み~んなジライが悪いのよ! 失意の十五歳!
インディラ王家第一王子ガジュルシンは、父王ナーダに呼び出され、西の離宮の一室に父と二人っきりで対していた。
ナーダは近習も近衛兵も全て下がらせていた。二人の護衛の忍者は物陰に潜んでいたが、それはインディラの王族にとって常に側に置かねばならぬ存在、忍者以外の者を全て下がらせたのは内々の話がしたいという父王の意志の表れだった。
「ジライから聞きました、又、インディラ寺院に修行に赴きたいそうですね?」
その事を話題にされるとわかっていたのだろう、ガジュルシンは淀みなく答えた。
「はい。できれば総本山に……それが難しいようでしたら、ウッダルプル支部で構いません。俗世を離れ、清らかな時を過ごしたいのです。どうかお許しください」
椅子に座り両手を組む父親の前に、第一王子は佇んでいた。わずか十歳にして帝王学まで究めた賢い継嗣は、十三歳となっていた。線の細さをそのままに、少女とみまごう美しい少年に成長している。
「どれぐらいの期間、行きたのです?」
「半年でも一年でも……可能な限り、できるだけ長くです……」
ガジュルシンの美貌は憂いに曇っていた。
ほっそりとした少年に対し、武の鍛錬を続けている父王は大柄でたいへん逞しい。ターバンまで白で統一した高貴な国王の衣服の下は、武闘僧時代に鍛えたままの筋肉が隠されていた。
「あなたが信仰心に篤く育った事は、父親として喜ばしく思っています。インディラ寺院で信仰の道、道徳の道、哲学の道、神の御力にすがる魔法の道を学ぶのも、人としての幅を広げるという意味で価値のある勉学だと思います。しかし……」
父王ナーダは片眉を微かにひそめた。
「良い事も度を過ぎれば、意味がなくなります。あなたは先月、総本山での修行を終え、王宮に戻って来たばかりではないですか。しばらくは、第一王子として王宮でなすべき義務を果たしなさい。寺院での修行はせめて半年、間を置くべきです」
「父上……」
ガジュルシンは母親譲りのアーモンドのような目を細め、せつなそうに父王を見つめた。
「一生一度の願いを口にさせてください……正直に申し上げます……僕はもう耐えられません……王子として王宮にいるのがつらいのです……」
父王に対し、ガジュルシンは深々と頭を下げた。
「どうか、出家させてください」
「出家……?」
「それが無理でしたら、廃嫡してください。叔父上達のように王位継承権を放棄したいのです」
先王にはナーダの他に、八人の王子がいた。そのうち、謀反の旗頭とされた第二王子ドゥリヨーダナは処刑され、彼の実弟二人は僧籍に入り俗世と縁を切る事で処刑を免れている。
残り五人の王子はナーダより家系を与えられ臣下の貴族となったが、その内の三人は反乱を企てその咎で処刑されている。臣下としてナーダに仕えている義弟は二人しかいない。
「僕の為に家系をもうけてくださる必要もありません。病ということで、何処ぞに閉じ込めてください。離宮でも王宮外の城にでも……。そこで僕に何ができるのかはわかりませんが……人として何か実のある道を探したいと思います。お願いいたします」
ガジュルシンは王国の世継ぎとして家臣から絶大な支持を得ている。むろん、ナーダも聡明な息子を頼もしく思っていた。その息子からの思いもかけぬ願いに、ナーダは内心ひどく驚いた。しかし、表面上はそんなそぶりは見せず冷静な声で尋ねた。
「理由を聞かせてもらえますか?」
「……王宮に居たくないのです。僕は……第一王子として期待されるのが苦痛なのです」
ガジュルシンは顔をあげ、十三歳の少年のものとは思えない苦汁に満ちた表情を見せた。
「……僕が王国を継ぐのにふさわしくない人間だからです」
姿見の鏡に、王女ラーニャは、もう長い時間、自らを映していた。
少し勝気そうな眉、目は大きく黒く、ちょっとツンとしたような鼻は愛らしく、柔らかな唇は綺麗な桜色だ。
ラーニャは、白粉をぬるどころか紅すら差していない。自然のままの姿で美しくありたい……愛しい人に綺麗だと言ってもらいたいと、入念に肌や爪の手入れはするものの、決して化粧で自らを装おうとはしないのだ。
