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姫勇者ラーニャ  作者: 松宮星
過去の亡霊
26/115

皇宮は危険がいっぱい! 夜の声!

「シャオロン師?」

 首をひねる私。

 皇帝の格闘教師が、私に頭を下げながら答える。

「四年前まで、シャオロン師のお教えを受けておりました」

 小柄だけど官僚のような立派な鬚を生やした、このオジさんが? 私はシャオロンをマジマジと見つめた。二十代前半、ともすれば十代に見えてしまいそうだが、英雄シャオロンは三十三だか四なのだ、本当は。それでも、お師匠様って感じじゃないわよね、若すぎて。

「お久しぶりです、リューハン様」

 シャオロンが元弟子に対して礼儀正しく挨拶をする。元弟子とはいえ、相手は今は皇帝の格闘の師匠なのだ。閑村の村長さんと比べれば、そりゃあ、まあ、現在、どっちの身分が上か考えるまでもない。

「四年前に、皇帝の拳法の師にとの話がシャオロンにありまして、な」

 いつの間にか、私の背後にはジライが来ていた。覆面に忍装束のいつもの姿だ。そっぽを向きながら独り言のように小声でボソボソとインディラ語をつぶやく。たぶん私にしか聞こえない、小さな声で。

「村長として動けぬあやつに代わり、一番弟子のリューハンが皇帝の拳法の師となった……と、いう事になっております。表向きは」

 と、いうことは本当は違うのか。

「ま、そこそこは拳法の才のある、野心あふれる如才ない男……小物にございます」

 なるほど。まあ、権力が絡むと駄目になる人間っているものねえ。皇帝の拳法の師なんて、いわば格闘家のアガリみたいなものだもの。不義理を承知で師匠を捨てて、目の前にぶらさがってた御馳走に飛びついちゃったってことかしら?

 一見、にこやかに挨拶を交わしているようだけど……シャオロンとリューハンの間にはドロドロのグチャグチャのネチャネチャの怨みつらみの人間関係がある……のかしら? シャオロンが爽やかすぎるんで、そうは見えないけど。



 皇帝の求めに応じて、シャオロンが演武をする。素早く、しなやかで、一挙一動が美しく無駄がなく、全ての動きが流れるようだった。舞を舞っているような感じ? 動きに合わせるかのように宙を舞う黒の束髪までもが綺麗だった。

 大はしゃぎの皇帝が、次に私たちにインディラ武術の披露を求めた。となると、ここはねえ……。私とガジュルシンの視線がガジャクティンに向く。三人の中じゃ、絶対、一番、こいつが、うまいはずだもん。

『英雄の演武の後では恥ずかしいばかりですが』と、断ってからガジャクティンが、インディラ式武闘の型を披露する。軽く流れるようなシャオロン様の動きに比べ、もっと大地と一体化したような重厚さがあってそれでいて愚鈍ではない。

 でも……うん、まだまだね。お父様の足元にも及ばないトロくてカタい動きだわ。

 皇帝が義弟にも拍手を送る。お父様より動きはずっと劣るけど、それでも観賞に値するレベルなのよね……何で、格闘まで上手なのよ。まったく、もう、ムカつく、義弟だわ。



 それから、組み手になった。けど、体術は知っていても南の格闘は知らないアジンエンデは参加せず、忍者の二人も暇そうに立っていた。病弱なガジュルシンも当然、パス。

 私は皇帝たっての頼みで、皇帝のお相手をする事になった。ガジャクティンはシャオロンと組んでいて、リューハンは審判って名目で私と皇帝のお目付け役となっていた。私がうっかり手をすべらせて皇帝を大怪我させちゃったら、リューハンの首が飛ぶでしょうしね。目を光らせて当然だわ。

