第1話 今日も「問題なく」終わった、はずだった
※この物語は、
「地味な仕事を全部押し付けられていた人が、
それをやめただけで周囲が勝手に崩れていく話」です。
主人公は基本的に冷静で、
怒鳴ったり説教したりしません。
復讐も、あまり自覚していません。
ざまぁはありますが、
だいたい相手の自業自得です。
気楽に読んでいただければ幸いです。
ダンジョンの最深層は、空気がぬるい。岩肌の隙間から漂う硫黄の匂いに、汗と血の匂いが混ざって、喉の奥がじわりと痺れる。
倒れた《灰角熊》の巨体は、まだ熱を残していた。毛皮の間から白い湯気が立ちのぼり、床に広がった血が、魔力の残滓で微かに青く光っている。
「よし、終わったな! 見たか、俺の一撃!」
勇者アルディオが剣を振り上げ、勝利のポーズを決める。背後で、戦士ガルドが「さすが勇者様!」と声を張り上げ、聖女セシリアは疲れた顔のままでもにこやかに頷いた。
魔術師リリアは、魔法陣を消しながら鼻で笑う。
「最後は力押しね。まあ、結果がすべてだけど」
結果がすべて。確かにそうだ。
ただ、結果は勝手に出てくるものではない。
俺――レオンは、皆が歓声を上げている間に、灰角熊の腹を軽く蹴って固さを確かめ、短剣で切れ目を入れる。血の流れ方が変わる。これで内臓が傷みにくい。
素材は時間と熱に弱い。特にこの階層は温度が高いから、帰り道の数時間で価値が半減する。
「また地味なことやってるぞ、レオン」
ガルドが笑った。悪意はない。ただ、興味がない。
俺は返事の代わりに、魔物の角を傷つけないよう布を当ててから、根元に縄を通す。
「角は斬らないで。売値が落ちる」
「金の話かよ。ほんと小さいな」
小さいのは、たぶん視野のほうだ。
でも口には出さない。言ったところで、空気が悪くなるだけだ。
セシリアが手のひらを光らせ、簡易治癒をかける。勇者と戦士の擦り傷が薄れていく。
その光を見て、俺は彼女の呼吸が少し荒いことに気づく。目の焦点がわずかに泳いでいる。魔力消耗の兆候だ。
「セシリア。回復、次は休んで」
「大丈夫よ。これくらい」
微笑むけれど、声の端が乾いている。
大丈夫じゃない。
俺は荷袋から小瓶を取り出し、彼女の手元にそっと置いた。
「魔力回復薬。薄めたやつ。飲むと少し楽になる」
「え……。でも、これは――」
「俺の分。今日はもう使わないから」
使わない、というより、使えない状況にしない。
それが俺の仕事だ。
リリアがこちらをちらりと見て言った。
「気が利くじゃない。まあ、セシリアが倒れたら困るものね」
困る。確かに困る。
でも、困るのは彼女が倒れることだけじゃない。回復が枯れた瞬間から、帰り道の全員の生存率が落ちる。
俺は黙って荷袋の口を締め、残りの瓶の数を頭の中で数え直した。
(回復薬三本。解毒二本。煙玉一。食料は……二日分。水は十分。問題は帰路)
問題は、だいたい帰り道で起きる。
ダンジョンは、成功を祝って油断した瞬間に牙をむく。
「さ、帰るぞ。ギルドで派手に祝ってもらおうぜ!」
アルディオが先頭に立つ。
その背中は頼もしい。少なくとも、見た目は。
俺は最後尾に回り、隊列を整える。
ガルドの鎧の留め具が一つ緩んでいる。さっきの衝撃で外れかけたのだろう。放置すると歩くたびに擦れて皮膚が裂ける。
俺は歩きながら、留め具を指先で締め直した。
「お、直った。サンキュ。……って、やっぱお前、そういうのだけは得意だよな」
「それでいい」
「いや、褒めてるんだって」
褒め言葉は、時々刃物より痛い。
“そういうのだけ”。それが、俺の居場所の輪郭になる。
通路の分岐に差し掛かった。
右は近道。左は遠回り。普段なら迷う必要もない。――だが今日は、右の壁に薄い亀裂が走っている。
その亀裂の周囲だけ、埃の積もり方が違う。新しい。つまり、最近動いた。
「右はやめたほうがいい」
俺が言うと、アルディオが振り返った。
「なんで? 近いだろ」
「壁が――」
「いつも通ってる道だ。大丈夫だって。俺の勘は当たる」
勘。
勘が当たるのは、当たった時だけだ。
俺は一瞬迷ってから、言い方を変える。
「……分かった。じゃあ、後衛は俺のすぐ後ろに。ガルドは前衛の右を固めて。リリア、詠唱は短縮で。セシリアは回復を温存」
「指示するなよ、レオン」
ガルドが不満そうに言う。
アルディオは「まあいい」と笑って前を向いた。
「見てろよ。俺がさっさと道を切り開く」
俺は、息を吐いた。
切り開くのは、たぶん俺のほうだ。言葉ではなく、穴埋めで。
右の通路を進む。
足音が響き、天井から小石がぱらぱら落ちた。
嫌な音だ。
次の瞬間、壁の亀裂が一気に広がった。
ゴン、と鈍い衝撃。地面が揺れ、通路の横腹が崩れる。
「うおっ!?」
ガルドがよろける。アルディオが踏ん張り、剣を構えた。
崩れた壁の向こうから、ぬらりとした影が滑り込んでくる。
――《洞喰い蜥蜴》。奇襲型の魔物だ。
「なっ、こんなところに――!」
リリアが声を上げるより早く、俺は腰の短杖を投げ捨て、煙玉を床に叩きつけた。
白煙が広がる。視界が一瞬奪われる。
だが奪われるのは敵だけでいい。俺たちは準備していた。
「右から来る!」
俺の声に、アルディオが反射で剣を振る。
鋼が肉を裂く音。ガルドが盾で押し返し、セシリアの光が傷口を塞ぐ。
リリアの氷槍が、蜥蜴の足を床に縫い付けた。
十数秒。
短くて、十分な時間。
蜥蜴が動かなくなった頃には、白煙も薄れていた。
アルディオが剣を掲げ、勝ち誇った声を出す。
「ほらな。大丈夫だったろ!」
……大丈夫だった。
俺が、崩れる前提で組んだから。
誰もそこに気づかない。気づけない。
なぜなら俺の仕事は、成功したときほど目立たない。
「すごい……勇者様の判断が的確だったんですね」
セシリアが感動したように言う。
「勇者様の判断、完璧でしたね!」
(……いや、崩れる前提で組んだんだけど)
もちろん、誰も聞いていない。
ダンジョンを出て、街の門が見えた。
「今回も楽勝だったな!」
「俺たち、どんどん強くなってる!」
「次はもっと難しい依頼でもいけそうね」
盛り上がる三人の後ろで、俺は黙って荷物の数を確認する。
(装備修理、薬補充、報酬分配……ああ、あと書類)
やることは山ほどある。
誰もやらないから、俺がやっているだけだ。
今日も無事に終わった。
戦闘も、帰還も、トラブルも。
――評価されないことを除けば。
俺は小さく息を吐いた。
(まあいいか。問題なく終わったし)
その「問題」が、
自分自身に向けられていることに、
この時はまだ、はっきりとは気づいていなかった。
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