【砂州②(Sandbar)】
ヤツは死んだ。
水溜りに目を向けたまま。
ヤツはこの水溜りの何を見ていたのだろう?
おそらく何も見ていない。 いや見えていない。
大量の血が流れると、真っ先に失う感覚は視力で、最後まで残るのが聴力だ。
そのような状態でヤツが本当に俺の問いかけに答えて「framed」と言ったのか正直核心は持てないが、もしヤツが「I was framed」と言おうとしたのなら、それは“ハメられた”と言う事になるが、ただの溜息だったのかも知れない。
指紋が残らないように手にニトリルグローブを着け、死んだ3人の身分証明書と携帯電話の通話履歴と登録された電話番号の確認をしてからハンティントンまで戻りコンビニエンスストアから少し離れたところで車を降りて変装用の眼鏡とマスクをしてパーカを被って店で飴を買い、それを舐めながら電話を借りて事件のことを警察に伝えた。
現場から直ぐに連絡しなかったのは、面倒なことに巻き込まれるのが嫌だったから。
コッチが親切に教えてやっていると言うのに、ヤツら警察からはまるで犯人扱いのような仕打ちを受ける。
第1発見者が犯人である場合は稀にあるが、ヤツらは見境なしに疑って掛かる。
しかも用事があると言ってもお構いなしに拘束されてしまう。
今の俺には、警察に時間を取られる余裕はない。
一刻も早く、ただ一人現場から逃げ出したグレッグ・メロンを追わなければ……。
車を飛ばしてヤツのアパートに戻るが、部屋の電気は消えたまま。
部屋のドアをノックしても応答がない。
仕方がないからピッキングでドアを開けて中に入ることにしたが、もしヤツがあの3人をサブマシンガンで撃ち殺したとすればドア越しに撃たれる可能性もあるのでドアの正面には立たずに変な体勢で鍵を開けたのでいつもより少し時間が掛かった。
足跡が残らないように靴の上にビニールを掛けてから中に入る。
誰も居ない散らかった部屋。
大型のモニターには中断したままのゾンビゲームの画面が映し出されていて、テーブルには喰いかけのピザと合成麻薬……“誰かに呼び出されて出掛けたのか?”
部屋の中を確認したが特に“誰か”とか“何か”とかと関連付けるようなモノは見つからなかったが、あの若さなのに大量のバイアグラを持っていたことには驚いた。
しかも安いジェネリックではなく、メードインチャイナだが正規品の。
1時間ほど部屋の中を捜索したが、何も見つからず諦めて部屋を出て車に戻る。
その日は昼過ぎまでヤツのアパートの傍で見張っていたが、結局ヤツが戻って来ることはなかった。
“いったい、どこに行きやがったんだ?”
ハーレムにあるアパートの事務所に戻ったのは、もう日が西に傾きだした16時前だった。
俺の車の音で気がついたのか、ドアを開けると目の前にはレベッカがまるで飼い主の帰りを待っていた愛犬のような笑顔で待っていた。
彼女には尻尾はないが、俺には激しく尻尾を振るゴールデンレトリバーのように可愛く映り、思わずその小さな頭をナデナデしてしまった。
レベッカは、なぜ撫でられたのか分からず一瞬ポカンとした顔をして、来客があることを俺に知らせた。
徹夜で張り込みをしてきた後に来客とは面倒だと思ったが、何やらラベンダーの香水の香りがしたのでイソイソと部屋に向かう。
たしかダイアナもラベンダーの香水を使っていた。
何のようだろう?
調査書の催促?
いや、彼女はそんなことを急がせるような野暮な女じゃない。
きっと何かプライベートな相談……そう思うと、疲れを忘れてウキウキとした気分になった。
ところが部屋にはダイアナとは似ても似つかないヤツが居た。
底の擦り減った革靴を履いたスーツ姿の男。
徹夜明けなのか、その洞察力に優れた眼つきは、いつも以上に鋭く俺を捕えている。
その男が言った。
「よお、こんなに遅くまで何処に行っていた?」と。
訪問者はピーター・クリフォードだった。
彼は、彼を見た俺の表情が変わるのを楽しそうにジッと見ていた。
「レベッカ、ピーターが来ているんだったら何故おじさんが来ていると言わなかった?」
俺は彼の視線から逃げるために振り向いてレベッカに聞くと、彼女はいかにも申し訳なさそうな表情を見せて「す、すみません。お、叔父様から、自分が来ていることは伝えないようにって言われていましたので……」と言って、何度も頭を下げた。
レベッカの素直で大人しい性格を考えると、実の叔父からそんな風に言われると断れない。
おそらくピーターは、レベッカに気を使わせないように、ごく何気ない形でそのことを伝えたのだろう。
「実はな、昨夜ロイドビーチ……オイスター湾とロイド湾との境にある砂州のところで殺人事件があってな。マックス、君なにか知らないか?」
ピーターは小さな香水の瓶を弄びながら俺に聞いた。
次回は5月26日月曜日です!




