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姫勇者ラーニャ  作者: 松宮星
過去の亡霊
29/115

友として! 目覚めた時、そこにあるもの!

 オレの生まれ育った村はもうない。

 十二の夏に炎の中に消えてしまったのだ。



 大魔王四天王サリエルとその配下の大魔王教徒の襲撃を受けたのだ。サリエルは、父ユーシェンの『龍の爪』を奪ったばかりか、父や兄や村の男達の遺骸に魔族を憑依させ、父達の魂の安息すら奪ったのだ。



 オレが生き残れたのは、セレス様達のおかげだ。ナーダ様が瀕死のオレを治癒し、アジャンさんが大魔王教徒を倒してくれ……

 セレス様が何もかも失い傷ついた子供の魂を癒してくださったのだ……



 今でも鮮明に覚えている。

 死の淵から戻って来たオレが最初に見たのは、セレス様の青い瞳だった。

 せつなそうな、悲しそうな……泉よりも澄んだその瞳が、オレに微笑みかけてくれたのだ。

 たった一人生き延びてしまった子供を元気づけようと、セレス様は笑いかけてくださったのだ。



 村の仇を討って『龍の爪』を取り返し……

 セレス様の従者として大魔王ケルベゾールド討伐まで共に戦い……

 地上に平和が戻ってから、オレは故郷の村に帰った。



 けれども、そこには何もなかった……

 村が焼けてから二年の月日が流れたそこには、青々と夏草が茂るだけだった。



 それから龍神湖に向かう旅の途中、オレはリューハンとアキフサに出会った。

 リューハンは、オレと同じで小柄で、筋力が強くなく拳が軽かった。けれども、身の軽さと並行感覚、そして、そこにあるものを何でも利用する柔軟な発想で、自分よりも大柄な武闘家をも倒す彼にはオレも大いに刺激を受けた。

 オレ達は、拳を交わし、共に技を高め合っていった。

 オレが旅を終え村があった場所に帰った時に、リューハンはアキフサと共に駈けつけてくれ、そのままオレの一番弟子となって新しい村を共につくってくれた。

 でも、オレはリューハンを弟子と思った事はない。村づくりの頃にはリューハンの拳の型はもうほぼ完成していたし、南拳の流れを汲む彼と父の北拳を学んだオレとでは拳法に対する姿勢からして違っていたからだ。

 彼がオレを師匠に立てた理由はただ一つ……オレがユーシェンの息子だった為だ。

 皇帝の御前試合十連覇を遂げた父ユーシェンは、三代前の皇帝陛下から『皇帝の私兵』という名誉を与えられ、土地の所有及び納税の義務の免除の権利をいただいていた。それは『いざという時に皇帝陛下の為の拳となる約束の下に、武闘家ユーシェンとその家族及び弟子の末代まで』認められた権利だった。

 土地と言っても田舎の山のそば……オレの生家のあった場所なのだが、『土地も家も財産も持たない貧乏格闘家には家つきの土地にタダで住めるなんて夢のような暮らしさ』と、言ってリューハンはオレの弟子となったのだ。

 処世の為にオレの弟子という事にしただけなのだ。

 リューハンは、年上で、世慣れていて、明るく、拳法仲間の面倒見もよかった。

 弟子ではない。友だった。一緒に村を支える仲間だった。



 四年前、皇帝の格闘の教師にという話をいただいた時、オレはお断りをした。『いざという時、皇帝の拳となる』約束をしてはいたが、それは有事に皇帝をお守りするという意味であり、『皇帝の教師役の栄誉を与える』などと尊大にそっくりかえってしゃべる使者に諾々と従う理由はなかった。

 又、妻の預言もあった。『一年間、土地を離れるべからず』と妻が預言してからその時まだ二カ月も経っていなかった。皇宮に行くべき時期ではないと、オレは使者に答えた。

 怒り狂う使者をなだめたのは、リューハンだった。『師は願かけ精進潔斎中で今は土地から動けないのです』ともっともらしい嘘をつき、『格闘家は都にも数多くおられます。他のお方ではいかがでしょう?』ともちかけ、ユーシェンの息子を連れ帰らねば役目を果たせぬと怒鳴る使者に折れ『一番弟子の自分が師の代理を務めます。一年後に、師がこの地を離れられるようになる時まで』と代役を申し出た。

