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聞こえてくるのは

作者: 西谷 武

 冬のはじまりはいつになく暖かで、例年どおりだったら寒さに凍えるような夜でも、カテラノは路上でうたいつづけていました。

 フォークギターを肩からさげて、何を思っているのでしょうか、時折通りの向こうにまで聞こえそうな大声を張り上げて、

「おれはフラれたわけじゃない」

 などと、歌詞とも即興ともとれる言葉を道ゆく人に投げかけていました。

 その歌はどこかの国の、どこかの町で暮らしている、いつの間にか離ればなれになってしまった恋人のことを紡いだものでした。

 糸をよりあわせてゆくように、歌は空気に溶けて、カテラノの周りに白銀のカーテンを張り巡らせていきます。

「おや、いつの間にやら雪が降ってきたようだ。まだ暖かいのに、空の上のほうはよっぽど寒いとみえるな」

 見上げると息は白く、頭上の雲となって、雲は雪を舞い散らし、雪はカーテンとなり、カーテンの周囲にはいつしか観客たちがちらほら。

 何曲か終わったところでこんな声が上がります。

「おまえさん、そいつは恋の歌だね? 失恋でもしたのかい」

 するとカテラノは少しムキになって、

「違うさ。おれの恋人はどこか遠くの町で、そんな遠くにいたってきっと、おれのことを忘れずにこの歌を思い出しているはずさ」

「なんだい、その歌は恋人に贈った歌かい」

 カテラノはそれには答えずに、また別の歌をうたいはじめます。

「冬が終われば春が来る、春が来たなら花が咲く、たくさん咲いた、たくさん咲いた、恋の花咲く春が来た」

 その歌詞をうたった直後、不思議なことが起きました。雪が舞って白銀のカーテンが垂れ下がっていたはずの辺り一面に、花の香りが充ち満ちたのです。見ると小さな白や黄色の花が、観客たちの足下からカテラノの足下までを埋めつくすように咲いていて、花はどれもこれもカテラノに向かって笑顔を投げかけているのです。

「こいつは驚いた。このおれに魔法が使えるとは」

 さっきの聴衆がききました。

「おまえさん、魔法使いの仲間だったのかい?」

「いや、そんなはずはない。ただ……」

「ただ、何だい」

「いつだったか、おれの恋人は魔法を使ったなあ。……おれに恋の魔法をかけて、以来、おれは彼女にベタ惚れってわけさ」

 カテラノはまだ知りません。

 恋人が一歩一歩彼のもとに近づいていることを。

 彼女がカテラノの歌に魔法をかけていたことを。

 その魔法が花々を咲かせたことを。

 恋人の想いは魔法を呼んで、ふたたび二人に恋の出逢いを届けるために、カテラノのもとにやさしい風の手触りで、そよいできたのです。

 季節は冬のはじまり、一人の孤独な男の心に、一足早い春が訪れようとしていました。


 それからそう時も経たない、雪が小止みになったころでした。カテラノを囲んでいた花のなかでも、ひときわおしゃべりが好きそうな、花びらが黄色で、その真ん中がオレンジ色の花が一輪、こんなことを口にしました。

「もうじきあなたの恋人がここに来ますよ。さあ、うたって、うたって」

「なんだ、花がしゃべっているぞ。夢でも見ているのかな」

「失恋の歌じゃいかさないよ。もっと夢のある歌をうたいなよ」

「そうは言ってもな、おれは空を駆けるような歌なんて作ったことがない」

「じゃあ、こんなのはどう?『魔法のかかったおしゃべりフラワーのうた』っていうの。ぼくを見ながらうたってみなよ」

「それもいいかもしれないな。……よし、それじゃあ、いっちょ、即興的に」

 不思議、不思議。カテラノが適当な台詞を歌にすると、おしゃべりフラワーを筆頭に、その周りの花たちが一緒にうたい、コーラスをつけ、いつしか路上は音楽堂のような賑やかさに包まれたのです。

「なんだか楽しい気分じゃないか。おれの恋人に聞かせてやりたかったなあ」

 するとおしゃべりフラワーが、

「あなたの恋人なら、ほら、すぐそこに」

「何」

 カテラノが左右を見回したとき、小雪舞うなかにその人は立っていました。

 カテラノの恋人、サーシャでした。

「元気だった、カテラノ?」

「おれはいつでも元気……と言いたいところだが、サーシャのいない毎日はずいぶんと応えた」

「ごめん。これからはもう、勝手にどこかへ行ったりしないから」

 久しぶりの再会を果たした二人ですが、喜びもつかの間、サーシャはこんなことを言いました。

「今のわたしたち、夢を見ている気がするの」

「たしかに、花がうたうなんて、普通なら考えられないことだ」

「それだけじゃないの」

 サーシャはここ最近起こった出来事をカテラノに話しはじめました。それは夜の夢に関する話でした。

     *

 空を舞うヒツジ。それがここ最近の、眠れぬ夜の決まった光景だったの。わたしはもう、毎夜のように寝つけないで、ベッドから起きだすとパジャマのまま、表通りにサンダルつっかけ飛びだし、満天の星に彩られた夜空を見上げたものだわ。

