【事務員 レベッカ・キャンベル②(Clerk Rebecca Campbell)】
「マックス‼」
女が俺の名前を呼んだ。
どこかで聞いた事のあるような、濁りのない澄みきった声。
拳銃のリアサイト越しに見ていた目を離し、下側の視界を遮る銃身を下げると、そこに居たのは赤毛に眼鏡の女の子。
論文を書くために日本に行っているはずのパートの事務員、レベッカ・キャンベルだった。
レベッカは俺の名を呼ぶと凄い勢いで近づいて来たので、俺は銃が暴発しないように慌ててセーフティーレバーを押し込んでロックを掛けた。
「お帰りなさいマックス。どうしたんですか⁉その白いコート。本物のミンクですよね」
「あっ、ああ、まあ……」
「すっごく似合います‼」
「そ、そうか……」
レベッカと居ると俺は戸惑ってしまうことがある。
それはやたら距離感が近いと言う事。
狭い部屋なのだから、別にベッドのそばに居たまま話しても充分聞こえるのに、ワザワザ俺の目と鼻の先まで走り寄って来て話されれば誰だって戸惑ってしまうのは当然。
普通なら親しくても1ヤード(0.9144メートル)くらいは距離を置いて話すだろうが、レベッカはまるでその距離感が分かっていなくて、いつもその半分以下の距離まで近づいて来る。
まるで小さな子供が大好きなパパに話しかけるみたいに。
しかし彼女は決して小さな子供ではなく、身長は白人女性の平均よりも少し高いし、胸だってペッタンコではないのだから余り接近されても困る。
だがレベッカにはそんな男の気持ちなんて分かっちゃいなくて、まるで子供みたいな距離感で接してくる。
言ってみれば大きな子供みたいな感じだが、今日はなにかが少し違う気もする。
久し振りに見るからなのだろうか……。
「あっ、そうそう。郵便受けの中に税金と公共料金の請求書が来ていましたので、払っておきましたから」
「ああ、すまない……いくらだった?」
俺が金庫の方に向かおうとする前に彼女はそのことに気付いて、お金は金庫から出して帳簿に記入しておいたと言ったあと、思い出したようにテーブルの上に置いていた帳簿を掴むと「見て下さいます?」と言って俺の前までやって来てノートを開く。
レベッカがノートを見ながら、支払金額や残金などの説明を始める。
けれども彼女が広げて俺に見せているノートは、俺から見れば逆さまの状態で見にくかった。
首を傾けて説明する箇所を見ている俺に、ようやく俺の方からはノートが見にくい事に彼女が気付いてくれた。
俺は彼女がノートを俺の見やすい方向に変えてくれることを期待したが、彼女は違う方法を取り俺に背を向け、あろうことか背中を俺の体に密着させてきた。
俺の鼻の直ぐ下にあるレベッカの髪からは、どういうわけか好い香りが漂っている。
そして困ったことは、背中以外にもっと密着している部分があること。
それは彼女の体から後ろに飛び出している柔らかい肉の塊。
背中はまだしも、お尻は……“チョッと、それマズいんじゃないのか?”
彼女が掛けているメガネのレンズに、エロい目をして今にも鼻の下が伸び落ちそうな俺の顔が映る。
俺は彼女が無意識のうちに俺に与えたプレシャーに耐えかねて、咳払いをした。
レベッカは直ぐに気付いてくれたのか、密着していた体を慌てて離して言った。
「すみません! お疲れなのに、説明はまたユックリできる時にでもさせていただきます」
“オイ、謝るところはソコじゃないだろう!”
心の中で、そう思いつつも密着体勢が解けたのは助かった。
それにしても無防備なやつだ。
俺がオオカミにならないとでも思っているのか?
それとも……。
なんとなくその先は考えたく無かった。
「ところで俺が入って来たときに悲鳴を聞いたが、アレは何だったんだ?」
話を変えた途端に彼女は大きな緑色の眼を今にも零れ落ちそうなくらい見開いたうえに、それでもまだ足らないというようにアワアワと大きく口を縦に開けてから言った。
「ゴ、ゴ、ゴキブリが出たのです‼」と。