 オレは妻の預言をリューハンに話し、止めた。オレ一人の身だけに関わる預言ならばいい。しかし、オレが誘われるがままに向かう先が問題なのだとしたら、代役にも同じ災厄が降りかかるはずだ。行かない方が良いと。

 けれども、彼は皇帝のお声がかりを拒否するわけにはいかないと明るく笑った。権力者に逆らっていては、ユーシェンの息子とその弟子に認められている権利を取り上げられてしまうぞ、と。

 妻子を連れて彼が村を去ったのが四年前、それから八カ月ぐらいで皇帝は崩御され、リューハンは新皇帝の格闘指南役となった。先代の時には格闘指南役代理を名乗っていたが、新皇帝の代からは『代理』を外すようになっていた。

 オレは何度もリューハンに手紙を送った。が、返事は返ってこなかった。

 皇帝の格闘指南役の地位に興味などない。何の問題もなくリューハンがその地位に就いているのならそのままの方が良いし、一年後に代役を終えたいのなら礼を言って代わるべきだ。そう思ったのだが、まったくリューハンの意思がわからなかった。

 約束の一年が近づいた頃、アキフサに頼んでペクンのリューハンの家を訪ねてもらった。しかし、弟弟子のアキフサもリューハンとは面会かなわなかった。リューハンは皇宮の外朝に部屋を賜っているとのことで、アキフサのペクン滞在中、一度も家に戻って来なかったそうだ。

 三カ月後、アキフサはリューハンの妻子を伴って村に帰って来た。新皇帝の格闘指南役となってじきにリューハンは妻リーファさんを離縁し、下級貴族の娘と再婚していたのだ。下町の薬屋で下働きをしていたリーファさんをアキフサが見つけ出し、村に戻るよう説得してくれたのだ。実家と不仲の彼女に戻れる場所は村しかなかった。

 オレはリューハンに手紙を書き続けてきた。だが、今日まで一度も、返事をもらえなかったのだ。

 リューハンはうまいこと出世したと、弟子達の中には陰口をたたく者もいた。アキフサはあのショウキのような顔で、そんな噂話をする者達をジロリと睨みつけて黙らせてくれている。

 何か理由があるはずだとオレは信じてきた。たとえ友が闇に堕ちたように見えたとしても、オレは信じ続ける。昔も今も同じだ。それが、無能なオレができる、唯一の正しい事だからだ。



