11話-ソフィア視点-
目を開けたソフィアはこっそり溜息をつく。
――どうしてこうなったの
優しく髪を撫でる許婚に戸惑いを隠せない。
もう5日、ハクアが家にいる。
「ソフィアもう昼ですよ」
自分の部屋のベッドに腰掛けて頭を撫でるハクアは疲れてはいそうだが、穏やかな顔だ。
ゆっくりと起き上がったソフィアの額に、温かい手が当てられる。
「熱は下がりましたね」
にっこりと笑みを向けられる。
「セバスは」
「出かけました」
食い気味に言ったハクアに、なんと言えば良いか悩む。
「…そう」
ソフィアの看病で2日休んだハクアが、家まで迎えにきた上司に連れて行かれたのが1ヶ月前。
その後、1ヶ月帰ってこなかったハクアは突如夜中に帰ってきた。
逃げてきましたと爽やかな笑顔で笑いながら、死んだように1日眠り、起きてそばに居たソフィアに抱きついたのだ。
手に持った古い旅行雑誌を見るハクアは、表情は少ないが楽しそうだ。
――分からないわ
ハクアの心境の変化に戸惑うソフィアは、部屋を出て行き,部屋にいるハクアの分も紅茶をトマに頼む。
「いい。持って行く」
背後からの声に振り向けば、ハクア。
持って行かれる2人分の紅茶に、トマとお茶を楽しむつもりだったソフィアは渋々座る。
「どうかしましたか?ソフィア」
どうして、と開いた口は閉じて置かれてある本を手に取った。
「読んだの?」
「はい。専門外ですが勉強になる本ですね」
トマから教えてもらったのだろう。
自分が翻訳した本をハクアが読んで、褒めてくれるのは素直に嬉しい。
――理解できないけれど良いわ
ソフィアが体調を崩したと知らせを受けたハクアは、職場に1週間の有給休暇叩きつけてこの家に逃亡したらしい。
「仕事は良いの?」
「良いんですよ」
今までが働きすぎですからというハクアに少し安心した。
「そうね。ハクアは働きすぎよ」
無意識で笑ったソフィアは、ハクアが変な顔をしているのに振り返って気付かなかった。
「おぉソフィア元気になったか」
額に手を当てたアシタにソフィアも微笑む。
「当たり前よ」
手に持っているお土産の輸入品を、ソフィアとトマは楽しみに待っている。
最近アシタは買い付けも任されるようになったらしく会う日は少なくなった。
一緒に帰ってきたセバスと話していたソフィアはこちらをじっと見る視線に気づく。
「なんだよ気持ち悪いな」
「ちょっとアシタ」
アシタが睨むと、ハクアは睨み返す代わりにソフィアを見た。
「結婚式ですが最近は島が人気だそうです。良いと思いませんか」
あぁ?と言うアシタの口を防ぐソフィアは、ハクアの手が重なって外された。
「噛みつかれたらいけませんからね」
そう言うハクアの腕はうっすらと青い。
――馬鹿になったのかしら
ハクアのベッドが軋むらしく、夫婦なのだから一緒に寝たいとハクアはソフィアのベッドで寝るようになった。
そして、知らずにやってきたアシタに思いっきり殴られた。
咄嗟に受け身を取ったのと、ソフィアが止めたからなんとかなったものの自分がいなかったらと考えるだけで恐ろしい。
「アシタ、抑えなさい。貴方を死刑台には送りたくないのよ」
ひどく打ちつけた様子のハクアを見て真っ先に心配したのはアシタだ。
「あなた前科が幾つあると思ってるの」
平民が平民との殴り合いをしても何とかなる。
だが爵位を継いだ貴族を殴ったとなれば、最悪死刑。
アシタを庇いながら謝るソフィアに、ハクアは暫く呆然としていたがフラフラと出て行き、暫くして結婚式の本を持って帰ってきた。
「ソフィア」
手を繋がれたままのハクアは、セバスの坊ちゃんに来客ですという声に乱暴に応える。
「今度は誰だ」
この5日,普段は静かなこの家にはひきりなしに来客が訪れる。
1日目は医者で、二日目は騎士団。
1日に4度も訪れてソフィアを確認するまで帰らないと言い張った。
三日目には郵便で、高価な薬が匿名で届き4日目には医者が集団でやってきた。
ハクアだけでなく、ソフィアも来客に疲れるのは仕方ない。
