第56話 通り過ぎる人
その出会いは、
意図されたものではなかった。
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雨上がりの夕方。
ユリウスは、
珍しく早く
仕事を切り上げていた。
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「……少し、
遠回りするか」
理由はない。
ただ、
まっすぐ帰る気に
なれなかった。
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街道沿いの
小さな茶屋。
以前、
一度だけ
立ち寄った場所。
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「……空いてますか」
「どうぞ」
店主の声は、
淡々としている。
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先客は、
一人だけ。
軽装。
旅人風。
年齢は、
よく分からない。
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ユリウスは、
特に気に留めず
席に着いた。
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「……最近、
静かですね」
店主が、
何気なく言う。
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「そうですね」
ユリウスは、
答える。
それだけの
会話。
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だが。
先客が、
ふと口を開いた。
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「……静かな方が、
いい人も
います」
独り言のような
声。
ユリウスは、
反射的に
視線を向ける。
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「……そうですね」
それ以上、
続けるつもりは
なかった。
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「評価が、
減りますから」
先客は、
湯気の向こうで
そう言った。
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ユリウスは、
手を止める。
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「……評価?」
「はい」
短い返事。
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「あなたも?」
先客は、
そう聞いた。
問い詰めるでも、
探るでもない。
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「……仕事柄」
ユリウスは、
曖昧に答える。
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「そうですか」
先客は、
それ以上
聞かなかった。
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沈黙。
だが、
気まずくはない。
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「……降りた人を、
どう思いますか」
ユリウスは、
自分でも
意外な問いを
投げていた。
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先客は、
少し考え――
肩をすくめる。
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「分かりません」
即答だった。
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「……分からない?」
「選んだだけなので」
ユリウスは、
眉をひそめる。
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「正しいか、
間違っているか」
「そういう話では
ないと思います」
先客の声は、
穏やかだった。
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「……では」
ユリウスは、
言葉を選ぶ。
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「降りるべきだと、
思いますか」
それは、
ほとんど
懇願に近かった。
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先客は、
一瞬だけ
ユリウスを見る。
評価も、
同情もない目。
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「まだ、
降りなくても
いいと思います」
短い言葉。
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「……理由は」
「ありますが」
「言いません」
ユリウスは、
息を詰める。
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「……無責任ですね」
思わず、
そう言っていた。
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「はい」
先客は、
否定しなかった。
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「責任は、
本人のものなので」
それだけ。
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沈黙が、
戻る。
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やがて。
先客は、
席を立った。
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「……それだけですか」
ユリウスは、
思わず
呼び止める。
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「助言も、
答えも、
なし?」
先客は、
振り返る。
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「ありますよ」
「……何です」
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「壊れないで
ください」
それだけだった。
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扉が、
閉まる。
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ユリウスは、
その場に
残された。
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「……なんなんだ」
苛立ち。
落胆。
そして――
奇妙な
軽さ。
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救われてはいない。
答えも、
もらっていない。
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だが。
否定も、
されなかった。
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「……通り過ぎただけ、
か」
ユリウスは、
そう呟く。
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その夜。
久しぶりに、
深く眠った。
理由は、
分からない。
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ただ。
「降りなくてもいい」
と言われたことが、
少しだけ
胸に残っていた。
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それが
救いなのか、
猶予なのかは、
まだ
分からない。
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だが。
ユリウス・フェルナーは、
その日、
初めて
思った。
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**選ばないままでも、
壊れなければ
いいのかもしれない。**
答えは、
まだ
先にある。
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