婚約者を譲ってほしいと言われたので
初投稿です。
「アリアねぇさまぁ。私、ねぇ様の婚約者のぉトゥーリ様をぉ好きになってしまったのぉ。だからぁ、私に譲ってくださるわよねぇ」
「……はぁ?」
午後の日差しが、カーテンの隙間から柔らかくティーサロンへ差し込んでいる。
午後のティータイム。のんびりと紅茶を飲んでいたアリアローズの耳に入ってきた言葉に、彼女は何かの聞き間違いかと思った。いや、思い込もうとした。
しかし、唐突に部屋へ入ってきたと思ったらそんなことを言い出した、二つ下の従姉妹・ミールルが目の前に立っているため、現実逃避も叶わなかった。
「愚図でぇ、気弱でぇ、特に魅力もないようなぁ、アリアねぇさまよりぃ、私のほうがぁ、トゥーリ様にぴったり!でしょう?」
そう言ってくる。
ミールルの横には、彼女に腕を取られて連れてこられたらしいトゥーリ様もいた。
彼は少し困った顔をしながらも、ミールルのほうを見て、にこにこと笑っている。
「ねぇ、ミールル。いきなりどうしたの? 今ならまだ間に合うわ。冗談なら撤回してちょうだい」
「冗談ぅ? そんなわけぇないじゃなぁい」
ミールルはさらにトゥーリに抱きつき、勝ち誇った顔をする。
「トゥーリ様、あの……」
「もうぅ、私のものになったの! だぁかぁらぁ、話しかけないでくださるぅ?」
端から、ミールルはアリアローズに許可を求めに来たわけではなく、ただ宣言しに来ただけだったらしい。
「トゥーリ様、行きましょ」
「……アリー、また今度、改めて話そう」
ミールルに手を取られたまま、トゥーリ様も出ていってしまった。
部屋にいるメイドたちは呆気に取られていたものの、すぐに自分の仕事へ戻る。
「お茶を交換いたします」
侍女のヘーゼルがそう言って、新しいお茶を淹れてくれた。
「ありがとう。……ねぇ、私、どうすればいいかしら」
「そう、ですねぇ。まずは旦那様にご相談、でしょうか」
「そうよね。悪いけど、お父様に今のことを伝えてきてくれるかしら」
部屋の隅で一部始終を見守っていたメイドの一人が、急いで一礼してから部屋を去る。
アリアローズは新しくなったお茶をそっと飲み、深く、深くため息をついた。
◇
ベルン伯爵家には、子どもは女子しかいなかった。
長女、ペルーシアは伯爵家を継ぐことをせず、幼馴染である侯爵家の長男に嫁いでいってしまった。
「アリアローズがいるんだもの。なんとかなるでしょ」
そんなことを言って。
ペルーシアが16歳で婚約が決まったのは、アリアローズが2歳の時だった。
アリアローズが生まれて一番喜んでいたのはペルーシアだと、家族全員が思っている。
長男と長女同士では結婚は不可能だと思っていたところ、自分の代わりになる者が生まれたのだから。
アリアローズが生まれる一年ほど前、王城では正妃腹の次男、兄弟全員を合わせると四人目となる王子が生まれた。
四人目ともなれば、新しく公爵家を興すわけにもいかず、彼が婿入りできる家を探すこととなった。
王妃殿下の懐妊を知り、さまざまな家で子作りが行われていた。
ベルン伯爵家も、そのうちの一つである。
ただ、長女が生まれた後、なかなか子どもが生まれなかったため、半ば諦めかけていた。
今回も無理か、と諦めかけた頃、ベルン伯爵家夫人の懐妊が判明した。
使用人の間では、半年前に亡くなった伯爵の母が奥様に避妊毒を飲ませていたのではないかと噂されていたが、真実を知る者は誰もいない。
さて、第四王子とはいえ王子の婿入り先である。
当然、高位貴族から声がかかっていくものだ。
しかし、第三王子が生まれてから八年ほど経った現在、ほとんどの家にはすでに跡取り息子がおり、なかなか婿入り先など簡単には見つからなかった。
数百ある伯爵家の中から、ようやく婿入りできそうな家が五つ見つかった。
ベルン伯爵家も、そのうちの一つであった。
「皆さん、今日は集まっていただきありがとう。息子のトゥーリ・バイシェルンよ」
王妃殿下の声に、その日、王城の庭に集められた母親とその娘たちはカーテシーで応えた。
王子の四歳の誕生日会が、つい先日行われたばかりである。
「トゥーリ・バイシェルンだ」
それだけ言って黙ってしまったトゥーリに、王妃殿下は少し困った顔をする。
「子どもたちの席はあちらに用意したわ。トゥーリ、皆さんと仲良くね」
「はい、母上」
「私たちは、あちらでお話ししましょう」
そうして、子どもたちが見えるガゼボで、親たちはお茶を始めた。
集められた令嬢は、それぞれ王子の八つ上、五つ上、三つ上、一つ下、二つ下。
お姉さん気質のある上の子三人は、それぞれ王子に取り入るためにも甲斐甲斐しく世話を焼いている。