 大魔王四天王ゼーヴェの力を使えば、オレを殺すなど簡単だ。魔法攻撃をしかければいいのだし、異空間に放り出せば魔力のないオレなどすぐに死ぬだろう。

 けれども、リューハンは空気のある今世と変わらない異空間にオレを呼び込み、拳を構えている。

 格闘勝負を望んでいるのだ。

 魔族ゼーヴェとしては、本当は、オレなどより姫勇者ラーニャ様と戦いたかろう。

 だが、今世に現れる魔族は、宿主からさまざまな影響を受ける。人に宿った魔族の場合、思考もそうだ。今、リューハンの望みをゼーヴェも己の望みとしているわけだ。

 目の前のリューハンは、ゼーヴェでもある。

 よく知った格闘の好敵手と思ってはいけないのだ。

 右手に『龍の爪』、左手に妻より貰った浄化の指輪。触れられさえすれば、リューハンを浄化できる。

 だが、それはゼーヴェが憑依したリューハンも同じだ。拳に魔力をこめているのだ、一撃でオレの肉体を粉砕できるだろう。

 避けきれぬ方が負ける。

 オレは周囲を見渡した。だだっぴろい空間。上空にも四方にも果てはなく、足元は銀色に輝いている。光源などないのに、昼間のように明るい。

 足をすって、足元を確認した。平らな金属のような感触。靴のままでは滑りそうだ。 

「靴、脱いでもいいですか?」

「ん?」

「せっかくの勝負をコケて終わらせたら、もったいないので」

 オレがそう言うと、リューハンは緊張感がないなあとケラケラ笑った。

 好きにしろと言われたので、爪を装備していない左手のみで靴を脱ぐ。勝負前に時間ができたので、リューハンに尋ねてみた。

「何故、手紙に返事をくれなかったんです?」

「書けなかったんだ」

 リューハンは笑いながら答えた。

「ペクンの俺の家ってのは、大魔王教団が準備してたもんだった。着いてそうそう、妻子はそこに軟禁状態、俺は皇宮の奴等のアジトに連れ込まれた。仲間になりゃ贅沢放題ならなきゃ妻子を殺すってベタな脅迫をされ、ずっと家に戻れなかった」

「……そうだったのですか。皇宮にあがったリューハンは全く家に帰らなくなって、そのまま離縁となったってリーファさんは言っていましたが」

「そうか……監視役の召使はごまんといたが、一応、約束通り、あいつらリーファ達には怖い思いはさせなかったんだな。よかった……」

 そう言ったリューハンはほんの少しだけ、口元をほころばせた。

「……先代皇帝の暗殺には俺も協力した」

 オレは左の拳を握り締めた。リーファさんが離縁されたのは新皇帝が立ってから間もなくのこと。家族の解放を交換条件に、リューハンは大魔王教団の一員となり、シャイナの民として最も罪深き行いに荷担したのだろう。

「その後、教団の女を嫁に迎えたんで晴れて俺は家に帰れるようになった。監視付きだが、一応、自由にはなったわけだ。あんたからの手紙も読める身分になったんだが……一度も、開かなかったよ。みんな焼いちまった」

「何故、大魔王教団は、最初からリューハンを仲間にひきいれる気だったんだろう?」

「皇帝の私兵だからさ」

 皮肉な顔でリューハンは笑った。

「武闘家ユーシェンは皇帝の私兵……その子孫も弟子もそうだろう? 格闘教師を招いたのは、先代皇帝本人の本当の希望だったらしい。けど、それが内廷の大魔王教徒達には目ざわりだったのさ。皇帝の味方なんざ一人も増えて欲しくないのが本音。しかも、あんたは勇者の従者だった英雄だ。あんたから昔の仲間へ、そしてエウロペの勇者様にシャイナ皇宮の悪だくみがバレちゃかなわねえから……最初から皇宮に来る格闘師範を抱きこむつもりだったのさ」

……オレのせいなのか?

「皇宮をのっとった大魔王教団が何をしたがってたか知ってるか?」

 いくつか予想はしていた。が、真実は知らない。オレは静かにかぶりを振った。

「召喚魔法だ。あいつらは、現皇帝の体に大魔王ケルベゾールドを降ろそうとしてたのさ」

 え?

「神代から続く聖なる血統。その上、穢れなき子供だ。生贄として最上級。皇帝陛下の体ならケルベゾールド神も満足して、降臨するだろうと考えたわけだ。大魔王の直の家来となり、新時代の到来の為に働きたかったんだとさ。皇宮には大魔王教の魔法陣が複数並んでいて、現皇帝の寝所が召喚魔法の中心部となっている。皇帝陛下のご就寝中に、大魔王降ろしの儀式がこれまで何十回も行われてきた」

「しかし……」

 オレに皆まで言わせず、リューハンは愉快そうに笑った。

「そう。見ての通り、皇帝陛下はまだ人間のままだ。降ろしたかったけど、降ろせなかったのさ。術が間違ってたんだか、神官の力量が足りなかったのかは、知らないけど、な。この計画、何年がかりだと思う? 六年だ! 六年間、術は失敗しどおしで、バレそうになって先代皇帝を暗殺までしたってのに」

