【お熱い調理(Hot cooking)】
「いってきまーす‼」
朝、レベッカはまるで子供が遊園地に行く日のように、意気揚々と家を出た。
今まで事務の他にご飯を作ったり珈琲を淹れたりすることしかできなかったけれど、昨夜亡くなられたアンドリューさんのパソコンデーターから二重帳簿を見つけることが出来て、初めてマックスさんの仕事の役に立てたことが嬉しかった。
今日は大学で受ける講義も無く、探偵事務所のバイトも休みだったけれど、なんだかもう少し役に立ちたくて家を出てマックスさんの探偵事務所のあるアッパーマンハッタンに向かうことにした。
レベッカは大学のある116 ストリート - コロンビア・ユニバーシティ駅から3つ通り過ぎた145 ストリート駅で地下鉄1号線を降りて地上に上がり、145号線を東に進む。
145st駅から探偵事務所までは、ほぼ直線で750ヤード(686メートル)くらい。
もっとも私が日頃使っていないBディビジョンの145st駅からだと、200ヤードもないくらい近い。
スタバの前を通り過ぎて7件くらい先に、果物や野菜を売っているメキシコ食料品店がある。
その前を通った時、お店の前に並べてあったグレープフルーツの甘くて少し酸っぱい香りが私を誘う。
私は喜んでその誘惑に負けてグレープフルーツを買い、探偵事務所を少し通り過ぎた坂の下にあるスーパーマーケットでお買い物をしてから探偵事務所に向かった。
アパートのドアを開けて中に入るとシャワーの音がしていた。
いつもお寝坊なマックスさんが朝からシャワーだなんて、ハリキッテいる証拠。
よし私も頑張ろうと、朝食の準備に取り掛かる。
マックスさんがシャワーを浴び終わって出て来る時間に間に合わせなくっちゃ!
先ず鶏肉(むね肉)を厚みが均等になるように叩いたあと、ひと口大に切り分けナイロンの小袋に入れ、そこに絞ったグレープフルーツの果汁(最後に少し使うので、そのぶんを残しておく)と生姜を入れてしばらくおく。
味が染みるまで10分ほどかかるけど、今朝は急いでいるのでフォークでお肉を突いておいたから割と早く味が染みるはず。
味が染みた鶏肉を取り出して、塩と黒コショウで味付けをして最後に片栗粉を全体にまぶし、オリーブオイルを入れて中火で熱したフライパンに皮の方を下にして小麦色になるまで焼き、裏返してフタを閉めて蒸し焼きにする。
鶏肉を焼いている間に、もう片方のコンロで目玉焼きを作り、シンクで付け合わせのサラダを刻み、オーブントースターでパンを焼きながらコーヒーの用意をする。
だいたい5分くらいで蒸しあがるので、蓋を開けて残りのグレープフルーツ果汁をサッとかけてお皿に盛りつける。
丁度シャワーの音も止まり、タイミングは完璧!
あとはマックスさんが出て来るのを待つだけで、テーブルに出来上がったお料理を並べているときにバスルームの扉が開いた。
「あーなんか好い匂い。アンタお料理も作れるの?」
マックスさんがシャワーを浴びていると思っていたけれど、バスルームの方から聞こえた声は、知らない女性のもの。
配膳をしていた手が止まり、一瞬心が凍り付く。
相手の女性も驚いて悲鳴を上げると、クローゼットの方から上半身裸でパンツ姿のマックスさんが現れた。
「――つまり、この人はアノ酒場のホステスさんで、安全のため一時的にココに匿って居た。それで間違いありませんね」
いつもは緊張すると言葉が詰まりやすいレベッカが、落ち着いてユックリと話す。
さすがにピーターの姪だけあって、その言葉の重みは果てしない。
「ああ、コレについては警察内部からの情報漏洩を危惧したピーターと俺で決めた事だ」
レベッカとは対照的に、俺はいつになく緊張した声で答えた。
「もーっ、どうでも良いじゃないソンなこと。昨夜はハッスルしたマックスに付き合わされて、もう私もクタクタなんだから。あ~腰が痛い! 折角の美味しいお料理が冷めちゃうよ」
場の雰囲気も考えずに半ば揶揄うように言ったハユンの言葉に俺たちが睨むと、さすがにヤバいと思ったのかハユンは冗談だと言って手をパタパタとさせて顔を仰いだ。
食卓に着くと、色鮮やかで美味しそうなチキンのグレープフルーツソテーと目玉焼き、それにサラダとパンとスープと珈琲が並べられてあった。
チキンのグレープフルーツソテーには、綺麗に皮の部分を剥いてある三日月状の実の部分が3つ添えられてあった。
相変わらず彼女は料理が上手い!
俺は直ぐにでも食事に取り掛かりたかったが、そこには重大な問題があった。
食事に割り当てられた皿は、ハユンが居ることを知らなかったレベッカが既に配膳を終えていたため2人分に分けられていた。
しかし実際の人数は3人。
2人分を3人分に分けようとしたところ、レベッカは「私は家で朝食を済ませて来たので構いません」と断った。
じゃあ何故、2人分を用意したのかと突っ込みたかったけれど、それは言わずに俺は席を立ち冷蔵庫に向かった。
扉を開け、少し考えてから取り出したのは、冷凍パイシートに冷凍ホウレンソウ、コーンに冷凍サーモン、それに玉ねぎにピザ用チーズ。
あとは卵と生クリーム。
直ぐにレベッカが手伝うと言ってくれたので、玉ねぎを薄くスライスしてもらったうえに、彼女はもう俺が何を作ろうとしているのか分かったらしくボールに卵と生クリーム、それに塩コショウなどを加えてソースを作り始めた。
俺はパイシートの上に具材を盛り付けて、それにレベッカが作ってくれたソースをかけ、表面にビザ用チーズを掛けてオーブンに入れた。
出来上がるまで10分少々かかるので、それまではスープを温め直しながら、皆で珈琲を飲みながらキッシュが焼きあがるのを待っているとハユンが勿体ぶった表情で「やけるわね」と言ったので、俺は時計を見て「あと7分」だと答えた。




