第16話 最後の誘い
街を出て半日。
舗装路が土に変わり、
人の気配が薄くなり始めた頃だった。
「……追いつかれたわね」
ミレイアが、肩越しに振り返る。
街道の先、
王国の紋章を控えめに付けた馬車が、
砂埃を上げて止まった。
護衛は二人。
どちらも、武器に手をかける様子はない。
――敵意はない。
だが、退路を塞ぐ位置取りだった。
「レオン・グレイ殿」
馬車から降りてきた男は、
深く一礼した。
「王国監査庁、特別調整官。
本日は、非公式の提案に参りました」
非公式。
それだけで、内容は察せる。
「ここで話しますか」
俺が言うと、
男は頷いた。
「短く済ませましょう」
彼は、懐から書簡を取り出す。
「王国は現在、
“後方の崩壊”に直面しています」
回りくどい言い方だった。
「勇者資格の停止により、
前線は再編可能です。
しかし――」
一拍置く。
「補給、判断、撤退基準。
それらを横断的に見られる人材が、
決定的に不足している」
ミレイアが、小さく鼻で笑った。
「今さら?」
調整官は、表情を崩さない。
「だからこそ、今です」
視線が、俺に向く。
「レオン・グレイ殿。
あなたに、正式に協力を要請します」
「立場は?」
俺は聞いた。
「名目は、
“臨時後方調整官”」
「責任は?」
「限定的です。
最終決定権は、王国側が持つ」
つまり、
責任だけ押し付けられる心配は少ない。
「報酬は?」
「破格です」
金額を聞いて、
ミレイアが小さく目を見開いた。
「……それ、本気?」
「本気です」
調整官は、淡々と続ける。
「住居、身分、保護。
すべて保証します」
安全。
安定。
成功者側への復帰。
多くの人間が、
喉から手が出る条件だ。
視界の端に、
淡い文字が浮かぶ。
《選択肢提示》
《成功者側へ復帰》
《敗者補正:減衰予測 高》
(……やっぱり、そうなるか)
ミレイアが、
俺を横目で見る。
「どうする?」
調整官も、
答えを待っている。
今なら、
戻れる。
安全な場所へ。
評価される側へ。
世界の“内側”へ。
「一つ、確認させてください」
俺は、調整官を見る。
「もし、
僕の判断が正しくて、
王国の判断が間違っていた場合」
「……」
「最終的に、
どちらの判断が採用されますか」
調整官は、少し考えてから答えた。
「王国です」
正直な答えだった。
「あなたの意見は、
参考にはなりますが――」
「責任は、王国が取る」
つまり。
正しくても、通らないことがある。
それは、
俺が一番よく知っている構造だった。
俺は、静かに首を振った。
「お断りします」
即答だった。
調整官の眉が、
わずかに動く。
「理由を、聞いても?」
「簡単です」
俺は言った。
「それでは、
また“見えない仕事”になる」
調整官は、何も言えなかった。
「それに」
続ける。
「成功者側に戻ると、
僕はまた、
壊れる前提の世界を
見なくなる」
視界の文字が、
静かに消えた。
《選択完了》
《敗者補正:維持》
「……理解しました」
調整官は、一礼する。
「この提案は、
今日限りで無効となります」
「それで結構です」
「今後、
王国があなたを
“保護しない”可能性もありますが」
「承知しています」
調整官は、
それ以上何も言わなかった。
馬車は、
来た道を引き返していく。
しばらくして。
「……ねえ」
ミレイアが言う。
「後悔しない?」
「しません」
「即答ね」
「迷ったのは、
さっきまでです」
俺は、歩き出す。
「でも、
受けたら終わりでした」
「何が?」
「この物語が」
ミレイアは、
少しだけ笑った。
「なるほど。
じゃあ――」
空を仰ぐ。
「辺境行き、
本決定ね」
「はい」
遠くに、
人の少ない土地が広がっている。
評価も、
称賛も、
責任転嫁も届かない場所。
世界の外側。
俺たちは、
そこへ向かって歩き出した。
――最後の誘いは、
確かに甘かった。
だが、
それを断った瞬間、
ようやく分かった。
何もしないことが、
一番の反逆になる世界がある。