 リューハンは腹を抱えて笑った。

「先月よその神官にケルベゾールドを降ろされちまったんだ。馬鹿みたいだろ? シャイナ皇宮をのっとり六年もかけて召喚し続けて、あいつら、失敗しやがったんだ」

 声をあげ楽しそうにリューハンは笑う。だが、その目は笑っていない。

「で、そっからは悔しがりながら路線変更さ。大魔王がダメなら四天王をと思って頑張った。俗物のあいつらは、大魔王やら四天王の配下になれれば地上の富が独占できるって本気で信じてたんだ。それで、憑代に選ばれちまったのが俺なんだから笑える。あいつらにとって、三下部下のこの俺が四天王なんてな」

 狂ったようにリューハンは笑う。

 セレス様の代の四天王のイグアスとゼグノスは、心に闇を抱いた人間に憑依していた。憎悪、殺意、妄執、羨望、強欲……人の心の闇を魔族は好む。リューハンの絶望と憎悪を、ゼーヴェは美味とでも思ったのだろうか。

「俺に四天王が降りたって知って、今まで威張り散らしてた奴等が俺に平伏してご指示をいただきたいってんだから笑っちまうよな。なので、四天王として命令してやったのさ。皇宮で姫勇者を討つってね。大魔王教団の悪事の証拠がいっぱいの内廷こそが舞台にふさわしいって思ったんでね」

「リューハン……」

「あんたとの感動の再会の時の魔族襲撃、あれね、俺のスタンドプレイ。ドルン達、あんたらを毒殺しようなんてつまんねえ策たてやがったから、ド派手な騒ぎを起して内廷を注目させてやったんだ。悪事の露見を恐れて、こっそりなんて許さねえ。大魔王教団らしく派手に暴れて、姫勇者様達と命のやり取りをすりゃいいのさ」

 魔としてのリューハンはラーニャ様の死を願い、人としては摂政ドルン達の罪の告発を望んでいるのだ。

 復讐の機会を逃すものかと、さっき、リューハンは言った。だから、喜んでゼーヴェと融合したのだと。

 その相手は……彼の人生を狂わせたドルン達大魔王教団。

 そして……

「あの襲撃の時、オレ、『龍の爪』を所持していませんでした」

 オレは静かに友人を見つめた。

「……オレを殺しても構わないと、そう思っての襲撃だったんですか? そこらの雑魚魔族に食わせても構わないと?」

 そうだとしたら、何故、今、同じ手を使わない?

 何故、格闘で決着をつけようと望む?

 単にオレが邪魔なだけなら……オレが憎いのなら……魔力で引き裂けばいいものを……何故、自らの手で結末をつける事を望む?

 リューハンの行動は矛盾している。

 そして、その矛盾を本人も自覚しているのだろう。

 リューハンは肩をすくめた。

「靴、脱いだんだろ? そろそろ始めようぜ」

 リューハンの目には、オレへの憎悪が宿っている。

 怨まれても仕方がない事だ。

 リューハンはオレの身代わりに皇宮に来て……全てを失った。

 家族を、仲間を、格闘家としての矜持を……

 全てを失い……そして四天王ゼーヴェの器となってしまったのだ。

 四年前に、オレが皇宮に来ていたら……要職の者のほとんどが大魔王教徒である皇宮で、家族を人質ととられてはなす術はなかったろう。妻が自由に動けたら、外部と連絡がとれたらと、少しづつ条件を変えて考えてみたが、駄目だった。ここに四年前に来ていたら、大魔王教団の罪を告発する事すらできず、オレは謀殺されていた。むろん、先代皇帝も救えずに、だ。

 予言は絶対だったのだ。

 四年前、動くべきではなかったのだ。

 オレも……リューハンも……。

 殴ってでもオレはリューハンを止めるべきだったのだ……

 オレが友を闇に堕としたのだ……



――その決めつけは傲慢ですよ。相手は子供じゃないんです。あなたの助言を聞きいれず、都行きを選んだのは彼です。自分の行動ゆえの堕落とわかっているから、彼はあなたを責めまいとしているのです。友の誇りを踏みにじる憐れみはやめなさい。



