈打ち、周囲は粘りつくように濃い瘴気に満ちていた。
その中を、『ムラクモ』を手にしたジライと、『極光の剣』を振るうアジンエンデが走る。二人とも、無事だったのか。アジンエンデはともかく、ジライが瘴気の中を普通に動ける理由はわからないが。
二人の後をラーニャが続く。『勇者の剣』が二人をも守っているのだろうか?
突如、天井から豪雨が降る。酸の雨だ。
それが全員に注がれる前に、水から穢れが消える。どころか、清らかな光を含むようになり、そのまま異界化した部屋へとしみこんでゆく。
部屋が揺れ動く。
浄化の水により、清められた痛みのままに、のたうちまわる。
僕等のそばのミズハ様は、硬直した銅像のように固まっている。憑代の周囲をキラキラときらめかせながら。水を司る白蛇神が、大魔王の放った穢れた水を聖水へと変えられたのだ。
僕の体内に、力や気が満ちる。
僕だけではないだろう。彼女の周囲にいる人間全てに、ミズハ様は加護をお与えになっているのだ。
治癒魔法などというレベルではない。
再生だ。
老化や疲労によって、失ってゆく人間の能力を、本来あるべき状態へと戻しているのだ。
魔力が完全に満ちる。ここ数日、拭えなかった肉体の倦怠感も無くなった。
全力で、僕は戦える。
シャオロン様とアーメットの周囲にそれぞれ結界を張り、大魔王のもとへと走らせる。
高位の浄化魔法を大魔王へと次々に発動させた。
連続して魔法を使用しても、まったく疲労が無い。ミズハさまのおかげだ。
魔法の手を止めるものか。
あらゆる魔法も、攻撃も、大魔王には通用しない。
『勇者の剣』のみが、不死身の魔王を葬れるのだ。
だが、痛みはあるのではないかと思う。
光の攻撃を闇の世界の住人がくらって、何の衝撃も無い方がおかしい。
蚊に刺された程度のダメージかもしれないが、数をもって連続して使用すれば……
大魔王の気も散るだろう。
ラーニャへの攻撃の手が緩む。
僕等にできるのは、ラーニャの進むべき道をつくる事だけだ。
「遅参、お許しを」
僕のすぐそばに、サントーシュ様とイムラン様が現れる。移動魔法だ。
サントーシュ様は魔法使いの格好のままだが、イムラン様は裾の短い僧衣――武闘僧専用の服に着替えていた。動きやすさを重視したのだろう。
次期大僧正候補からの加護を受け、インディラ一の武闘僧が大魔王へと向かう。
サントーシュ様も、高位の浄化魔法を次々と放ってくれる。
『極光の剣』、『ムラクモ』、『龍の爪』、『虹の小剣』、そして聖なる気をこめた拳。
戦士の数は五。神聖魔法を放つ者が二。そして白蛇神の援護。
ラーニャと『勇者の剣』の為の道は、切り開かれたのだ。
* * * * * *
みんなが来てくれたおかげで、ぐっと戦いやすくなった。
『勇者の剣』が、怒り叫びまくっている。言葉にならぬ、感情で。
穢れし魔王に、浄化を。
『斬る! 斬る! 斬る!』と。
うるさいなあと思うけど、それは私の願いでもある。
あんなもの存在自体が許せない。
そこにあっちゃいけないものだ。
ナラカの思惑など、もう気にしてもしょうがない。
大魔王は居てはいけないものなのだ。
斬るだけだ。
私が剣を振りかざすと、ペリシャ第三王子の体に宿る奴が体をよじらせ、逃げる。
とっても無様。
仲間達の攻撃は鉄のような肌ではじいてるけれど、『勇者の剣』は無理なのだろう。
移動魔法で逃げようとしやがるのを、剣が魔法で縛って止める。
完全に止めきれなかったみたいだけど、あっちも望みの形に魔法を発動できなかったようだ。移動魔法は短距離のものだった。
短い距離でも次々に使われるのはやっかい。剣が届かない。
横あいから飛び出して来たのは、シャオロンだった。
右手の爪ではなく、爪のない左手で大魔王へと殴りかかる。
大魔王は避けない。怖いのは『勇者の剣』だけで、従者達の攻撃など歯牙にもかけていなかったから。
けれども……
大魔王は動けなくなった。
シャオロンの左の拳に殴られた途端。
一瞬、私の目にも何か、とても清らかなものが見えた。
それは人間を越えた神々しいもののようであり……深い憐れみと怒りを抱いている人間そのもののようであり……
胸を突くほどに美しかった。
「父上……」
石のようになって動けなくなった第三王子が、シャオロンの左手を見つめる。
