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姫勇者ラーニャ  作者: 松宮星
思い出は美しく
43/115

夏の思い出! お父様と一緒!

 ラーニャが九才、ガジュルシン・アーメットが7才、ガジャクティンが5才の話です。

 五月のウッダルプルは、盛夏となる。

 平均気温四十度。

 毎年、熱射病、熱疲労、熱中症、で倒れる民が多く、暑さの為に死に至る者も少なくない。

 対策として、水を生み出せる魔法使いを国で雇い無料の水分補給所をもうけ、施療院の数を増やし、その時期の水ものの価格高騰を抑える為に井戸・用水路の工事を進め、チャイ屋を始めとする飲用水・果物屋に補助金を出して低価格での商品の販売を促進させた。

 患者数は減少傾向にある。しかし、この時期の死亡者数の多さに変わりはない。体力のない老人・子供、貧しさゆえに炎天下で働く労働者。彼等が死すべき運命だったとは決めつけたくはない。医療が充実し、国がもっと豊かであれば死なずにすんだかもしれない。そう思う。

 先程まで、新国土大臣と面会していた。今後の治水事業計画案関連の書類をもらい、各地からよせられている灌漑工事の申請書・嘆願書・調査書の一覧も提出してもらった。

 有限の水を全ての民にあまねくゆきわたらせるのは、この国では無理だ。現状を考慮した上で、最も民の利益となる開発を行わねばならない。

 書類に目を通していると、手の中のものをいきなり奪われてしまった。

「国王陛下、お時間にございます」

 そう言ってかしこまりながらも気安げに笑みを浮かべたのは、私の侍従の役も務めているヤルーだ。

 本業は忍者。私の影武者であり影の一人でもある。ヤルーは表向きは私のお気に入りの侍従であり、白髪白髭の老人の顔をつくって仕えている。

「ご移動ください」

 ヤルーが部下の小姓達(彼等も本業は忍者だ)に命じ、政務机の上の書類をさっさと片付けさせる。

「皆様、首を長くして国王陛下のご到着をお待ちです。ご政務に滞りがないよう、私どもで準備を進めておきますので、まずはご移動を。本日、午後にはあちらでのご政務も可能となります」

 即決なんか無理でしょ? 書類なんか後回しにしてくださいよ、と、ヤルーの目が訴えている。

 確かに、一、二時間悩んだところで答えは出ない。治水工事の専門家・学者にも目を通してもらい、事業計画が妥当であるか意見をあげてもらうべきだろう。

 適当な人物の手配をヤルーに頼んでから、移動用の魔法陣のある部屋へと向かう。床に魔法陣が描かれているだけの、窓もない小部屋。 

 そこで待っていた二人の宮廷魔法使いは入室した私に対し、深々と頭を下げた。

 この部屋の床には、中央高原デカンティナの別荘と繋がっている魔法陣がある。魔法陣を利用すればデカンティナと王宮の間だけならば微力な魔力で移動できる。足元の床に刻まれている円陣は、移動魔法を援助する魔法陣なのだ。

 王宮には他の魔法陣もある。別室の小部屋に一室ごとに国内の他の施設や他国への移動用の魔法陣があり、宮廷魔法使いによって厳重に封印・管理されている。

 本来、緊急避難用に設置されているそれを、今は、別の目的の為に使用する。

 避暑の為だ。

 毎年、この季節になると良心の呵責に苛まれる。

 国は税収で支えられている。税金で豪奢な王宮に暮らし、その上、暑いからと言ってその王宮を離れるのだ。国民は盛夏の中で暮らしているというのに。

 できるだけ国民と痛みを分かち合い、彼等と共に国を豊かにしていきたいのだが……

 前に、そう心の内を語ったのだが、セレスに怒られた。

『馬鹿ね。あなた、この国の王様でしょう? 代えがきかないんだから、健康管理は義務よ。もの凄く暑い首都で、わからんちんの大臣相手に熱が出そうな書類と格闘するなんて、馬鹿げてるわ。避暑は、効率良く政務をこなす為に必要なの。健康で有能な王様で居たいんなら、特権階級の富を享受なさい』