二つ下の子は、まだまだ何が何だかわからない様子で、ただそこに座っていた。
そして、アリアローズは、この状況をただただ眺めながらお菓子を食べていた。
急に仲良くしろと言われても、無理である。
さらに押しの強い年上の子たちに勝とうなどとは、思えなかった。
何より、初めて挨拶した時からじっとアリアローズを見てくる王子の眼力の強さに、彼女は若干引いていた。
「皆、ありがとう。ねぇ、アリアローズ。このマカロンも美味しいよ。食べてみて」
トゥーリがそう声をかけると、お姉さまたちがギンッと睨みつけてくる。
「あ、ありがとうございます、殿下」
他の子たちが怖いからとはいえ、王子殿下に勧められたものを無下に断ることなどできない。
甘くて美味しいはずのお菓子が、途端に味を感じなくなった。
その後の記憶は曖昧だが、気づけば家に帰っていて、後日、トゥーリの強い希望でアリアローズが婚約者となったと聞かされたのだった。
さて、婚約者となったトゥーリ。
婚約者のお茶会を開けば、いつも甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくる。
普段の無表情はどこに行ったのかと思うほど、ニコニコとしている。
もしもアリアローズが他の男と話そうものなら、どこからともなく現れて、
「僕のアリーに何か用かな?」
と凄む。
トゥーリ殿下がアリアローズを溺愛していることは、周囲の者たちには周知の事実となっていた。
十歳頃までは「可愛らしい」で終わっていたのだが。
時は経ち、アリアローズが十五歳になった年、ベルン伯爵家に父方の従姉妹であるミールルがやってきた。
二つ下のミールルは学院に通うため、ベルン伯爵家の王都邸に間借りすることになったのだ。
身分は男爵家なのだが、伯爵家に住んでいる間に甘やかしてもらっていた彼女は、どんどんと欲深くなっていった。
まるでベルン伯爵家の娘かのように振る舞い、詳しく知らない令息などは、本当に伯爵令嬢として扱うほどだった。
彼女が王都に来た頃には、トゥーリはすでに卒業しており、顔を合わせることなどほとんどなかった。
けれど、度々デートのために訪れるトゥーリと出会う機会が数回あり、ミールルはすっかり王子様に憧れてしまった。
野心の強い彼女は、同じ伯爵家の令嬢であるはずのアリアローズが憧れの王子様の婚約者であることが羨ましく、そして許せなかった。
「私こそがぁ、お姫様にぃ、ふさわしいですわぁ」
いつからか、そんなことを言うようになっていたことを、誰も気づいていなかった。
気づいていないのだから、男爵家で、しかも家を継ぐ立場ですらない彼女に、トゥーリとの縁談などあり得ないと指摘する者もいなかった。
そうして、何の変哲もない日、その嵐は唐突にやってきたのである。
「お嬢様、旦那様より、すぐに陛下と面談し、トゥーリ様を説得なさってくださるとのことでした」
「流石お父様だわ。話が早くて助かるわ」
アリアローズが自室に戻り、トゥーリに宛てた手紙を書き終えたところで、侍女が伝えに来た。
「トゥーリ様へのお手紙です。ミールルは部屋にいるのかしら?」
「はい。あの後、トゥーリ様を必死にお部屋へお誘いしていたようですが、用事があるからと、トゥーリ様はお帰りになったとか」
「用事、ね……」
「はい。用事、と」
二人は、その用事になんとなく心当たりがあった。
それが的中すれば、陛下からの忠告を受ける前に、きっと……。
「お嬢様、大変です!」
ヘーゼルと二人、思わず顔を見合わせた。
間に合わなかったか、と。
「モームリー男爵家がお取り潰しになる可能性が高いと」
ミールルの実家であり、アリアローズの叔父の家である。
「理由は?」
「高位貴族家の乗っ取りを企んでいる、と」
「あぁ……」
アリアローズは額に手を当てた。
「ヘーゼル、この手紙は間に合わなかったけれど、少しはなんとかなるかもしれないわ。トゥーリ様に渡してちょうだい。それと、陛下のもとに私も参ります。用意を」
「かしこまりました、お嬢様」
ヘーゼルは手紙を外で待機していたフットマンに託し、メイドを二人呼んでアリアローズの支度にかかる。
ドレスはトゥーリの瞳の色に似たブルー。装飾品は髪色の金。
これでもかとトゥーリの色を身にまとったアリアローズは、自身のミルクティー色のふわふわとした髪をくるくるとまとめられ、最後にサファイアと金でできた髪飾りをつけられて、なんとも言えない表情になっていた。
◇
トゥーリの色をまとったアリアローズが、王城の会議室へとスムーズに連れていかれる。
傍らにはヘーゼルを連れていた。
「アリー」
あと少しで会議室、というところで声をかけられた。
