21
あたたかい――。
その感覚に触れた瞬間、胸の奥に沈んでいた記憶が、否応なく浮かび上がった。
小さな背中。
力強くて、少し広すぎる肩。
――「お兄ちゃんおんぶして!」
「任せろ!」
昔、よくこうしておんぶしてもらった。
高い視点。揺れる景色。
安心しきって、眠ってしまった記憶。
西園寺の脳裏に、過去が鮮明によみがえる。
兄は、若くしてサイバー部隊で頭角を現した。
実力は本物で、次第に十文字と肩を並べる存在になり、気づけば陛下直属のボディーガードにまで上り詰めていた。
――誇りだった。
急いで病室のドアを開けた、あの日。
「お兄ちゃん……!
お母さんは? お父さんは……?」
返ってきたのは、冷たい現実だった。
自宅で、出血多量による死亡。
調査結果は――
体内にガジェットを埋め込んだサイバーヴァンプの暴走。
血を求め、家族を殺害したらしい。
兄は、その場で感情を失ったように見えた。
膝から力が抜け、床に座り込む西園寺。
声も出なかった。
それ以降、兄は家に帰ってこなくなった。
――そして、ある日の夜。
扉が開く音がした。
「お兄ちゃん、おかえり」
そう声をかけても、反応はない。
「なにか食べる?
……今まで、何してたの?」
沈黙。
やがて、兄はようやく口を開いた。
「……お前は、西園寺家の恥だ」
その一言が、胸を貫いた。
「二度と、俺に関わらないでくれ」
それきりだった。
兄は家を出ていき、戻らなかった。
気づけば、涙が止まらなかった。
――それでも。
――だからこそ。
追いつきたい。
見返したい。
あの背中に、並びたい。
そう願い続けた過去が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
懐かしい――おんぶされてる懐かしい
この背中――。
「……お兄ちゃん?」
ぼやけていた視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
微かに揺れる景色。
上下する視界。
「……?」
次の瞬間、自分の体が揺れていることに気づき、息を呑んだ。
「わっ――!」
思わず漏れた声。
その振動が、背中越しに伝わる。
「起きたか」
落ち着いた声。
――悠人だ。
「……っ、あ、あなた……敵チームでしょ!?
なにしてるの、放しなさい!」
咄嗟に身をよじろうとするが、背中から伝わる腕の力は微動だにしない。
「落ち着け。今暴れたら、マジで傷が開く」
低く、しかし有無を言わせない声。
悠人は歩調を崩さぬまま、淡々と続けた。
「今まで起きたこと、追加ルール、状況説明した。」
錆びた金属の軋む音。
ひび割れたコンクリート。
薄暗い空間に、遠くで警告灯が赤く瞬いている。
「雰囲気、最悪ね」
西園寺が呟いた、その瞬間だった。
――ガシャンッ!!
死角。
瓦礫の影から、無音で現れた影。
「このエリアの徘徊ロボか!?」
刃が振り上げられる。
まずい。
完全に油断した。
(この状態じゃ――避けられない……!)
悠人が歯を食いしばる。
――ドゴォンッ!!