 盛夏の別荘行きは、家族サービスでもある。

 デカンティナの落ち着いた静かな自然は子供達のすこやかな心の成長を助け、親子の触れ合いの時間を作ってくれる。

 特に、今年は……

 デカンティナの自然が、子供達を癒してくれる事を強く期待している。

 早めに行って家族の時間をもうけようと、睡眠時間を削って政務を片付けた。例年より一週間早い。先週から別荘で暮らしている妃と子供達と合流し、あちらに三週間滞在する予定だ。

「移動します」

 円陣の中央に、私とヤルーと書類を抱えたヤルーの部下、それに宮廷魔法使いがたたずんでいる。

 魔力によるきらめきが魔法陣を包み……一瞬、浮遊感が訪れる。

 移動魔法はそれで終わりだ。

 周囲が王宮とは違う部屋になっている。窓一つない小部屋という造りは一緒だが、壁や扉の色が違う。

 その部屋で待っていた魔法使いも、私に対し恭しく頭を下げる。

 私が歩み、出入口の前に進むと、扉が開く。この部屋の管理者の魔法使いが、魔法で開いたのだ。

 一歩、進みでると、

「ナーダお父様!」

「とーさま!」

「ナーダ父さん!」

 三方から、熱烈な歓迎の抱擁を受けてしまった。

 先に別荘に来ていた子供達だ。

 廊下で待っていてくれたのか。

 抱きついて来たのは、ラーニャと、ガジャクティンと、アーメット。

 壁の前にたたずんでいるガジュルシンは、私の視線に気づくと小さく会釈した。

「お父様、お待ちしてたのよ! こちらに三週間もご滞在って本当?」

「とーさま、だっこ! だっこして!」

「父さん、オレら午前中に今日の勉強、終わらせたんだよ、だから」

「ガジャクティンはしてないじゃない」

「いいんだよ、オレが言った書き取りしたもん。な、ガジャクティン」

「うん」

「みんなちゃんと勉強したからさ、昼食の後、お母様の牧場の」

「私が言う! みんなで話し合って決めたの! 今夜からお母様の牧場の別宅に泊まろうって! お父様も一緒に行ける?」

 遊んで〜と子供達が目をきらめかせている。

 子供達は先週からこの別荘に来ている。

 普段、私は可能な限り、家族と過ごすようにしている。どんなに忙しい時でも、週に二日は子供達との時間をもうけるようにしている。しかし、先週は家族の時間はなかった。私が政務の為にウッダルプルに残っていたからだ。

 その分、これからの余暇、楽しませてもらえるのだろうと、皆、期待に胸をふくらませているのだ。

「至急吟味しなければいけない案件があるのですが……」

 そう言うとラーニャとアーメットが不満そうに、え〜と声をあげる。遅れてガジャクティンも真似をする。

 本当にかわいい。

 私は、にっこりと笑みを浮かべた。

「あなた方からのお誘いの方が大事です。仕事は、明日にしましょう」

 きゃぁ〜と歓声があがる。

 きゃいきゃい抱きついてきたガジャクティンを肩にのせ、右腕だけでラーニャとアーメットの体を抱き抱え足を床から浮かせてやると、全員おおはしゃぎだ。ラーニャとアーメットが私の体にべったりとしがみついてくる。ガジャクティンが落ちないよう、左手は肩の上の五才児の背にそえた。