 格闘は昔、子供の頃に、お父様に習ったぐらい。体術はお母様から習ってはきたけど、武器無しの戦いは正直、あまりうまくない。アーメットの両手剣よりも下手っぴって感じ。

 格闘は不慣れだって伝えたら、リューハンが私の両の手に包帯みたいのを巻いてくれた。拳を痛めないように、だ。

 皇帝はやる気満々。

 私をレディと思ってないな、こいつ。まあ、ただの姫君じゃなくて、勇者だけどね。

 年は九つも上だけど格闘は素人同然、リューハンや近衛兵よりは楽な相手だろうし、シャオロンやガジャクティンよりは明らかに素手では弱い。

 けど……

 私は開始と同時に足元をすくって皇帝に尻もちをつかせ、慌てて立ち上がり挑んできた彼の右腕をつかみ腹に拳を入れる一歩手前で止めた。私の背後にはいつの間にやら、リューハンがまわりこんでいる。う〜ん、忍みたい。私が皇帝を殴ろうとしてたら、リューハンに抑え込まれていただろう。

「姫勇者ラーニャ、格闘は苦手ではなかったのか?」

「苦手よ」

 茫然と尋ねてきた皇帝に、私はきっぱりと答えた。

「受けて流すとか見切って避けるとか、できないもの」

「だが、予の攻撃を止めた」

「あったりまえよ、あんたのトロい攻撃を私がくらうもんですか」

 周囲からうっという声があがってるが、私は気にしない。だって、事実だもの。

「私、格闘は下手っぴだから、あんたの拳を上手に受けてあげられないのよ。私にできるのはケンカ拳法だけよ」

「ケンカ拳法?」

「相手の気勢を削いで自分のペースにもってゆく。喧嘩の極意よ。遊び(スポーツ)でない戦いなら、剣であれ槍であれ拳であれ一緒よ。くらったら負け。相手のペースを狂わせて、自分が有利に動けるようにならなきゃ」

「なるほど」

「シャイナの拳法って一連の動きの中から攻撃も防御も身につけてゆくものなんでしょ? 確か、そんなような事、私のクソ生意気な家庭教師が言ってたもの。けど、あんたの格闘なんて、今のところ子供のお遊戯レベルよ。実戦じゃ何の役にも立たない。拳法の師匠に対戦してもらって、もっとちゃんと教わりなさい。素人同然の奴に勝ったって、何の自慢にもならないのよ?」

「え?」

「これに懲りて、格闘が苦手な人と組み手しようなんてもう考えないで。あんたの我がままにつきあわされる方が迷惑だわ」

「それは違う、姫勇者ラーニャ」

 皇帝が大きく目を見開き、私へと迫って来る。

「予はそなたと何事かをなしとげたかったのだ」

 ん?

「予とそなたは、昨日、深い絆で結ばれたではないか。そなたは予と親交を結んだただ一人の女性。大切な女性と同じ時間を過ごしたかったのだ」

 あら。

 まあ。

 まあ。

 かわいい事言ってくれるじゃない、このマセガキ。好きな女性とやれる事なら何でもいい、格闘でも構わないってあたりはお子ちゃまだけど。

 チビだし東国人っぽい目鼻だちのはっきりしない平たい顔だけど、よく見れば愛嬌もある。満更、外見は悪くないかも。

 それに『皇帝が私の奴隷』って……究極のギャップ萌えよね。萌えるわ!

 あああああ、もちろん、『お父様が私の奴隷』にはかなわないけど!

 とりあえず、かわいいおチビちゃんに、女王様として一言何か言ってあげようとした。

 時だった。

「みんな、走れ」と、アジンエンデが共通語で叫び、

「失礼いたします、皇帝陛下」

 彼女と共にガジュルシンが私と皇帝のそばに駆け寄って来る。二人の動きに近衛兵がざわめく。が、彼等が制止する前に、周囲の空気が淀み始めた。

「全員、中央へ!」

 ガジュルシンが魔力を高めた。が、間に合わなかった。

 近衛兵が悲鳴をあげ、何人かがばったりと倒れる。私達の周囲には人ではない黒いものが蠢いていた。その黒いものに襲われたのだ。

 魔族?

 嘘!

 皇宮の内廷よ、ここ。

 強力な魔封じ結界が何重にも施されている皇帝の居住区に、魔族が入り込めるはずはない。

 本来なら……

 駈けて来る近衛兵にアジンエンデが早くと促し、腕をひっぱったりして側に引き寄せていた。

 ガジュルシンは、周囲に、半径五メートルほどの半球状の結界を張った。聖なる守り。魔は中へは入れない。

 結界の外側に黒いものが群がってくる。皇帝が怯えて私にすがりつく。皇帝陛下をお守りするのだと、リューハンや近衛兵が私達の周囲に立つ。

 結界の外を、二人の忍が駈けている。あの二人、やはり武器を隠し持っていたのだ。『虹の小剣』を振るっているアーメットはともかく……ジライは何で『ムラクモ』を使ってるのよ! あんな長いジャポネ刀、体の何処に隠していたのよ!