衝撃。
だが、痛みは来なかった。
ロボの巨体が、横殴りに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「……なんだ?」
悠人が目を見開いた、その先。
「やあやあ。天才少年がこんな死に方じゃ、物語として面白くないよね」
軽い調子の声が、暗闇に響く。
瓦礫の上。
逆光の中から、一人の少年が歩み出る。
「――鈴木……!」
口元に、余裕の笑み。
「主役がピンチのときに現れる脇役。そして――」
鈴木は肩をすくめ、楽しそうに言った。
「脇役が主役を食う。それが一番、盛り上がるんだろ?」
鈴木はそう言って、軽く手を振った。
まるで散歩の途中に立ち寄ったかのような余裕。
悠人は一歩、半身になる。
背中の西園寺を庇う位置取り。
その動きに、鈴木は気づいたが――笑みを崩さない。
「悠人……気をつけて」
西園寺の声が、低く震える。
「こいつ、強い」
根拠はない。
だが、肌が警鐘を鳴らしていた。
鈴木の周囲だけ、空気が歪んでいる。
ロボを一撃で吹き飛ばしたあの瞬間も、出力の揺らぎが“見えなかった”。
――手の内を、一切見せていない。
赤い警告灯が、周期的に点滅する。
そのたびに、三人の影が伸びては交わり、また離れる。
♦︎
「……どうしてだ、鈴木」
瓦礫の隙間で、悠人は荒い息のまま問いかけた。
「なんでジョイなんかと手を組んで、こんなことを……」
鈴木は一瞬だけ視線を落とし――次の瞬間、吐き捨てるように笑った。
「……決まってるだろ」
顔を上げたその瞳にあったのは、羨望でも憎悪でもない。
長い年月を削り続けた末に残った、疲弊しきった色だけだった。
「俺はな。お前みたいな“天才”が――大嫌いなんだよ」
悠人の喉が、わずかに鳴る。
「努力すれば報われる? はっ……ふざけるな」
鈴木の声が荒れ、抑え込んでいた感情が一気に噴き出す。
「俺は……俺はお前なんかより、何倍も努力した。
眠る時間も削って、失敗して、歯を食いしばって……それでもだ」
震える拳が、床を叩く。
「……なんで評価されるのは、いつもお前なんだ」
空気が、鉛のように沈んだ。
悠人は背中の温もりを確かめるように一度だけ息を吸い、
ゆっくりと西園寺を安全な瓦礫の陰へ下ろした。
静かな動作。
だがそこには、確かな覚悟があった。
――ふと、現実世界の記憶が脳裏をよぎる。
「……わかるよ、鈴木の気持ち」
目を伏せたまま、悠人は低く言った。
「俺も昔、なんでもできる奴が……憎かった」
その瞬間。
「――は?」
空気が、凍りついた。
鈴木が乾いた笑いを漏らす。
「ここにきて、嘘までつくのかよ」
愉快そうで、底冷えのする声。
「お前が?
“なんでもできる奴”を憎んでた?
笑わせるなよ、悠人」
赤い警告灯が点滅し、三人の影が歪む。
「お前が――そっち側の人間の気持ちなんて、わかるわけないだろッ!!」
叫びが、薄暗い空間に反響した。
「お前を殺して……俺が輝く」
その声に、迷いはなかった。
悠人は一歩、前に出る。
「……鈴木」
静かに、だが確かに告げる。
「西園寺。この件――俺にやらせてくれ」
背後で、西園寺が息を呑む気配がした。
悠人は視線を逸らさず、鈴木を見据えたまま言う。
「お前の孤独……絶対に、俺がそこから引きずり出してやる」
決裂か。
それとも――救済か。
鈴木が不気味に笑いながら言う
――《SYSTEM CALL : PAIN》
無機質な電子音が、空間に割り込んだ。
次の瞬間、鈴木の足元から“負”のオーラが噴き上がる。
黒く濁ったそれは煙のように渦を巻き、やがて意思を持つかのように蠢き始めた。
「……っ」
背中が、歪む。
肉が裂ける音も、悲鳴もない。
だが鈴木の背後から、影が“生成”されていく。
――ホログラム化された触手。
背骨を起点に、幾本もの黒い鞭が伸び、空気を切り裂いた。
「見ろよ、悠人……!」
鈴木の声が、異様に重く響く。
「これが――俺の“努力”の結果だ!」
――バシュンッ!!
死角から、触手が鞭のように叩きつけられる。
「……っ!」
悠人は反射的に地を蹴り、同時にアサルトライフルを構えた。
「来い……!」
――ダダダダッ!!
乾いた銃声。
放たれた弾丸が、黒い鞭を正面から撃ち抜く。
火花。
負のオーラが弾け飛ぶ。
「なっ……!」
触手は砕け散る――だが、即座に再生する。
「……チッ」
悠人は歯を食いしばり、前に出た。
後退はしない。
守るべき背中が、そこにある。
「鈴木!」
銃口を下げぬまま叫ぶ。
「その力……ジョイの仕業だろ!」
「違うッ!!」
鈴木の叫びと共に、さらに太い鞭が生まれる。
「これは俺の努力だ!!
お前みたいに、最初から持ってた力じゃない!!」
鞭が地面を抉りながら迫る。
悠人は踏み込み、至近距離で引き金を引いた。
――バンッ!!