 だが、視線が合っても、ガジュルシンはかぶりを振るばかりで近づいて来ない。淡く微笑んでいるだけだ。

 先日までは、皆と一緒になって私に抱きついてきたのだが……

 報告にもあったが……

 まだ気にしているのだ……

「ガジュルシン」

 声をかけると、第一王子は困ったように私を見つめた。

「ウシャスの具合はどうです?」

「まだあまりお加減がよろしくありません。悪阻がおつらいらしく、お食事が喉を通らないそうです」

 七つの子供とは思えない理知的な答えが返る。

「これから大荷物を」

 と、言って子供達の体を大きく揺すってやる。再び歓声があがった。

「この重たい荷物達を抱えて、妃の部屋に向かいます。先触れ役となって、私の来訪をセレスとウシャスに伝えてくれませんか?」

「はい、父上」

 用事を頼まれ、ガジュルシンはホッと安堵の顔となる。この場にいるのが気が引けていたのだ。アーメットに誘われ、半ば無理やり連れて来られていたのだろう。

 去りゆくガジュルシン。

 肩の上のガジャクティンが、ひしっと私に抱きついてくる。

 兄を見たくないのだ。

 別荘滞在中に、ガジャクティンの心の傷を少しでも癒せればいいのだが。



「国王陛下、おいでをお待ちしておりましたわ」

 妃の部屋で、侍女達にかしづかれながら、セレスは立ち居で私を迎えた。金の豪奢な髪を結いあげインディラ風衣装をまとうその姿も、実にさまになってきたものだ。第一夫人にふさわしい。

「良き日のおいでを心からお祝いいたします」

 セレスの背後に控えていた女性が、私に対し深々と頭を下げる。セレス同様小柄で、結いあげた黒髪はつややか、その顔はガジュルシンとよく似ている。第二夫人ウシャスだ。

 私は二人に対し鷹揚に頷いてから、子供達に支度をして待っているように命じ廊下に下がらせた。

 妃の部屋の周囲は、私と子供達以外男子禁制だ。ヤルー達は既に執務室へと移動し、私の側仕えについた宦官も部屋から下がらせる。私の代からは一人も数を増やしていないが、父の代から既にその体になっていた者達のうち、希望者はずっと雇い続けている。