腰から下に巻きスカートを付けているだけで、上半身を覆うものはない。軽いウェーブを描く黒の長髪が彼女の露となっている胸を半ば隠していた。
ラーニャは体の向きを変え、腰をかがめたり伸ばしたりして、さまざまなポーズをとり、姿見の中の自分を見つめる。
しなやかな両手、白い肌、細い首。
健康的で若々しい裸体が映っている。
ラーニャは自らの胸に下から手をそえ、そっと触れた。
かわいらしい桃色の先端。やわらかそうな胸が微かに揺れる。
そう……微かに……
侍女も下がらせて自分の部屋で一人っきりでいる為か、羞恥を忘れ、かなり大胆なポーズをとったりもした。
両腕を交差させて胸をぐっと持ち上げたり、胸とお尻を強調するように突き出したり……
ラーニャは角度を変え、姿見に映る自らを何度も、何度も見つめ直した。
しかし……
望み通りのものは鏡には映らない……
「あいかわらず、ちっちぇなあ」
……無遠慮な声は背後からした。
「寄せて集めようにも、肉なさすぎ」
ラーニャは目の前のモノを両手で抱え、振り向きざまに背後にいる者めがけて投げつけた。
身長ほどもある姿見の鏡が宙を飛び、床に叩きつけられ、豪快な音と共に砕け散った。
「半年ぶりに会った弟に、これかよ! 実の弟を殺す気か? 暴力女!」
「私の弟は、三年前に病死したわよ! あんたなんか赤の他人だわ!」
ラーニャはキッ! と上を見上げていた。
さきほど無礼な口をきいた者は跳躍して逃れたようで、ヤモリのようにぴったりと天井にはりついていた。黒のチュニックに黒のズボン、黒の兜と口布で顔を隠す、王宮付き忍者の格好をしている。
「下りてらっしゃい! 覗き魔!」
「覗くぅ? た・ま・た・ま通りがかっただけだよ。興味ないぜ、そんなペッタンコ」
「何ですって!」
「貧乳〜」
カッとラーニャが頬を赤くする。
「微乳〜」
怒りに任せ、ラーニャはソファーの上のクッションを天井めがけて次々と投げつけた。上半身が裸のまま、少女らしいとてもとても慎ましい胸をほんの微かに揺らしながら。
ヤモリ忍者はササッと動き、ラーニャの攻撃をいとも簡単にかわしてしまう。
「おっかしいよなあ、お母様はセクシー・ダイナマイトなのに。娘が男胸なんて」
「男胸ですって!」
ラーニャはぶるぶると身を震わせてから、ビシッ! と、天井の忍者を指差した。
「もう許さないわ! 覚悟しなさい! あんたなんか叩き殺してあげるわ!」
「へぇぇぇ、できるもんならやってみろよ、バカ姉貴」
天井にへばりつく者が、ケラケラと笑う。天井を這い回るなど王女のラーニャが出来るわけがない。天井にいる限りは安全だ。
と、思ったのだが……
「ジライ! そいつを床に叩き下ろして!」
え? と、思った時には麻縄が宙を舞っていた。忍者は背後をとられ、両腕を背面に強引にねじ曲げられ、交差するように重ね合わせた手首を縛られ、体に何重にも麻縄が巻きつけられ……地面に叩き伏せられた時には、上半身をがんじがらめに縛られていたのだった。
その緊縛された背を、踏みつける右足があった。
「このたわけ」
麻縄を手にたたずんでいるのは、覆面に黒装束の忍であった。王宮付き忍者の忍者頭、ジライ。インディラ一の忍だ。ラーニャの実の父親でもある。
インディラ忍者はしまった……と、後悔した。ちょっと考えればわかりそうなものだった。ラーニャが姿見を前にセクシーポーズをとっていたのだ、この娘盲愛の変態忍者が側にいないはずなかった、王宮にいる限り。
セレスやラーニャ関係の情報は、ジライの耳には迅速かつ漏れなく伝わる。後宮の侍女は全員、ジライの部下のくノ一なのだから。
「ラーニャ様のお可愛らしい胸を見た上に、ささやかながらもふくらみのあるお胸を侮辱するなど、不届き千万。万死に値する」
麻縄をしならせ、ジライはインディラ忍者の両脚もあっという間に縛り上げる。ここまで念入りに縛れば、いかに忍とて、そうそう縄抜けできない。相手の自由を完全に奪ってから、忍者ジライは王女ラーニャに対し片膝をついてかしこまった。