 二人が外の魔族を次々に浄化してゆく。

 私は周囲を見渡した。黒いものがひしめくばかり。ガジャクティンとシャオロンの姿がない。あの二人、聖なる武器は所持していなかったのに。ガジャクティンが、多少、魔法が使える事だけが頼り。あいつは、神聖魔法も中級まで使えるはずだ。

 私のすぐそばのリューハンも、群がる魔族を見渡している。シャオロンの安否を確かめようとしているのだろう。

 私は手の布を解いた。

 腕の中で皇帝が震えている。黒く蠢く魔族は不気味だものね。初めて見たら、そりゃゾッとするでしょう。

 木やら石やら鳥やら土やら水やら、庭園のその辺にあったものに憑依して魔族はこの世に現れたようだ。ろくでもないものに憑いて今世に現れたから大した力は振るえないはずだけど、真昼間に動き回れる以上、この前のハリの村ほどには雑魚敵ではないはずだ。

「ちょっと離れてくれる?」

 私は腕の中の皇帝に尋ねた。

 皇帝はぶるぶると頭を振り、必死に私に抱きついてくる。ここが一番、安全と信じてるわけだ。その信頼はかわいいちゃ、かわいいけど……いつまでも殻の中に籠って小さくなってるわけにはいかない。

 だって、私は姫勇者だもの。

「魔族を退治してくるわ。離れなさい」

 嫌々と皇帝が頭を振る。

 まったく、もう。

 だから、ガキは嫌なのよ。

「いつまでもブルブル震えてるんじゃないわよ、馬鹿ガキ! この結界の中にいりゃ、あんたは絶対、食われない。怪我一つ負いやしないわ! そして、魔族が消えるまで、この結界が解けることは絶対にないのよ!」

「絶対……?」

 何故、そう言い切れるのだ? と、いう顔の皇帝に私は断言した。

「絶対よ! だって、私が今、魔族を退治してくるんだから!」

 私はその辺にいたテキトーな近衛兵に皇帝の体を押しつけると、群がる魔族達の元へと走った。

「ラーニャ!」

 背後でガジュルシンが叫んでいた。が、無視。

 私は両手で宙を握り、頭の上へと振り上げた。

 飛んで来い、馬鹿剣。

 私は魔族の中につっこむわ。

 あんたの大好きな獲物がそこにいっぱいいて、振るい手はここにいるのよ。

 早く来なさい。

 来なきゃ、魔族を斬れないわよ。

 ちょっとでも遅れたら、私、死ぬわよ。

 無防備な勇者なんて、魔族の格好の餌なんだから。

 ガジュルシンの張った結界を、私は突き破る。魔族を阻む聖なる結界は、私には無いも同然のものだもの。

 周囲の黒く蠢いていたものが、一斉に私へと向かってくる。大波のように、私を取り囲む。

 闇に包まれる! と、思った瞬間、私の前に一人の人間が立ち、私をガジュルシンの結界の内へと突き飛ばした。

 体をはって私への魔の攻撃を防いだのは、アジンエンデだった。エーゲラ風のチュニックがビリビリに裂け、胸と腰と手と脚の四つの赤い鎧が露わとなる。ケルティの上皇様お手製の魔法防具だ。四部位を同時に装備すると物理・魔法結界が頭部を含む全身に張り巡らされるのだ。

「無茶するな、ラーニャ。おまえの命は一つしかないんだぞ」

 結界外に出てしまったアジンエンデを魔が襲う。しかし、魔族の攻撃は彼女にぶつかる瞬間、脇へとそれてゆく。彼女の結界には浄化の力はないけれど、魔からの攻撃をはじく力はあるようだ。