 セレスは私とウシャスをテーブルに招き、侍女にお茶の用意をさせる。

「今夜から子供達としばらくあっちに泊まろうと思うんだけど、ナーダも来られる?」

 セレスの問いに、私を頷きを返した。

「ええ、お邪魔させてください」

 セレスはにっこりと笑みを浮かべてから、自分の隣に座っているウシャスへと視線を向けた。

「でね、ウシャスはこっちに残ってもらおうと思うのよ、いいかしら?」

 特に理由が無ければ、余暇では家族は行動を共にする。そう私は決めている。

「加減が良くないと、ガジュルシンから聞きました。大丈夫ですか?」

 私の問いに、慎み深い第二夫人が恐縮したように頭を垂れる。

「ご心配をおかけし、申し訳もございません……」

「大事にしてください、あなたは今、一人ではないのですから」

「あたたかいお言葉、嬉しゅうございます……」

 全然、嬉しくなさそうな声だ。

 セレスが溜息をつく。

「悪阻がひどいのは本当。だから、一人でこっちでのんびりさせてあげた方がいいと思うの」

 言外に子供達から離した方がいいと、セレスは言っているのだ。

 更に目で、動けと命じてくる。

 仕方なく私は頷きを返し、立ち上がった。テーブルを回り、向かい合って座っていた妃の左肩にそっと触れる。

「あなたは、私に二人の子を与えてくれた大切な方です。三人目の子供ももちろん大事ですが、なによりも、あなたが気がかりです。今はゆっくり休んでください」

「陛下……」

 アーモンドのような印象的な瞳に涙をため、ウシャスが私を見上げてくる……

 彼女には好意を抱いている。信仰心に篤くおとなしくまじめな彼女は、常に良き母・良き妻であろうとし、私やセレスに心から仕えてくれている。

 だが、しかし……

 駄目なのだ……

 触れると、どうしても鳥肌がたってしまう……

 化粧品の香りが嫌いな私の為に女としての装いすらやめてくれた心優しい女性(ヒト)だというのに……

 もっとガバッとくっつきなさいよと、ウシャスの隣席のセレスが動作(ゼスチャー)で命じてくる。

 それに対し私は目で『無理だ』と答えを返す。無理して接触すれば、おぞましさのあまりお腹に命を宿している彼女を突き飛ばしかねない。

 セレスはぷぅと子供っぽく頬をふくらませてから、微笑んだ。実に意地の悪そうな笑みだ。

「今は無事に三人目を産むことだけを考えてなさい。楽しみよね、子供が増えるのも嬉しいし、あなたと、又、プレイできるようになるんですもの。国王陛下もあなたの艶姿を楽しみに待ってるのよ。ね、陛下?」

 ウシャスに、どんな艶姿をさせる気なのだ……

 答えを求める瞳が私を見上げている。

 溜息をつきたいのをこらえ、無難な答えを返しておく。

「さまざまな形であなたと触れ合えるのは、私にとっても喜びです」

 ウシャスの頬がポッと赤く染まる。

 性的な意味合いなどゼロの答えだったが、彼女が誤解して喜んでくれるのならそれはそれでいい。

「政務の為に、私だけこちらに戻る機会もあります。その時にはお顔を見に伺ってもよろしいでしょうか?」

「よろこんで、国王陛下……おいでをお待ちしております」



 忍達の報告によると、別荘に来てからも、ガジャクティンに変わりはない。

 勉強の時間は脱走し、アーメットとラーニャとしかまともに口をきかない。どんなに話しかけられても母にも兄にも答えを返さず、触れられそうになると何処までも逃げてゆくのだそうだ。

 召使に対しては実に横柄で、そのわがままをいさめる者には暴力で応えている。脛を蹴る、物を投げつける、殴る、噛みつく……ガジャクティンの召使は全て忍にした。彼等ならば怪我はしない。

 よく笑い、誰に対しても愛想がよく、ものおじしない子供だったというのに……

 あの教師達……まったくもって許し難い。

 ガジャクティンが今のままでは、ガジュルシンの傷も深くなってゆく。三人目の子供を宿しているウシャスは悪阻の為というより、心労のせいで体調を崩しているのだ。

 だが、焦りは禁物だ。

 言葉では駄目だ。心無い大人の言葉で深く傷つけられたあの子に、言葉で何を伝えようとしても心に届きはしまい。

 自分は愛されているのだと、あの子が感じられるようになるまで……あの子が満足できるまで愛を注いでやるべきなのだ。



 中央高原のデカンティナは、一年を通して涼しく過ごしやすい気候で、昔から王侯貴族の避暑・保養地で別荘が多い。

 王家の別荘は城と呼べるほどの規模がある。その敷地内に、森あり人工湖ありの実に緑豊かな広い別荘なのだ。

 九年前、ラーニャの生誕祝いとして敷地に牧場と別宅をつくり、セレスにプレゼントした。

 デカンティナの気候はエウロペに近い。彼女お気に入りの別荘に、エウロペの田舎屋敷によく似た別宅を建て、エウロペ人を雇い、馬を中心に牛と鶏を飼わせ、畑も作らせている。

『つつましい生活が好きなわりに、あなた、豪快にお金を使うわよね』と笑いながらも、セレスは故国によく似た環境に喜び、こちらに滞在中、半分は別宅で暮らす。



 エウロペ風の屋敷には、女主人の私室の他に客間が十ある。

 子供達が新たに生まれる度に、セレスは客間を一間ごとプレゼントして与えた。私の部屋、ウシャスの部屋の他に、ラーニャ、ガジュルシン、アーメット、ガジャクティンの部屋があるのだ。そして、来年にはウシャスの胎内に宿っている子供の部屋も出来る予定だ。

 子供達は自室の内装を好きに変えられ、私物も好きなだけ持ち込める。

 ラーニャが五才となった年から、毎年、セレスは、子供達に小遣いを与えるようになった。現金を渡すわけではなく、それぞれに相応の金額を提示し、その予算内での買い物を許可しているのだ。