 突然、俺の内に知らぬ思念が入り込んだ。

 そして……

「後、ひとつだけ教えてください」

 オレの口が意思に反して、勝手にしゃべりはじめたのだ。

「ドルン達は大魔王を降ろすのに、闇の聖書を用いたのでしょう? それは今、どこに?」

「知らん」

「降臨儀式の中心は、シャイナ神官になりすました大魔王教団幹部の神官でしたね。彼等がそのまま持ってると思っていいのでしょうか?」

「知らんと言った」

 リューハンが歩を進めオレに近寄って来る。

 ふっと何かが体から離れた感覚があった。

 が、そんなものにかまっている暇はなかった。

 オレの眼前にリューハンの右手が迫っていた。

 オレは身を沈めて右拳を避け、素足で足元をすり、体を横にずらすことで続けて放たれる左拳もよけ、『龍の爪』で相手の右わき腹を狙った。

 長く鋭い銀の爪は、しかし、リューハンと捉えること事はできなかった。オレがそう動くと読んでいたリューハンは左拳の突きも不十分のまま後方に飛び退っていた。

 そのまま、爪を閃かせ、上段、下段で宙を切る。

 爪はリューハンに届かない。間合いを正確に見切っているのだ。オレの攻撃の癖、爪の攻撃可能範囲をよく知っているのだ。

 体勢を崩した振りをしてリューハンは身をかがめ、オレの軸足を蹴り飛ばそうとした。

 だが、オレも虚をつく闘いを好む彼の戦法はよく知っている。跳躍してかわし、着地と同時に速攻へと移った。

 互いに手のうちを知りつくしている友との闘い。

 この四年、絶望の日々にありながらもリューハンは肉体の鍛錬を続けたのか、動きに衰えはない。以前と変わらぬ技の切れだ。

 掌に魔力をこめこそすれ、魔法で動きを有利に運ぼうともしていない。あるがままの肉体で、オレに挑んできてくれる。

 だから、オレも聖水も竜巻も使わない。肉体をもって彼に勝ちたかった。

 オレはリューハンの拳を避け、リューハンはオレの拳を避ける。

 繰り返される攻防に、オレの口元は緩む。

 見れば、リューハンも笑っていた。

 昔に戻ったようだ……

 毎日のように、二人で組み手をして切磋琢磨した。

 リューハンはオレの拳法は素早く綺麗だが、素直すぎて、動きを読みやすいと言っていた。奇抜な攻撃をとりこんではいるが、それが一連の拳法の型に綺麗におさまらず、直前で動きの流れが止まってしまっているのだ。だから、次は奇襲攻撃でくる気だな、と、リューハンにはわかってしまうのだそうだ。

 やるぞと大声をあげて宣伝してからの奇襲では、効果などあるはずがない。たいていのオレの奇襲戦法はリューハンには通じなかった。

 距離をとって睨み合うこと数秒。

 リューハンはふいに顔を斜め前方に向け、残念そうに唇をとがらせた。

「時間切れだ……」

 ずっと闘っていたかったんだけどなあと、リューハンが溜息をつき、悪戯っぽくオレに笑いかけた。

「一分後にこの異次元空間を閉鎖する。一分を、あんたにやるよ。俺は手だししない。俺を浄化してみせな」

 一分後にこの空間が消えれば、異次元に残されオレは死ぬ。

 この空間を維持している術師であるリューハンを殺しても、空間が消滅し、異次元に放り出されてオレは死ぬ。

 どちらにせよ、死ぬのか……

 オレは笑みを浮かべたまま、リューハンに挑みかかった。右の爪、左手の指輪、接近する浄化の光を放つものから、リューハンは器用に距離をとる。

 リューハンも楽しそうに笑っている。わざと大きく動いておどけたように避けたりする。

「あと、三十秒」

 オレは胸元から小袋を出し、それの口を緩めると、リューハンめがけて投げつけた。中に浄化の指輪が入った小袋だ。全部の指用にと妻が用意してくれたので指輪は小袋の中に九つ残っている。