負のオーラが爆ぜ、鈴木の身体が大きく仰け反る。
それでも――鈴木は笑った。
狂気と執念が入り混じった、歪んだ笑みで。
「お前を倒して……
俺が“証明”するんだ」
触手を撃ち落とすたびに、ひしひしと伝わってくる。
鈴木の――切なさが。
(……わかる)
胸の奥が、じくりと痛んだ。
俺も、現実世界ではそうだった。
この世界は、選ばれた者しか輝けない。
努力じゃ、天才には勝てない。
そんな秩序が――俺は、心底嫌いだった。
運動も、勉強も。
必死に食らいついて、寝る間も削って、それでも最後に勝つのは“最初からできる奴”。
俺は、ずっと器用貧乏だった。
できなくはない。
だが、突き抜けられない。
転生する前ですら、俺は母さんに言われていた。
「すごいわねえ。同い年の子がロボットを開発して、テレビに出てるのよ」
比べられるたびに、胸の奥が冷えていった。
(……なのに)
こんなにも近くに、
俺と同じ地獄を歩いてきた奴がいたのに。
「……なんで、気づかなかったんだよ」
悠人は、引き金から指を離した。
その瞬間。
――バシィッ!!
黒い触手が、鞭のようにしなり、悠人の腕を裂いた。
「――っ!」
続けざまに脚。
腹部。
容赦なく、叩きつけられる。
「おいおい……」
鈴木の声が、嘲るように響く。
「ここにきて、情けかよ」
触手が地を叩き、さらに速度を増す。
「天才は、凡人すら相手にしないってことかよ?」
怒りと哀しみが混じった咆哮。
「同情? 理解?
そんなもんで、この差が埋まると思ってんのか!!」
鞭が唸る。
風を裂き、肉を裂く。
それでも――
悠人は、止まらなかった。
一歩。
また一歩。
血を流しながら、それでも悠人は鈴木へと歩み寄る。
「もうやめて!」
背後から、西園寺の悲鳴に近い声が飛んだ。
「これ以上は……あなた、死んじゃうわ!」
その言葉すら、悠人の足を止めることはできなかった。
「……違う」
低く、だが確かな声。
「俺は、逃げるのをやめただけだ」
触手が、肩を叩き潰す。
膝が、軋む。
それでも、前へ。
「天才だから、向き合わないんじゃない」
悠人は顔を上げ、鈴木を真正面から見据えた。
「――同じ地獄を、俺も知ってるからだ」
一瞬。
触手の動きが、止まった。
ほんの刹那。だが確かに、隙が生まれる。
鈴木の瞳が揺れる。
――今だ。
悠人は迷わなかった。
(届いてくれ……俺の思い)
腰のホルスターから引き抜かれるハンドガン。
《ジャッジメント・コード》
引き金にかけた指に、意思を込める。
「選んだの二個目の弾丸名前は…操弾」
乾いた発砲音。
その瞬間、鈴木の意識が跳ねた。
「……っ!」
我に返った鈴木の背から、反射的に触手が伸びる。
鋭く、一直線に――悠人の顔を裂こうとする。
だが、もう遅い。
放たれた弾丸は触手を貫き、なお止まらず、
鈴木の身体へと深く埋め込まれた。
――次の瞬間。
世界が、反転する。
鈴木の脳裏に流れ込んできたのは、
悠人の現実世界の記憶。
そこにいたのは、皆に称賛される“天才”ではなかった。
目立たず。
評価されず。
器用貧乏で、何者にもなれなかった少年。
努力しても、結果は出ない。
周囲には、軽々とできてしまう“才能”の持ち主。
――そして。
「なんで、あの子みたいになれないの」
母の声。
比較され、並べられ、削られていく自尊心。
「……嘘だ」
鈴木の声が、震える。
「嘘だ……こんなの……」
西園寺が、呆然と呟いた。
「……何が起きてるの……」
鈴木は頭を抱え、崩れ落ちる。
「やめてくれ……」
涙が、零れ落ちる。
「俺の……俺の憧れは……
こんなものじゃ、ない……!」
憧れていた“天才”は、救いでも、希望でもなかった。
ただ同じ地獄で、足掻いていた人間だった。
悠人は銃を落とし、
ゆっくりと、鈴木に歩み寄る。
そして――
抱きしめた。
強くもなく、拒まれない程度に。
「……もういいんだ」
静かな声で、悠人は言った。
「天才に、憧れなくていい。お前は、お前のままでいい」
触手が、霧のように消えていく。
瓦礫の中で、
ただ二人の嗚咽だけが、静かに響いていた。