 内装・家具・美術品・日用品・玩具の業者のカタログを見せて本人に購入計画をたてさせ、セレスやウシャスと相談の上で部屋に新たに増やすものを決めているのだ。

 幼児に大金を渡したところで正しく使えるはずはない、当初、私はそう反対した。しかし、

『親や周りからモノを貰ってばかりじゃ、自分じゃ何も考えないおバカな子になるわよ』

 と、セレスは言った。予算内での買い物計画をたてさせるのは、算数の勉強であり、空間把握の勉強であり、自主性や美的センスを培う為である。購入品については母親達が責任をもって吟味・指導すると約束したので、許可している。

 実際、後宮育ちで買い物に縁のなかった子供達は、自分で考え自分で欲しいものを買って部屋を豊かにできる事を喜んでいる。子供達はこの屋敷にも、それぞれの部屋にも愛着を持っている。



 セレスの別宅に来たら、子供達それぞれの部屋を表敬訪問するのが私の義務だった。

 どの部屋からどの順番に私が見て回るかは、子供達がくじ引きで決めている。今年はラーニャ、ガジュルシン、ガジャクティン、アーメットの順番だ。

 ラーニャは満面の笑顔で、部屋を訪れた私を迎え入れた。

 ラーニャの部屋の基調は赤と黒だ。女の子らしいかわいらしい色合いは好きではないらしい。しかし、彼女からすると、彼女の部屋は『愛あふれる夢の世界』なのだそうだ。

「ここにね、エーゲラ風の半裸の乙女の石膏を設置してね、あっちにね向かい合う形で白鳥のガラス細工を置くの。白鳥、実物大なんですって、孔雀より大きいのかしら? 明後日、注文した品が届くのよ。綺麗に飾りつけたら、是非、又、部屋にいらして」

「ええ、ご招待いただけるのでしたら喜んで」 

 ラーニャは大型の美術工芸品が好きで、よく購入している。部屋中の壁の前には、さまざまな国のさまざまな芸術品が並んでいる。

 格好いいからと獅子の毛皮つきの模型を、綺麗だからとガラス玉を散りばめた巨大な陶器の花瓶を、かわいいからと木彫りの巨大蛸を、セクシーと海馬の石膏を、表情が素敵! とジャポネの石仏を購入し、設置……

 彼女の部屋には、無国籍な無秩序な空間が広がっている。

 私はもちろん、アーメットも、セレスも、彼女の趣味がわからないのだが……

 私を部屋に招き入れると、彼女は新しい美術工芸品について嬉しそうに語る。彼女の作った物語と共に。この彫像とあっちの金メッキの置物は忍ぶ恋中なのとか、ここは巨大渦のある大海で姫君を巡ってタコと海馬が戦ってるの、のように。規模の大きな人形遊びをしている感じだ。

 彼女なりの想像力や感受性をもって、この部屋は構築されているのだ。特殊な設置物のせいで、一種、異様な雰囲気があるが、根は恋愛好きな少女趣味の部屋なのだ。そんな気がする。

 しかし……

「あの石仏、位置が変わったのですね」

 私は寝台の横にあるモノを指さした。サイドテーブルの隣という不似合いな位置に、ジャポネ式の宗教仏がたたずんでいる。

「前はテーブルの横にありませんでした?」

「いやん、お父様、覚えていてくださったのね」

 ラーニャが嬉しそうに笑う。

「紅茶を飲みながらお話をするのもいいかと思ってたんだけど、朝、目覚めた時、一番最初に御挨拶できるのも素敵だと思って変えてみたの。どうかしら?」

 褒めて欲しい! とラーニャの顔は訴えている。

 朝、目覚めてすぐに石仏を目にしたいねえ……荒いノミで削られたシンプルな石像の顔が、彼女にはうっとりするほど美しく見えるのだそうだ……彼女曰く、究極の美なのだとか。