 すると決まって空にはヒツジたちが飛び交って、わたしに語りかけてくるのよ。

「やあ、また来たね。きっとまた眠れないんだろう。いいだろう。ぼくらの数でもかぞえていればいいさ。そのうち眠たくなるよ」

「でも今夜はきみたち十匹もいないね。それじゃすぐにかぞえ終わっちゃうよ」

「想像力の問題さ。ぼくらのように、夜空の無数の星々も、みんなヒツジの形をしていると思ってごらんよ。かぞえるのに苦労するほど、夜空はヒツジだらけになるよ」

「やってみる」

 わたしは言われるまま、一生懸命になって、星空がヒツジたちでいっぱいになっているさまを想像したわ。

 するとどう? それまで光る点にすぎなかった星々が、あっちもこっちもヒツジの姿で飛びまわりはじめたの。

「たいへん。わたしのせいで天体が」

「どうだい? ヒツジに変わっただろう」

「どうして」

「想像力の問題さ。きみのその空想力のおかげで、星たちはぼくらのようなヒツジに生まれ変わったんだ。ありがとう。おかげでぼくらもとうぶん、仲間には事欠かずにすみそうだよ」

 それ以来、眠れぬ夜にはヒツジ以外の、トラだとか、クマだとか、ちょっと変わり種ではアザラシなんかも登場するようになって、わたしの夜空は動物たちのパラダイスと化したのよ。

 ところが、そんなパラダイスも長くはつづかなかった。なぜならわたしがベッドにもぐるとすぐに眠りに落ちるようになったから。もう、ヒツジや動物たちをかぞえる必要もなくなってしまったの。

 そしてわたしは眠りのなかでヒツジたちと話をしたのよ。こんなふうに。

「やあ、最近、見かけないと思ったら。こんなところにいたのかい」

「あなたは……いつかのヒツジさんたち」

「たまにはぼくらの数をかぞえてくれなくちゃ。それじゃあんまり薄情ってもんだよ」

「だってわたし、すぐに眠るようになったから、もうあなたたちの数をかぞえる必要なんてなくなってしまったのよ」

「じゃあ、たまには表に出てきて、ぼくらをかぞえてごらんなさいよ」

「それじゃあ、ちょっとだけよ。ちょっとだけ、一度だけ、あなたたちのこと、かぞえてあげる」

「たのんだよ」

 わたしはパジャマで、サンダルつっかけ、夜空を見上げに表通りへ飛びだしたの。そこが夢のなかだとも気づかずに……

 わたしはかぞえはじめたわ。ヒツジや動物たちの数をかぞえはじめたの。

 それは永遠だった。無限につづく夜空の星々を、わたしはかぞえはじめていたの。

 その夜は永遠につづいて、まるでわたしがかぞえ終わるまで、夢から覚めないようで……

「わたし、怖かったの!」

 突然、サーシャが叫ぶような声とともに、カテラノにすがりつくと、

「だから、目覚めない夢のなかで、必死になってあなたのことを捜しはじめたの。夢のなかはどんどん、ヒツジの形をした星座でいっぱいになって……」

「怖かったんだな」

「そう。だからあなたの歌声がどこか遠くから聞こえてきたとき、もう無我夢中でサンダルのまんま、ただひたすら声のするほうへ歩いてきたの。見てよ、空の上を。ここは街中だから明るくてあんまりわからないけれど、この空はヒツジの空よ。宇宙の星はみんなヒツジなのよ。これが夢じゃなくて何を夢と言うの。どうすればこの夢は覚めるの」

 カテラノにはすぐにこの問いに答えることはできませんでした。ただ、サーシャの様子が尋常ではないことと、花が歌をうたったり、言葉をしゃべったりすることを考え合わせて、ようやく、

「じゃあ、このおれもいつの間にか夢のなかにいたってわけか」

 と納得したのであります。それで、

 ――夢ならいつしか覚めるだろう。

 と、狼狽に近いサーシャと違ってかなり肝の据わった思考を働かせたカテラノでありました。

 夢というものは不思議なものです。単に過去の記憶がごちゃまぜに絡んでひっくり返ったような夢があるかと思えば、正夢、悪夢、吉夢、予知夢、霊夢……といろいろ分類できたりもするのです。それだからなのかわかりませんが、この日の朝、カテラノが見た夢というのが意味深で、本人はそれと知りませんでしたが、まさしく恋人との再会を暗示するような夢でありました。どんな夢であったのか、それを今、カテラノはサーシャに語ろうとしております。