 中から飛び出してくる聖なる宝石達を、リューハンは距離をとって避ける。追いかけ、オレは『龍の爪』を閃かせた。

 届かない。

 そんな奇襲攻撃通じるものか、と、リューハンが笑っている。

 うん。オレも駄目だろうと思っていた。

「二十秒」

 爪を避けられたオレは左足を高々とあげて、回し蹴りをいれようとする。リューハンはそれを受けて流そうとした。

 しかし……

 オレの左足に触れたリューハンの右手から浄化は始まった。

 リューハンはびっくりしたようにオレの左足を見た。

 靴を脱いだから、オレの足は素足だ。

 左足の親指と二の指の間に、オレは指輪を挟んでいた。指輪を小袋ごと投げたのは目くらましだ。小袋を投げると同時に足元に指輪を一つ落として足指の間にはさみこみ、蹴撃での浄化を狙ったのだ。

 やるじゃないかというようにリューハンが笑う。おまえにしちゃうまい奇襲だよと、その口が言ったように思えた。

 けれども、浄化の光に包まれたリューハンの表情を目で追うことはかなわず、圧縮の始まった銀の世界は耳障りな音をたてて崩壊を始めていた。



 オレは静かに目を閉ざした。



 せめて『龍の爪』だけでも、もとの世界に返せないものかと思いながら。



 オレは真龍に対し、祈った。

 爪の振るい手となれた幸運に感謝を捧げ、今世に爪を返せず命果てる身の未熟さをお詫びして。


  

――祈る相手が違〜う!



 ハッとして目を開けたオレは……

 セレス様を見たように思った。

 美しく靡く髪は黒く、オレをまっすぐに見つめる瞳は茶色いが、『勇者の剣』を右手に、何もない空間を走りオレへと向かって来る白銀の鎧姿は……お慕いしていた方そのものに見えた。

 その名を声に出してお呼びしたかったが、声は出なかった。



――シャオロン、手を!



 セレス様が左手をオレへと伸ばされる。

 右手には爪がある。オレは左手を懸命に伸ばそうとした。

 息をすることも、目をあけていることも、動くことも、全てが辛い。

 周囲の気が痛く、重く苦しい。

 だが、従者たる者、勇者の求めに応じなくては……



 オレはどうにか手をあげ……



 セレス様と手が触れ合ったと思った瞬間。



 呼吸が楽になった。



「しっかりしてください、シャオロン様!」

 あたたかな癒しの光がオレを包む。治癒魔法だ。

 今世に戻れたのだ。

 そうとわかっても、目を開けられなかった。

 ひどく疲れていた……



 意識が遠のいてゆく。



 さっきの声はガジュルシン様だ。

 そう気づいてようやくわかった。

 オレを異空間から救い出してくださったのは、セレス様ではない。

 姫勇者ラーニャ様だ。

『勇者の剣』から無限の力を引き出し、異次元にいたオレを探し出し連れ帰ってくださったんだ。

 前に、カルヴェル様から伺った事がある。異次元空間というものは万とも億ともつかぬ世界が短時間で生み出される複雑怪奇な場所で、ちょっとした刺激で新たな空間が百も二百も生まれたり、千の世界が一度に閉じてしまう事もあるそうなのだ。

 そんな空間にいたオレを正確に見つけ出すなんて……おみごとです、『勇者の剣』と一体化しておられる証拠だ。

 さすが、セレス様のお嬢様。

 リューハンが『時間切れ』と言ったのは、勇者に居場所を見つけられたしまったという事かもしれない。勇者が挑んでくる以上、大魔王四天王として戦わざるをえない。オレに関わっている暇などなくなったと……そういう意味だったのだろう。



 リューハンとアキフサがいた。

 夢なのかもしれない。

 そう思いながら、オレは二人に微笑みかけた。

 夢でも過去でも今でも未来でも、一緒だ。

 オレ達は友人だ。

 これからも、ずっと……






 

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