「ラーニャ様、不埒な賊めは、この通りジライめが取り押さえました。ささ、どうぞご存分に拳をお振るいください」
「………」
「さ、ご遠慮なく、貧乳、微乳、男胸と侮辱された仕返しを、ぜひ」
ラーニャは手を組み合わせポキポキと鳴らしながら、二人に近寄り……
「この無神経!」
インディラ忍者ではなく、忍者ジライを右の拳で殴り飛ばした。
「可愛くって悪かったわね!」
「ささやかだの、貧乳だの、微乳だの、男胸だの、ポンポン言ってくれて!」
「どーせ、私は小さいわよ!」
「お母様に内緒であんたに買って来てもらった女王様スーツも胸があまりまくりだし!」
「十五歳なのに××のAAAカップしかないし!」
「それもこれもみんな、あんたが悪いのよ!」
ドカスカバキとひとしきり殴り蹴り終えてから、ラーニャはその場にしゃがみこみ、両手で顔を覆ってわーっと声をあげて泣き出した。
「お母様の血を正しく引いてれば、ナイス・ボディのプリンプリンの女王様になれたのにぃ〜〜〜〜〜あんたの東国人の血のせいで、この有様だわ! 私の胸、もう大きくならないんだわ! あんたの血を引いたせいで!」
「ラーニャ様、お気を確かに。セレス様の血の方が色濃く、焦らずとも、これから後、ぐんぐん豊かになっていくやもしれませぬ。又、東国の血の特徴が勝っていたとしても、必ず貧乳となるわけではございません。東国人とて巨乳も爆乳もおります。ですから……」
ラーニャが激しく泣いているので、ジライは痛みの余韻に浸るのもそこそこに、愛娘を慰めようとした。しかし……
「あんたの母親は?」
「む?」
「大きかった? 小さかった?」
「むむむ」
「どっち?」
「母とは顔を合わせずに育ちましたゆえ、どちらかと尋ねられてもお答えのしようが」
「じゃ、姉妹、叔母、従兄弟。誰でもいいわ、一人ぐらいいるでしょ、あんたの血縁で知ってる人。大きかった? 小さかった?」
「………」
「どっち?」
「私の妹は……その……着物を着るのにたいへん適した体型をしておりました……」
「それって、どっち?」
「ラーニャ様」
忍者ジライは王女の肩を慰めるように抱いた。
「掌にすっぽりおさまるやわらかな胸にも、巨乳とは違った、趣がございます。貧乳には貧乳なりの愛らしさがございます。胸の大きさなど瑣末なもの。おなごにとって一番、大切なのは心。いかに高貴で残酷な女王様となられるか、それを第一に」
「やっぱり、あんたの血なんじゃない!」
ラーニャの怒りの鉄拳をくらい、忍者ジライが宙を飛ぶ。そのまま泣きながら実の親を踏んづける王女を目の端に映しながら、インディラ忍者――三年前に死んだ事にさせられ今は忍術修行を無理やりやらされている、もと王子アーメットは縄抜けをしていた。
姉の怒りの矛先が父親に向いている間に逃げ出さなければ……せっかく半年ぶりに王宮に戻って来られたのに、このままでは暴力娘に足腰立たない状態にされかねない。
アーメットは必死に縄抜けを続けた。今日は義兄に会いに来たのだ。目的を果たす前に半殺しにされるなど御免だった。
そんな時、扉が開いた。
「あらあら、はしたないわねえ、ラーニャ。家族しかいなからって、姫としてその格好はどうかしら」
インディラの伝統衣装を身にまとった第一夫人セレスの入室である。共に入って来たセレス付き侍女――くノ一が割れた鏡の片付けに走る。
「お母様!」
忍者ジライを突き放し、上半身裸のラーニャは泣きながら母の胸に飛び込んだ。たいへん豊かで、たわわに実った果実のような両胸がたぷんと揺れる。
「聞いて! ジライとアーメットがひどいのよ!」
「はいはい」
娘の頭を撫でてあげながら、もと女勇者セレスは床の上の男達ににっこりと微笑みかけた。全身ぐるぐる巻きに縛られていようが、殴られてボコボコにされていようが、この後宮ではよくあること。セレスはまったく気にしていない。
「おかえりなさい、アーメット。今日は大切な話をしに来たんでしょ? ガジュルシンは西の離宮よ。ナーダも一緒だから丁度いいわ、ジライ、あなたも忍者頭として一緒に行って立ち会ってらっしゃい。ラーニャは私が慰めておくから」