その手に宿るものが、大魔王ではなく、大魔王の憑代体の心を縛ったのだ。
父上ってことは……サラディアス国王か。大魔王になって速攻で殺したと言っていたけど……
ペリシャ教の聖人の思念が、シャオロンの左手に宿っているのか。
この好機を逃すものか。
私は距離をつめ、『勇者の剣』をふりかざした。
何かジライが、猛烈な勢いで走って来る。
それを目の端で見ながら、私は『勇者の剣』を振り下ろした。
* * * * * *
一陣の風を残し、それは消滅した。
切り裂かれた断面から広がった光に飲まれ、闇は無へと帰した。
ただ荒ぶる風だけを残し。
乙女がたたずんでいる。
腰までの黒の長髪、姫君にふさわしい白い肌、ふっくらとした頬、可憐な愛らしい唇。
しかし、その茶の瞳には強い意志が宿り、全身からは闘気がみなぎっている。
身にまとうは白銀の鎧、その手に握るのは『勇者の剣』。彼女の身長ほどもある、巨大な両手剣だ。
姫勇者ラーニャは……
異界化が解けた世界に、たたずんでいた。
自らの足で床を踏みしめて。
その気に乱れはない。
微かも、魔に毒されていない。
「成功じゃな」
声に驚き、姫勇者ラーニャが、わしを見る。
忍者ジライのすぐ側にたたずむ、この老魔術師を。
「カルヴェル様!」
「ホホホ、無事で何よりじゃ、ラーニャ」
ラーニャの美しい顔を見ていると、笑みがこぼれる。
十四代目勇者ラーニャは……
呪われずにすんだのだ。
大魔王は代々の勇者に呪いをかけてきた。憑代が『勇者の剣』で斬られた瞬間に、邪法が発動する。大魔王を斬ったものが呪われるのだ。
初代に呪がかけられたかは不明であるが、二代目勇者以降、勇者の数だけ呪いはあった。僧侶と魔法使いがうまく邪法を防いだ代もあったが、八回も呪いは防げなかったのだ。
そのうちの二回は……十二代目勇者ランツと十三代目勇者セレス。
大マヌケな魔法使いは、二度も呪いを防げず……
ランツの従者ナラカを三十六年もの間、魔界に閉じ込め……
セレスから勇者としての生を奪った。
だが、三度目にしてついに……
わしは、大魔王の呪を完璧に防げたようだ。
こたびは呪い防ぐ事だけに集中したかった。
大魔王への攻撃も仲間の守りも、従者達に任せた。
わしという大魔術師が動いている事で、敵に下手な警戒をされたくなかったのだ。
ジライにだけ、心話で事情を話し、相談した。知恵の巨人の騒動の後だ。
ラーニャを命がけで守ってきたあの男と、勇者への呪を何としても防ぎたかったわし。
勇者を守るという点で、わしらの利害は一致していた。
ケルベゾールド出現の連絡を受けると同時に、わしはジライと同期する。
目や耳などの感覚器官を共有する代わりに、わしは遠方より魔法にてジライの肉体を守護する。
ジライが戦っている間に、わしは呪封じの準備を進め……
そして……
姫勇者が大魔王を倒したと同時に、ジライのそばへと転移し、呪封じを行う……
そういう決め事だったのだ。
第三王子アブーサレムは、聖戦士としての技量も低かった小物。
勇者の為に用意した呪もつまらぬものだったのだろう。
『形代』の邪法すら必要なかった。
実に、あっけないものだ。
「三度目の正直ですか。良かったですね、カルヴェル、今回はうまくいって」
どこからとも響く声。
わしの唐突な出現に戸惑っていた一同の顔に、更なる驚きが訪れる。
「次もそうだといいのですがねえ」
やはり、来たか……
目立ちたがり、め。
空間が振動し、アブーサレムが座っていた黄金の椅子の前に一人の男が現れる。
右手に魔法使いの杖、魔法使いのローブをまとった、長い黒髪の男だ。絶世の美女のような顔には、全てを見下すような、或いは面白がるような、人の悪い笑みが浮かんでいる。
外見は昔、共に旅をしていた頃と変っておらぬ。
だが、インディラ神の祝福に満ちていたあの頃とは、まとう気がまったく異なる。
果てしなく黒い闇……
アブーサレムなどよりも、もっと強い、純然たる魔。
そう、奴こそが……
十五代目ケルベゾールド……
たった今、ケルベゾールドとなったばかりの男なのだ。
大魔王として、姫勇者一行の前に姿を見せたナラカ。
次章は「僧侶ナラカの望み」。今章で説明不足のまま終わってしまった箇所をいくつか、次章で説明します。
明日から三日ほど童話をアップします。その後、ラーニャちゃんに戻ってきます。