「武器無しでは戦えん。忍者達に任せて今はおとなしくしてろ」

「そういうわけにもいかないのよ」

 ガジャクティンとシャオロンが魔族の中に取り残されてるんだもの。ガジャクティンがちゃんと魔法を使ってたら、二人とも無事なはずだ。絶対、生きてる。

 従者を見捨てるなんて、勇者じゃない。

 守られて結界の中に小さくなってるのも、勇者のふるまいじゃない。

 魔族を浄化し、今世に清浄をもたらすものこそ勇者なのだ。

「来なさい、私と共に魔族を浄化する為に」

 剣は私の声に応えた。

 私の両手は『勇者の剣』の柄を握りしめた。

 魔法剣が私の求めに応じ、空間移動して来たのだ。



 どう敵を斬りたいのか、どう振るって欲しいのか、『勇者の剣』の望みが私にはわかる。

 それは、私の望みでもあるから。

 空気のように軽い剣を、意のままに操り、目の前の黒いものを祓ってゆく。

 剣を振るうだけで光が広がり、魔族が消えてゆく。

 魔を斬る度に、穢れたものを滅ぼす歓喜が、私へと伝わる。

 私にしても、命を狙ってくる醜い存在が消えうせてくれるのはありがたい。魔族の消滅は私にも喜びだ。だけど、それはあくまでも私の思い。剣に同調しすぎて、剣に精神をのっとられたわけじゃない。少なくとも、今は。

 闇を祓う存在。ジライとアーメットの持つ聖なる武器の波動が私へと伝わってくる。

 そして、後、二人。

 聖なる力を用いている人間は他に二人いる。

 拳に聖なる魔法をこめて、敵を殴っているガジャクティン。

 燕のように身軽に拳を振るい、闇を切り裂くシャオロン。その手には聖なる武器がないのに、シャオロンは魔を切っていた。

『そんな馬鹿な』と、誰かがつぶやいた。つぶやきみたいな小さな声が魔族と戦闘中の私の耳に届くなんてありえない事なんだけど、確かに聞こえたのだ。



 魔が全て消え、探知の魔法で周囲を確認してからガジュルシンは結界を解いた。

 それでもって私は、ガクッと庭園の煉瓦の通り道に倒れた。

 気を失ったわけではない……

 馬鹿剣が重たくなって、まともに持っていられなくなったのだ。剣は成人男性一人分ぐらいの重量。魔族が消えた途端にこれだ! 腹立つ〜〜〜そんなに私に持たれるのが嫌なの?

「姫勇者ラーニャ、無事か?」

 走り寄ろうとした皇帝を、周囲の近衛兵が押しとどめる。うん、その判断は正しい。私が魔に穢されていたら、皇帝の命が危ないものね。

 私のそばにシャオロンが跪いた。

「このまま、気絶した振りをした方が楽ですよ」

 私を介抱する振りをしながらシャオロンが小声で言う。

「それとも、鞘をここまで持って来て『勇者の剣』をお部屋まで運びますか?」

 まっぴらだ。『姫勇者』アーメット様にあの馬鹿剣は引き取ってもらおう。

 私の顔の前にシャオロンの右手があった。その三の指には、格闘家の彼には不似合いなものがあった。大粒の金剛石の指輪。清らかな光を放っている。浄化の光だろう。見れば両手の指にある。

 私の視線に気づいたのか、シャオロンがにっこりと口元に笑みを浮かべる。

「妻が持たせてくれたお守りです。『龍の爪』は装備まで時間がかかりますからね。突発的な戦闘には、あの武器、向かないんですよ」

 そうか、この指輪で魔を浄化していたのか。

 指輪を外し小袋にしまったシャオロンが、『姫勇者様はご無事ですが、勇者の剣と感応しすぎ、ひどくお疲れになっています』とか何とか皇帝達に言ってるのを私は寝っころがって聞いていた。

 かわいそうな近衛兵が数人亡くなったみたいだけど、勇者一行は全員無事。皇帝も、ね。

 気絶した……ということになった私は変態忍者にお姫様だっこで部屋まで運ばれた……

 ジライが上機嫌で熱っぽい視線を私に送ってくるんだもの。どさくさまぎれに頬ずりまでしやがるし。私が動けないのをいいことに、好き勝手して〜 後でぶん殴って蹴っ飛ばしてやる〜〜〜と、思いながら私はひたすら寝た振りを続けた。



