【ハユンの証言②(Hayun's testimony)】
「あ~っ、まただ。あの野蛮人たち」
皿の割れる音を聞いたハユンが悪態をつく。
「野蛮人?」
俺が聞くと彼女は、今日入ったばかりの皿洗いが虐められているのだと言った。
どんな奴か尋ねるとハユンは強烈な香水の臭いを近付けてきて、周囲の人の眼から口元を手で隠し、俺だけに聞こえる程度の小さな声で言った「背の高い若い男」だと。
背の高い若い男なんて幾らでも居るのに、なぜ人目を気にして他の人に聞こえないように話すのか聞くと、このお店には厨房を覗いてはいけない決まりがあるのだと教えてくれた。
「ハユン、キミその決まりを破ったの?」
「しっ!」とハユンは人差し指を口元に立てて続きを話す。
「偶然見ちゃったのよ」
ハユンは偶然見たと言ったが、この店の厨房は地下にあるので“偶然”と言うのはおかしい。
彼女、意外に大胆。
危険だと分かっていても、好奇心には抗えないタイプなのだろう。
彼女が言うには、皿やグラスの割れる音が何度も聞こえたので誰かが争っているのかと不審に思い店長に聞いてみたところ、新人の皿洗いが入ったのだと教えられた。
新人の皿洗いと言っても、そんなに何度も皿を割るのはおかしい。
気になるが厨房を見に行くには、バーカウンターの中に入って店長の居る事務室を通らなければならない。
幸い開店前の早い時間なので、バーカウンターに立つはずのバーテンダーはまだ来ていないし、いつも開店まで事務所で屯している用心棒も相方がマダ来ないので外に出て携帯で連絡を取っている。
そこで彼女は店長がトイレに行った隙に地下の厨房に行き、厨房の小窓からその男を見たそうだ。
状況は、4人のコックに背の高い男が殴られていたらしい。
「コックが4人も居るのか!?」
店の規模や提供するメニューに対して、コックが4人も居ることに驚いた。
ここの調理なら1人でも十分だし、その1人でも皿洗いも出来るはず。
「そのコックたちって、どんな人?」
「さあ、知らない」
「知らないって、長く店に居るのに見たことはないの?」
「だって、仕込みだか何だか知らないけれど、私が来た頃にはもう厨房に居て、私が帰るまで厨房から出てこないんだもの」
「でも、トイレには行くだろう。そこで会わないのか?」
「コックは地下のトイレを使うし、出来上がったものは料理用のエレベーターで上がって来るからコックなんて見たことも無いわ」
“長く勤めているのに、コックを見たことがない” これは、普通では考えられない。
どうやら。愛煙家のために条例を無視して営業する会員制の喫煙バー、と言うだけの店ではなさそうだ。
店を出た俺は、そのまま店の近くに止めていたムスタングに乗り、シートを倒して横になる。
しばらくすると、店の看板の明かりが消え、意気揚々とした表情のハユンが出て来て家路へと帰って行くのが見えた。
ハユンが話した内容を、もしも店に居る他のスタッフに聞かれでもしたら、彼女も只では済まないだろう。
だが特に誰も彼女の後をつけてはいなかったので少し安心する。
言っておくが俺はハユンの心配をしているわけではない。
彼女が話したことで、余計な事件に巻き込まれたくなかった。
ただそれだけのこと。
しかしハユンのヤツ、俺の金でジムビームのコーラ割りを5杯も飲みやがって。
ポーチを大きく振りながら帰るハユンの後ろ姿が消えるまで、財布に手を掛けたまま眺めていた。
ハユンが帰って30分後にバーテンダーが帰り、その10分後には店長と用心棒が店を出てきたが、何故かまだ厨房の連中は出てこない。
食べ物のオーダーストップは閉店30分前だったのだから、一番早く出て来てもおかしくはないのに……ひょっとして、もうとっくに帰ってしまったとか?
不安になりかけたころ、1台のトラックが店に横付けに停まる。
降りてきた運転手は、荷室の後ろドアを開けずに、横にある観音タイプの扉を左右に開けた。
閉店後に食材の入荷??
普通、食材の入荷は開店の数時間前のはず。
しかしコレは食材の入荷ではなかった。
開けられた扉が邪魔をして顔や体形などは良く見えないが、厨房の従業員らしき足が観音開きの扉からトラックの中に乗り込むのはハッキリと見て取れた。
“こいつら、こんな小細工をしていったいどこへ行くつもりなんだ?”