「随分と乱暴な言い草だな」
すでにセバスの後ろにいたのだろう,勝手に入ってきた質の良い服を着た男はソフィアを見て目を見開く。
「これは大変失礼いたしました。皇女様にご挨拶申し上げます」
騎士の最敬礼をした男は、後ろから近付いてきたハクアを見もせずに止めてトマの歓声が上がった。
「随分と大きくなられましたね」
男は仕草とハクアに対する態度からして騎士長か副騎士長だろう。
戸惑うソフィアに対して男は覚えていないのも無理はないと豪快に笑う。
「皇女様が10歳の時の、財務副大臣が叔父といえば分かりますかな」
あぁとソフィアは頷く。
――お母様のお気に入り
母は見目の綺麗な人も好きだったけど野生的な人も好みだった。
思い出した顔をするソフィアに、気まずい笑みを見せた騎士団長は私も何度かお手紙を届けにきたのですが,と周りを見回す。
「良い家でしょう。気に入っているのよ」
何が言いたげな騎士団長に先手を打つ。
「左様ですか」
納得していないのかハクアを一睨みして、ポケットから手紙を出した。
「叔父からです」
立派な家紋はない私的な手紙に、ソフィアは無言で受け取るとじっと見つめられる。
「病気とお聞きしましたが、こんなに痩せられてさぞお辛い環境でしょう」
何か勘違いしているのだろうがここのところ客続きで訂正するのも面倒だ。
「別に…」
言いかけたところでまたベルがなり、扉の先からセバスのなんですか⁈という騒がしい声がする。
「皇女様」
手を回され後ろに立った騎士団長は、入ってきた人物に警戒を解いた。
「どうしてお前が此処にいる」
覚えのない低い声は、休みをやったはずだがと騎士団長に近づいてくる。
「行けと命令した覚えはないが?」
「休みですので何をしようと私の自由です」
答える騎士団長の背に隠れたままのソフィアは殿下、というハクアの声掛けに身体が固まる。
「お前の顔など見たくない、消えろ。そこの、お姉様はどちらに…」
隠れていた騎士団長の背中が急に動いて、ソフィアはヒュッと喉がなった。
――いや
思わず,ふらついたソフィアを騎士団長が支えた。
「お姉様⁈おい医者は⁈」
駆け寄ってきたルイズに、逃げたいのに騎士団長が逃してくれない。
「離せ、ソフィアが怖がってんだろうが」
一瞬の隙をついてアシタの元に駆け寄ったソフィアは、混乱する頭を整理する。
――どうして
アシタに感謝はしたいが,今は出来ない。
持って来られた椅子に座れば、何年かぶりにみるルイズ皇太子が父そっくりの顔を歪めた。
――無理よ
思い出したくない出来事が、脳裏に浮かんでソフィアは気持ちが悪くなる。
だが、駆け寄ってきたトマの心配そうな顔になんとか息を整えた。
「お姉、様」
小さいく聞き慣れない声。
呟いたルイズは、伸ばしかけた手を元に戻して近づいてくる。
――落ち着いて
立ち上がったソフィアは幼い頃に叩き込まれた仕草で、最上級の礼をした。
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
誰もが目を奪われるような美しい礼をしたままソフィアは頭を上げない。
元々は互いに王位を競い合った身。
ソフィアは弟に対する最上級の礼をし、かつ言葉をかけられるまで頭を上げないという礼儀を持って臣下としての態度を示した。
――どう出るかしら
戦う気もないし敵ではないのだと態度で示した筈だが、辺りは静かで何の声もかからない。
何分か誰も喋らない時間に終止符を打ったのは騎士団長だ。
「殿下、ソフィア皇女様に言葉をかけませんとこのままになりますよ」
礼をしたまま動いていないソフィアと、同じく目の前にある足も動かない皇太子。
「許さない」
近づく足音にソフィアは頭を下げたまま謝る。
「本当に申し訳」
「お姉様が頭を下げるな!」
響き渡った怒鳴り声に、さすがのソフィアも顔を上げれば、真っ赤な目をした弟がそこにいた。
「お姉様を!お姉様がどうして頭を下げる!大体この小屋はなんだ⁈誰の姉だと思ってる⁈」