「モームリー男爵家のこと、かな?」
「……トゥーリ殿下に、ご挨拶申し上げます」
「ふふ、アリー堅苦しいことは抜き。さぁ、ここからはエスコートさせてね」
有無を言わさぬそれは、まるで連行のようである。
トゥーリに連れられて会議室に入れば、陛下、王妃殿下、側妃殿下、さらにはトゥーリの兄であり長男の王太子殿下、宰相、アリアローズの父、そしてモームリー男爵がその場に揃っていた。
「挨拶はよい、アリアローズよ。そちらに座るがよい。トゥーリはこちらだ」
「私はアリアローズの側にいますので、お気になさらず」
「よいから来んか」
陛下に言われてもアリアローズの手を離そうとしないトゥーリを、王太子殿下が引っ剥がし、自分の横の椅子――アリアローズの正面に座らせた。
と、ここで、もう我慢できなくなったのか、モームリー男爵が声を上げた。
「陛下! 何か誤解があったようですが、我が家は家の乗っ取りなど、全く以て考えておりません! むしろ、兄上のおかげで我が男爵家は暮らしていけているのです。そんな、滅相もないことは行いませんとも!」
「陛下、私からも。弟は我が家を乗っ取ろうと思ってなどいないことはわかります。モームリー男爵家をお取り潰しにするのは……」
「あぁ、よいよい。心配せずとも、モームリー男爵家を取り潰すつもりはない。ただ、男爵よ。兄の優しさに甘えて娘を放置したのはいささか問題になってしまってなぁ。トゥーリよ、話すがよい」
トゥーリは話を振られ、少し嫌そうな顔をする。
「モームリー男爵。そなたの娘は、私に勝手に触れただけでなく、私の一番大切な女性を貶すような発言をしたうえに、自分のほうが相応しいなどと寝言を言っていたぞ。万死に値するとは思わないか? 義父上殿も、あんな女を甘やかすから、つけあがったのだろう。私のアリーを私の前で侮辱した。その場で切り捨てなかっただけありがたいと思え。アリーが私を止めなければ、切り捨てていた」
そう一気にまくし立てると、ムッとしたまま、これ以上は話す気はないとそっぽを向いている。
モームリー男爵は、ひどく汗をかきながら床に土下座した。
「アリアローズ嬢、うちの娘が申し訳ないことをした。兄上に甘えていた私が悪かったのだ」
「叔父様、顔を上げてくださいませ。私は怒っておりません」
「あぁ、アリアローズ、済まない。済まない……」
トゥーリは、ふんっと鼻を鳴らす。
「トゥーリ様」
アリアローズが名前を呼ぶ。
「トゥーリ様」
「……アリーは、優しすぎる」
トゥーリが不貞腐れたように言う。
「ふむ。では、ミールル嬢を家の乗っ取りの主犯として、国境警備隊付き従軍婦にする。よいな?」
陛下の言葉に、男爵は娘を思ってのことか、安堵からか、涙をこぼした。
ベルン伯爵は気まずそうに目を伏せ、アリアローズと王妃、側妃は扇を口元に当て、息を呑む。
トゥーリは小さく、
「処刑すればよかった」
と呟いている。
王太子は、そんな弟に苦笑していた。
◇
それからすぐに、ミールルは何も教えられないまま、辺境の地へ送られた。
案外、処刑のほうが優しかったのではないかとアリアローズが気づいたのは、もう少し後のことである。
王城の庭。
使用人たちが見守る中、トゥーリ殿下はベンチに座りながら、アリアローズの腰に抱きついていた。
「アリー、僕のアリー。捨てないで」
「はいはい、トゥーリ様。捨てませんから、離してくださいませ」
「嫌だ。僕が学校を卒業してから、君が何人かの男たちと会話したと聞いた。浮気なんか許さないからな」
「浮気じゃないですし、ただの連絡事項の共有ですし、お友達も一緒の時ですわ」
「でもでも、僕のアリーは可愛いから……」
「そう言いながら、殿下こそ、ミールルに抱きつかれてニコニコしていたじゃありませんか」
「えっ……もしかして、嫉妬してくれてたの?」
「そういうわけじゃないですけど!」
真っ赤になってそっぽを向いたアリアローズに、トゥーリは破顔する。
「あぁ、可愛い、可愛い……。アリーの匂いがするって思ったら、つい笑ってしまっていただけだよ。それに、アリーが一応可愛がっていたみたいだからね。殺さないように殺気を抑えようとしたら、逆に笑っていただけなんだ。いやぁ、殺したくなるほどムカつくと、逆に笑えてくるって初めて知ったよ」
アリアローズは、改めて彼の重い愛に、そっと息をついた。
ミールルは、きっと長生きは出来なかったことでしょう。
アリアローズは、トゥーリのことを嫌ってはいませんが、重たいなぁとは感じています。
トゥーリは、アリアローズが自分の世界の中心だし、アリアローズの世界の中心は自分で無いと嫌だと思っています。