「サーシャの見た、ヒツジの夜空っていうのが夢で、この世界もまたその夢の続きだとするんなら、おれの今朝見た夢はいったい何だろうな」

 サーシャは無言でカテラノの次の言葉を待ちます。よく考えたら、ずいぶんとおかしな現実だということにこのとき、カテラノは気づきました。

「たしかに今、おれたちがいるこの世界は夢のなかだな。雪がちらつくっていうのは空に雲があるからだろう。雲があったらその上の宇宙は見えないはずだ。なのにおまえは夜空にヒツジの星々を見たという。……矛盾しているよ。こんな現実はあるわけがない。ここは夢のなかだ」

「きっと悪夢……」

「いや、違うな。おれたちが再会できたんだから、いい夢だよ。……いい夢と言えば今朝おれの見た夢はよかったな。もっとも、そのときからずっと目覚めていないのかもしれないけれど、その、今夜の夢の入り口みたいな今朝の夢は、おまえと出逢ったころの夢だった。今夜のことを、二度目の出逢いを暗示していた気がするよ」

「ひょっとして、わたしたちの最初の出逢いも夢……」

「まさか」

 カテラノは不意に夢のなかにいるという現実が恐ろしくなりました。サーシャとの出逢いも夢……まさかそんなことが本当にあるのでしょうか。

「おれたちが出逢ったのはもう何年も前のことだ。その何年もの歳月がまさか、夢だったなんて」

 カテラノはハッと目を開けました。独りぼっちの部屋で、毛布にくるまってソファーでうたた寝していたのです。時刻は昼過ぎ。その寝ぼけた頭には今し方の夢の内容が鮮烈に残っています。

「サーシャ……まさか、サーシャまでもが夢の存在だとしたら」

 嫌な考えをブルブルッと頭をふるって払い落とすと、さっそく電話をかけようとして、サーシャの電話番号を知らないことに気づき、

「まさか」

 と、不吉な予感に襲われます。サーシャとの出逢いも夢、サーシャの存在も夢だったとしたら……。手早く身だしなみを整えて、ギターケース片手にいつもの駅近くの路上を目指します。

「サーシャ! 頼むから来てくれ。おれの目の前に現れて、今まで見ていた夢はただの夢だったと証明してくれ」

 そう願いながら、カテラノは息を弾ませながら進みました。

 毎度の定位置に到着すると、ギターを取りだし肩からさげて、いつものようにうたいはじめました。いつものとおりの曲目を、夢のなかと同様の曲順でうたいはじめたのです。

 それでも夢とは違い、小雪はちらつきませんでした。花々も現れませんでした。ましてやおしゃべりフラワーなんて、どこにも咲いてはいません。サーシャの姿も見えてはきません。まだ昼だからでしょうか。夢のなかの時刻は夜、少なくとも夕刻でした。カテラノはぽつりとつぶやきます。

「サーシャも夢だったのか……、おれにあんな素敵な恋人が、いるわけがないか」

 ギターをケースにしまうと、とぼとぼとした足取りで自室へ帰っていきました。そして何となくテレビを点けたとき、信じがたいニュースを目にしました。

 テレビには夜空の映像が映しだされて、アナウンサーが淡々と、

「……こちらは現地時間で夜の十時を回ったところです。見てください。夜空の星々が、星座が、すべてヒツジの形をしています」

 と伝えているのです。思わずカテラノは叫びました。

「これはサーシャだ! サーシャの夜空だ! サーシャが夢を見ているんだ! そうか、サーシャは遠い国にいてそこが今、夜の時間を迎えているってわけだな」

 カテラノのなかに元気が湧いてきました。

「今夜から毎晩、あそこで歌をうたおう。そのときに、いつか雪が降ってきたら、そのときに、花がたくさん咲いたなら……きっとおれはサーシャと再会できるんだ! 夢で出逢ったあいつと現実世界で逢えるんだ。おれは負けないぞ! やるぞぉ!」

 冬はまだまだこれからです。カテラノがうたっているときに雪が舞うこともたくさんあることでしょう。そのときにたとえ、花は咲かなくとも、サーシャが現れることがあるかもしれません。

 夢と現に聞こえてくるのは、そんな日にうたわれる恋の歌。――たくさん咲いた、たくさん咲いた、恋の花咲く春が来た……正夢とも予知夢ともつかない素敵なメロディーの歌でした。



(了)

数ヶ月ぶりに登録し直してからの、初投稿になります。読んでくださった方々の、ちょっとの楽しみにでもなれたら嬉しいです。お読みくださりどうもありがとうございました。

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