 部屋についてすぐにガジュルシンがベッドでダウンの姫勇者の幻を作って結界を張ってくれたんで、入れ替わった。私はインディラ忍者の格好となり、アーメットは姫勇者になった。

 二時間したらこの幻は解ける。で、その後、顔色の悪さを隠したくてドギツい化粧をした姫勇者が『勇者の剣』を拾いに行くという事にした。具合が悪いって事で、皇帝やら摂政やら侍従長からのお誘いは全部断り、手紙はジライに代筆してもらった。

 事情聴取には、シャオロンと結界を張り終えた後のガジュルシンに行ってもらった。



 庭園の魔封じの結界はやはり全部壊されていたらしい。

 犯人は現在調査中で、新しい結界を張り巡らせる為に、シャイナ教とインディラ教の神官・僧侶達が内廷に呼ばれた。シャイナは国教はインディラ教だが、皇帝はシャイナ教を信仰していて国民の五分の一もシャイナ教という複雑なお国。宗教儀式の場には両宗教の代表が呼ばれる。普段は仲良しの両宗教団体が、今日はちょっと険悪だったらしい。

 魔封じの結界を壊すにはある程度の魔法知識がなきゃ無理。何が魔因でどの術式でどこまでが結界の有効範囲かとか、素人にはさっぱりわからないから。内廷に出入りできる聖職者同士、互いを怪しいと疑い合ってるわけだ。

 両者は不穏な空気を漂わせたまま庭園に仮の結界を張り巡らし、それぞれのやる事を監視し合っていたそうだ。摂政ドルンは両宗教団体に混合チームを組ませ、内廷の他の結界は無事か早急に調査するよう命じたとか。



 皇帝との面会で私の部下の忍が武器を所持していた事は、不問となった。シャイナの内廷が魔族侵入し放題の結界無し状態だった事を内緒にするのを交換条件に、ドルンと取引したらしい。世に広まったら、シャイナ皇宮の面目丸潰れだものね。大っぴらにはされたくないはずだ。

 交渉したのはガジュルシン、でも、知恵をつけたのはシャオロン。

 インディラでは、ガジュルシンは大臣やらの偉そうな貴族の前に出ると体調を崩し、吐くやらひっくりかえるやらのたいへんな状態になった。なのに、何故かシャイナ皇宮では体調を崩さない。理由を聞くとシャオロン様のおかげだという返事が返ってきた。シャオロンの精神が安定しているからそばに付き添ってもらうと落ち着くらしい。そのへんがどうもよくわからない……

 でも、まあ、皇帝の御前で武器所持なんて本来は斬首ものにマズイ事なんだから、不問になってよかった。

 魔族騒動がおさまるまでという条件で、勇者一行全員の内廷での武器の所持も認められた。




 苦しそうな声……

 痛い? 痛いって言ってる?

 息も絶え絶えな声……

 誰かが泣いてる……?



 死にかけているのだ……



 わからない……とも言った。

 血を流し朦朧としながら、つぶやいている。



 誤ったのか……? と。



 花瓶の牡丹の香りが、やたら甘く濃く感じられる。



 目を覚ました私は周囲を見渡した。まだ夜だ。真っ暗だ。

 すぐ近くに運びこませた移動用寝台から、アジンエンデの規則正しい寝息が聞こえる。

 貫頭着のまま、私はベッドを離れた。

 少し歩いて気がついた。旅に出てから夜中にトイレに起きた日には必ずお供いたしますとちょっかいを出してきたジライが、珍しく姿を見せない。

 どっかに情報収集にでも行ったのかしら? そう思ったら、又、うめき声が聞こえた。

 声に誘われるまま、私は内廷の姫勇者の部屋を出た。



 処々に燭台のともる廊下。

 私は声に誘われるまま、一人歩く。

 誰ともすれ違わない。

 警備兵も召使もいない。

 無人の廊下を、苦しそうな泣き声を頼りに歩く。



 歩けば、歩くほど……

 理由もなく不快になった。

 足の裏から汚れてゆくような気がした。

 素足だと気づいたのはだいぶたってからだけど、足が汚れるとかそんなんじゃない。この場に居たくない、この廊下を歩きたくない、穢れてしまう……そんな風に思ったのだ。


 