呆気にとられたソフィアは、ハクアの方を向いて腰の小銃に触れた弟の腕を慌てて掴む。
「やめなさいルイズ」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
「此処を誰の家だと?」
冷たい命令口調だがルイズは嘘のように大人しくなった。
「ルイズ」
「ち、違う。本気じゃない」
謝るルイズに、騎士団長以外の周囲はポカンと口を開けている。
――全く
色々ソフィアも思い出す。
さっきまでの傲慢さが嘘のようなルイズは、泣きそうな目をしてソフィアの横に立った。
「部屋で話しましょう」
気付けば、ルイズの護衛も混じり大人数になっている。
騎士団長とハクアもきて、部屋に入ればルイズは堪えていた涙を流した。
「こんな部屋で…」
「ルイズ」
私はこの部屋を凄く気に入ってるのと言えば、即座に謝るルイズは珍しいのだろう。
騎士団長も目をパチパチさせている。
「…お姉様」
大人しい弟はソフィアに恐る恐る触れて,熱や怪我がない事を確かめている。
「手が冷たい」
「貴方の手が暖かいだけよルイズ」
「…うん」
一瞬氷の様に冷えた声は、ソフィアが手を取った瞬間に大人しくなった。
「しょうがない子ね」
2人は物心付いた時からライバルだった。
ルイズに勉強で負けた記憶はない。
1つ上だから当然だとソフィアは、先生に詰められて泣きそうな顔をする弟に分かりやすく解説をしてあげた。
弟はソフィア基準で言えば頭の出来はそこそこだった。私的な話はお互いしなかったが、同じ授業を受けて、周囲から叱られ追い詰められる弟を嘲笑いは出来なかった。
「私を恨んでいないのね」
「…恨む?」
キョトンとするルイズは、姉を座らせ毛布を自ら掛けている。
ソフィアの言葉に暫く考えて、口を開いた。
「アレの話ですか?」
指された先にはハクアが立っていた。
「色々考えたけど、拷問して四肢を切り取った後に放置が良いと思う」
どう?とキラキラした目で聞いてくるルイズに溜息を吐く。
「相変わらず馬鹿ね」
周りが聞いたら卒倒しそうな言葉に、部屋にいるが、会話に入れない他の人は息を呑んだ。
「お姉様の頭が良過ぎるんだ」
ルイズは、久々の姉の言葉に怒りどころか嬉しささえある。
――本当に馬鹿ね
姉は時々決まって意地悪く笑う。
大抵は自分が周囲からどうして姉の様に出来ないかと言われる時。
姉が嘲笑えば,周囲はルイズを庇う。
それに気付けないほどルイズは馬鹿ではなかったという事だろう。
嫌ってないのかと笑った姉に、嬉しくてもっと話そうとするルイズはノックの音に一気に機嫌が悪くなった。
「邪魔する覚悟はしてるんだろうな」
抜け出してきたのだろう。
呼びにきた従者があまりに可哀想で、手を握ればまた大人しくなる。
「行きなさい、ルイズ」
ソフィアの命令に頷くルイズは帰り際にバレない様、ハクアの足を踏んで帰った。
――さて
騎士団長も帰った。
渡された手紙が気にはなるが残った人達に説明をしなくてはならない。
特に,呆然としているハクアの手を取る。
「どうやらルイズは何か誤解しているみたいだわ。私から手紙を渡すから貴方が届けてくれないかしら?」
ハクアに対するあの態度。
今まで酷くいじめられたんだろうと可哀想に思うソフィアは急に抱きしめられる。
「ハクア?」
動かないハクアはただ抱きついているだけ。
黙ったままのハクアは時計を見ていたソフィアを抱き上げベッドに降ろした。
「…今日は散々ね」
もう陽が落ちる前、夕焼けに照らされたハクアの顔にクスリと笑う。
「馬鹿だ、俺は」
言葉にしなくてもハクアが後悔していると分かる。
「貴方の1人称は俺だったの?」
ソフィアの率直な疑問に、ハクアはハッとした表情になりまた戻る。
――綺麗だわ
世の基準は不明だが、ソフィアはハクアを美しいと思う。
何も動かないハクアの頬にキスをすると、色素の薄い目が見開いて夕陽にあたりキラキラと輝いている。
「嫌だったらッ…」
唇に返されたキスは何回も,何回も続いて、ソフィアの身体はベッドに沈んだ。




