第8話 始まったら、止まらない
朝のギルドは、いつもより騒がしかった。
「聞いた?」
「勇者パーティ、依頼失敗したらしいよ」
「え、あの勇者様が?」
ざわめきが、妙に生々しい。
俺は掲示板の前で立ち止まり、
新しく貼られた紙を眺めていた。
《緊急依頼:南部坑道の魔物駆除》
《失敗》
《再募集》
(……再募集、か)
珍しい。
というより、ほとんど見ない。
「レオン」
ミレイアが、後ろから声をかけてくる。
「やっぱり、見てた?」
「はい」
「新聞、もう回ってるわよ」
彼女は一枚の紙を差し出した。
簡易新聞だ。内容は短い。
勇者パーティ、南部坑道にて撤退
負傷者多数
魔物数、想定より増加
想定より増加。
その四文字だけで、だいたい分かる。
(……索敵、してないな)
ミレイアが腕を組む。
「普通、あの坑道って、
“増える前に叩く”依頼よね?」
「はい」
「なのに、増えてから突っ込んだ」
「準備不足かと」
「……あんた、前ならどうしてた?」
聞かれて、少し考える。
「事前に坑道の換気口を確認します」
「なんで?」
「湿度が上がると、
繁殖が加速しますから」
ミレイアは、ゆっくり瞬きをした。
「……ああ」
「あと、撤退基準を決めておきます」
「それも?」
「増えすぎたら、
被害が出る前に引くためです」
彼女は、乾いた笑いを漏らした。
「それ、誰も教えてないの?」
「教えました」
「……聞いてない?」
「はい」
それで話は終わった。
一方、その頃。
ギルドの奥の個室では、
重たい空気が漂っていた。
「……撤退は正しい判断だった」
アルディオが、苦しそうに言う。
「無理に突っ込めば、
死人が出ていた」
「でも……」
セシリアが包帯を巻きながら呟く。
「撤退なんて、初めてです……」
ガルドは椅子を蹴った。
「クソ……!
あんな数、聞いてねぇ!」
「聞いてない、じゃないわ」
リリアが冷静に言う。
「調査が甘かったのよ」
「調査は、ギルドの仕事だろ!」
「でも、前は――」
言いかけて、止まる。
全員が、同じ名前を思い浮かべていた。
誰も口にしない。
「……偶然だ」
アルディオが言った。
「たまたま、条件が悪かっただけだ」
「そうよね……」
セシリアも、縋るように頷く。
「次は、ちゃんと準備すれば――」
「準備?」
リリアが首を傾げる。
「具体的に、何を?」
沈黙。
準備とは何か。
今まで、誰がやっていたのか。
誰も、言葉にできなかった。
その日の午後。
「依頼、受ける?」
ミレイアが聞いてくる。
「南部坑道」
「いいえ」
即答だった。
「……理由は?」
「今、手を出すと、
“比較”が生まれます」
「比較?」
「はい」
俺は言った。
「それは、相手を追い詰めすぎます」
ミレイアは一瞬考えてから、
小さく笑った。
「……優しいのね」
「違います」
首を振る。
「面倒なだけです」
それは、本心だった。
夜。
詰所で簡単な食事をとりながら、
ミレイアがぽつりと言った。
「ねえ」
「はい」
「ざまぁってさ」
突然だった。
「こういうの?」
俺は少し考える。
「分かりません」
「でも」
彼女は続ける。
「苦しめようとしてないのに、
勝手に苦しくなってる」
「……そうですね」
「それ、
一番タチ悪いわよ」
俺は、少しだけ笑った。
「たぶん」
視界の端に、淡い文字が浮かぶ。
《注意》
《失敗連鎖:発生》
《修正介入:不要》
(……世界は、放っておけと言っている)
俺は、それに従うことにした。
翌日、
ギルドにはまた新しい噂が流れ始める。
「勇者パーティ、
最近ちょっと不安定じゃない?」
「前より、
ケガ増えてない?」
歯車は、もう戻らない。
誰かが押したわけじゃない。
無理に回したわけでもない。
必要な部品が、
ただ外れただけだ。
そしてそれは、
まだ始まったばかりだった。
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