「目覚めた時、最初に美しいものを目にすれば幸福な気分になれるでしょうね」

「そうなのよ!」

 ラーニャが私に抱きついて来る。

「私、この石仏のストイックな美しさが好きなの! このほっそりとした、やさしそうな目が好きなの!」

 思わず笑みが漏れた。

「あなたにそこまで思われたら、この石像も幸福でしょうね。あなたの心に応え、あなたを命がけて守護してくださるでしょう」

「ま」

 ラーニャは満面に笑みを浮かべた。

「ナーダお父様! 大好き!」

 私はラーニャの部屋を見回した。

 彼女は、美術品の真贋はあまり気にせず、気に入った物を設置し、物語が無くなったモノは処分する。出入りの商人に下取らせ、その分のお金も加算して別の美術品を買い上げているらしい。

 なので、彼女の部屋は模様替えがたいんへん激しい。来る度に部屋の中の物語が変わっている。

「でも、お父様もいらしたし……本物には負けるし、当分、ここじゃ寝なくなるから、又、模様替えしようかなあ……」

 ん?

「石仏はお顔が素敵だけど、白鳥の置物もいいのよ! 純白なの! カタログの絵も神々しくてうっとりしたけど、実物はすっごく綺麗みたい! あそこに設置すれば、朝日を浴びるでしょ? 絶対、キラキラ光ると思うの。穢れのない美しさってヤツ? 本当は設置した後の美空間をお父様に見ていただきたかったんだけど……」

 いつもは皆より二週間遅れて来るので、私が到着する頃には部屋の模様替えが終わっているのが常だった。が、今年は例年より一週間早くこちらに着いている。

 まだ模様替え終わってないのよと、ラーニャは少し不満そうだ。細かな事に拘泥しないおおらかな性格だが、凝るところにはとことん凝る主義なのだ。

 しかし、白鳥か……

「白く美しい……まるで、ジライみたいですね」

 と、私が言うと、とろけそうだったラーニャの顔が急に不機嫌なものとなる。

「違うわ!」

 頬をぷぅとふくらませ、ラーニャが私を睨む。そういう表情をすると、実にセレスに似ている。

「全然、違う! 私は白く美しい純潔の美が欲しかったの! あっちの乙女と向かい合う形で!」

「はあ」

「エーゲラの古代神話にあるでしょ? 主神が白鳥になって乙女と結ばれる話」

 エーゲラの神話?

 今はエーゲラものに凝っているのか。

「星座の白鳥の話ですね」

「そうなの! やっぱり、お父様、ご存じだったのね!」

 ラーニャがポッと頬を染める。

「この部屋で、乙女が白鳥と出会った瞬間を描くのよ。恋に落ちた二人は、この後、濃厚でラヴラヴな愛の時間になだれこむの! 肉体関係になる前の二人、その至宝とも言える精神的な愛の絆の美しさを表現したいのよ。おわかりになって?」

「………」

 どうも少女趣味は理解できない。あの神話は、エーゲラの最高神の浮気話の一つだ。そんな神話の一場面を、何故、この部屋で描きたいのかさっぱりわからないが……

「ラーニャがそう考えているのなら、きっと美しいものになるでしょうね」

 と、私が言うと、

「そうなのよ!」

 ラーニャが嬉しそうに、更に私に抱きつく。

「きっと、お父様も気に入ると思うの! こうやって二人で愛に満ちた世界を見つめましょうね!」

「はい、よろこんで」

 ガラス細工の白鳥と石膏の乙女に、少女らしいロマンを感じたのだろう。

 ラーニャの少女趣味も美も、私にはわからないが。

 この部屋も、子供らしいゴチャゴチャした部屋というのが私の印象だが、彼女が彼女なりの裁量で美しいものを集めた『美のお部屋』なのだ。敬意を忘れてはいけない。

 彼女が美しいと感じているものが少しでもわかるように、共に同じものを見てみよう。

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