 扉を開いた覚えはないんだけど、私はいつの間にか広い部屋の中にいた。

 がらんとした暗い部屋。窓から月明かりが漏れ入るそこの最奥は少し高い段になっていた。

 声はそこから聞こえるようだ。

 そこで苦しげな声で泣きうめいているのだ。 

 暗くてよくわからないけど……

 奥に何かが光っているようだ。

 赤い小さな炎が二つ、宙に浮かんでいる。

 何とわからぬそれに向かい、私は静かに進んだ。

「なるほど……それは気がかりでしょう……あなたの心残りが無くなるよう、力をお貸ししましょう」

 私はハッと前方を見つめた。

 最奥の上段に誰かがいる。

 そして、それが誰かは、私にはわかるのだ。

「お父様!」

 胸響く、低く甘い声。しっとりとした優しいお声は、お父様のものに間違いない。

 私は、声がした方へと走って行った。

「お父様、どうして、ここに?」

 何かが動く。

 赤い二つ並んだ炎がふいに消え、周囲は月明かりだけの暗い部屋となる。

「……ここまで来られるとは、さすがは姫勇者ラーニャ様ですね」

 お父様が他人行儀に私を『姫勇者ラーニャ』などと言う。

「お父様? 何処? 何処なの?」

「違います、姫勇者様。私はナーダではありません」

 え? 別人? でも、呼び捨て? 相手はインディラ国王よ?

 ポッと周囲が明るくなる。魔力による光球の明かりが灯ったのだ。

 部屋の最奥の上段には宝石がゴテゴテついた絢爛な椅子があり、そのそばに、魔法使いの杖を持った、黒の魔術師のローブの人間がいた。

 夜の河のように長い黒髪。踝ぐらいまであるかもしれない。それを一つの三つあみにしてる。相当重そうな髪。

 フニャとしたヤサ男タイプだ。妙にすました顔をしている。

 お父様じゃなかった、でも……

「はじめまして、姫勇者様、あなたのお噂はかねがね伺っております」

 声もしゃべり方も、お父様によく似ている……ガジャクティンよりも、お父様にそっくりだ。

「あなた……誰?」

 ヤサ男は肩をすくめた。

「カルヴェルの友人……と、だけ名乗っておきます。すみません、姫勇者様、私、今、隠密活動中なのです。シャイナ皇宮に不穏な動きがありましたので、調べていたんです。潜入先で本名を名乗るわけにはいかないので、今は名は伏せさせてください」

「あなた、忍なの?」

「いいえ。でも、今、やってる仕事はそんなものですね。探し物をしてましてね、ここが怪しいなあと思って調べてたのですが……」

 にっこりとほほ笑むその顔には、邪気も悪意もない。とても、穏やかだ。

「別のものを見つけてしまいました。夭折した天才です」

「夭折した天才……?」

「この世界の三本の指に入る権威をもうならせたであろう天才です。そんな優秀な方が、誰にも才を知られぬまま果ててただなんて……残念な事です」

「ここで誰かが死んでいるの?」

「ええ」

 魔法使いは豪華な椅子を見つめた。

「その時、アレも使用されたかと思ったんですが、ただの刀剣による殺人だったようです」

「なんでわかるの?」

 魔法使いは静かに微笑む。

「過去見の魔法で見ましたから。誰からも邪魔されないよう、時の結界を張ってね。ここ以外の時を凍結さててもらったんです。ここで数日過ごそうとも、外では時がずっと止まっているはずだったんです。でも、」

 時の結界?

 なに、それ、聞いたことないけど?

「あなたには通じませんでしたね。あなたは自分とその周囲を、私の時と同期させています。さすがは姫勇者ラーニャ様」

「どういう意味?」

 何か変。

 何か違和感がある。

「私があなたの魔法を破ったみたいな口ぶりだけど?」

「いいえ、破ったのは、あなたではありません。あなたの相棒、たぐいまれなる魔法剣です。姫勇者であるあなたは常にあれと共感しているから、無意識に力を借りられるのでしょうね」

「共感?」

「ご自覚がないみたいですね」

 男の人はニコニコ笑う。

「あなたは共感能力者(エンパシー)です。その能力は、あなたのお母様のものよりも強く、ある意味、ランツのものよりも強い。方向性は違いますけどね」

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